2024年度 炎環四賞
第二十八回「炎環エッセイ賞」受賞作
(テーマ「人間」)
良寛さん
尾田 一郎
道のべに菫つみつつ鉢之子を
忘れてぞ来しあはれ鉢の子
月よみの光を待ちてかえりませ
山路は栗の毬の多きに
良寛さんの歌であります。何というやさしさ、おおらかさでありましょうか。良寛さんの一生を貫くものとして、心にあるころを曲げないという事があります。出家の動機を明らかにするものは見つかっていないようですが、心を曲げられないがゆえに、世渡りに支障があったという逸話があり、これが出家の一因と思います。更に圓通寺時代、宗祖道元の薦めるものではありますが法華経に没頭し、曹洞禅の道場に居ながら、座禅に熱が入らなかったという伝えもあります。五合庵時代にも座禅はせずに足を延ばすなど心の赴くままの生活があったようであり、そのためにも無意識のうちに、故郷での半僧半俗の道を選んだのではありますまいか。
来てみればわがふる里は荒れにけり
庭もまがきも落葉のみして
飯乞ふと里にも出でずこの頃は
しぐれの雨の間なくし降れば
食が尽きれば托鉢をし、法華経を深め、法華経の中の常不経菩薩そのものの生活をしつつ、時にこどもと遊び、盆踊りにも加わる。万葉集を借りては学び、人にも分かるとこだけで事足れりと勧め、自分の心のままを和歌や漢詩にする。これほど心を曲げなかった人、曲げずに済んだ人がありましょうか。
この里に手まりつきつつ子供らと
遊ぶ春日は暮れずともよし
風はきよし月はさやけしいざともに
踊りあかさむ老いのなごりに
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候、是はこれ災難をのがるる妙法にて候。これは死者千六百名を出した三条地震の際に知人に出した書簡の内容であります。自然随順の生死観、隨縁に徹した良寛さんの心のままの見舞いでありましょう。
墨染のわが衣手のゆたならば
うき世の民を覆はましものを
僧の身は万事はいらず
常不経菩薩の行ぞ殊勝なりける
常不経菩薩は会う人毎にどんな人をも将来仏になる人として、礼拝した菩薩で、釈尊の前世とも言われております。そんな良寛さんの歌はまさに仏の歌でもあります。優しくおおらかであるのはむしろ当然でもあります。
梓弓春になりなば草の庵を
とく訪ひてましあひたきものを
ももなかのいささむらたけいささめの
いささか残す水茎のあと
良寛さんの時代も今と変わらずせちがらい時代でありました。そのせちがらい世を心曲げずに生きた人間良寛さんをその歌でしのぶのも意味のあることではありますまいか。
受賞のことば
エッセイ賞のテーマに良寛さんを選んだとき、良寛さんを、子供と毬をつくお坊さんという程度の知識しかありませんでした。書物を通じ人となりを知るに及び、良寛さんが高僧であることを心よしとしなかった名僧であり、奥深い味わいを持つ人であることが分かってきました。この一年間彼の伝聞や和歌を追いかけるうち、法華経の現代語訳が読みたくなり、また彼が手掛けた、法華讃を入手して読みたくなりました。まさに良寛さんが手引きしてくれているようでした。彼の伝聞、和歌、漢詩は今では相馬御風といった研究家の手によってキチンと整理され、法華讃などの漢詩も現代語訳と解説があり誰でも読むことができます。
良寛さんをエッセイ賞のテーマに選んだことは何よりも自分のためになりました。
この賞を機会により多くの方に良寛さんの人となりや名歌を知っていていただければ、これに勝る幸せはありません。
ありがとうございました。