2016年5月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。5月号は「第38章 『起伏』とその時代③」。終戦から間もない昭和23年、〈人間探求派のふたり、楸邨・波郷とも、はからずも入院ということになってしまった。その病臥の句集が、楸邨の『起伏』と波郷の『惜命』である〉、『起伏』は昭和24年刊、『惜命』は昭和25年刊。本章では、岡崎桂子著『真実感合への軌跡――加藤楸邨序論』(2001年・角川書店)の一部を引用しつつ、『起伏』と『惜命』を比較しています。岡崎氏は、《『起伏』と『惜命』における楸邨と波郷の俳句の違いは、姿勢の違いである。楸邨は生に向かっており、波郷は死へ向かっている。楸邨の俳句は病気と闘う姿勢、病気をねじ伏せようとする姿勢である。波郷は病気を受容し、病気との関わりを命を傾けて表そうとする姿勢》であると、対比しています。これを受けて寒太主宰は、『起伏』の中で〈病中吟としては忘れてはならない句〉として、《熱さなかこの鵙が峠かもしれぬ》《ねむりまで枯野の風に負けられず》《冬鵙へはがねのごとく病めるなり》を鑑賞します。また岡崎氏は、《『起伏』の句では、闘病生活の俳句よりも、むしろそれ以外の素材を詠んだ作品の方に、楸邨の心の悲しみや抒情を感じるのである。それは自分の闘病を直に詠むのではなく、子どもや自然の景に托して自分の病む姿や心情を暗示したものである》とも述べており、寒太主宰はその例として、《蜘蛛の子の湧くがごとくに親を棄つ》《朝の柿潮のごとく朱が満ち来》《白菊のもはや昏れざるまで昏れぬ》を鑑賞、〈これらは、病者の眼から見た、いのちあるものに対する輝きのすがたである。それは、この『起伏』という句集の新しい見方となって表現されている〉と指摘しています。
- 結社誌「貂」(星野恒彦主宰)4月号の「他誌への窓」(野頭泰史氏)が「炎環」を紹介。2015年11月号から石寒太主宰の4句を取り上げ、〈作者の反戦の気持の強く表れた句〉として鑑賞しています。その対象句は、《獅子(シーサー)に月この国の基地いくつ》《今朝の秋眼下戦火へ傾きし》《老いてなほ人怖れゐし草の花》《ふるさとの伊豆たひらかな盆の海》の4句で、この最後の句については、〈前三句の後、この句に出会いほっとする。それは、「ふるさとの伊豆」の詠み出しによるのであろう。作者の思いは盆の海にある。死者を供養する盆、故郷の海はあくまでも平らかであった。平らかであることは作者の思いであり、平らかである故郷の海を見て作者はほっとする〉と記述しています。
炎環の炎
- 「第17回虚子・こもろ全国俳句大会」(4月29日、長野県小諸市)が応募総数24,613句の中から、11名の選者によりそれぞれ特選1句、秀逸2句、佳作19~20句を選出のうえ、16の入賞句を決定。
◎「信濃毎日新聞社賞」〈夕月やまだ光ある千曲川 丑山霞外〉
◎「毎日新聞長野支局賞」〈先生の大き懐ふゆすみれ 深山きんぎょ〉
・石寒太選「秀逸」〈虚子庵を囲みし山の笑ひけり 曽根新五郎〉〈先生の(前掲)深山きんぎょ〉
・石寒太選「佳作」〈しばらくは日のある虚子の枯野かな 曽根新五郎〉〈鈴ひとつ増やす鍵束青き踏む 原紀子〉〈虚子庵の虚子の足音紫苑の芽 中西光〉〈虚子の字のちりもとどめぬ屏風かな 竹市漣〉〈日脚伸ぶ親子三つの墓標かな 曽根新五郎〉
