炎環四賞 第二十三回「炎環評論賞」受賞作
「阿部青鞋の世界」松本 美智子
はじめに
新興俳句の面白さは紹介された代表句については、知っていたが、各俳人の代表句以外の句、その他の俳人については、簡単に読むことが出来ず、長い間、もどかしい思いをしてきた。この度、『新興俳句アンソロジー』が刊行され、その代表句を読むことが出来た。また、今まで、名前だけしか聞いたことがなかった人の句はもちろん、こんな人もいたのか、という驚きの俳人もいた。その一人が阿部青鞋だった。
読んでみると、新興俳人の中には入ってはいるが、新興俳人ではない、ユニークな俳人で、ここで取り上げられなかったら、おそらく、読まれることもなく埋もれていってしまう俳人だと思った。それは、青鞋の句集及び、関係書が手に入らないし、一九八九年に亡くなった時、三橋敏雄氏は追遺の中で『阿部青鞋全句集』が待たれる、と書いたままで、出版されず現在に至る。
新興俳句とは川名大氏によれば、昭和六年から十五年までの約十年間、「反伝統、反ホトトギス」を旗印に近代的革新をめざした俳句運動で、近代的抒情や斬新な感覚の発揚による表現形式の革新と、俳句形式による思想性や社会性の表出をめざした、とある。
私が読んできた、西東三鬼、篠原鳳作、高屋窓秋、渡邊白泉らは、ほんのその一部にすぎなかった。新興俳句以外のユニークな俳人として、阿部青鞋のその何とも不思議な俳句の魅力を鑑賞してゆこう。
一 読者の想像力
- 人間を撲つ音だけが書いてある 『火門集』
散文の中の一文がいきなり、取り出されたような感じである。そして読者にその音を想像させるだけである。人ではなく、人間を撲つ音である。具体的な音は示されず、その理由も明らかにされない。読者はその音を想像し、さらにその理由は何だろう、と想像をめぐらす事になる。読者にとっては作者は極めて不親切で、想像力が丸投げされる。各人はそれぞれ自分の想像力を駆使して自分の感じた音を描くしかない。逆に言えば、読者にそれだけ世界を委ねている事になるから、読者はいかようにでも、想像する自由が与えられていることになる。それが作者のねらいとすると、読者の想像力の豊かさが試されることになる。どんな作品でもそれは多かれ少なかれあるのだが、この場合は特に「人間」と「撲つ」である。「人」ではなく、「人間」には、人類一般、抽象的ニュアンスが含まれる。「打つ」と「撲つ」の違いにも、作者の認識が表れる。「打つ」は形声文字で、字義は釘を手にして打つ、とある。これに対して「撲つ」も同じ形声文字であるが、その字義はつくりの菐は打つときに出る音とある。意味はうつ(撃)とあり、ぶつ、なぐるの意とあり、打撲という熟語もある。意味は同じだが、打つと撲つとでは印象が全く違う。「撲つ」を使うことによって叩かれる音をイメージすることを作者は要求している。人間というものが殴打される音とは、ばしばし、びしびし、ぼこぼこのいずれか。私はバ行の音を思いついたが、他の人はどんな音を思いつくのだろうか。
この句では、具体的な物を通して音を自由に想像させたが、次の句では、逆に「永遠」という抽象的な概念の世界の存在と具体的な物との関係性を考えさせる。
- 永遠はコンクリートを混ぜる音か 『火門集』
