2025年3月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の「合評鼎談」(守屋明俊・黒岩徳将・山西雅子)の中で、同誌1月号掲載の石寒太主宰作「大旦」について、〈黒岩「《海鼠食ふ楸邨の顎尖りをり》 作者は加藤楸邨のそばで見つめていたのでしょう。「海鼠」という季語の選択に、晴れがましいものではない心理的屈折のようなものを感じました。 《一の橋しぐれ二の橋霽れにけり》 〈一の橋〉はしぐれていたけど、次の〈二の橋〉に行ったら〈霽れ〉てきたと。二の橋に行くことでそれが分かった。気づきをやや箴言的な方向に転化させた魅力ある句」、守屋「〈海鼠食ふ〉は、楸邨門の作者らしい一句。楸邨の顎を詠んでいます。楸邨自身の句にも、〈鮟鱇を見つつわが顎撫でてをり〉があって、〈海鼠〉を食べている楸邨の顔も、やはりこんな感じかなと。楸邨は食べ物に自分自身を投影した句を詠むことも多かった。例えば、〈声をしぼれば南瓜のごとき顔ならむ〉〈歯が抜かれもう鮑などつかまらず〉など。今回の句では、寒太さんが楸邨先生を詠んで差し上げています。親しみを覚えました」、山西「やはり私も同じ句でした。師に対して、側で見てきた方の敬い。それが〈海鼠〉という季語によっても支えられている」〉と合評しています。
炎環の炎
- 「第42回兜太現代俳句新人賞」(現代俳句協会)が、3月1日、選考委員8名(小林恭二、穂村弘、杉浦圭祐、瀬間陽子、董振華、仲寒蟬、成田一子、堀田季何)による公開選考会において、百瀬一兎の「火の聲」と題した50句に決定。炎環からの同賞受賞者は、浦川聡子・柏栁明子・近恵・山岸由佳・宮本佳世乃に続いて6人目。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)3月号「四季吟詠」
・行方克巳選「秀逸」〈憂国忌タンメンすする大学生 奥野元喜〉
・水内慶太選「佳作」〈小春日や二時間待ちの人気店 森山洋之助〉 - 新潟日報1月1日「新春読者文芸」
・津川絵理子選〈父にする自己紹介や大旦 鈴木正芳〉 - 新潟日報1月13日「読者文芸」
・津川絵理子選〈熱燗や友の福耳眺めつつ 鈴木正芳〉 - 新潟日報1月20日「読者文芸」
・津川絵理子選〈大根をおろすサンバのリズムかな 鈴木正芳〉=〈大根おろしを食べるのは一瞬。でもおろすのは根気が要る。サンバのリズムでおろせば楽しくなるかも〉と選評。 - 新潟日報1月27日「読者文芸」
・中原道夫選〈横槍の代はりに嚔入れにけり 鈴木正芳〉=〈会議などで第三者が異議、文句を言うのが横槍。あからさまに口出し出来ない弱気な人は、嚔で、という。「槍」にしては効果あるのかしらん、と思いつつ〉と選評。 - 朝日新聞2月2日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈ラグビーや青春は青春を語らず 渡邉隆〉=〈青春の渦中の人、青春を語りえず。体で発散するのみ〉と選評。 - 毎日新聞2月11日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈古時計雪舞ふ空に止まりけり 奥野元喜〉
・片山由美子選〈待春や見舞ひなき日の患者食 谷村康志〉 - 東京新聞2月16日「東京俳壇」
・石田郷子選〈初雪やひとまづ閉ぢる三国志 谷村康志〉
・小澤實選〈外套のまま角打の馴染み客 谷村康志〉 - 毎日新聞2月17日「毎日俳壇」
・井上康明選〈雑踏の顔を叩いて霰かな 岡良〉=〈顔をたたいてというクローズアップによって、先を急ぐ人々のさまざまな表情が見えてくる〉と選評。
・西村和子選〈初閻魔政治に無関心の子と 谷村康志〉 - 産経新聞2月20日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈手袋をはめて行き先忘れけり 谷村康志〉 - 日本経済新聞2月22日「俳壇」
・神野紗希選〈夫の剝く陣痛室の蜜柑かな 谷村康志〉=〈陣痛に耐える妻にせめても夫が出来ること。蜜柑の親しい温かみが、緊張を和らげ希望を灯す〉と選評。 - 東京新聞2月23日「東京俳壇」
・石田郷子選〈探梅の坂の途中のパン屋かな 谷村康志〉 - 朝日新聞3月2日「朝日俳壇」
・小林貴子選〈亀鳴いて亀語のわかる赤子かな 谷村康志〉 - 東京新聞3月2日「東京俳壇」
・石田郷子選〈愛犬に見守られたる風邪寝かな 谷村康志〉 - 毎日新聞3月3日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈立春の銀座の画廊巡りかな 谷村康志〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の特集「一物の強さ」に中で「実作指南」として「一物句の切れ」をテーマに、西川火尖が「カメラコントロールの「切れ」」と題して執筆。〈「一物仕立て」の俳句というと、句中に切れのない「一句一章」で言い切るスタイルの俳句を想起される方も多いが、それは正確ではない。「一物仕立て」とは、主に一つの季語にフォーカスし、その季語を描写することで作られる俳句のことで、句中に切れがあるかどうかは問わない。「二句一章」スタイルの一物句を列挙しよう。 《朝がほや一輪深き淵のいろ 与謝蕪村》《白藤や揺りやみしかばうすみどり 芝不器男》《たんぽぽや千切らるるたび乳を吐く 阿波野青畝》 どれも上五の「や」で切れる「二句一章」のスタイルを持つが、それぞれ〈朝がほ〉〈白藤〉〈たんぽぽ〉の描写に徹した「一物仕立て」の俳句である。しかし、「取り合わせ」でもないのに、なぜわざわざ切るのだろうか。「一物俳句」に使われている「や」は連歌・俳諧の時代から「はのや」と呼ばれ、助詞の「は」や「の」に置き換えられる「や」で、〈朝がほ「の」〉、〈白藤「の」〉、〈たんぽぽ「は」〉とそれぞれ変えても意味が通じる。しかし、「や」を境に一気に画角が変わり対象に迫る描写となっていることに気づく。つまり、「取り合わせ」の「切れ」は場面転換の「切れ」であったが、「一物仕立て」の「切れ」はカメラコントール・エフェクトに特化した「切れ」と言えるのだ。「一物仕立て」は類想句になりやすいことが弱点とされてきたが、初心者であっても、カメラコントロールの「切れ」を意識することで独自性を発揮する可能性は大いにあるだろう。そして、すでにそれを意識的に実践しているような句が若手を中心に詠まれ始めている。 《さみどりの何かや眼鏡かけて瓜 若林哲也》《雪だるま性別は雪だと思ふ 髙田祥聖》 画角変更ではなく、ピンボケ的な味を出すことに成功した若林哲也の句、同じく〈雪だるま〉で軽く切り、見えない性別についてテロップをつけたかのような髙田祥聖の句など、現在、切れのある一物俳句はスマホカメラネイティブ世代にとって格好のスタイルと言えるのではないだろうか〉と解説。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号の「全国の秀句コレクション」が、多くの受贈誌の中から同誌編集部の選んだ14句(1誌1句)の一つとして、「炎環」2月号より《珈琲のミルクの渦や漱石忌 平井葵》を採録。