・上田日差子選「秀逸」〈地に還る音やはらかし朴落葉 伊藤航〉
・上田日差子選「佳作」〈十二月戦友一人送りけり 鐵義正〉〈さよならと二度書く手紙鳥雲に 原紀子〉〈城門を勇み出で来し虎落笛 鈴木まんぼう〉〈参道の二百三百冬椿 大沼ふじ代〉
・櫂未知子選「佳作」〈稜線の晴れ渡りたる恵方かな 金川清子〉〈鈴ひとつ(前掲)原紀子〉〈全身で風を喜ぶ黄蝶かな 高橋桃水〉
・仲寒蟬選「佳作」〈冬天や舌でころがす黒砂糖 金川清子〉
・深見けん二選「佳作」〈一枚の写真に揃ふ小春かな 大沼ふじ代〉
・星野椿選「佳作」〈鎌倉も小諸も日脚伸びにけり 曽根新五郎〉〈寒菊や虚子は廊下を幾万歩 伊藤航〉
・松田美子選「特選」〈夕月や(前掲)丑山霞外〉
・松田美子選「佳作」〈遠浅間駅舎に二つ燕の巣 前島きんや〉
・宮坂静生選「佳作」〈御降りや松には松の湯の匂ひ 金川清子〉〈先生の(前掲)深山きんぎょ〉〈雨乞ひのいのり少年鞨鼓打つ 佐藤弥生〉
以下は同大会の当日句の入選結果。
▽題「田螺」、各選者特選1句、秀逸2句、佳作5句
・酒井土子選「佳作」〈浅間嶺の水面に映り田螺かな 前島きんや〉
・高瀬竟二選「特選」〈親戚の顔のあやふや田螺鳴く 柏柳明子〉
・高瀬竟二選「秀逸」〈一塊の昏さとなりし田螺かな 長濱藤樹〉
・高瀬竟二選「佳作」〈せせらぎに黒き杭あり田螺鳴く 深山きんぎょ〉
・星野高士選「秀逸」〈悩み事全て田螺に打ち明けし 村内徒歩〉
・星野高士選「佳作」〈一塊の(前掲)長濱藤樹〉
・国見敏子選「秀逸」〈泥けむり立て合ひ恋の田螺かな 鈴木まんぼう〉
・鈴木しどみ選「佳作」〈悩み事(前掲)村内徒歩〉〈鍋さげて虚子先生の田螺掘る 佐藤弥生〉
▽題「小諸市内嘱目」
・互選「入選」〈新樹風まだ濡れてゐる旅情の碑 長谷川いづみ〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の「精鋭10句競詠」に田島健一が「無糖紅茶」と題して、〈庭師は次の庭へ行かねばならぬ菫〉〈壺焼と無糖紅茶とあらゆる無〉など10句と短文を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号の「実力作家代表句競詠」に曽根新五郎が「海女」と題して、〈海女の母待つ子同士の遊びかな〉など6句を出品。いずれも句集『海女』所収の句。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号「平成俳壇」
・小笠原和男選(題「昭和の乗物」)「特選」〈船窓の太平洋の初明り 曽根新五郎〉
・名村早智子選「秀逸」〈雪吊の天辺に日の当たりけり 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号「投稿俳句界」
・能村研三選(題「座」)「秀作」〈しばらくは仏間へ座して年惜しむ 曽根新五郎〉
・今瀬剛一選「秀逸」〈煤逃の赤き天井赤き壁 長濱藤樹〉
・古賀雪江選「秀逸」〈枯葦の高さに乾く風の音 松本美智子〉
・夏石番矢選「秀逸」〈秒針のむらさきとなる冬の夜 長濱藤樹〉
・夏石番矢選「秀逸」〈くさや一枚焼けてメリークリスマス 曽根新五郎〉
・原和子選「秀逸」〈冬青空太平洋の魚信かな 曽根新五郎〉
・山田佳乃選「秀逸」〈一月のへその緒切つてよりふたり 金川清子〉 - 朝日新聞「朝日俳壇」
