2014年8月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 石寒太主宰の講演・吟行等のご予定
8月16日(土) 京都大文字吟行(岡田由季さんを囲んで)
8月29日(金) シンポジウム「井月と放浪の俳人たち」(長野県伊那市)にて講演
9月22日(月) 岡田由季句集『犬の眉』出版祝賀会
9月28日(木) 伊良湖岬~伊勢神宮~伊賀を吟行の旅(~30日) - 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。8月号は「第17章 楸邨の「真実感合」の美学」。筆者(寒太主宰)は4月号より、中村草田男の「芸と文学―楸邨氏への手紙」(昭和21年)について論じており、今回はその5回目。〈ここはかなり重要なところで、しかも草田男への反論もほとんど書かれていないので、もう少し追加しておきたい〉と筆者。「手紙」は楸邨の戦争責任の追及から始まっていますが、〈途中から草田男の矛先は、突然、楸邨の唱える「真実感合」に向けられてい〉て、筆者はここにも疑問を呈します。そこで本章では、楸邨の「真実感合」とは何であったのかを丁寧に解説します。そして筆者は、〈私は主宰誌「炎環」を創刊した時、そのモットーとして「心語一如」を掲げた。そして、二十五年が経つ。この「心語一如」こそ、先の楸邨の「真実感合」を、自分なりにさらに敷衍させ、ひろげたものにほかならない〉と、本章を結びます。
※草田男の「手紙」の全文は、第13章(4月号)に掲載されています。 - 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)8月号の「今、伝えたい俳句 残したい俳句」に、石寒太主宰が寄稿し、現代俳句大賞受賞作と同誌5月号から5句を取り上げ鑑賞。
〈肉を出て肉声となる声涼し 宇多喜代子〉を〈常々、含羞のない俳句は駄目である、と思っている。肉→肉声→涼し、この過程が明晰に伝わってくる。特に〈涼し〉の季語がいい。この二字に尽きる〉と鑑賞。
炎環の炎
- 岡田由季句集『犬の眉』が現代俳句協会より7月31日に発行されました。
- 朝日新聞7月14日「朝日俳壇」長谷川櫂選〈打ち水に飛び込んで来る仔犬かな 池田功〉
- 総合誌「俳句」(KADOKAWA)8月号「平成俳壇」伊藤伊那男選「秀逸」〈未来の音聞きたくて振る花の種 原紀子〉
- 総合誌「俳句界」8月号「投句コーナー」西池冬扇選「秀逸」〈三つ買ふ温泉たまご養花天 長濱藤樹〉
- 総合誌「俳句」8月号付録『季寄せを兼ねた俳句手帖・秋』が、縁飾りの一句に〈筋肉を映す子規忌の姿見に 岡田由季〉を採録。
また、季寄せの例句として、「寝待月」に〈つぎの夜へ船出ためらふ寝待月 三輪初子〉を採録。
同じく「稲妻」に〈古代魚の奥に潜める稲光 岡田由季〉を採録。
同じく「秋出水」に〈秋出水重機の影の唸りけり 増田守〉を採録。
同じく「障子洗ふ」に〈かすかなる耳鳴り障子貼り終える 近恵〉を採録。 - 結社誌「陸」(中村和弘主宰)6月号・7月号に近恵が寄稿し、「同人作品評」と題して同誌3月号・4月号の主宰・同人作品から21句を鑑賞。
〈金星をのこし消えたる恋の猫 中村和弘〉を〈恋猫がさんざん鳴いて騒いで、明け方へとへとになって塒へ戻ってゆく。入れ替わるように鳥が唄い始める。動くものは見えず、金星だけが白々とした空に輝いているのだ。どれもこれも宇宙の営みのひとつとして〉と鑑賞。
