2015年11月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。11月号は「第32章 「第二芸術」論の波紋(九)」。雑誌「世界」昭和21(1946)年11月号に載った桑原武夫の「第二芸術」。それは、当時「もし文化国家建設の叫びが本気であるのなら、第二芸術に対しても若干の封鎖が要請される」と主張、なぜなら「俳句を若干つくることによって創作体験ありと考へるやうな芸術に対する安易な態度の存するかぎり、ヨーロッパの偉大な近代芸術のごときは何時になつても正しく理解されぬ」からで、「私の希望するところは、国民学校、中等学校の教育からは、俳諧的なものをしめ出してもらひたい」とまで言いました(桑原武夫の「第二芸術」は、第25章(4月号)に全文を掲出)。この「第二芸術」論を「炎環」20周年記念号(2008年1月)が特集、そこに稿を寄せていただいた小川軽舟氏の論考を、本章では紹介しています。〈記念号では、外部(誌外)の戦後生まれのふたりの現代俳人に、「第二芸術」論について寄稿してもらった。私(主宰)がもっとも注目したのは、ほとんど「第二芸術」論を知らなかった若い世代の俳人が、これをどう受けとめてくれているか、という点である。先号の今井聖氏もであるが、これから紹介する小川軽舟氏も、これにみごとに応えてくれている。しかも、結果的にこの二人の書きぶりがまったく異なる視点からのアプローチであるのも、この企画を成功させ、ずい分各方面から反響があった。この二氏の論を読むだけでも、記念号の価値があった、といってもいいと思っている〉と前置きして、小川軽舟氏の論考の後半部分を抄録、その結論で氏はこう述べています、〈桑原は西洋近代芸術を「理想の空高く花咲こうとする巨樹」に喩え、これを俳句に移植すれば植木鉢が破れてしまうと言った。桑原にとっては、杜甫も西行も芭蕉も、しょせん地に咲く草の花であった。「草いろいろおのおの花の手柄かな 芭蕉」 俳句を作るたくさんの素人芸術家も草である。私は俳句は草の花でけっこうだと思う。しかし、草には草の思想がある。それを明らかにすることが俳人の使命だろう〉。この考え方を導くために、本章で省略された前半部分で小川軽舟氏は、桑原の用いた「日本=俳諧=草」対「ヨーロッパ=近代芸術=巨樹」という対立の図式に、自然との関わり方という観点から、「日本=自然に対して開放的=自然の変化に影響される生活」対「ヨーロッパ=自然からの遮断=快適な生活」という図式を重ねて考察しており、「日本を生まれ変わらせた高度経済成長は、日本の山河を開発によってぼろぼろにしてしまった。私たちはそれによって先進国としての経済的な豊かさを享受しているのだから文句を言えないのだが、問題は日本に限ったことではなく、地球温暖化というグローバルな問題として全世界をおびやかすようになってきた。そして今、地球の環境を守るべく、ヨーロッパを中心に価値観の大きな転換が図られている。そんな時代になってみると、桑原の蔑んだ「植物的生」(=自然の変化に影響される生活)が、未来の地球を救う生き方のように見えてくるのである」と述べています。
炎環の炎
- 柏柳明子が、句集『揮発』を、現代俳句協会より「現代俳句協会新鋭シリーズ5」として9月30日に刊行。序文を石寒太主宰が「句集『揮発』への道程」と題して認め、冒頭に〈僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る/……〉という高村光太郎の詩「道程」の一節を掲げて、〈柏柳明子さんの句稿に目を通していたら、この詩がごく自然に口をついて出てきた。(彼女の)俳句への思いは、「とにかく一日一句、毎日詠むこと。そして、その中から見えてくる自分の日常のことを掬い上げることを続けよう」と継続を重視している。これこそ、「長く続けていけば自然と自分の後ろに道ができる」、先の高村光太郎の「道程」を実践してきた、といっていい〉と紹介。
