2015年5月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。5月号は「第26章 「第二芸術」論の波紋(三)」。前号では桑原武夫「第二芸術」(昭和21年)の全文を一挙掲載。今号では、その「第二芸術」論の欠陥を、筆者(石寒太主宰)が厳しく指摘します。たとえば、〈(草田男の句の引用のしかたに)不自然な作為が感じられてならない〉、〈(「とポクリッと」と誤植されていた)ヒポクリットは偽善者のことで、こんなことを大学者の桑原武夫が識らないはずはない〉、〈彼は俳句以前の俳諧の歴史を何も分かっていない〉、〈西洋文化の中でしか育たなかった桑原には、そのあたり(俳諧の特色)はとうてい理解が及ばなかった。そこに、桑原の不幸がある〉などと、強烈なパンチを繰り出しています。なお、楸邨と「第二芸術」論との関連について、本文では触れていませんが、文中の掲載写真に〈桑原の「第二芸術」論に反発した加藤楸邨と、臼井吉見の「反短歌論」に反発した歌人・木俣修〉というキャプションを添えています。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号「特別作品21句鑑賞」(大輪靖宏氏)が、同誌2月号掲載の寒太主宰の作品を鑑賞。「きらきらきらきさらぎのみづ硯のうへ」について、〈きさらぎそのものが輝いているよう。今の暦だと三月から四月、まさしく光に満ちあふれた季節だが、むしろ、この句は「きさらぎ」という音の鮮明さを光の輝きに結びつけたものだろう〉と述べ、また、「せせらぎの目覚めびつしり冬木の芽」について、〈平板な表現になっていないのは「びつしり」という語によって。「せせらぎの目覚め」も「びつしり」にかかり、「冬木の芽」も「びつしり」にかかるように読めるから、近づく春の立体的な重量感を受け取ることができるのだ〉と解き、さらに、「寝つきたる妻へ月あることをいふ」については、〈何よりもこの句の良いところは、月の美しさを、「美しい」という語を使わないままで読者に感じ取らせているところ〉と評釈。
- 結社誌「笹」(伊藤敬子主宰)4月号の「現代俳句月評」(赤木和代氏)が寒太主宰の句「きらきらきらきさらぎのみづ硯のうへ」(「俳句界」2月号より)を取り上げ、〈「き」の表記で続く表音文字のおもしろさと表記文字のおもしろさが一句にある。硯の中に注がれた水も平かなの「みづ」の表記であることから水の流体・液体の性質と透明感が見える句である〉と鑑賞。
- 結社誌「水明」(星野光二主宰)4月号の「現代俳句鑑賞」(山本鬼之介氏)が寒太主宰の句「寝つきたる妻へ月あることをいふ」を取り上げ、〈月を介して妻を思いやるしっとりとした情感が伝わってくる〉と鑑賞。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)4月号の「追悼・伊丹公子特集」に寒太主宰が寄稿。「幼い鳥――追悼・伊丹公子さん」と題し、故人との思い出を綴っています。〈三樹彦・公子夫妻と私の三人で、近所にある尼崎市上坂部みどり公園に向かった。先頭を歩く三樹彦さんをはるかに眺めながら、私と公子夫人はゆっくりと歩き、木陰にあった四阿に腰を下ろして、詩のこと、俳句のこと、果ては人生のことまで、いろいろと語り合った。公子さんは何時になく饒舌で、最後に「もうすぐ私の全詩集が出るのよ。これは寒太さんには、ぜひ読んで欲しいの」、と結んだ〉と記しています。
炎環の炎
- 毎日新聞4月7日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が〈春の夜や翼をたたむごと集ふ 関根誠子〉(句集『浮力』より)を取り上げ、〈昼間は翼を広げて活動した人たちが、夜になってその翼をたたんだ感じで集まっている。しずかにワインでも楽しんでいるか。あるいは、句帳を開いて俳句作りの最中か〉と鑑賞。
- 読売新聞4月14日のコラム「四季」(長谷川櫂氏)が〈赤子抱く春満月の重さかな 増田守〉(句集『序曲』より)を取り上げ、〈赤ん坊を抱きかかえたときの感じ。温かくて柔らかくて、ふわりとした重み。もし春の朧月を抱くことができたら、その感じに似ているだろうか〉と鑑賞。
- 東京新聞4月19日「句の本」が増田守句集『序曲』を紹介、〈難病で言葉を失いかけ、発声練習を重ねた体験を詠んだ「失語」の章がある〉と付記。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号「俳句界への招待」にて、小嶋芦舟が「聖五月」と題し、〈うたせ船の帆下ろす泊り麦の秋〉など作品5句を発表。
- 総合誌「俳句」(KADOKAWA)5月号の「精鋭10句競詠」にて田島健一が「夜のこと」と題し、〈ミサイルの素肌にしろい蝶とまる〉〈流氷動画わたしの言葉ではないの〉など作品10句と短文を発表。