これは前の句から比べれば、イメージが具体的である。あのコンクリートミキサー車のミキサーがグルグル回っている音をまず思い浮かべる。回っていなければコンクリートが固まってしまうという、物理的必然性により、回転している。それを「永遠」と同列に置いた。この世の中に永遠なるものはない。『方丈記』の「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。」とあるように、絶え間なく流れる水は同じように見えるが、その中身は絶えず入れ替わっている。この世は諸行無常の世であるから、現実的にはミキサーが回るのもほんの束の間の出来事に過ぎない。そのミキサー車の回る音こそ永遠ではないか、と作者が断定する思考がユニークである。永遠という時間は無限である。日本人は「水音」に無限の時間を捉えてきたが、その延長線で考えるなら、自然の風でもいいわけである。それを「コンクリートを混ぜる音」と「永遠」を同列に置き、納得させてしまう句である。現代でも、この句は充分、驚きの句である。まして昭和四十三年に『火門集』が出た当時はどれほど新しかった事だろうか。それを思うと青鞋の句の発想は魅力的である。これを断定で終わらず、最後に疑問の助詞「か」を置いたことによって、作者の自問自答は永遠に続いてゆくような印象になる。二つのものは反対であるが、その本質には共通点があると、考えられる。中岡毅雄氏は次のように鑑賞している。
「永遠」と「コンクリートを混ぜる音」が同じ価値で比較されている。下五の「混ぜる音か」は疑問の助詞「か」によって、一句は比喩の様相を帯びることとなる。「永遠はコンクリートを混ぜる音の如し」と意味が連接する。通常、比喩表現は、比喩対象と意味が通底する箇所がある。青鞋の比喩は、両者の共通点を否定するケースが多い。「永遠」という時の流れと、「コンクリートを混ぜる音」には重なり合う部分が無い。「は」によって、両者が結び付けられ、それぞれの内包している意味が一方では衝突しあい、一方では融和する。永遠とは無関係な労働場面から、悠久の時間が見出される。限定された短い時間が、永遠という無限の時間と通い合う新たな関係性が生じてくる。
ものをどの様に捉えるのかは、その人の持つ資質の深さによる見方である。同じものをみていながら、人によってその捉え方、受け止め方の違いはよく経験することである。日常にあるものの視点を少し、ずらすことによって見えてくる世界のおもしろさを句にしている。こういう句をさらに飛躍させたのが、次の句である。
- 想像がそつくり一つ棄ててある 『ひとるたま』
これは前の句に比べると、さらに抽象的である。前の句は人間を撲つ音やコンクリートをかきまぜる音と、具体的に聴覚で捉えることが示されたが、今度は「想像」である。目には見えない想像という抽象的なものが、そこらに丸ごとすててある、という、大胆な発想が面白い。それも「捨てる」ではなく、「棄てる」である。「捨てる」より「棄てる」ははるかに力強い。棄却、棄民という熟語があるように、そこには断固とした意志が感じられる。常識的には「思想」を使うなら、極めてわかり易くなるが、「想像」をもってきたことにより、時代がもつものを感じさせ、句の世界が広がった。作者の生きてきた時代のもろもろをすべてひっくるめて「想像」と表したと思われた。人それぞれの想像の世界を「想像」という言葉で表すことによって、意味は伝達される。伝達された意味から、人はそれぞれの想像を始める事になる。
物に語らせるという、俳句観からすれば、全く正反対の俳句なので、具体的イメージがわかず、俳句としては、不可とする人もいるだろう。なにをどの様に想像すればよいのか、その手がかりが示されないところにかえって、魅力を感じる。とらえどころのない曖昧さによって表す世界である。それは物に語らせるという俳句に慣れてきた私にとって、このように詠むことによって、俳句の可能性を広げられる、という発見でもあった。俳句は何をどのように詠んでもよいと言われるが、抽象的な物は、ものとしてのイメージが千差万別でイメージの共有が困難なため、大方は否定されることが多い。それをあえてこういう表現にしたのは、作者の俳句観に他ならない。また、時間という観念の捉え方として、次の句がある。
- 虹自身時間はありと思ひけり 『火門集』
