炎環四賞 第十九回「炎環評論賞」受賞作
「言葉が心と出会う瞬間 ――寒太俳句に学ぶ『心語一如』」竹内 洋平
- やまと歌はひとのこころを種としてよろづの言の葉とぞなれりける (『古今集仮名序』)
はじめに
本小論は炎環が標榜する『心語一如』を、言葉の上で読み解くのではなく、我々が学ぶべき寒太俳句をとおして、そこに『心語一如』がどのように実現されているかを見出そうという試みであり、そこで「言葉が心と出会う瞬とき間」に立ち会おうとするものである。
一 言葉について
心と言葉の出会いを考えようとするとき、ふと自然界に言葉がまだなかった時、人は喜びや悲しみをどう表現したのだろうかと考える。新訳聖書の『ヨハネによる福音書』には「はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。言葉は神と共にあった。万物は言葉によって成り、言葉によらず成ったものはひとつもなかった。」と記されている。同じことをメルロ・ポンティは「事物の命名は認識のあとになってもたらされるのではなくてそれは認識そのものである」(『知覚の現象学』)と言っている。ここに言う「事物」は福音書の「万物」とともに具象的対象物のみならず感情や心理などいわゆる「情念」の部分をも含んでいるはずである。それは深層意識の言葉として存在しているのである。であれば情念を含んだ事物はその数だけの言葉を持っていなければならない。しかし我々は言葉では言い表せないものがあることにしばしば直面する。それはときには言葉以上に饒舌である。怒りのために唇が震える、憎しみの目つきに出会う、首を振って拒絶を表すなどなど数え上げたらきりがない。〝筆舌に尽くしがたい〞自然に遭遇することもたびたびある。福音書の言葉とは裏腹に、自然も人間もアナログなのに言葉は後から入り込んできたデジタルなものではないかと思うことがある。万物の変容にいつしか言葉が追いつかなくなって来たのであろうか。また「群盲象を評す」は、同じ真実でも表現が異なる場合もあるという寓話だが、世の中のあらゆる真実は言葉と一対一にあるものではないということである。第一、真実が本当に真実であるかどうかの判断は神の手に委ねられるべきものである。島青櫻はその意欲的著作『詩のアディスィ』の中でこう述べている。「言葉の意味(内容)は、一般的には、経験における意識のはたらきの自覚である。(中略)必然のことながら、経験の在り様、すなわち対象をみる想いの在り様によって、言葉の意味(内容)は異なるはずである」(『詩的経験の内容』)。例えば「父」とか「愛」とか「山」などの容易に定義を与えることができそうな一見ありきたりな言葉も、それらに対する想いは人によって多様なのだ。それらを別の言葉で表現したら百人百様になるはずだということである。真実に対する言葉は神によって一人一人に与えられるものなのである。
では我々は世の中の「もの」や「事象」を表現するときどのように言葉を探したらよいのだろうか? 答えはひとつである。アナログにはアナログで対応するしかない、つまり「感じる」しかないのである。感じることだけが対象と同化できる唯一の方法である。そこで終わることができたのが言葉発生前の人類であり、発話前の赤児である。以後人類は言葉の桎梏の世界に生きることになったのである。例えば名付けられていない、あるいは名前を知らない何か(曲名を知らない音楽、名前を知らない花など)に接して得た感動を人に伝えるにはどうするか。極めて困難なこの作業を困難と承知で試みるのが詩ではなかろうか。洋の東西において詩はかつて旋律やリズムを伴って歌われたものだが、今ではほとんどの詩は言葉だけで語られる。