2015年12月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号が「結社の未来、総合誌の未来」と題して、石寒太主宰と姜琪東氏(かん・きどん、文學の森代表取締役)との特別対談を掲載。「結社が抱える後継者問題」「見直されるべき結社経営」「紙媒体とネットは共存できるのか?」「総合誌が担うこれからの役割」などについて語り合っています。話題の中心は俳壇の少子高齢化。高齢化と後継者不足から結社誌が次々に廃刊になる一方で、若い人たちはどうしているかという問題について、寒太主宰は、〈最近の若い人たちは結社に興味が無く、自分たちの仲間内だけでやるとか、ネットでやればいいという傾向が多い。俳句はもともと座の文芸で、座の中で鍛えられていったんだけど、今はそういう時代ではないですね。過去は各時代時代で俳句にはテーマがあったでしょ。ある時代は戦争、ある時代は自然、人間、境涯、社会性とか。今はそういうテーマが殆ど無い。単純に面白ければそれでいいという感じ。俳句を作っている若い人も何の為に俳句を作っているのか、何を目的にしているのか、本当はよくわかっていないんじゃないのかな〉と述べています。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。12月号は「第33章 「第二芸術」論と楸邨」。3月号から延々と検証してきた「第二芸術」論の波紋。それを経て、いま再び楸邨に立ち返り、楸邨がこれをいかに受けとめたかという点に着目すると、結論は、すなわち、〈戦後の俳壇を顧みたとき、俳壇は桑原武夫に大きく感謝すべきである、といっても過言ではなかろう〉ということになります。〈氏の論に関しては、当時は全く無視する俳人、大いに反論した俳人、反省した俳人など、その反応にはさまざまな形があったが、一番真摯に立ち向かったのは、やはり加藤楸邨であったろう〉と寒太主宰は述べ、本章ではそれに関する楸邨の文章を多く引用していますが、その中に昭和22(1947)年当時の楸邨の言葉として、〈(俳壇の)局外から加えられた批判であるから、中には妥当でない言も認識の不足もある。然し、私は一方から見ると、これが局外から加えられたというところに大きな意義を認めなければならぬところがあると思う〉、そして〈(桑原らの)批判者には今ここに結論があるが、実作者にはこれからの歩みによる結論があるばかりだ〉と書き、楸邨の実作者としての真摯な姿が見て取れます。寒太主宰はさらに、〈俳句による人間的要請(に立脚し、そこから自分の人間としてのあり方が生きるような表現)の実現を、楸邨はみずからが背負うだけでなく、結社「寒雷」の志向として推し進めようとしていた〉と述べています。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号の「句会レポート」で、「「炎環」主宰石寒太 シンガポールでの講演会と記念句会 平成27年10月7日(水)シンガポール大学、ラッフルズホテルに於て」と題して、寒太主宰の講演の主な内容と、句会に出された句などを、丑山霞外がレポート。また、「第24回全国山頭火シンポジウムin日奈久 平成27年9月19日(土)熊本県八代市日奈久温泉日奈久ゆめ倉庫」と題して、寒太主宰の講演の模様や特選句を「俳句界」編集部がレポート。
- 週刊誌「サンデー毎日」(毎日新聞出版)11月1日号が石寒太主宰へのインタビュー記事を掲載、見出しは「俳句でできる! “世界一”短い脳活」。〈老後を健康に過ごす3原則と言われるのが、①行くところがある、②会う人がいる、③することがある。「このすべてをかなえてくれるのが俳句です」と石さんは力説する〉と始まるこの記事、寒太主宰はここで、では俳句の未経験者は、どうすれば俳句を脳活に役立てることができるか、というその方法について、きわめて具体的に語っています。そして最後に、寒太主宰自身の闘病についてふれ、〈1999年、ステージⅣの大腸癌で手術をした石さんは、術後の生存率が40%と告げられた。生れて初めての入院で、1日10句作ることを自らに課した。「治療のこと、看護師さんに言われたこと、見舞ってくれた友人のことなど、日記代りに詠みました。句作していると、不思議と不安は消え、早く句会に出たい、会社に行きたいという前向きな気持ちになれましたね」