4月4日金子兜太選〈山笑ふそんな気がして目が覚める 池田功〉=〈中七の思いつきが旨い〉と選評。
4月10日長谷川櫂選〈戦争のとほき跫(あしおと)籾おろし 長濱藤樹〉 - 読売新聞「読売俳壇」
4月12日矢島渚男選〈三月十日墨堤に立ち黙禱す 堀尾巌〉=〈この日は東京大空襲の日。ことに隅田川に沿う地区の被害はすさまじかった。無数の無辜の死を悼む〉と選評。 - 「NHK俳句」(Eテレ4月10日放送)堀本裕樹選「三席」(題「春灯」)〈ジオラマの昭和の街や春ともし 渡辺広佐〉=「昭和の懐かしい街を再現したジオラマを春ともしが灯しているんですけども、ジオラマの中にも小さい家とか街灯とかがあって、そこにもね、ちっちゃい春ともしがあるような気がしたんですよ……そして、それを見ている作者も心に春ともしが灯っている、と……だから三つぐらい入れ子構造になって春ともしが見えてくるというのが……巧い句だなと思いましたね」と選評。
- 結社誌「軸」(秋尾敏主宰)3月号の「新刊紹介」(三浦侃氏)が、柏柳明子句集『揮発』を取り上げ、〈打ち明けるごとく向ひし初鏡〉など10句を抄出し、著者略歴ならびに石寒太主宰による序文の一部を紹介。
- 結社誌「貂」(星野恒彦主宰)4月号の「他誌への窓」(野頭泰史氏)が「炎環」を紹介。炎環集から以下の句を取り上げて鑑賞。
2015年11月号から、〈白芙蓉左手だけの意志表示 大沼ふじ代〉=〈何らかの事由で左手だけしか利かなくなってしまったのであろう。そういう方が、自分の意志を左手で伝えようとしている。芙蓉は楚々として艶麗だが、一日で萎んでしまう花。ここでの白芙蓉は、意志表示をしている人の在り様を読者にいろいろ思い描かせる花である〉、〈コンクリートに背かく猫よ萩の花 香西沙羅羅〉=〈猫が日向のコンクリートの上に仰向けになっている。体を動かして背中を掻いているのである。猫の顔の上には、萩の花が枝垂れ咲いていて、猫の顔に今にも届きそうである〉。
10月号から、〈もうすこし伸びたかろうに夏の草 戸塚美智子〉=〈一読しておかしみのある句。草は夏に大きく育つ。何かのはずみで大きくなれなかった草、ここでの草は人間を思わせ、その草も大きくなりたいと言っているようである〉、〈先生の大きな声や平泳ぎ 高橋橙子〉=〈プールサイドから先生が泳ぐ生徒に声を掛けている。下五の平泳ぎがいい、しかも大きな声でもって、一生懸命手を掻き、泳いでいる生徒が見えてくる〉。
9月号から、〈籐寝椅子父の余命の角度かな 福山みかん〉=〈父の余命の角度とは、大きいのだろうか小さいのだろうか。作者にはそれが分かっている。長年父と籐寝椅子の状態を見てきた、それは父の老いの姿でもある〉、〈海を見ず山見ず人を見ず酷暑 峰村浅葱〉=〈作者は海に行くことも山にいくこともなく夏を過ごし、人を見ることもなく家に閉じこもってひたすら暑さに耐えている。海山人、それを見ずでもって畳み掛けたところがとても巧み〉。
8月号から、〈木下闇ひとりぼつちのかくれんぼ 副田氷見子〉=〈ひとりぼつちのかくれんぼとは、作者の境遇をいっているのだろうか。いろいろ考えてしまう。木下闇と言っていながら、読んで暗くならないのは、ひとりぼっちのかくれんぼという言葉がそうさせる〉、〈蝸牛なにやら遠出するらしよ 小佐井芳哉〉=〈おかしみのある句。玄関先の植え込みにでもいる蝸牛。その蝸牛をして「ご主人達はどうも遠出するらしいよ」と言わしめる。蝸牛の生態を髣髴とさせる〉。