しかしすべての言葉が重層的に過去を背負いこんでいるために、私の詩を私だけの言葉で綴ることができない。では言葉のくびきから抜け出て私だけの言葉で語るにはどうしたらよいのか?答えはふたつある。ひとつはあらゆる言葉について古今の万人の言葉を学んだ上でいずれにも属さない新しい自分だけの言葉を生み出すことであり、もうひとつは私が原体験で得ている意味と名のつくものをすべてかなぐり捨てて、無私の姿で対象に身を没することである。しかし言うまでもなく前者の、新たな言葉を生み出すことは自然を造形することであり、神を冒瀆することである。私が私の詩を生み出す手段は、対象に没して感じ取ったものがあるときそれ以外のものを捨象すること、その後に自然に沸きおこってくる言葉を詩として呟くこと、それしかない。言葉を選ぶのではなく、現れて来た言葉を呟く、そういう感覚と言っていい。その時に言葉とならない部分があればそのままにして置けばいい。詩にも空白が必要なのである。この感覚は日常にあってもごく稀に体験することがある。言葉を授かるまで待っていれば、いつか詩はこうして生まれて来るのだろうと思う。
斎藤茂吉の言、「実相に観入して自然・自己一元の生を写す。これが短歌上の写生である。(中略)「生」は造化不窮の生気、天地万物生々の「生」で「いのち」の義であり、「写」の字はここでは表現もしくは実現くらいでいい」(『短歌と写生一家言』)も、また加藤楸邨の言、「そのものより自然に出る情に至らなくてはならない」(『真実感合』)も、ともに芭蕉の「物に入りてその微の顕れて情感ずるや句となる」に通い合う。対象に心身を没して、自他が同一化することにより自ずと現れる情を写し取る、ではその時詩の言葉はどのように現れて来るのだろうか。明快な答えはないが私は「詩的体験が詩的言語を生む」ということではないかと思う。この際茂吉も楸邨も対象を自然とのみ見立てて語っているが、詩においてはしばしば「言葉が言葉を紡ぎ出す」ということが起こる。事実、俳句が何らかの対象を捉えて詠むものだという通念を覆して、「言葉そのものが言葉を生む「」言葉から別の言葉が立ち上るのを待つ」という立脚点を持つ詩人はかなり前から存在したし、現代俳句界について言えばそのような作り方をする俳人は多い。『心語一如』は、「自然」や「人間」とともに、「言葉」との通い合いについても語られなければならない。茂吉の「実相」、楸邨の「真実」をさらに敷衍すれば、「言葉への観入」であり、「言葉との感合」であり、芭蕉の言について言えば「言葉に入りてその微の顕れて情感ずるや句となる」である。それらを含めてあらゆる詩的体験が詩的言語を生むのである。
詩的体験はまずその意思を持つことから始まる。一輪の花を例にとれば、花を見つめ、その一片に命を感じ、その命と気息を共にすることで同じく生あることを謳歌する。そこから詩的言語が立ち上るのを待つのである。このことについては別の機会にさらに追及していくつもりである。
二 短歌と俳句における詩的言語の現れ方のちがい
入沢康夫は「もっぱら意味や意見の伝達を主眼にして、散文でも語り得ることを書き綴るところには、詩は存在しないのである」(『詩の逆説』)と述べている。これは詩一般について語られたものだが、詩における「言葉」のありようを考えるとき、俳句を学ぶ我々にはより心に響くものがある。散文↓詩↓短歌↓俳句と文字数が減ずるにしたがって自ずと意味を伝えるには不自由になり、その分ひとつの言葉の奥行が求められるようになる。逆の経路をたどれば、太古にまず沈黙があり、言葉は沈黙の中から生まれ、饒舌の中で失われて行くもののように思う。