怖るるにたらぬ癌なり桃の花
生も死もたつた一文字小鳥来る
闘病中の石さんの句には、生死をさまよったとは思えない安らぎがある。「もし川柳だったら、季語がいらない分、気持ちを生々しくぶつけてしまったかもしれない。短歌でも、五七五の後の七、七で同じようにしたかもしれない。でも俳句なら『桃の花』や『小鳥来る』といった季語に気持ちを託すから、少しは客観的になれる。病は気からといいますが、究極の脳活だったかもしれません」〉と結んでいます。 - 東京新聞11月22日「句の本」コーナーが石寒太著『俳句はじめの一歩』(二見書房)を取り上げ、〈「仕事で忙しい人は、いつ俳句をつくればいいのか」「切れの効果とは」など、素朴な質問に答えながら俳句の本質も語る〉と紹介。
- 結社誌「北の雲」(故・勝又星津女主宰)11・12月号(終刊)の「俳壇大地」(岡本正敏氏)が、石寒太・谷村鯛夢共著『いきいき健康「脳活俳句」入門』を取り上げ、「俳句は健康を支える『老後の三原則』にぴったり」などの項から本文を抄出して紹介しています。
- 結社誌「帆」(浅井民子主宰)9月号で廣瀬毅氏が「九月の詩」と題して5句を撰修、そのうちの1句に〈風の盆ひとつ遅れて子の手振り 石寒太〉。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「俳人スポットライト」に増田守が「軌跡」と題して、〈カルデラの風の軌跡や枯芒〉〈腸内の菌もろともに年を越す〉など7句を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号「平成俳壇」
・嶋田麻紀選「推薦」〈しばらくは遺影の前の帰省かな 曽根新五郎〉=〈遺影は父だろうか。共に暮していたとき、もっといろいろ話しておけば互いにもっと理解し合えたかも知れないが、というような一場面〉と選評。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号の「この本この一句」で、国光六四三氏が小嶋芦舟句集『埠頭』を取り上げ、「渾身のいのちの自伝山ぶだう」に対して〈渾身、いのちの語に作者の強い意志がほとばしり、取合せの山葡萄が、逸る心を落着かせた。愛する句材の一つなのだろう〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号「投稿俳句界」
・田中陽選(兼題「風」)「秀作」〈秋風や恋に鳴きたる老いの骨 高橋透水〉
・名和未知男選(兼題「風」)「秀作」〈女教師の風切る肩やゐのこづち 松本美智子〉 - 結社誌「陸」(中村和弘主宰)10月号・11月号の「同人作品評」に柏柳明子が寄稿し、同誌の主宰句・同人句の中から選んで、各号10句ずつを鑑賞。その中で、主宰句「八月を容れて転がる馬穴かな」に対しては、〈八月は生死や、過去と現在、未来などについて、立ち止って考える瞬間が多い気がする。乾いたまま転がる馬穴はどこまでも静かで、深い。どこへ繋がっていくのかわからない、穴のように〉と記述、また同人句「花種をこぼして脹脛(ふくらはぎ)硬し」に対しては、〈細かい種を一粒ずつ土に蒔く様は、不確かな明日への祈りにも通ずるかのようだ。しゃがんだ際に感じる脹脛の硬さに、動作のリアリティと生活の手触りがある〉と記述。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)11月号の「特別作品」に岡田由季が「リハーサル」と題して、〈かいつぶり手品のやうに見失ふ〉〈セーターの四人が揃ふリハーサル〉など10句を、また、山岸由佳が「明るき夜」と題して、〈人形の集まりし部屋野分晴〉〈こほろぎへ雨のかさなり明るき夜〉など10句を、それぞれ発表。