2014年5月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。5月号は「第14章中村草田男の楸邨への公開詰問状」。筆者(寒太主宰)は前章で、草田男の「楸邨氏への手紙」の全文を掲載しました。この手紙で、〈草田男が楸邨を批判したかった第一の問題は、「大東亜戦に入っての当初は時代の受難者であった筈の貴君(=楸邨)が、その後半期に入ってからは、当時隆盛を極めた或る勢力層の専らな利用者に豹変した」という点で、この指摘のひとつは、昭和19年7月、改造社の嘱託および大本営報道部嘱託のかたちで同行した中国大陸旅行である〉と筆者は断じます。楸邨を大陸へ招いた秋山邦男(俳号牧車)は大本営陸軍報道部長でした。彼は昭和17年から楸邨に師事し、戦後は筆者とも交友がありました。当時、秋山は、草田男も大陸に行きたいと希望していることを知り、〈まず、楸邨を派遣しよう、次に草田男その他に依頼しよう〉と予定しましたが、その後、〈秋山はフィリピンへ赴任せざるを得なくなり、この計画は楸邨だけで打ち留めになったようだ〉と筆者は述べています。
- 総合誌「俳句界」が「結社の進むべき道」をテーマとして、主要結社主宰にアンケートし、170名の回答を5月号に掲載。〈現在、結社の高齢化や若者の結社離れ、師弟関係の変化などが起こっていますが、貴結社において、そういった変化を感じていますか〉の問いに、石寒太主宰は、〈「炎環」はお蔭様で若い人が多く、特にこのところ若い人の入会がふえ、大変に喜んでいます〉と回答。
炎環の炎
- 東京新聞4月20日「東京俳壇」鍵和田秞子選、〈学童の傘みな大き春の雨 片岡宏文〉
- 毎日新聞4月21日「毎日俳壇」大峯あきら選、〈ふるさとは棚田の多し春の月 辺見孤音〉
- 朝日新聞4月21日「朝日俳壇」長谷川櫂選、〈我もまたあつと言ふまの桜かな 池田功〉
- 岐阜県郡上市「水とおどりの里俳句大会」(4月25日、NHK学園・郡上市・郡上市教育委員会)にて、加古宗也選「秀作」〈白鳥や群れて音符のごとき首 永田吉文〉
- 総合誌「俳句界」5月号「投句コーナー」池田澄子選「秀逸」〈ひとつ食べひとつ供へし冬りんご 曽根新五郎〉
- 奥坂まや著『鳥獣の一句』(ふらんす堂、2014年2月刊)が、以下2句を採録して鑑賞。〈猫の背にほこと骨ある良夜かな 齋藤朝比古〉――〈ネコ科の獣は、しなやかな筋肉による瞬発力を活かした狩を行なうので、背骨も、特に跳躍の際には曲線を描いて撓う。月光に、背にある骨が際立つ〉。/〈一日の終はり水鳥はなやかに 浦川聡子〉――〈夕刻、池まで行ってみる。水鳥が、水面を覆っている。食餌を漁っている。翼鏡が煌く。一羽が鳴き仲間が呼応し、別の群れも声を挙げる。来て、よかった〉。
- 結社誌「青垣」(大島雄作代表)4月号の「俳句の秀峰」(遠藤雅子氏)が、〈マフラーを噛む症状が出ています 近恵〉を取り上げ、〈例えば宿題をやっていなかったり、投句の締め切りが迫っていたりと何かに追い駆けられた時、人は無意識の内に普段やらない行動をしてしまう事がある。この句の作者はマフラーを噛むのだ。自らに警告を発しているのだろう。強烈な個性を感じる〉と鑑賞。
- 結社誌「青垣」4月号に齋藤朝比古が寄稿し、「妄想的鑑賞」と題して、「青垣」から数句を選び鑑賞。前書きに、〈貴誌全体を貫く、無理のない表現、独善に陥らない感覚、揶揄の無い世界観。そんな佳句を独善妄想的に鑑賞。俳句は善し悪しではなく、好き嫌いというのが選句基準の当方。妄言多謝〉と挨拶。
- 機関誌「俳句春秋」(NHK学園)4月号「四季課題詠」(題=冬景色)宇多喜代子選「特選」〈冬景色ひつじ百頭点となり たむら葉〉――〈広々とした牧場。群れをなす羊。みどりのない冬景色の中で、いくつもの羊の一頭一頭が小さな点に見えてくる〉と選評。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)5月号の「今、伝えたい俳句 残したい俳句」(前田霧人氏)が、〈荻の風粒となるまで見送りぬ 柏柳明子〉を取り上げ、〈粒は物や人の大きさや質、点は大きさのない図形。秋風の中、見送っている作者にとって、その人はどんなに小さくなっても、点となることは終になかった〉と鑑賞。