楸邨は「短歌的詠嘆に縋ったり、概念的追及が出たりしては、俳句としての真の重さは見失われる」(『真実感合』)として短歌と俳句を抒情的表現の点で明確に区別している。俳句が抒情的表現を用いずとも情を表すことができるのは何といっても「切れ」の構造によるものであり、切れの後ろに生ずる無限の時空の広がりの故である。その点で短歌との相違が言葉の現れ方としてどの様に違ってくるか、以下の実例に沿って見ていく。
はつなつの胸乳にひびく万象の中なるひとつ君の白歯も 小島ゆかり(『現代の短歌』)
この歌の背景に
万緑の中や吾子の歯生えそむる 草田男
があったことは十分推察できる。草田男の句は、わが子に歯が生え始めたとしか言っていないが「万緑や」の一語と下に生じる余白によって作者の喜びは確実に読み手に伝わる。「万緑」は神が草田男に授けた言葉に違いない。まさに言葉が心に出会った瞬間である。一方短歌の方は初夏の風や青空、胸乳にまで響いてくる万象の豊かさを歌うことで、つまり言葉の連鎖により喜びを語っている。
「銃後といふ不思議な町」を産んできたをんなのやうで帽子を被る 米川千嘉子(『現代の短歌』)
この歌には白泉の句を基にしたことがはっきり表記されている。
銃後といふ不思議な町を丘で見た 白泉
白泉の句は事実を詠んでいるだけだが「不思議な」の一語で意思は十分伝わって来る。短歌ではそこをもうひと押しして、詠嘆の思いを伝えている。「をんなのやうで」が楸邨が排した「概念的追及」であろう。
しみじみとわれの孤独を照らしをり札幌麦酒のこの一つ星 荻原裕幸(『現代の短歌』)
現代短歌においても歌う対象や詠みっぷりはどんどん広がっているようだ。ビール瓶のラベルを見ながら孤独を感じ取っている景はよく見えてくるし、こうした詠み方は俳句でもよく見かける。ただ俳句では「しみじみと」も「孤独を」も使われないであろう。楸邨の言うところの「短歌的詠嘆」である。俳句であれば「アパートの札幌麦酒のひとつ星」で済ませてしまうに違いない。
また俳句で擬人化や見立ての句が敬遠されるのは「私」を句の中で直截的に表現しないのが常だからだが、一人称であからさまに歌うのは俳句より短歌である。
たとえば君、ガサッと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか 河野裕子(『森のやうに獣のやうに』)
は青春の喜悦を高らかに誇らかに歌い上げている。この歌には詠嘆も概念もなく、直情が強く出ていて短歌として優れた作品であろうが、おそらく俳句では、たとえば
雪はげし抱かれて息のつまりしこと 橋本多佳子
と冒頭においた「雪はげし」に思いの強さを語らせる。ともに秀歌秀句ながら「落葉すくふやうに」と詩的に歌う短歌と、季語の後ろに一瞬の間を置く俳句、これはもう方法の相違ではなく質的な違いとしか言いようがない。楸邨は俳句では「詩的表現」(詩的言語ではない)は避けるべきだと言っている。
例として挙げた短歌・俳句にはいずれもポエジイも詩的リアリティもあるが、短歌では主観を述べるベく言葉の出し惜しみはしていない。感情に直結した言葉を避けることなく使っている。しかも言葉の「流れ」の中で心を伝えている。俳句は主観を述べるのに適さないのではなく、音数の制約を自らに課した時点で主観の叙述を放棄しているのである。しかも流れでなく瞬時の心を言葉に託している。言葉の現れ方における短歌と俳句との違いはここにある。
「『文学』とは『言語』のもつ若干の特性の一種の拡張と適用であって、それ以外のなにものでもありえない。」(『詩学序説』)ヴァレリーのこの言葉は詩における言葉の位置づけを的確に表しているが、「言葉の特性の拡張と適用」を最もよく実践しているのが最短詩型の詩、俳句であると言える。詠嘆的表現を避けつつ饒舌にならないためには、一語の可能性を個性的に拡張していかなければならない。
