2016年12月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。12月号は「第45章 芭蕉研究書で楸邨と出会う」。本章において〈楸邨と出会っ〉たのは、他ならぬ筆者(石寒太主宰)です。この楸邨伝は、いま、楸邨の句集でいえば、第9句集『山脈』(昭和30年刊)と第10句集『まぼろしの鹿』(昭和42年刊)に挟まれた時期にいます。第43・44章では、昭和36年の末に起こった現代俳句協会の分裂と俳人協会設立の経緯ならびに背景を、さまざまな角度から詳述してきましたが、本章ではまず、その協会の分裂に対して楸邨はいかに処したかという問題を論じます。要約すると――楸邨は、同年7月に入院、2回の手術を受ける。その病室に角川源義が現われ、俳人協会に加わることを楸邨に勧める。その際、俳人協会は現代俳句協会の中の親睦団体だと説明する。それならばと楸邨は応じる。しかし間もなく実際は「分裂」であったことを知り、楸邨は加入を断る。その理由は〈自分たちの仲間である兜太君や澄雄君が、現代俳句協会で頑張っているのに、自分だけが俳人協会にゆくなんてこと、できっこない〉。著名な俳人のほとんどが俳人協会へ移った中、楸邨は毅然として現代俳句協会に残り、88歳で亡くなるまでその立場を貫く。――筆者(寒太主宰)は、〈そんな楸邨の態度を立派だと思う〉と述べ、〈いろいろな困難な時に立ち会ったとき、私は、「こんな時、楸邨ならどうするだろう」、そう自分に問いかけつつ自分の立場を決めている〉と敬慕の情を表わしています。さて、この分裂騒ぎのころ、筆者(寒太主宰)は大学生になります。やがて卒業論文のテーマに芭蕉を選び、〈当時現存するあらゆる芭蕉の文献・諸本に目を通した。そんな中で出会ったのが、加藤楸邨の書いた芭蕉関係の書物であった〉とのこと。〈楸邨の芭蕉研究の核をなすもの〉は、頴原退蔵監修『芭蕉講座』の『発句篇』で、上中下3巻が昭和18年から23年にかけて刊行されており、〈本格的な芭蕉全句評釈として、当時は画期的なものだった〉。そこで本章の後半では、楸邨の芭蕉研究にあらためて焦点を当て、〈芭蕉全発句の「評釈」にはじめて挑戦した楸邨の試みは、戦後の芭蕉学の成果に照らして、極めて精度の高いもの〉だったことを確認しています。
炎環の炎
- たむら葉が、句集『雲南の凍星』を、文學の森より2017年1月9日に刊行。序文を石寒太主宰が「慈愛と厳しさ」と題して認め、〈葉さんは、いつ会っても常に他人に爽快感を与えてくれる楽しい人である。もちろんそれは彼女のもって生まれた優しくて明るい人柄のせいでもあるが、私にとってはふるさとを一にしている安心感から来ているようにも思えるのだ。たむら葉さんは、静岡県の伊豆韮山で生まれた。たった半年でこの地を去るのであるが、私は中学三年の後半から韮山高等学校在学の三年間をこの地で過ごしている。そんな縁が、葉さんと私をまたひとつ深く結びつけているのかもしれない。さて、今度の句集を一読してみて、葉さんらしい明るく豊かな句の軌跡をたどることができることはもちろんであるが、よく読み込んでみると、その底にはテコでも動かない芯の強い主張が垣間見られた。これらの厳しさが今後どのように葉さんの俳句となって顕われてくるか。本当はこれからが葉さんの真価となることと思う。それを長生きして見届けたい。それが私の願いでもある〉と紹介。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号特集「名句は「省略」で生れる」の中の「私はこれを省きました」のコーナーに関根誠子が寄稿、「言葉の力を解き放つために」と題して、自作の〈飛花落花渦の奥よりランナー来〉について何を省略したかを解説。原句は〈飛花の道時の奥よりランナー来〉で、〈両句共に「時間」省略。