2014年9月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 石寒太主宰の講演・吟行等のご予定
9月14日(日) 寄席吟行(炎環笹塚句会)
9月22日(月) 岡田由季句集『犬の眉』出版祝賀会
9月28日(日) 伊良湖岬~伊勢神宮~伊賀 吟行の旅(~30日・毎日企画サービス)
10月12日(日) 戸隠吟行(~13日・炎環吉井句会)
10月16日(木) スカイツリー吟行(千葉句会) - 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。9月号は「第18章 楸邨の芭蕉研究への傾倒(前編)」。中村草田男「楸邨氏への手紙」(昭和21年)に対する反論が続きます。今回は、「手紙」中の〈私(草田男)は貴君(楸邨)のあの二巻(『芭蕉講座第一・二巻「発句篇」』)を通じて殆ど真実感合という立場の一本槍で、芭蕉の句作態度の根本を解釈づけて居られることを初めて発見した〉という部分に対し、筆者(寒太主宰)は〈草田男は、楸邨の本を本当に読んだのだろうか〉と疑問を呈し、それに続けて草田男のいう〈「真実感合」という言葉が、作者の個我の内容を、すべて最初から「真実」として肯定としてかかり、ただ其「真実」を信じる自意識の気分だけを勝手に対象の中へ、投影さし、注入さす放埒さに、作者を堕さしめている〉という論に対して、筆者は〈楸邨が、いかに悩みつつ、自分の生活の中から芭蕉を捉え直そうとしているかを、草田男は何ひとつ分かっていない〉と反駁します。そして、その後の楸邨による芭蕉研究の成果と意義について、筆者が執筆した『加藤楸邨全集・別巻』の著書解題を引用し、楸邨生涯の芭蕉研究の著書8冊を紹介しています。そのうえで筆者は、〈楸邨の芭蕉研究は実作者の立場からのものであり、そのアプローチの仕方は、芭蕉の俳句がいかなる発想のもとに出来上ったか、その「発想契機」に基づいている〉ものであり、〈机上の学問によって成立つ、国文学者・俳文学者に多いタイプ〉とは異なることを強調しています。
- 幕末から明治期の俳人井上井月にちなんで、8月29日から長野県伊那市で開かれた「千両千両井月さんまつり」。石寒太主宰が初日のシンポジウム、2日目の第23回信州伊那井月俳句大会にて講演、その模様を地元の各紙が報じました。信濃毎日新聞(8月30日)は、〈シンポジウムでは、井月も心酔した松尾芭蕉の句を織り込んだ念仏「風羅念仏」を唱えて全国を行脚した広瀬惟然との関わりなど「放浪」の視点から井月像を探り、俳誌「炎環」主宰の石寒太さんは「惟然は井月への一つの懸け橋としてもっと注目されていい」と述べた〉と報道。長野日報(8月31日)は、〈俳誌「炎環」主宰の石寒太さんが「放浪の系譜を継ぐもの」と題して、井上井月を中心に放浪俳人4人のつながりを講演した。石さんは「漂泊は一つのポリシーを持ち、哲学的に求道する精神で一生を終えた。放浪は野性的、奔放的で野放図に歩く人が多い」と漂泊と放浪を分けて考え、「井月は放浪に属するとした方が、自分の感覚としてはぴったりとくる」とし、放浪俳人の系譜として広瀬惟然、井月、種田山頭火、尾崎放哉について説明した。井月が心酔したという惟然について「芭蕉が晩年大事にした『軽み』を自分なりに受け止め、芭蕉の句を織り込んだ『風羅念仏』を唱えて全国を巡り、晩年は口語俳句に走った」と紹介し、「その後の山頭火、放哉ら自由律俳句にも影響を与えた」とした。井月について「芭蕉晩年の惟然から、山頭火、放哉らをつなぐ存在として井月の存在は大きく、最も重要な人物であることは間違いない。井月こそが本物の放浪俳人であった」と述べた〉と報道。
炎環の炎
- 毎日新聞8月27日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が〈空蝉を集めすぎたる家族かな 岡田由季〉を取り上げ、〈いい家族だ。集め過ぎた空蝉をどうするか、家族会議を開くのかも。「空蝉の次の指令を待つてをり」も由季の作。由季の世界の空蝉は生きている〉と鑑賞。2句とも句集『犬の眉』所収。
- 東京新聞8月3日「東京俳壇」鍵和田秞子選〈築山の岩に生えたる蜥蜴の尾 片岡宏文〉
- 東京新聞8月10日「東京俳壇」小澤實選〈松涼し千代田区千代田一番地 片岡宏文〉
- 東京新聞8月24日「東京俳壇」鍵和田秞子選〈川沿ひに外灯カーブする夜涼 片岡宏文〉
- 毎日新聞8月18日「毎日俳壇」大峯あきら選〈海からの風やはらかし夏座敷 辺見孤音〉