三 言葉が心に出会う瞬間
さて俳句における言葉の現れ方を短歌との比較のもとに概観したところで、本章では寒太俳句において言葉がどのように現れ、その言葉によって作者の感動がいかに読み手に伝わっているかをつぶさに見ていく。今回改めて師の全句集を通読して感じたことは、寒太俳句の骨格は「不易」であり構えは常に「流行」へ向いているということ、リアリティの裏付けのない句は皆無であること、リアリティがポエジイを伴って詩的に変容していること、すべての句に通底しているものが自然と人間に対する優しい眼差しにあることなどである。そして選び抜かれた言葉の、個性的で透明な感性の煌めきに触れたとき作者と読み手の心はひとつになっていく。
(一)詩的リアリティが伝える心
たとえば攝津幸彦に
露地裏を夜汽車と思ふ金魚かな
という句がある。難解句としてさまざまな解釈がなされている句だが、私は作者の意図は忖度せず露地裏、夜汽車、金魚の言葉の組み合わせから自分なりの詩情を感じ取り、一幅の絵を眺めているような気持になる。詩的リアリティを感じ取れたとき、その句は読み手にとってわかったことになると言って良いだろう。読み手は普通、まずその句が取り合わせの句なのかそうでないかを考える。ということは俳句に意味を求めていることになる。しかし優れた句には、読み手のそうした姿勢を拒絶するところがある。そうした句に出会ったとき、人は作者の思いを共有して感動する。ポエジイを伴った詩的リアリティが意味を超えたところに現れた瞬間である。
蝶あらく荒くわが子を攫ひゆく 『あるき神』
形は明らかに読み下しの句である。わが子がどこまでも無心に蝶を追いかけて行く。その後姿を見つめていると、まるでわが子が蝶に攫われて行ってしまうようなおののきに襲われているのであろうか。しかし小さな蝶が子どもをさらって行くという描写には現実的という意味のリアリティはない。この句の凄さは「あらく荒く」のリフレインだ。あのちっぽけな蝶が「あらく荒く」攫って行ってしまう、この言葉によって一挙に詩的リアリティがもたらされる。すべて詩というものは比喩によって立っているが、言葉を寓意的に用いるより、そのままの意味で用いて象徴性がもたらされる詩はより優れている。いったん「詩」として感じられたとき、それ以上の解釈はできない。この句には解釈を超えた詩がある。
マクベスにたれか耳打ち夜の秋 『翔』
マクベスの闇が降りくる野火の涯 中尾杏子
マクベスの魔女を真似るや春の闇 伊藤絹子
マクベスの科白がふつといなびかり 藤田湘子
シェイクスピアの作品の主人公の中でも、特に極悪でかつ犯した罪に苛まれる人間として描かれているマクベスを詠み込んだ四句。難解句と言われるものは取り合わせに用いた言葉の関連性に飛躍があるからだが、これら四句にはいずれも大きな飛躍はないので難解句とは言えない。しかし詩的リアリティがあるのは寒太句である。「平凡「」予定調和「」即き過ぎ」のいずれかに当たる他の三句と並べてみると寒太句に詩的レトリックへの試みが見えてくる。「夜の秋」は夏の終わりを表す俳句特有の季語だが、この言葉がもたらす独特の妖しさが上五中七の言辞に殊の外合っていて動かない。この句に詩的リアリティをもたらしているのが「夜の秋」であるのは言を待たない。読み手の眼前にはもはやマクベスは居らず、わが耳元の妖しげな感覚だけが残り、立ち去っていく何者とも知れない影が見えてくる。「夜の秋」はもちろん夜とは限らないのだが、この舞台は夜に違いない。「マクベス」「たれか」「耳打ち」「夜の秋」、これらの組み合わせが見事にポエジイを伴った心象俳句を完成させている。