「場所」は飛花の道。「主語」言わなくてもわかるので省略。「目的」省略。「方法」ランナーといえば、走っている姿・様子は明確なのでこれも省略〉。さらに、原句の推敲過程において、〈「飛花の道」と表記しても、散る花が道の奥へと絶え間なく吸い込まれるように流れて行く様子がもうひとつ見えてこない。そこで、ランナーが走っているのは道である事は書かなくても判るので、省略し〈飛花落花〉とした。「時の奥」は、飛花の道に立って花びらの流れゆく先を眺めていると、道の奥へと続くさくら色のタイムトンネルの様に見えたからであるが、「時」は抽象的でその分弱くなる。何度も情景を思い返していると、〈渦〉という言葉が素直に浮かんできて成案となった〉と記述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「俳人スポットライト」に、増田守が「経験値」と題して、〈街の灯の尖りてありし霜の花〉〈雪しまく少しづつ足す経験値〉など7句と短文を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「男のドラマ女のドラマ」に田島健一がエッセイを寄稿。表題に《泉の底に一本の匙夏了る 飯島晴子》を掲げ、〈晴子は処女句集『蕨手』冒頭のこの句を「最期の健康な句」と書き、それ以前の句をすべて捨てた。「健康な句」とは何か。その果てに「健康ではない句」があるならば、それはいったい何を指し示しているのか〉と前置きしてから、自身が、職場において、苦しい極限状況に追い込まれていく体験をユーモラスに語り、〈精神的にも身体的にも限界に近い。この瞬間こそ晴子が言う「健康さ」を失っている状況だ。そのような時にだけ見えるものがある。その夜、我々ははるばると途方に暮れていた。私はこころのなかに書きかけていた一句を思い出した。「鶴が見たいぞ泥になるまで人間は 健一」〉
- 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号「投稿俳句界」
・角川春樹選「特選」〈チェロ挟む女の膝や秋の夜 松本美智子〉=〈「秋の夜」と「チェロ」の取合せから、作者の過ごしているこころ豊かな時間が伝わってくる。この句の眼目は、女性チェリストの膝に注目したところ。これにより、演奏の臨場感とともにチェロの音色に艶やかさが増した〉と選評。
・大高霧海選(題「書」)「秀作」〈佐渡の秋「花伝書」閉ぢて入港す 中村万十郎〉
・田島和生選(題「書」)「秀作」〈妻留守の自分史を書く夜長かな 高橋桃水〉
・稲畑廣太郎選「秀逸」〈指揮棒に音の集まる無月かな 松本美智子〉
・茨木和生選「秀逸」〈八月のとまりしままの時計かな 金川清子〉
・今瀬剛一選「秀逸」〈指揮棒に(前掲)松本美智子〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号「平成俳壇」
・朝妻力選「推薦」〈沖まちの船に灯の入る夜の秋 天野啓子〉=〈接岸予定日時を調節する、荷揚げの順を待つなどの理由で、船舶が沖合に待機することを沖待ちと言います。その船が灯をともした。闇の中でも巨船の影が黒々と映えているのでありましょう。夜の秋という季節感の際立つ作品〉と選評。 - 読売新聞「読売俳壇」
・11月16日小澤實選〈頑張れよ案山子に声をかけてゆく 堀尾一夫〉 - 東京新聞「東京俳壇」
・11月27日鍵和田秞子選〈街中に秋の原あり誰もゐず 片岡宏文〉 - 「第9回尾瀬文学賞俳句大会」(11月3日)が応募総数426句から、5名の選者により大賞1句、特別賞12句、優秀賞9句、入選10句を決定。
◎片品村教育長賞〈尾瀬学ぶ子等に応へし遠郭公 佐藤弥生〉