〈十二月八日の御飯いただきます〉を〈この十二月八日は太平洋戦争の開戦記念日と読んだ。日常の食事という行為。口語にしたことで、日常性が際立ってくる。当たり前のような幸せ。しかし数十年前には、そのことも当たり前に出来なかった時代があったのだ。もしかしたら家族を戦争で亡くしたのか。すると、このご飯いただきますは、生かされている感謝の言葉とも取れる〉と鑑賞。 - ウェブサイト「週刊俳句」の「週俳6月の俳句を読む」に柏柳明子が投稿し、「理と実感の融合」と題して6句を鑑賞。
〈鳴りやまぬ夜の電話を蝌蚪の紐〉を〈不在の夜の部屋に続くコール。受け手のいない空間の静けさ。その対比による濃密さを糧にして、蝌蚪の身体はさまざまな器官を育てていく。蝌蚪には、自身の身に何が起こっているのかわからない。発達とは、不気味さを伴うものと改めて思う。そして、この内容は、俳句という形を生かすことで、初めて理と実感が融合し、読み手へインパクトを与える世界なのだ〉と鑑賞。
http://weekly-haiku.blogspot.jp/2014/07/6_6325.html - 結社誌「青垣」(大島雄作代表)7月号に齋藤朝比古が寄稿し、「妄想的鑑賞」と題して「青垣」から9句を選び鑑賞。
〈幹抱きて菰巻く男暮早し〉を〈「抱きて」が俳句的発見。菰を巻かれてゆく樹の太さや大きさが見えてくる。ひいてはこの男の樹に対する慈愛なぞも感じられるから俳句は不思議。「暮早し」はやや饒舌だったような気も〉と鑑賞。
本稿の前書きでは〈他者に読んでもらえる俳句とその作者は幸せと思う。小生ごときの稚拙な鑑賞であっても、多少なりともそんな幸せの一端を担えたら〉と挨拶。 - 結社誌「対岸」(今瀬剛一主宰)7月号の「平成俳句論考」(望月澄子)が〈裂ける音すこし混じりて西瓜切る 齋藤朝比古〉を取り上げ、〈西瓜を切る時の「裂ける音」に着目していて、新しい〉と鑑賞。
- 結社誌「玉梓」(名村早智子主宰)7-8月号の「句集の窓」(宮田ひさ英氏)が齋藤朝比古句集『累日』を紹介。〈齋藤さんの句は視点がとても面白く感性豊かな人柄が伺えた〉と批評。
- 月刊誌「100年俳句計画」(マルコボ.コム)7月号の「句集の本棚」が齋藤朝比古句集『累日』を紹介。〈作者の第一句集は誰もが何気なく出会っているはずの瞬間を見逃さない。研ぎ澄まされた観察眼にさらりとした描写が相まって洒脱〉と批評。
- 結社誌「青山」(山崎ひさを主宰)7月号の「今月の俳句―句が語ること―」(しなだしん氏)が〈にんげんの房となりけりハンモック 齋藤朝比古〉を取り上げ、〈人の収まっているハンモックは豆類の「莢」も想像させる。いずれにしてもこの句は「房となりけり」と断定したところが旨み〉と鑑賞。
- 結社誌「鏃」(鳥羽三郎代表)215号の「句集散策」(坂本登氏)が齋藤朝比古句集『累日』を取り上げ、〈本句集を一読して、唸らされたのは著者の俳人としての五感・六感のよさと巧まざるユーモア感覚のよさ。まず、「耳」のよさ、《何もかも聞こえてゐたる朝寝かな》広角度に音を拾える耳。次は「触覚」のよさ、《兜虫つかめば靴の固さかな》誰でもが触感しているが、「靴の固さ」には思い至らない。「視覚」のよさ、《夜の雪煮干の腹の割れてをり》着目する者は稀、《縁側へ居間へ仏間へ西瓜かな》風景が多視点で実況中継されている。著者の最大の強みは第六感とも言われる「直観」、《葉桜の影は誤作動かもしれぬ》著者の直観を信じる以外にはないような気になってくる。ユーモア感覚もこの著者の持ち味、《まなこ閉ぢ嚔の支度してをりぬ》うまく言当てていて、異議なし。最後にこの著者らしい「凡景の詩情」、《同じ木に還つてきたる梅見かな》まだまだ若い作家であり、当面は五感・六感で押していってほしいが、こういう句境も深めてもらいたい〉と論評。