「虹自身」と虹に人格を持たせた、壮大な擬人化である。確かに、空にかかる半円の美しい虹ははかないものである。はかないがゆえにその美しさは幻のようにたちまち消えてしまう。その虹がかかっている時間を虹自身が時間がある、と確信をしていると発想した点が面白い。過ぎ行く時間を惜しむのは人間だけだろう。虹という自然現象は大気中に浮遊している水滴が日光にあたり光の分散を生じたもので、気象の一形態に過ぎず、実態があるかと言えば、ないとも言える。それに人格を与える事により、はかなく消えゆく虹も己の持ち時間を知っているとして、つかのまの時間の存在を表現する。
「虹自身時間はあり」という断定に下五の「思ひけり」を加えることにより、一句が成立する。これが無ければ、「虹自身の時間」がある、という報告で終わってしまう。下五で虹が人間のように、親しい位置に立ち、共感できるような効果をもたらした。
人間だけがもつ想像や時間等の哲学的概念の世界から、さらに抽象的な感情表現の世界に踏み込んで行く、作品が次句である。
二 感情を詠む
俳句では感情を表す言葉、例えば、悲しい、うれしいという言葉をできるだけそのまま使わず、それらをものによって表すことがよいとされるが、青鞋はその言葉を直接使う。
- 半円をかきおそろしくなりぬ 『火門集』
こんなことを考えた事も無かった、というのが第一印象である。なぜ、半円をかくことがおそろしいのか、読者に突きつけられたこの問いを、読んだ途端、考えなければならなくなる。半円と全円、つまり丸との違いである。閉じられた丸は安定、円満、充足の形であるが、閉じられた空間、領域であり、閉鎖された世界である。それに対して、半円は閉じられていないから、下半分は茫漠とした世界へひろがってゆく、いや、広がってとびだしてゆける自由、可能性があるとも言える。それは、反面、あてどなくどこかへ流れてゆく不安感を伴う自由でもある。
半円は上に向かってあいているのか、それとも、下に向かって開放されているのか、その向きも気になる。上に向かってあいていれば天へと上昇するし、下へ向かっていれば、どこかへ漂っていく感じである、と思いめぐらしては見たものの、自信は無い。これが青鞋の狙いかも知れない。伝統俳句のように、読んだ途端、言葉と景色が同時に脳裏に思い浮かび、誰もがほぼ同じ光景をイメージできるのではなく、何処までも、各人の読みの深さによることが期待されているのかも知れない。「地曳網おそろしければ吾も曳く」(『火門集』)もあるが、これも普通なら、大漁を期待して曳くというのが、常識的な捉え方であろう。それをおそろしいと、常識に反した表現をして、読者にその理由を考えさせる要求をする。
中岡毅雄氏は下五が三音の「なりぬ」で言い留めることによって五七五の定型は不安定になり、その不安定感が心の不安感と通じている、と指摘する。
- 小匙より大匙いつも不安なり 『続・火門集』
大は小をかねる、という諺がある通り、小さいものより大きいものの方が良い、というのが世の常識である。その常識的感覚への懐疑が基本にあるが、それだけにとどまらない人の本能的怖れを表している。我々は広い空間より、狭い空間の方が精神が落ち着くことを経験する。それは胎児が胎内で過ごした記憶が残っているからとも言われる。喫茶店や飲食店が端の方の席から埋まってゆくように、広い空間の中央に人がいることは感覚的になじめない。それはとりとめのない世界に漂う感覚だからである。人はしっかりと支えるものに触れていたい、頼りたい、すがりたい、という本能的感覚がある。自分の立っている所が不安定で、いつ崩れるか分からないのは恐怖でさえある。この本能的怖れの感覚が大さじの不安である。
- 悲しみは我にもありとむかでくる 『ひとるたま』
