2016年6月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。6月号は「第39章 句集『山脈』とその時代(一)」。『山脈』は「やまなみ」と読みます。楸邨の第9句集で1955(昭和30)年刊、「太白抄」(昭和23~24年)の90句と「山脈抄」(昭和25~27年)の397句を収めています。筆者(寒太主宰)はまず《冬嶺に縋(すが)りあきらめざる径曲り曲る》の一句を示し、〈『山脈』には、この句を表紙いっぱいに分かち書きに印刷している。この「あきらめざる径」は、眼前の景であるとともに、楸邨自身の心情でもあった〉と述べ、楸邨自身の次の言葉を引きます、「才能というものには限りがあるが、努力はそれを乗踰(のりこ)えるかも知れないんだ。僕にあるものといえばそうしたねばりだ」、そしてこう書きます、〈俳句の熟達も一典型をなしとげたかにみえるが、それを踏み破りのり越えてきたのは、楸邨のねばりであり、またそこに楸邨の混沌もあった。それが楸邨の魅力をつくった〉。つまり〈あきらめざる径〉は楸邨の〈ねばり〉であり、その〈ねばり〉が楸邨の〈魅力〉である、と展開しています。章の後半では、〈この句集のピークといえば、おおかたが指摘しているように、何といっても浅間の連作二十六句だろう〉と記して、「浅間の麓 二十六句」と前書きのあるその26句すべてを掲出しています。それらは、〈昭和二十五年十二月、矢島房利(「寒雷」同人)とともに、妻、知世子を伴って、上田・別所・小諸・星野などを旅した〉ときのもので、本章ではその最初の3句と、〈句集『山脈』の代表句のひとつ〉と筆者が認める《落葉松はいつめざめても雪降りをり》を鑑賞しています。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)4月号の「特別作品」に石寒太主宰が「楸邨のベレー帽」と題し、〈雪起し楸邨黒きベレー帽〉〈雲の上(え)のキリンの首よ建国日〉〈「炎環」に人の種蒔き芽生えけり〉など10句を発表しています。
炎環の炎
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)6月号の「現代俳句の窓」に柏柳明子が「見えてゐて」と題し、〈次々と傘をひらきて卒業す〉など6句を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「合評鼎談 『俳句』4月号を読む」において青山茂根氏、村上鞆彦氏が、山岸由佳の作品「火花」から、《雪の果肥りつづける魚の棲み》について、〈[村上]冬を越えて肥り続ける魚のふてぶてしい命がでています。自己を投影する気分もあるのでしょうか。[青山]春に近い感じが出ていて、なかなかない視点の句です〉、また《さくらさくら少し遅れてくる怒り》について、〈[青山]情景と主観をうまく取り合わせ、花冷えの寒さ、逡巡する心情も感じます〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号「平成俳壇」
・嶋田麻紀選「推薦」〈ざら紙の賢治の詩よ木の芽風 長濱藤樹〉=〈「ざら紙」が賢治の生きた時代と賢治自身の質素な生活振りを映し、「木の芽風」が人々への愛を今も心地よく伝えてくるようである〉と選評。
・山西雅子選「推薦」〈鶴帰る鏝絵の鶴も発つ構へ 天野啓子〉=〈漆喰を使い、家の外壁などに鏝(こて)で見事に塗り飾る鏝絵。折しも鶴の引くころで、描かれた鶴も鏝絵を抜けて飛び立とうとするかに見えたという。自由な想像力のある句〉と選評。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号「投稿俳句界」
・能村研三選(題「銀」)「秀作」〈銀行の名のややこしき去年今年 曽根新五郎〉
・古賀雪江選「秀逸」〈息白し自分のくもる鏡かな 曽根新五郎〉 - 毎日新聞「毎日俳壇」
5月9日大峯あきら選〈筑波より風吹いて来る青き踏む 辺見狐音〉
5月16日大峯あきら選〈花咲くや空き家となりて三年目 辺見狐音〉 - 読売新聞「読売俳壇」
5月23日矢島渚男選〈前震といふ怖い新語よ暮の春 堀尾巌〉=〈前震、本震、余震。中でも怖いのは突然の前震。地殻や気象が変動するなかで新語が次々に生れる〉と選評。 - 朝日新聞「朝日俳壇」
5月9日大串章選〈花の夜の残業の灯を消しにけり 飯沼邦子〉 - 東京新聞「東京俳壇」
5月15日小澤實選〈電車席譲るいかにも新社員 片岡宏文〉
5月22日鍵和田秞子選〈リハビリの妻へ燿(かがよ)ふ白牡丹 片岡宏文〉
5月29日小澤實選〈猫用の妻の声あり春の雨 片岡宏文〉=〈妻が夫である自分と猫とで、かける声を変えているというわけだ。猫の方が優しい声か。春の雨が静かに降る〉と選評。