少年に鬱天蚕のうすみどり 『以後』
晩夏なる露店にギリシャ悲劇集 『炎環』
「秀句は、無意識に記憶を強いる。強いられて何等抵抗を感じさせない表現力を得たものだけが風雪にたえる。その表現は、一見平明にみえて、きびしく類型を拒否する。更に解説さえ無力にしたとき、その句は、大衆のなかに溶けて、永遠にあたらしい生命を宿し続けるだろう。」 『俳句の魅力』で語られたこの飯田龍太の言葉を反芻しながら掲句二句を鑑賞する。
一句目。誰でも少年時代には友だち関係、親子関係ばかりでなく、将来への不安や些細な身近なことでの悩みを持った記憶があるものだ。そんなところから生じる軽い鬱、とらえどころのない不安、これを天蚕の繭の淡いみどり色のようだと思ったのは、作者の体験に即した喩えで極めて個性的と言える。だが一見独りよがりに見える喩えも、鬱、天蚕、あおみどりの言葉の選択と取り合わせが詩的にリアルな普遍性を獲得している。「少年の鬱」で脳の記憶部分を刺激されたばかりの読み手はこの取り合わせによってさらに心を動かされる。一読者としても、恵まれなかった少年時代の光景の一コマ一コマがうすみどりの膜を透かして見えて来るようである。
二句目。寒太俳句が、リアルな現場を浮かび上がらせながら、それを詩的リアリティにまで高めることに成功している好例だ。「晩夏」、「露店」、過去の栄光の「ギリシャ」、そして「悲劇集」、これらの平明な言葉の底には互いに通い合うものがあり、それらが一塊として読み手を襲ってくる。この組合せに類型は考えられない。しかもこの映像はたしかなデジャビュとして私の眼前に現れてくる。
(二)文字の表記が動かす心
俳句は朗誦の文学とも言われ、音(おん)だけで聞いた方が好ましい句は多くある。逆に目で文字を追って鑑賞した方が好ましい句もあるように思う。後者が比較的敬遠されがちなのは、おそらく文字を追うことで意味が先立って入り込んで来てしまうからであろう。確かに俳句は意味よりも韻律の文学である、この点に異論はないのだが、たとえば次の句は文字で鑑賞してこそ評価できる。
大南風しづかに聞かば「ヒ・ト・ゴ・ロ・シ」 『以後』
はんにちは母半日は海へちるさくら 『翔』
ノーモアヒロシマ一匹のみづすまし 『生還す』
これらを耳だけで聞くと、まず脳裏に描かれる文字は「大南風静かに聞かば人殺し「」半日は母半日は海へ散る桜「」ノーモアヒロシマ一匹の水馬」に違いない。これでは原作に施された巧みさがおおかた失われてしまう。このことを逆に言えば、寒太俳句において文字遣いにいかに心が配られ、洗練されているかの証しでもある。言葉が心と出会うためには仮名表記、文字の選択にも心を遣わなければならないのである。
私は寒太作品の桜を詠んだ中でもっとも好きな句は
はんにちは母半日は海へちるさくら
であり、思いを託し得たと言う点において芭蕉の「さまざまの事思ひ出す桜かな」に匹敵するものと思っている。老いた母の家の、海にせり出すようにある一本の桜。花はいま盛りを過ぎようとしている。風が海へ向かうとき花びらは海へ落ち、やがて波にのみ込まれて消えていく。暖かな風が海から寄せるときは、ちょうど畑仕事をしている母を包み込むように舞ってくる。何と絵画的な景色だろうか。「半日は」としたことで時の経過が生まれ普通ならやや冗長な感じになるところだが、巧みなのは「はんにち「」半日」と使い分けたことだ。この使い分けによって、あたかも「半日ずつ」という時間的差異をあからさまに感じさせずに画布の右半分と左半分のような一幅の絵画を生み出している。そして何よりもこの句の命は母への愛である。海はもしかしたら包容力に満ちた父かもしれない。愛を語らずして愛を感じさせる力、これこそが短歌にはない俳句の言葉の力である。