感情を全く持たないと思われるむかでに、人間しか持たないと思われている悲しみがある、という想定外の人間的感情をいれたことにより、成立した句である。あのむかでのおびただしい足の動きとともに、悲しみが続々とこちらへ迫ってくる感じがする。むかでは、あんなにたくさんの足が欲しかったわけではない。神から与えられてしまった運命は不条理である。
この句は「虹自身時間はありと思ひけり」と同じ型である。むかでや虹に、人間感情を託す時、感情の根源として表されるのが、人間の身体である。
初めて、青鞋を読んだ第一印象は、その身体感覚の把握だった。女性は身体を通して感じる感覚でものが捉えられるという考え方が一般論である。それは女は子を生み、育てるという行為を通して、ものとの関わりを認識してゆく。それを男性の青鞋が表現したのは、どうしてだろう、という思いだった。青鞋がこれほど身体感覚にこだわり、その句の狙いは何だったのか。特に多いのが指と手であるから、それをみてゆく。
三 身体感覚の表現 指と手
- おやゆびとひとさしゆびでつまむ涙 『火門集』
- ゆびずもう親ゆびらしくたゝかへり 同
- 指さきを嗅いで茂吉の歌を読む 同
- 水鳥にどこか似てゐるくすりゆび 『続・火門集』
- 笹舟をながして指をながさざる 同
- くすりゆびいよいよ繭をつくりたき 同
- なか指にしばらく水をのませけり 同
- ゆびの日といふ日も欲しと思ひけり 同
- 親ゆびをおさへてあそぶゆびを見る 同
ここに抜き出したのは、ほんの一部であるが、この指の捉え方に、作者の本質が込められている。人間の身体の中で不要な箇所は何処にもない。それは、どこか一箇所でも具合が悪くなれば、痛切に感じる事である。逆に具合が悪くなって、初めてその存在とありがたみに気付く程である。その存在すら気付かず生きていられるのは、極めて健康な証拠でもある。なかでも最も、身近にあり、一番目にして、なくてはならないものとして、その実用性を具体的に実感するのが指である。その指だけに焦点をあてて、指と自分との関係を作者独自の視点、俳諧的な視点から捉えている。指を自在に操り、どこまで指の可能性を広げることが可能であるか、という挑戦である。ゆびに人格をもたせ、戦わせたり、なか指に水を飲ませてみる、くすりゆびは水鳥に似ていたり、その指に蚕のように繭を作らせてみたり、指と指が遊ぶのを見て楽しんだりする。
ゆびの可能性をどこまで広げられるか、という作者の想像力の挑戦のように思われる。この指への愛は祝日があるなら、生きているかぎり、これほど親しいものはないから、「ゆびの日」があってもいいのではないかとまで、思う。ゆびずもうの句以外は、作者の想像の、言ってみれば遊びの世界である。自分の身体を自在に遊ばせて、できあがる句、世界である。
これらの句には季語がない。季語を入れた途端、句は季語が中心になってしまう。ゆびの可能性を追求するためには季語はかえって邪魔になるのである。ゆびの自由さは失われる。それは、「夏ごころ敷居のあぜに指触るる」(『ひとるたま』)の句と比較してみれば明らかである。新興俳句では無季俳句への挑戦がなされた。その機能を効果的に生かしきることに寄って、青鞋の世界が成立した。
さらにあらたな世界をつくりあげるために、従来の表現では表し切れないから、ポイントの言葉以外は仮名書きというスタイルになった。仮名書きの中に強調すべき漢字一字だけを入れて強調し、作者の思いをそこにこめていることを、視覚的に読者に伝える。指の自在に、しなやかに動く特性を仮名のもつ柔らかさが表し、効果的である。
発想が散文的という点もあるから、これを普通の表記にしたら、この発想の面白さは出ない。その効果はこれを、普通の表記に直してみるとよく分かる
- おやゆびとひとさしゆびでつまむ涙
- 親指と人差し指でつまむ涙