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)10月号が「第35回現代俳句評論賞選考経過」において、応募総数11編の中から田島健一の「『俳句を読む』ということについての息継ぎのないパラグラフ」が最終選考に残ったことを発表。この作品について「選後評」で、岩淵喜代子氏は〈自分の言葉で真摯に探ろうとしている姿勢が読み取れて共感した。たとえば「読み」について、「書く」ということについての考察のあと、(俳句は時間的な詩であること)とするのも大いに肯える。もし、これらの論に作品例が加えられれば、納得感が強くなって、もっと印象強く残るのではないかと思った〉、高橋修宏氏は〈極めて精緻に記された俳句のレクチュール論。その随所に論の煌めきがあるものの、たえずR・バルトやM・ブランショの影を感じさせてしまったことは難点であったか〉、林桂氏は〈田島健一氏に心惹かれた。俳句を「書く」こと「読む」ことの間で成立するテキストの問題を明瞭化する。しかし、それに力があればあるだけ、具体論への渇望を生む。この〈公式〉を使って例題を解いて見せるまでが評論の仕事だろう。例えば高浜虚子や山本健吉、塚本邦雄、川名大などの「読む」人から見えてくるテキストの問題まで言及して欲しいと思い、それを読みたいと思った〉と、それぞれが批評。
- 「小林一茶189回忌全国俳句大会」(長野県信濃町11月19日)が応募総数4203句の中から、15名の選者(石寒太主宰もその一人)により各々、特選1句、秀逸3句、佳作35句以内を選出、その得点によって各賞を決定。
・金子兜太選「特選」〈青くるみ峠を征きて還らざる 佐藤弥生〉
・石寒太選「佳作」〈枝豆を両掌に寝落つ幼かな 伊藤航〉〈駅頭の小さき別れ朝桜 伊藤航〉
・大串章選「佳作」〈雪晴れや俳諧寺に人のこゑ 長谷川いづみ〉
・東福寺碧水選「佳作」〈駅頭の(前掲)伊藤航〉
・坊城俊樹選「佳作」〈日雷一拍おいて泣く子かな 大澤徹也〉〈落蟬の祭りのやうに曳かれゆく 北悠休〉
・堀川草芳選「佳作」〈落蟬の(前掲)北悠休〉
・宮坂静生選「佳作」〈落蟬の(前掲)北悠休〉 - 「第15回小諸館外投句賞」(長野県の市立小諸高濱虚子記念館が小諸市内5か所に投句箱を設置、そこへの市民や来訪者の投句から、虚子が小諸を去った10月25日を記念して表彰)「特選」〈虚子さんと親しく呼びて紫苑かな 加藤美代子〉
- 毎日新聞「毎日俳壇」
11月2日大峯あきら選〈下町の路地の奥なる新走り 辺見狐音〉 - 東京新聞「東京俳壇」
11月8日小澤實選〈秋風やいつも速歩の老姉妹 片岡宏文〉=〈老いない工夫を二人して考えているのかもしれない。秋風にも抵抗しているよう〉と選評。
11月22日小澤實選〈送電線直下背高泡立草 片岡宏文〉 - 以下のウェブページが柏柳明子句集『揮発』から作品を抄出して紹介。
・閑中俳句日記(別館) -関悦史-
・『ono-deluxe』(小野裕三公式ブログ)の空間 〈もはや男性には太刀打ちもできない感覚の世界の中ですべてが紡がれているよう〉と批評。
また、以下のページが柏柳明子句集『揮発』の1句を鑑賞。
・ウラハイ = 裏「週刊俳句」 関悦史氏が「サイフォンの水まるく沸く花の昼」を取り上げ、〈「まるく」の完結性と求心性が「花の昼」を引きつけ、結晶させている〉と鑑賞。
・伊丹俳句ラボ 塩見恵介氏が「梨剥いて360°ひとり」を取り上げ、〈「意識された孤独」といった、淡泊な「気付き」の句。梨という季語のポテンシャルの高さにも気づかされる〉と鑑賞。
・俳句雑誌 ににん 岩淵喜代子氏が「さざんくわや十数へたら鬼となる」を取り上げ、〈(十数へたら鬼となる)の措辞が非日常へ誘うのは単に鬼の言葉だけではない。風景の把握の掴み方の冴えとも言える〉と鑑賞。