2015年7月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 毎日新聞6月16日「毎日俳壇」の新刊案内欄が、石寒太・谷村鯛夢著『いきいき健康「脳活俳句」入門』を取り上げ、〈俳句は病む人を支え、生きるエネルギーにもなると説く入門書。俳句の基礎から日本人の自然観や死生観に至るまで内容は盛りだくさんだが、楽しみながら読める〉と紹介。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。7月号は「第28章 「第二芸術」論の波紋(五)」。「炎環」は、創刊20周年記念事業の一環として、現代俳人と「第二芸術」論に関するアンケートを実施。その分析結果を、炎環同人の伊藤無迅氏(すでに退会)が執筆し、2008年1月号(20周年記念号)にて発表しました。連載「楸邨伝」の本章は、この「アンケート分析結果」をほぼ原文のまま転載したもので、2007(平成19)年以前からの会員にとっては既知の内容です。アンケートでは「第二芸術」論に関する五つのテーマ(下記)につき意見を求め、現俳壇で活躍している約200名の俳人から回答を得ました。
1 貴方にとり第二芸術論とは
2 第二芸術論の内容について
3 第二芸術論の影響について
4 第二芸術論の今後について
5 その他
本章ではこのうち1~2を掲載。分析結果を要約すると、――
1 大半の俳人は、「第二芸術」論に関心を示しながらも、日頃の俳句活動においては、意識上の制約となっていない。
2 桑原の批判は、「俳句の文学性」に対するもの(評価基準の曖昧さ、権威崇拝志向、近代精神を盛り込めないなど)と、「俳人・俳壇の体質」に向けられたもの(思想性・社会性の欠如、作品自体で作者の地位が決定しないなど)に大別できる。「俳句の文学性」に対する批判については、回答の8割が「当たらない」と否定した。ただしこの結果には、当時と現在とで俳壇や社会の情況が大きく変化していることも考慮すべき(と分析者は読者に注意を促す)。他方、「俳人・俳壇の体質」への批判については、賛否が半々に割れた。しかも賛否に関わらず、回答者自身の言葉による「批判」も寄せられていた。さて、桑原のスタンスだが、それは西洋近代芸術精神を拠り所としており、これについては7割が適切でないと答えた。「伝統的文化の違い」と「形式上の制約」を理由に挙げている。では「芸術を意識した俳句活動をしているか」と問えば、その回答から、存外現代俳人の多くは日頃、芸術意識とは無縁で句作に当たっているらしい。
炎環の炎
- 東京新聞6月7日「東京俳壇」鍵和田秞子選〈順調に老いしと思ふ菖蒲風呂 片岡宏文〉
- 総合誌「俳句」(KADOKAWA)7月号「平成俳壇」伊藤敬子選「推薦」〈やぶ椿太平洋に囲まれて 曽根新五郎〉=〈太平洋に浮ぶ島に咲く椿は自生のやぶ椿。潮風に育てられて椿の葉の緑も濃く花の紅もあざやか。花を了るといさぎよく太平洋に落ちるのだ〉と選評。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)7月号「投稿俳句界」
・田島和生選(兼題「海」)「特選」〈銅鑼打つや大島桜海へ散る 中村万十郎〉=〈大島桜は伊豆大島で大噴火の熔岩に耐えた樹齢八百年の桜が原種ともされる。離岸する船から大きく銅鑼が打ち鳴らされ、大島桜がはらはらと海へ散る光景を詠む。苦難に耐えてきた大島桜と船の威勢のいい銅鑼の音がどこか通う〉と選評。
・名和未知男選(兼題「海」)「秀作」〈祈るとは目瞑ること春の海 結城節子〉
・西池冬扇選「秀逸」〈校門をかるくけとばし卒業す 長濱藤樹〉 - 総合誌「俳句」(KADOKAWA)7月号の「合評鼎談」(中原道夫氏・神野紗希氏・行方克巳氏)が、同誌5月号掲載の田島健一作品「夜のこと」について、〈中原「一人称が非人称になったり、そういうのがあちこちに出てくるんです。《流氷動画わたしの言葉ではないの》この〈わたし〉は誰なのという、非人称みたいな感じ」、神野「作者主体が作者とイコールで結ばれるタイプではなくて、作中主体の目を通して世界を傍観しているような。だから、私であって私でないという感じかな」、中原「会ったことがありますか」、神野「明るい方です。句歴は長いですし。《春の鹿ねがえば砂に降る軍事》前衛的な言語遊戯は語の結び付きが難解なので「数撃ちゃ当たる」的に見えることがある」、中原「分からないと言われたら、なんとなく擁護してあげたい気分があるが」、神野「そう。読者を誘う作家です」〉と合評。
- 会員誌「白茅」(中田剛代表)第8号に宮本佳世乃が特別作品として、「ゐなくなる」と題し、〈対岸は遊んでゐたるかひやぐら〉〈広びろと杉菜が夢に入り込む〉など7句を発表。