2016年度 炎環四賞
第二十一回「炎環新人賞」記念作品
小佐井 芳哉
終着駅
- 島離れ島へ向かふや秋の航
- 老人はまんなか歩く秋高し
- 秋の夜やラジオ捻ればハワイアン
- 病める日の泡立草の黄がまぶし
- 紫苑揺る失くしたものは何だらう
- コスモスの全体主義が嫌ひなり
- 紅葉山もりもり食ぶる朝ごはん
- 地蔵尊手向けの柿の熟したり
- 秋時雨街に悪意のやうなもの
- 放蕩の夜の底に坐し温め酒
- 鳴き交はす鳥も居らずや暮の秋
- ヨガ講師よろけし小春日和かな
- 漱石の隠れてゐさう朴落葉
- 大根はちらりちらりと人を見る
- 見えぬもの犀は圧すなり冬青空
- 名園の冬は砂利踏む音ばかり
- 底冷えの会衆席や弥撒なき日
- 神様を信じて妻は葱きざむ
- 凍星やそろそろ終着駅らしい
- 籐椅子の破れや十二月八日
受賞のことば
「炎環新人賞に選ばれちゃった!」とカミさんに言うと、「ハ、新人賞? 七十歳で。ワハハハハ」。それでも喜んでくれているのです。寒太先生も「俳句に年齢は関係ない」と言ってくれます。ただいつも思い出すのが先生編の俳句歳時記冬の季語「膝掛」の例句です。
すぐ眠くなる晩学の膝毛布 丁野 弘
定年退職後に俳句を始めて、覚えは悪いし、聞いたことはすぐ忘れるし、句集を読んで居眠りもしょっちゅう。青年や壮年の炎環の仲間の溌剌とした発言や俳句と比べて、忸怩たるものがあります。
しかもみなさん現役で、二足の草鞋を履く大変さは年金生活者には想像できないものがあるでしょう。しかしまあ、そこが付け目で年寄りには“当面の”時間だけはたっぷりあります。若い方が1分で理解できる事は10分掛ければいい。そう考えると多少は太刀打ちできるかもしれません。
偉そうな事書いてしまいました。でも、これからが最後の青春かなと思っています。
受賞は驚きでした。先生をはじめお世話になった方々、本当にありがとうございました。