- 南風子(堀切綾子)が、エッセイ集『もねかの木』を、神奈川新聞社より5月28日に刊行。収録されているエッセイは28篇。書名ともなった「もねかの木」というタイトルのエッセイは、〈かつて故郷の家の裏庭に大きな柿の木があった。幹は地上三メートルの所で左右に分かれ、それぞれが太い幹となり、大いなる枝を茂らせ、秋には立派な実をつけた。この木が、「もねかの木」と呼ばれるのには理由(わけ)があった〉と起筆。
- 朝日新聞10月6日夕刊「文芸・批評」面の「あるきだす言葉たち」に、近恵が「点すひと」と題して、〈塗りつぶすコスモスにあやふやな箇所〉〈夕暮れを点すひと来る金木犀〉〈雨音の終わりと夜の落花生〉など12句を発表。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)11月号の「精鋭16句」に、宮本佳世乃が「月が居る」と題して、〈露草と岬向かひ合つて泣く〉〈子どもらの白きをどりよ秋祭〉〈六階のあたりに今日の月が居る〉など16句を発表。
- 総合誌「俳句」(KADOKAWA)11月号の「俳壇ヘッドライン」が「第7回石田波郷新人賞選考会」の記事を選考委員らの集合写真とともに掲載。写真内に齋藤朝比古、谷村鯛夢。
- 総合誌「俳句」(KADOKAWA)11月号の「新刊サロン」に、山地春眠子著『月光の象番 飯島晴子の世界』の書評を田島健一が「「誠実さ」について」と題して執筆。〈ここで言う「誠実さ」とは、言葉で書くことが難しいものを言葉で書かざるを得ないという、俳句の運命にどこまでも素直であるということだ〉とした上で、〈本書が晴子のすべてを描き出そうと努力する姿は正に「俳句の〈謎〉」を追う晴子の姿と相似している。「俳句の〈謎〉」に迫る晴子と、その「晴子の〈謎〉」に迫る著者。いずれも「誠実さ」に支えられていて、読者がそこから読み取るのはその「誠実さ」が生み出す精神の厚みのようなものだ〉と批評。
- 【予告】総合誌「俳句界」(文學の森)12月号の「句会レポート」で丑山霞外が、「「炎環」石寒太主宰 シンガポールでの講演会と記念句会 平成27年10月7日(水)シンガポール大学、ラッフルズホテルに於て」と題して、講演の主な内容と、句会に出された句などをレポート。
- 東京新聞「東京俳壇」
9月27日小澤實選〈ちちろ鳴く星を巡りて宇宙船 片岡宏文〉
10月4日鍵和田秞子選〈三人の一家の笑ふ良夜かな 片岡宏文〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)11月号「投稿俳句界」
・茨木和生選「秀逸」〈仏法僧ふるさとにゐてひとりかな 辺見狐音〉
・夏石番矢選「秀逸」〈魚のごと焦げし大工の昼寝かな 高橋桃水〉
・保坂リエ選「秀逸」〈空豆の守られ過ぎし莢を剝く 髙山桂月〉〈父の日の生きてゐればと思ふこと 曽根新五郎〉 - 「現代俳句」(現代俳句協会)10月号が、山岸由佳の作品「仮想空間」について、これを「第33回現代俳句新人賞」に決めた選考委員各氏の評を掲載。大石雄鬼氏は〈心象を前面に出した詠みぶりが刺激的であり、作者の哀しみがほのかに伝わってきて心惹かれた〉、渋川京子氏は〈映像化することに重点を置くためか、柔軟な言葉を駆使する。共感度の高さが一方では弱さになっていると感じた。もう少し自分を追い詰め、一句の屹立を目指して欲しいと願う〉、田中亜美氏は〈〈虚〉と〈実〉の間を往還するような詩的純度の高さとしなやかさが印象に残った。その一方で、「日焼けして」の現代的な日常風景を描きとめる写生や「つぎつぎと」のさりげなさに光る喩の鋭さにも注目した。全体に感性と知性、想像力と俳句形式のバランスが良く、今後の伸びしろを感じさせた〉、照井翠氏は〈世界の認識の仕方とその表現がユニークだ。こうした、詩のある俳句がいくつかあるなか、未消化の瑕のある句も多かったようだ。受賞を契機に、更なる精進を望みたい〉と、それぞれが批評。