ノーモアヒロシマ一匹のみづすまし
この句には「直接的には」物語性はない。「みづすまし」は句の中で象徴として存在しているに過ぎない。「ノーモアヒロシマ」は既存のメッセージだが、上の八音の後ろに大きな空白が生まれている。下の九音との間にはつながりはなく大きな落差がある。しかし読み手である私には「間接的に」物語が伝わって来て心に響く。灰燼と化した広島の町のわずかな水溜りに一匹の水馬が水底を見つめつつ力の限り泳いでいる様が見えてくる。意味を拒絶したような取り合わせの手法が、かえって私の想像力を膨らませてくれる。情緒纏綿な言葉を連ねることよりも、一見つながりのない落差の大きな言葉を組み合わせる方が、思いを強く伝えてくれる俳句の不思議だ。掲句は作者の追悼の情が誠であるがゆえに一匹のみづすましのかけがえのない生を実感させてくれる。そして何と言ってもこの句で私が一番好きなのは「みづすまし」の仮名書きである。「カナ↓漢字↓かな」この連鎖が作者の思いの波動を伝えてくれる。
(三)取り合わせが呼び起こす感動
水鳥の浮遊スティーブ・ジョブズの死 『以後』
掲句はスティーブ・ジョブズの死からほどなくして句会に出されたものだ。この時事的と言ってもよい句が句集に掲載されるに至ったのは、作者がこの句に普遍的な価値を認めたからに違いない。私はこの句が提出された句会に立ち会っていて、その時は追悼句として共感をしていただいたが、やがてそれが普遍的価値を獲得することになった今、俳句の持つ底力のようなものを感じている。この句も「ノーモアヒロシマ」の句と同様に上八と下九の間に落差があり、その間に大きな空白が生まれている。この句の力はその空白に思いを委ね、散文的な説明を加えていないことである。思いが深ければ深いほど人は寡黙になる。冬の水上に静かに浮かぶ水鳥が働きづめの末あえなく亡くなったスティーブ・ジョブズの安らかであろう今を象徴している。私はこの句から生前の業績よりも普通の家庭人であったろう彼の姿を思いほっとする。実はスティーブ・ジョブズは私かもしれないし、私がその生涯を知る親しい誰かかもしれない。その知悉の度合いが大きければ大きいほど「水鳥の浮遊」は胸に迫ってくる。仮に普遍的価値ではないにしても、ひとりでも共感者を得たとき、俳句は単なる時事句ではなく永遠性を獲得することになるのだということをこの句を読むたびに感じる。
挨拶性が一要素である俳句にあって、追悼句と言われるものは故人に捧げるものだが、告別式における弔辞同様肝心の故人には届かない。追悼句は実は故人への思いを、遺された人々と共有するためのものである。そういう意味では俳句の中でもっとも緊密に言葉と心の出会いが求められる。追悼句に限って言えば寒太作品の中で私が特に愛誦する句は長谷川智弥子さんを追悼した次の二句である。いずれも季語の絶妙な選択が作者の思いを増幅させて伝えている。
思ひ切り泣いてもいいよ春の雪 『愛禽抄』
「春の雪」が切ないほどの追憶をやさしく包んでいる
薄氷や先に逝くなといふたのに 『愛禽抄』
「薄氷」はいのちのはかなさとともに解かしきれない悔恨の情である。
(四)象徴的に用いられた言葉が伝える心
鬱の日の沸点にゐて緋の躑躅 『翔』
おぼろ夜のカフカのふくみ笑ひかな 『翔』
致死量の月光を身に浴びてをり 『生還す』
一句目の「鬱の日の沸点」は言葉の本意を逆手にとっている。沸点といえば普通なら気分が高揚し切ったときにこそ使う。にもかかわらず沈みきった日の沸点を読み手は明瞭に把握できる。言葉の象徴的な使い方という点において、意味を逆手にとるということは学ぶべき技だと思う。鮮やか過ぎて神経に触る緋の躑躅との取り合わせと相俟って、「沸点」が「頂点」ではこの意外性は伝わらない。