二行目が書き直した句である。これをみると一目瞭然、仮名書きの文字にこそ、作者の意図が表現されたことが分かる。仮名書きの字面に浮かび上がってくる漢字一字の視覚的効果が著しい。
日常にあるものを自分の世界観で句にするとき、青鞋は平易な言葉を使いながら、読者の想像力の深さによってどのようにもよめる句を作った。
ゆびに、想像力をふくらませた理由として、句集「ひとるたま」のあとがきが参考になる。ここでは句をつくる思いを語っている。
人間が生きる上に、何でもないことは無い。何でもなさそうな事も、みな何でもある。全て何でもあるものが、何でもなさそうな顔をしているそのおかしさを、私は私なりのありていな言葉で言ってみたいだけだ。何でもある物が、宇宙の中でなんでもなさそうにしている、そういう無限のフィクションを眺め、そこから句を拾い出す以外無い。句も分かりいい言葉で書こうとやっている。
この言葉が示すように、青鞋にとってはあらゆるものに意味がある。それを見つけ出すのが、俳句である、と考え、それも身体にこだわる。次のように手によって知覚する世界を見いだす。
- 畦みちの虹を両手でどけながら 『火門集』
- 冬の蝶濡れ手のごとく飛びにけり 同
- てのひらをしたへ向ければ我が下あり 『続・火門集』
- 手も氷るばかりの蛍火をつかむ 同
- 手の腹はまだよく知らぬところかな 同
- 左手に右手が突如かぶりつく 『ひとるたま』
- 合掌をひらいて曼珠沙華にする 同
指に比べると、普通の表記である。それは、手の機能を生かした行為によって生じる世界に重点が置かれているからである。虹を両手でどけるとは、目の前の虹と両手をはらう行為をむすびつけることによる面白さ、濡れ手のごとく飛ぶ蝶はその重さのたどたどしさであり、蛍火の冷たさは伝統的な捉え方である。いろいろな手の動きをもっとも飛躍させたのが次の句である。
- 左手に右手が突如かぶりつく
一読して、どんな場面を想像すればよいのか、とまどってしまう。場面としては、左手と右手が組み合わさった絵が浮かぶ。それを「かぶりつく」と激しく表現した句と見える。ただし、この手が同一人物の手なのか、それとも、二人の人の手なのかは分からない。
同一人物の手だとしたら、こんな感覚になるのはどんな時なのか。なにかの折りに、激しく組み合わさった祈りの我が手に感動したのか。
これが、二人の手ならば、喧嘩、怒り、深い関係の男女の手ともとれる。いずれにしろ、組み合う手の激しさは「かぶりつく」としか表現のしようのない過激さを孕んでいたことは伝わってくる。つまり、精神が肉体に現れることの本質だけを言った句となる。あるいは両方の手はそれぞれ離れたままで、おのれの役割をしているが、本当はかぶりつきたい程、一体になることを願っているのかもしれない。
そもそも、作者はこのような意味で読まれることを希望していないかも知れない。右手と左手の存在に対して、それが組み合わされる表現として、どんな行為、どんな動詞が考えられるのか。組み合わされる動詞によって、そこに成立する想定外の感覚の世界を期待していたのではないか。言葉によってその通りに組み立てられ、理解される俳句に対して、言葉のぶつかり合いによって、生まれる想定外の世界である。現代俳句では、当たり前の詠み方になっている詠み方をしたのではないか。
この身体感覚が根源に向かった五体の感触が、
- あたたかに顔を撫ずればどくろあり 『火門集』
の句であり、さらにそれは、始原への回帰であり、水溶性の世界である。
- べとべとのつめたい写真館があり 『火門集』
- 砂ほれば肉の如くにぬれて居り 同
私が青鞋の身体感覚とよんでいたことを、中村雄二郎氏は共通感覚、体性感覚という言葉で語っている。
