2015年9月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。9月号は「第30章 「第二芸術」論の波紋(七)」。終戦直後の昭和21(1946)年、加藤楸邨は、自身の戦争責任を中村草田男から糾弾されました。草田男が雑誌「俳句研究」7・8月号に掲載した「芸と文学―加藤楸邨氏への手紙」がそれです。これは楸邨の戦争責任のみならず、彼の作句信条である「真実感合」までをも非難するものでした。これは楸邨に衝撃を与えましたが、楸邨はこれに対して正面から反論することはしませんでした。寒太主宰の本連載では、昨年4月号(第13章)から11月号(第20章)まで8か月に渡って、「加藤楸邨氏への手紙」がいかに草田男の事実誤認に基づいて書かれているかを、丹念に検証してきました。とはいえ、この事件など大局としてみれば、俳句界内部における個人対個人の軋轢にすぎません。この3か月後には、実に俳句界全体を揺るがす大事件が起きたのです。それが雑誌「世界」11月号に掲載された桑原武夫の「第二芸術」です。本連載では、今年の3月号(第24章)からこの「第二芸術」論を扱っています。ここに提出されているものは、もはや楸邨一個人を離れて、現代俳句全体に関わる問題です。今月号の本章は、〈ことしは、戦後七十年の節目を迎え〉と書き出したあと、寒太主宰編集の「俳句αあるふぁ」8・9月号の特集「戦後七十年、俳句はどう詠まれてきたか」に掲載されている、現代俳句協会会長宮坂静生氏の評論「戦後俳句とはなんであったか」の一部を紹介しています。ここで宮坂氏はまさに、戦後俳句を考える上において、桑原武夫「第二芸術」を起点に論を展開しているのです。〈この論は、戦後の七十年の俳句の歴史の中における、宮坂流のとらえ方を示したものであるが、極めて的確にその要旨を示している〉と寒太主宰は述べています。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)9月号の特集「「月」を詠む」において「古今の「月」の名句100」と題し、阪西敦子氏が取り上げた「名句」の一つに〈かろき子は月にあづけむ肩車 石寒太〉。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)8月号の特集「金子兜太の「戦争と俳句」を読む」に石寒太主宰が寄稿し、金子兜太の句「湾曲し火傷し爆心地のマラソン」について、〈原爆被爆地の長崎での句。人間はもちろん生物・非生物のすべてが湾曲・火傷してしまった、かつての爆心地。この大いなる傷跡を負いながら、人々は再び逞しく生き続け復興に努めてきた。いのちと肉体の限界に挑戦する「マラソン」が、いま平和の地を走りすぎて行く。戦後に作られながら、平和な人々や街から、不幸な戦争を対比連想させた、鮮烈な一句として印象づけられている〉と鑑賞。
炎環の炎
- 【速報】「第33回現代俳句新人賞」(現代俳句協会)を、山岸由佳の「仮想空間」と題した30句が受賞。
http://www.gendaihaiku.gr.jp/news2.cgi?a=view&id=2015081801 - 朝日新聞「朝日俳壇」8月3日長谷川櫂選〈校門を出ればそこから夏休 池田功〉
- 毎日新聞「毎日俳壇」8月18日小川軽舟選〈デイケアの妻を迎へんさくらんぼ 中尾硫苦〉
- 東京新聞「東京俳壇」
7月26日小澤實選〈ゴミ出すは老人ばかり梅雨深し 片岡宏文〉
8月9日鍵和田秞子選〈着崩れて行き交ふ少女夏祭 片岡宏文〉
8月23日小澤實選〈国問はず集ふ人々原爆忌 本田修子〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)9月号「投稿俳句界」
・田島和生選(兼題「田」)「特選」〈筑波嶺の雲ひとつ浮き田螺かな 辺見狐音〉=〈筑波嶺の大自然に、田螺の小さな営みを併せ、日本の美しい風景を鮮やかに描き、味わい深い〉と選評。
・西池冬扇選「特選」〈草いきれ鋭き音の鹿の罠 藤井和子〉=〈「草いきれ」で提示された雰囲気を鋭く切りさくような罠の音、しかもそれは鋭い鋼鉄の歯が閉じる音。感性的な鋭さが光る〉と選評。
・大高霧海選(兼題「田」)「秀作」〈みちのくの再起うれしき青田風 藤井和子〉
・能村研三選(兼題「田」)「秀作」〈千枚田千枚朧月夜かな 曽根新五郎〉
・西池冬扇選「秀逸」〈麦秋のひとくち囓るフランスパン 長濱藤樹〉〈蚊柱を崩して進む路地の家 松本美智子〉
・稲畑廣太郎選「秀作」〈蚊柱を(前掲)松本美智子〉 - 結社誌「未来図」(鍵和田秞子主宰)7月号の「現代俳句逍遥」(篠崎央子氏)が、〈たたかれてたたかれて雪だるまかな 齋藤朝比古〉(「炎環」4月号より)を取り上げ、〈雪だるまは転がしては叩かれて作られる。作者は叩かれやすい人なのだろう。叩き癖は女性に多いので、女性に叩かれると痛いとも言えずに笑ってしまう。本当に痛い時は、雪だるまになったつもりで、微動だにせずに受け止めているに違いない〉と鑑賞。
- 結社誌「小熊座」(高野ムツオ主宰)8月号の「鬼房の秀作を読む」に宮本佳世乃が寄稿し、佐藤鬼房の句「人買が来る熟れ麦の夜風負ひ」について、〈一読して感じたのは、麦が熟れている頃、真っ暗な中で妖しい風のなびく風景だ。そこにつかつかと、音を立てて人買が「来る」。「来る」という言葉として、俳句にしたまさにそのことによって、「人買がいる現在」は現実味を帯び、血が流れる瞬間のような、生ぬるい感覚を思い出させるのである〉と鑑賞。
http://kogumaza.jp/1508onifusashuusaku.html - 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)9月号が「第70回現代俳句協会賞」を発表、受賞は渡辺誠一郎氏句集『地祇』だが、選考委員の一人である石寒太主宰は「選後評」に、〈将来性のある新人をとの思いから、第一次選考以来一貫して岡田由季の『犬の眉』を推しつづけた。若々しく個性あふれる作品群に魅せられたからである〉と評価。また池田澄子氏は、〈岡田由季の、小声でしっかり描かれている『犬の眉』にも好感を持った。「厄除のみな照れ笑ひして戻る」は軽そうに急所を突いている〉と評価。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)9月号の「秀句を探る」において、守谷茂泰氏が感銘の一句として〈空つぽの手のひら広し終戦日 三輪初子〉を取り上げ、〈終戦日とは、多くの国民の価値観ががらりと変わってしまった日だ。「手のひら広し」からは、そんなぽっかりした心の空白と、戦争から解放された明るさの両方が暗示されていて、巧みだと思った〉と鑑賞。
- 日本経済新聞夕刊のコラム「あすへの話題」を、石井和子が日本気象予報士会元会長の肩書きで執筆、7月1日より毎週水曜日に連載中(6か月間)。8月5日の回では「二十四節気」と題して、〈立春・立冬をはじめとする二十四節気の言葉は、華北の美しい自然をもとに作られたという。自然に接する機会の少なくなった平安貴族たちは、季節の巡りを中国からの暦にもとめた。結果、立春近くなると少し強さを増した光や一輪の梅に春を探し、暑い夏の盛りに吹く風の気配に耳をすませた。私はこの、巡り来る季節を今か今かと五感を働かせながら待ち望む感性こそが、古代から続く日本人の季節感ではないかと思っている〉と記述。