二句目の「カフカのふくみ笑ひ」はすっと合点してしまう。どんな作家の名を連ねてみてもカフカにはかなわない。含み笑いは『審判』の主人公を連想させる。この句ではカフカを語っているわけではないが、月光定かならぬこの夜、わが身の回りに感じる不条理なことごとを思うときカフカが必然的に出てきたのであろうか。不条理とカフカに意外性はないが、「カフカのふくみ笑ひ」は作者独自の把握であり、世の不条理を象徴した表現である。合点させられるのは「おぼろ夜の」が効いているからであろう。
これとは逆に三句目では「致死量」が意外。「死にたくなるほどしあわせ」と同様の使われ方だが、「大いなる」とか「豊かなる」などありきたりな形容詞を用いず、光の質量の大きさを象徴的に硬い漢語で表現した、煮詰めに煮詰められた言葉である。
(五)対比の妙が伝える心
雷ふたつ妻の返事のひとつきり 『以後』
こんな風景を想像する。ゴロゴロ……。「一雨来そうだね」「そうね」ゴロゴロゴロ……。「洗濯物取り込んだかな?」「………」 いやそうとは限らないか。夕飯のおかずは何か訊いたのかも知れないし……。この句には、障子一枚隔てたところにいる夫婦の和やかな風情が漂っている。飯島晴子はこんなことを書いている。「言葉は本来、一つの特定の秩序を専有することの出来ない自由なものであるから、言葉のしたいようにさせれば、言葉はその秩序における声以外の声も出すのである」(『わが俳句詩論』)。「ひとつきり」、この覚めた言語感覚がむしろあたたかな夫婦関係を浮かび上がらせているのも秩序をはみ出した言葉の力であろう。やはり神はその人にしか使えない言葉を授けてくれる。
本はあとがきソフトクリーム頭から 『以後』
思わずニンマリさせられる、俳句ならではの作品である。本をあとがきから読むのは覗き趣味のような小さな罪悪感があるが、作家の執筆の動機をあらかじめ知っておきたいという真摯な態度かも知れない。一方ソフトクリームは選択の余地なく誰もが頭から舐め始める。この句の面白さは、本の読み方は人さまざまなれどボクはあとがきから読むんだよ、ということを対比の妙で伝えていることであろう。どう考えても対比するものとしてソフトクリーム以外に思いつくものがない。絶妙な言葉の選択である。
一期は夢一会はうつつ旅はじめ 『あるき神』
「一期」とは人が生まれてから死ぬまでのこと。人生すべて夢、というのは蘆生の逸話「邯鄲の夢」に思い至る。まことに人生とは儚いものかも知れない。しかし一生に一度の出会いはかけがえのないものである。さあ今年こそ素晴らしい出会いを求めて旅に出よう。そんなしずかな意気込みが伝わってくる。
おわりに
これまで見てきたように寒太俳句では「言葉」がさまざまに変容しつつ「心」を伝え、読み手の心に届いてくる。
師は若い頃からずっと編集者である。何もかも受け容れようとする柔軟な頭脳を持った若き編集者は、あたかも母親の物語を聞きながら言葉を覚える幼児のごとく、文学的な言葉をスポンジが水を吸うようにして我が身の言葉として来たに違いない。しかし言葉を選び、文字を選ぶために求められる鋭敏な感覚は成人してから急に培われるものではない。小学校時代から「作文」に熟達していた言語感覚は幼少時からの読書習慣によって確実に身につけられたのであろう。大学時代には詩に親しんだと聞く。いずれにしろ、かといって師が無用なディレッタンティズムに陥らなかったのは、ひとえに彼の編集者としてのプラグマティズム精神によるところ大であると私は思う。それが寒太俳句に決して空言(そらごと)ではない豊かな表現が見られる所以ではないだろうか。
紀貫之の『古今集仮名序』は