◎入選〈木道の靴音高き晩夏かな 北悠休〉 - 東京新聞11月20日「東京俳壇」が結城節子句集『羽化』を紹介して、〈羽化といふあやふき時間白牡丹〉〈八月の校舎の長き廊下かな〉〈みちのくは今もみちのく稲の花〉〈履歴書の職歴ひとつ冬木の芽〉を抄出。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「合評鼎談 『俳句』10月号を読む」において土肥あき子氏、大谷弘至氏が、「平成俳壇」から、《眠るまで母の団扇の風もらふ 曽根新五郎》について、〈[大谷]今月の題詠は題は「昭和の夏」です。[土肥]クーラーはおろか、扇風機もなかった時代。不自由が母と子の蜜月の時間を作っていた。現代では喪失してしまった関係の一つでしょう〉と批評。
- 結社誌「濃美」(渡辺純枝主宰)11月号の「現代俳句月評」(遠藤正恵氏)が、《朴の花とほくの人へ開きけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈何とやさしい調べの句であろう。口誦するほどにほのぼのと朴の花の姿が浮かぶ。《とほくの人へ》の詩情にも感じ入った。《へ》に余韻があり、まるで朴の花が遠く離れた人へ語りかけるような雰囲気がある〉と鑑賞。句は「俳句」8月号より。
- 結社誌「萱」(木村嘉男主宰)11月号の「現代の俳句を読む」(小島良子氏)が、《墨東のあたりたつぷり夕焼くる 齋藤朝比古》を取り上げ、〈墨東とは隅田川中流の東岸辺りをいう。永井荷風の墨東綺譚を思い出す。掲句は夕焼けに包まれている墨東ということだけだが読む者の中の様々な物語を呼び起こす力がある。たっぷりという幅のある表現から、時間の奥行が感じられる〉と鑑賞。また、《海月から海月の影の出でにけり 齋藤朝比古》については、〈これも大川だろうか。上げ潮に乗って時に蔵前橋の先まで沢山の「みずくらげ」が遡ってくる。淡淡とした海月の影を思えば、虚より実が流れ出すような詩情に心誘われる〉と鑑賞。2句とも「俳句」8月号より。
- 結社誌「樹氷」(小原啄葉主宰)11月号の「現代俳句月評」(丹羽真一氏)が、《甚平のあをあを老いて眠りをり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈どこにも書かれていないが、この句の主人公は作者の父と読みたい。父と鑑賞した方が「老いて」に昼寝をしている老父への愛情や労わりの思いが滲む。「あをあを」とは言っているが、洗い晒しの白ばんだ甚平が目に浮かぶ〉と鑑賞。句は「俳句」8月号より。
- 自由句会誌「祭演」(森須蘭氏編集)52号(10月末日)の「句集との対話」(森須蘭氏)が、柏柳明子句集『揮発』を取り上げ、《初夢の続きのやうな道のあり》《ふらここやいきなり君が好きになる》など10句を抄出。さらに《風またはおとうとのやうな狼》に対して、〈日本狼は絶滅したと言われつつ、埼玉の奥地でひっそりとその血を繋いでいるとも言われている。遠吠えを聞いたという噂も流れている。この狼も、消えた日本狼の幻の様である。風の唸りなのか、遠吠えの幻聴なのか。登場する「おとうと」も実際の弟ではない。居たとしたら、という想像だろうと感じた〉と鑑賞。
- 「NHK俳句」(Eテレ11月20日放送)夏井いつき選「入選」(題「鮫」)〈この墓の男は鮫に食はれけり 曽根新五郎〉=「これ、眼前にあるのは墓だけなんですよ、一句の世界の中にね。でもこの男がなんで死んだか、たとえばこの男が鮫と格闘したとか、あるいは悲惨な事故に遭ったとか、そういう記憶が人々の胸に刻まれて、目の前にあるのは墓だけであると。」と選評。
- 「NHK学園誌上川柳大会」投句総数5.226句。
・竹本瓢太郎選「佳作」〈半月でスポーツ通となる五輪 永田吉文〉
・井原みつ子選(題「越える」)「佳作」〈困難を越えた涙に涙する 永田吉文〉