- 総合誌「俳句」(KADOKAWA)5月号「合評鼎談」(行方克巳氏・神野紗希氏・中原道夫氏)が、同誌3月号掲載の岡田由季作品「肉眼」について、〈(中原)「炎環」と「豆の木」はそんなには遠くないかな/(神野)ポストモダン的な低体温の句が「豆の木」の特徴かと思います。岡田さんもそういうところがある作家です。そこに詩とか女とか郷愁とかがふっと乗るのが面白い/(中原) 「肉眼にも魚群探知機にも鯨」 肉眼で分かるなら「魚群探知機に鯨」だけでいいのに。鯨はデカイんだから分かるだろうというところのおかしさ/(行方)これ、とぼけていて面白い/(神野)淡々とした魅力のある方です〉と合評。
- 総合誌「俳句」(KADOKAWA)5月号「俳句月評」(川口真理氏)が〈片方の言ひ分を聞く炬燵かな 岡田由季〉(「俳句」3月号より)を取り上げ、〈「炬燵」という季語により、なんともいえない俳句ならではの面白さが生まれている。「かな」という切字の、饒舌を抑えた効果が、登場人物の造形をのびやかにしているのだ〉と鑑賞。
- 東京新聞4月19日「東京俳壇」小澤實選〈ビニール傘透る明るさ花の雨 片岡宏文〉
- 読売新聞4月20日「読売俳壇」正木ゆう子選〈二年生になればなつたで可愛らし 保屋野浩〉
- 読売新聞4月27日「読売俳壇」小澤實選〈ふらここや子と老人の二人連 辺見狐音〉
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞社)4・5月号「αあるふぁ俳壇」
・大串章選「入選」〈露けしや金庫に残る金の義歯 武山こゆき〉=〈金庫に金の義歯を残してお年寄りが亡くなられた。「露けしや」が心にしみる〉と選評。
・大串章選「佳作」〈綿虫や塩街道の切通し 保田昌男〉
・辻美奈子選「佳作」〈ジョンレノン忌ガザの少女の瞳かな 綿貫春海〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号「投句」
・辻桃子選「特選」〈地吹雪や津軽の電車浮くごとし 高橋桃水〉=〈冬の津軽の地吹雪の舞う中、走ってきた電車は宙に浮いているように見えた。地吹雪のため、車輪が見えないのである。どこか宮澤賢治の『銀河鉄道の夜』の列車を思わせる〉と選評。
・能村研三選(兼題「本」)「秀作」〈本降りになることのなき島の雪 曽根新五郎〉
・有馬朗人選「秀逸」〈母と子の影絵で話す春障子 高橋桃水〉
・茨木和生選「秀逸」〈トンネルの長きを抜けし恵方かな 曽根新五郎〉
・角川春樹選「秀逸」〈極月の茶碗の底の薄みどり 曽根新五郎〉
・高野ムツオ選「秀逸」〈地吹雪や(前掲)高橋桃水〉
・夏石番矢選「秀逸」〈地吹雪や(前掲)高橋桃水〉 - 結社誌「岳」(宮坂静生主宰)4月号の「句集縦横」(関千賀子氏)が岡田由季句集『犬の眉』を紹介、〈独創的な切り口の作品は読者を異次元の不思議な空間に誘い込む。感性の豊かさが覗える〉と批評。
- 結社誌「湧」(甲斐遊糸主宰)4月号「俳句月評」(今田沃氏)が〈片方の言ひ分を聞く炬燵かな 岡田由季〉(「俳句」3月号より)を取り上げ、〈「片方の言ひ分を聞く」と言うが、あえて誰とは限定していない。それが、「炬燵かな」に暖かさを残している〉と鑑賞。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)4月号「地区協注目作家とその作品」で、千葉県現代俳句協会会長大畑等氏が同協会の注目作家5人を挙げ、そのうちの一人にイザベル真央、〈櫻もみじ佐倉連隊便所跡〉など作品7句を紹介。
- 『インサイトゥ4号』(現代俳句協会青年部・3月発行)の「特集 読まれたかった俳句」に田島健一、宮本佳世乃が寄稿。
・田島健一は「「俳句を読む」ことについての息継ぎのないパラグラフ」と題し、〈俳句を読むという行為は、作者が言語化しそこなった何かを読むこと〉で、それは〈そこに「書かれた句」を評価したり、解釈したり、消費するためのものではない。また、他人の意見や経験を写しとることでもなければ、華麗に演じられた人物の肖像画を描くことでもない。それは、読み手が聞き取った自分自身の声や、そこに生じる見えないものこそが、経験や知識ではない〈感受性〉の限界を超えて読み手に届くということだ〉という具合に、〈俳句を読むという行為〉の本質や性質について、さまざまに言葉を入れ替えながら、全編約7000字、段落を分けず、一気呵成に語るスタイルで論述。
・宮本佳世乃は「けむりのこゑの降りつづく――「読んでしまう俳句」」と題し、鴇田智哉氏の俳句について、〈一読、言葉だけがすんなりと「入ってきて」しまう。なめらかな言葉の使い方によって、一気に、塊として読める。まるで音楽のように。まるで、鴇田さんに話しかけられているかのように〉と論評。