やまと歌はひとのこころを種としてよろづの言の葉とぞなれりける
の一節から始まる。ここに言うやまと歌は和歌のことだが、この後に続く
世の中にある人事業しげきものなれば心に思ふことを見るもの聞くものにつけて言ひいだせるなり花に鳴くうぐひす水に住むかはづの声を聞けば生きとし生けるものいづれか歌をよまざりける
まで来ると俳句とてなんら変わりがないことに気づく。俳句は「ひとのこころを種として」言葉で繋ぐ詩である。間違いなくここが『心語一如』についての私の論の出発点であったが同時に紆余曲折を経た後の到達点でもある。
森羅万象、生きとし生けるものに出会い、息づく自然に身を置き、そこにかけがえのない一生を送る人々に接し、それらすべてから「いのち」を感じ、感動すること、その感動から自分にしか与えられない言葉が現われるのを待つこと、言葉にならない部分は余白として受け止めること、それこそが言葉が心と出会う瞬間であり『心語一如』が実現される瞬間なのではないだろうか
以上寒太俳句に現れる言葉と心が結びつく様子をいくつかのパターンで見て来た。この他にも師独特のオノマトペが生み出すリズムが伝える心などにも触れたかった。学ぶべきことはあまりに多く、試みはほんの一里塚に過ぎない。『心語一如』の探求は成書一冊をもっても尽きないと思う。この小論を出発点として更なる道を進む決意である。
【引用した資料】
『知覚の現象学』 メルロ・ポンティ 竹内芳郎・小木貞孝訳 みすず書房
「詩のアディスィ」「炎環」平成十四年十二月号
『詩学序説』 ポール・ヴァレリー 河盛好蔵訳 中央公論社
『現代の短歌』 篠弘編 三省堂
『森のやうに獣のやうに』 河野裕子 沖積社
『加藤楸邨初期評論集成』 第一巻「俳論・俳話」邑書林
『斎藤茂吉全集』第九巻 岩波書店
『詩の逆説』 入沢康夫 サンリオ出版
『俳句の魅力』 飯田龍太 角川書店
『飯島晴子読本』 富士見書房
句集『あるき神』 石寒太 花神社
句集『炎環』 石寒太 花神社
句集『翔』 石寒太 ふらんす堂
句集『生還す』 石寒太 ふらんす堂
句集『以後』 石寒太 ふらんす堂
【主な参考資料】
『加藤楸邨全集』第五巻 講談社
『斎藤茂吉全集』第十巻 岩波書店
『正岡子規集』 日本近代文学全集16
『高柳重信読本』 角川書店
『俳句幻景』 攝津幸彦 星雲社
『幻想の視覚』 斎藤茂吉と塚本邦雄 安森敏隆 双文社出版
『与謝蕪村』 萩原朔太郎 岩波文庫
「詩のアディスィ」「炎環」平成十三年三月号〜平成十五年七月号
受賞のことば
昨年主宰から捲土重来を、とご批評をいただいたこともあり「心語一如」に再度取り組んでみたが、改めて難しいテーマであることを痛感した。
論文の体裁を整えるために、自ら問題提起をし、総論から各論へと進めて下書きをし終えてみたら所定枚数の倍近くになってしまっていた。それを削りに削っていく内に、当初意図していた 「心語一如」は雲散霧消してしまった。
早い話が何もわからないまま書き進めていたのである。それならばいっそわからないことを一つずつ拾い上げ、解決しながら書き進めてみようと思い直した。
言葉との出会い、短歌との違いについては、多くの頁を割けなかったが一応自分なりの考えをまとめることができたと思う。
その先、私にとって俳句との出会いそのものであるところの「寒太俳句」の中に『言葉と心が出会う瞬間』を求めようとするのはごく自然の成り行きだった。師の句について安易にパターン化することは好むところではなかったが、意図するところは為せたと思っている。しかし三十枚という限られた字数は総論にとどめるか各論に徹するしかないと、終わってみて思った。
また〝捲土重来〞の課題を残してしまった。