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炎環の俳句

2024年度 炎環四賞

第二十八回 炎環賞 受賞作

ブースターケーブル

このはる 紗耶

受賞のことば

このたびは第二十八回炎環賞をいただき、ありがとうございました。石寒太主宰、全選考委員の皆さまに心より御礼申し上げます。

年始に起きた大地震、そして今年五十歳となったのをきっかけに、「人生の折り返し地点は過ぎていて、時間はどんどん流れていく。もう、等身大の自分でいいじゃないか。素の自分のままで今できることを今やろう」と思うようになりました。初めて肩の力を抜いて編むことができた連作で受賞のお知らせをいただき、いろいろな感情が混じりあう不思議な心地でおります。賞をいただいたことに驕らず、日常や通信制大学での勉強も大切にしながら、これからも楽しみつつ自分らしい俳句を模索していきたいと思います。

転勤族の家族として数年おきに転居する生活のため、ネット句 会への参加が主で、現在はいずれの対面句会にも属しておりません。そんな私の受賞が、参加したくてもさまざまな事情でなかなか句会に出られない方へのエールにもなりましたら嬉しいです。

いつもあたたかく見守ってくださる寒太先生、先輩方や句友の皆さま、本当にありがとうございます。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

ノクターン第二十番

北 悠休

受賞のことば

本作品は母の容態が春を迎えて急変し、五月末に命終するまでの間の私的な悼みの記録である。選考委員からどんな評価を受けるか全く自信はなかったが、母と故郷への想いや感謝を詠まずにいられなかった。

通夜までの毎夜、母に寄り添い兄と飲み、追憶と繰り言を脈絡なく語った。その時聴いたピアニスト・木住野佳子の『ノクターン第20番』が心に沁み、そのまま表題とした。ショパンの「遺作」と副題がある曲、本作品は母との遺作かつ合作と言えよう。

高度成長期とは言え、実家は梨・桃などの果樹と酪農の多角経営で厳しく、大家族の中で何役もこなす母の労苦は並大抵でなかった。私も学校・部活の合間に農作業や乳搾りを手伝ったが、家族は運命共同体であった。驚くことに、母は子3人の小学校以来の通知表や私が送付した句作品を大切に保管していた。滅多に子を褒めない母と感謝を口に出せない子であったが、今は素直に本作品を捧げ「ありがとう」と伝えることができる。

受賞に際し、亡師・長谷川智弥子さんとピエロ句会の酔いどれ仲間、常に励ましを頂いている主宰はじめ俳縁ある皆様にあらためて感謝申し上げます。