- 「神戸市俳句大会」(NHK学園・神戸市主催、7月17日)にて稲畑廣太郎選「秀作」・高野ムツオ選「佳作」・片山由美子選「佳作」〈ほんたうの闇現はるる薪能 髙山佳月〉
- 「第266回松山市観光俳句ポスト」(平成26年5月31日開函)にて「入選」(阪本謙二選、投句総数1325句中20句)〈動物園跡の真赤な椿かな 藤田良〉
- 総合誌「俳句界」(文學の森)9月号「投句コーナー」西池冬扇選「特選」〈五枚目の青春切符春惜しむ 中村万十郎〉=〈この句のポイントは五枚目(青春18きっぷは五枚綴り)。春を惜しむ趣と去りゆく青春時代を重ね合わせた若者向けの甘い抒情的な句〉と選評。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)9月号「投句コーナー」宮坂静生選「秀逸」〈てのひらの朧月夜のオブラート 曽根新五郎〉
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)7月号が「五十歳以下の俳人」を特集。小澤主宰が〈今新人は誰なのか。若手全体を見わたしてみたい〉という意図から、上田信治氏(ウェブサイト「週刊俳句」編集人)に、五十歳以下の俳人のリスト作成を依頼。それに応えて上田氏が、〈角川「年鑑」の「年代別収穫」に一度でも名前の挙がった「五十歳以下」の作家が過去七年で約百人。加えて、各総合誌への掲載、新人賞の予選通過者、結社内部からも推薦をもらって、三百人弱くらい。その皆さんの半年分の発表作、加えて「澤」会員の方の作品も半年分拝見して〉、「五十歳以下の俳人二百二十人」を作成、寄稿。ここに取り上げられた、「炎環」の作家、作品は、以下のとおり。
近恵〈生きていることの無実よ牛蒡引く〉ほか、〈生を謳って、俗へ傾くことをおそれない「人間探求」派〉と寸評。
齋藤朝比古〈公園は坐るところよ昼の虫〉ほか、〈俳句の国に暮らす人と評される飄々とした句風〉と寸評。
岡田由季〈鵯鳴くやもうすぐ絵本ばらばらに〉
柏柳明子〈約束のあをく書かれし九月かな〉
田島健一〈琴の堅さ鶴のはかなさ顔のちから〉ほか、〈独自の文体と俳句性を探究。成功作にはこの人ならではの美しさがある〉と寸評。
宮本佳世乃〈うらうらと重なり轍わたしたち〉ほか、〈言葉の引き算からなる抽象的な詩情。軽さ、幼さ、そして現実への愛着〉と寸評。
上山根まどか〈花柊雨の字のあるマンホール〉
藤幹子〈観自在菩薩腹満つ秋の馬〉
上田氏は小澤氏との対談で〈このリストにはその(大正十年前後生まれの)大俳人たちの少し下の世代の人についてやって来た人が多いんです。「大正十年前後」世代が家父長的存在だとしたら、ちょっと若いインテリの叔父さん叔母さんのような(笑)。「南風」「藍生」「未来図」「百鳥」「狩」「炎環」、先生も弟子も、ある種の自己抑制が効いたといいますか、コントロールのいい大人の作家が多い〉と批評しています。 - 『-俳句空間-「豈」56号』(邑書林)の「新撰世代の「豈」作家論」という特集に宮本佳世乃が寄稿。「きれいはきたない、きたないはきれい―橋本直の作品を読む―」と題し、〈彼の俳句を読むとき、私は剥がれ落ちる何かを感じる。《風鈴や舌噛めば血の流れ出る》無遠慮な《風鈴》は、彼自身から剥がれ落ちた何かと同時に存在するようにみえる。《渤海の民より瓶の流れ着く》《渤海》の《民》の感情は瓶には伝導されておらず、剥がれているまま、そこに《瓶》のみが残る。《敗戦忌まじめな舌と生きてゐる》《千鳥ヶ淵底へ暑さの吸はれ石》まるで棄民のひとりであるかのような表現は、《穢》というかたちで夢と希望、そして絶望とともに剥がれ落ちているのではないかと思う〉と論評。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)9月号の「今、伝えたい俳句 残したい俳句」に岡田由季が寄稿し、同誌6月号から6句を取り上げ鑑賞。〈身から出た錆のはくれん散りにけり〉を、〈白木蓮が茶色く汚れたようになってしまうのを「身から出た錆」と一段自分の身にひきつけた表現にしている。散ってゆくはくれんの姿に託されているのは、単純な潔さでもない〉と。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)9月号の「秀句を探る」に渋川京子氏が寄稿し、同誌投句作品からの「感銘十句抄」の一句に〈鳥渡るまなこ泉となりにけり 柏柳明子〉を選出。