五感の中で触覚は、皮膚の接触感覚にとどまらない体性感覚の一つで有り、触覚は五感を総合するものといわれてきたが、実は触覚によって代表される体性感覚のことである。身体全体の「体性感覚」とは全身の感覚を統合する器官、脳ではなく脊髄を中枢として、知覚する身体感覚であり、この感覚はアリストテレスの『詩学』における提唱以来、デカルトらによって論じられてきた「共通感覚」にも通ずるものである。それは身体中の感覚されたものが出会い、結びつき、配置をとり、まとまり、おのずと或る秩序が形づくられるもの、とまとめられる。青鞋が中村雄二郎を読んでいたかどうかは、分からないが、人間の五感の中で触覚中心の句を作句した意義は大きい。それは、近代俳句は子規の「写生理論」の提唱以来、五感の視覚的表現が主流であったことへの、新たな切り込みである。
五 終わりに
初めに述べたように、新興俳句運動は昭和六年から十五年までの約十年間とされるが、その間の青鞋の活動について、三橋敏雄氏は、新興俳句の推進者ではなく、知り合いもいたが、この言い方も好まなかった。俳句の新しみは目指すのは当たり前の事で、新興俳句といった当時のモダニズムにはそう簡単に組みせず、独特の立場でいた、と語る。
青鞋は昭和十一年、二十二歳、新興俳句系の「句帖」に参加して新興俳句に触れた。本格的に始めたのは、同人誌「風」への参加からである。「風」は、昭和十二年五月「句と評論」から訣別した渡邊白泉、小沢青柚子らに高屋窓秋、三橋敏雄らが加わってできた同人誌である。昭和十三年四月、通巻七号で終刊した同人誌だが、新興俳句史上、重要な同人誌である。
「風」七冊は小雑誌とはいえ白泉の「銃後と言ふ不思議な街を見た」「海坊主綿屋の奥に立つてゐた」、三橋敏雄の戦火想望俳句の大作「戦争」を得たことで俳句表現史に大きな足跡を遺すと共に、高屋窓秋の句集に対する白泉の批評が批評の水準も高めた、と川名氏が評価する同人誌である。青鞋は渡邊白泉や三橋敏雄、高屋窓秋らから、句の有り様、彼ら達の生き方に触れ、己の目指す俳句の方向を自覚していった。
青鞋は、従来の伝統的季語の代りに、白泉の句に顕著である「戦争」を始めとする、その時代を表す社会的事象を季語にする俳句を知った。そこから季語の役割、可能性について考えることになった。そこで、認識したことは、新しいものはすぐに古びてゆくという現実であった。そういう現実の中で普遍的に生き延び、いつの時代にも新し味を持つものとはなんなのか、という芭蕉以来の問題に思い至った。
それが、昭和十五年から、古俳句研究に取り組み、古典調文体模写による即吟から連句への鍛錬をすることとなる。三橋敏雄氏は、新興俳句なるものへの、おのずからなる問い直しから、集まっては何百句も作った、と言う。とことん、作って見て、何処まで、その想像力が可能であるか、その限界を追求したのではなかろうか。これは新しさ・普遍性・想像力への可能性の追求、自分の身の回りにあるものの何を選び、それをどのように捉えるか、つまりはどう位置付けるか、どう秩序だてるかである。それは自分の生活、人生、感覚など、あらゆるものを総合的に見る力であり、宇宙観である。
伝統俳句に対する新興俳句、古俳句の面白さと、それぞれの時代における句のあり方を考えるうちに、無季の句、ウイットに富む青鞋の世界が出来上がっていった。それらがまとまって、発表されたのは、戦後二十年たってからである。
青鞋は、二十年には岡山県に疎開し、以後三十三年間、居住した。昭和三十八年にはこの岡山の林野教会の牧師になっている。
青鞋が三十三年間、俳壇や中央の文壇から離れ、自然に恵まれた地方での暮らしが、暮らしとは、生きることとは、人間とは、生命とは、宇宙とは、という存在の根源の問題を考えることとなっていった。それは、じっくりと自分とものの本質の関係を見極める事であった。抒情によらず、人間の本来持つ個人的な身体感覚を客観化し、普遍化することによって、新たな感覚の世界を生み出した。常識と思われるものの感覚から、自分の感覚世界の中でもう一度、その価値観をとらえ位置づける事である。
青鞋は四歳、千葉県東葛飾の寺に後継ぎとして貰われ、十五歳で得度、弘照。十七歳、実父母の許へ戻る、という仏教的世界観が根底にあり、疎開地での自然の中の暮らし、キリスト教的世界に変わってゆく精神世界、これらが総合的に凝縮され、青鞋独特のユニークな俳句が生まれてきた。その形が昭和四十三年に『火門集』、昭和五十四年『続・火門集』、昭和五十八年『ひとるたま』という独特の世界の句集が生まれたことになる。『ひとるたま』は現代俳句協会賞を受賞し、その「受賞の言葉」で、「はじめ手がけた新興俳句は、当時、無季容認、思想の自由な表現の故に異端視され、挙げ句のはてに弾圧されたが、詩の本質の覚醒に根ざした新興俳句の精神は現代俳句の動機もしくは前提であった、と言える」と言っている。
こういう経過を経て青鞋は詩の本質を凝縮した独自な世界を築いた。しかし、この独自性はあまりにも独自であるがゆえに、一回限りという諸刃の剣でもある。繰り返しは絶対に出来ない。完成した途端、次の新しい世界、独自性を確立しなければならない運命を担う事になる、厳しさを伴う。しかし、日本の俳句史の中で、独自な俳句の世界観を打ち立てた阿部青鞋はもっと、読まれ、評価されるべきだろう。
【参考文献】
『俳句の魅力 阿部青鞋集』 | 妹尾健太郎編 | 沖積社 | 平成六年 |
『新興俳句表現史論攷』 | 川名大著 | 桜楓社 | 昭和五十九年 |
『昭和俳句の検証』 | 川名大著 | 笠間書院 | 平成二十七年 |
『新興俳句アンソロジー』 | 現代俳句協会青年部編 | ふらんす堂 | (二〇一八) |
『昭和俳句作品年表戦前・戦中篇』 | 現代俳句協会 | 東京堂出版 | (二〇一五) |
『昭和俳句作品年表 戦後篇』 | 現代俳句協会 | 東京堂出版 | (二〇一七) |
「言語遊戯の極地」 | 中岡毅雄 | 「俳壇」 | 二〇一八年十一月号 |
「噫 阿部青鞋」 | 三橋敏雄 | 「俳句研究」 | 平成元年五月号 |
『俳文学大辞典』 | 角川学芸出版 | 平成二十年 | |
『共通感覚論』 | 中村雄二郎著 | 岩波現代選書 | 昭和五十四年 |
『蕉風俳論の付合文芸史的研究』 | 永田英理著 | ぺりかん社 | (二〇〇七) |
受賞のことば
今回、阿部青鞋という俳人を皆様に知っていただく場を与えてくださった、選者の皆様にまず感謝致します。次に、炎環の若手の方々が執筆された『新興俳句アンソロジー』という本に出会えたことにも感謝致します。この本と出会うことがなければ、今回これを書くこともありませんでした。
この本で目にして初めて、こういう俳人がいたことを知り、分からない俳句の面白さに驚きました。そして、自分一人で読んでいるのは、もったいないと思い、友人達と読んでみたところ、それぞれの句から想像する世界の落差の大きさにも気づかされました。当たり前と思われていたことをこういう風に俳句にすることができる、という俳句の可能性の発見でした。言葉では説明が難しいが、どこか魅力的な句を、炎環の人達にも、一度はぜひ読んでいただきたいという思いが一層強くなりました。分からない俳句が多く、私が言葉で説明することのできる俳句はごく一部にしか過ぎません。
青鞋の俳句の面白さを皆様に読んでいただくことによって、俳句の無限の可能性のひとつに触れ、さらに、俳句の世界が広がってゆくことを確信しております。
阿部青鞋を共に読んでくれた友人達にも感謝致します。俳句の座、俳縁の豊かさがどんなに大きいかを実感致しました。