2016年9月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。9月号は「第42章 『山脈』仰ぐ楸邨山脈」。本章はこれまでと趣を異にし、楸邨の生涯にわたって、彼のもとに集まった多くの人々の名前を挙げ連ね、そこに「寒雷」という結社が築かれていたとはいえ、楸邨とそれらの人々が〈師弟というより、真の俳句を愛する仲間たち〉という関係であったことを強調しています。この〈仲間たち〉がいわゆる〈楸邨山脈〉ですが、この〈仲間〉という言い方とその含みが非常に重要であって、〈私(寒太主宰)は、楸邨の晩年の弟子のひとりといえるが、楸邨は「弟子」という紹介の仕方をしたことはない。誰かに挨拶する場合にも、必ず、「こちらは、ぼくらの俳句仲間の石寒太君です」というふうにいった。楸邨の中では、師弟というより、俳句をいっしょにつくり合う仲間だったのである。そのかわり俳句については、常に厳しかった。句会の途中で楸邨が怒った場面を、私は何回も見て来た。句会席上、怒って席を立って帰ってしまったことさえあった〉。そんな楸邨を筆者(寒太主宰)は、〈芭蕉と楸邨は、とてもよく似ていた〉として、〈芭蕉は俳諧の本質を仲間たちに伝授するだけではなく、逆にその仲間たちが自分より秀れているところは、自分の中に取り入れて、自分の俳風をひろげ太っていった〉のであり、楸邨も芭蕉も、〈とてもあたたかく優しいようにみえて、実はとてもしたたかさがあっ〉たと述べています。6~8月号において楸邨の句集『山脈』を論じてきた筆者(寒太主宰)が、〈『山脈』を再読して進んでいるうちに、いくつかの俳句仲間にふれた句にぶつかり、一度どこかで楸邨と俳句仲間たちのことを書き留めておかなければと思い〉、そして成ったのが本章です。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)8月号の「ブックエリア」に、石寒太主宰が神田ひろみ著『まぼろしの楸邨―加藤楸邨研究』についての書評を寄稿、「楸邨の受洗―父からのクリスチャンの影響」と題し、〈いま小生は「俳句界」に「牡丹と怒濤―加藤楸邨伝」を連載中である。これは、生涯のライフワークとしたい、と力を入れ執筆している。が、氏の論(楸邨についての論文)は、非常に詳細に調べてはいるが、まったく新しい事実というものは少ない。その中での、『まぼろしの楸邨―加藤楸邨研究』の注目すべき焦点の論は、第三章の「中期作品第八句集『山脈』の中の「冬の浅間は胸を張れよと父のごと」をめぐっての項にあると思う。楸邨が父より影響をうけたクリスチャンとしての受洗とその経緯こそ、本書の圧巻であり、新しい資料としてぜひ、大勢の人々に注目して読んで欲しい〉と評しています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)9月号「平成俳壇」
・嶋田麻紀選「推薦」〈背びらきのファスナー一直線に夏 天野啓子〉=〈〈背びらきのファスナー〉が〈一直線〉にひらくのは、いかにもまっすぐにためらいもなく夏が一気にやってきたようで、爽快感がある。開放感と或る勢いが、そのまますとんと伝わってくる〉と選評。
・朝妻力選「秀逸」〈背びらきの(前掲)天野啓子〉
・出口善子選「秀逸」〈背びらきの(前掲)天野啓子〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)9月号「投稿俳句界」
・高橋将夫選(題「今」)「秀作」〈出てきてはならぬところの今年竹 曽根新五郎〉
・能村研三選(題「今」)「秀作」〈今日までの自分を捨てて更衣 曽根新五郎〉
・茨木和生選「秀逸」〈アマリリス露地の先には太平洋 金川清子〉
・大串章選「秀逸」〈廻らざる蕎麦屋の水車苔の花 堀尾一夫〉
・原和子選「特選」〈晩年に語る朋あり白牡丹 長濱藤樹〉=〈晩年の生き方こそ創意工夫。長く生きてきた体験に基づく品位、価値観が問われる。「朋」の一語に話し相手を誰でも彼でもなく、しかと決めているところに清さがある。「白牡丹」が作者の真情を伝えて余りある〉と選評。
・角川春樹選「秀逸」〈晩年に(前掲)長濱藤樹〉
・角川春樹選「秀逸」〈かたつむり殻より出でて発光す 高橋桃水〉
・佐藤麻績選「秀逸」〈茎立やとほくになゐのつづきをり 泉義勝〉
・夏石番矢選「秀逸」〈かたつむり(前掲)高橋桃水〉 - 毎日新聞「毎日俳壇」
8月22日大峯あきら選〈赤とんぼ風のある日は風に乗り 辺見狐音〉=〈まいにち赤とんぼが群れとぶ頃である。風のある日は、いっせいに風に流れている〉と選評。 - 東京新聞「東京俳壇」
8月28日鍵和田秞子選〈探鳥の望遠カメラ青葉濃し 片岡宏文〉 - 「第17回竹下しづの女顕彰俳句大会」(7月10日)が応募総数308句から、4名の選者それぞれの特選3句、秀逸7句、佳作15句をもとに、入賞4句を決定。
◎「行橋市長賞」〈夕立の匂ひ残りし廃校舎 高山桂月〉=福本弘明選「特選」、松清ともこ選「秀逸」。〈雨上がりの廃校舎、おそらく木造校舎でしょう。夕立の匂いだけでなく、かつてここにいた子どもたちの声まで聞こえてきそうな感覚〉と福本弘明氏が選評。
同大会は、女流俳人の草分け的存在で福岡県行橋市出身の竹下しづの女(1887~1951年)を顕彰するもので、顕彰会が行橋市内において隔年で開催。 - 信濃毎日新聞8月4日のコラム「けさの一句」(土肥あき子氏)が、《生ビール輝きながら来たりけり 柏柳明子》を取り上げ、〈本日「ビヤホールの日」。あちこちで輝く生ビールを渇いた喉が待ち構えていることだろう〉と鑑賞。句は句集『揮発』より。
- 読売新聞8月28日のコラム「四季」(長谷川櫂氏)が、《露の世のたつた二人の生活費 増田守》を取り上げ、〈二人がつつましく生きてゆくのに、いくらお金がいるものか。その数字につくづく見入っているのだろう。露の世とは露のようにはかないこの世。人の命は金銭に換算できないが、生活費という数字にすればこれだけ〉と鑑賞。句は句集『虚数』より。
- 結社誌「麻」(嶋田麻紀主宰)7月号の「現代俳句月評」(田中幸雪氏)が、《見えてゐて見えてゐないやうに桜 柏柳明子》を取り上げ、〈桜には魔力があるに違いない。その証拠に、咲いた桜の下に行くとぞくぞくする。見えていて見えていないような、聞こえているのに聞こえてこないような〉と鑑賞。句は「俳壇」6月号より。
- 「NHK俳句」(Eテレ8月14日放送)堀本裕樹選「三席」(題「新涼」)〈新涼のボトルに遺る名前かな 曽根新五郎〉=「居酒屋さんにボトリキープしてるんですよね。で、だいたい札ついてますよね、名前を書いて。そのボトルについている名前を見て、この方はいっぱい飲んでいる。ひょっとして亡くなっているのかな、この漢字〈遺〉を見るとね。だから追悼の一句かなという感じがしましたね」と選評。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)8月号の「「現代俳句の風」秀句を探る」において近恵が、感銘の一句として「記憶とは足にからまっている夏野 丹生千賀」を選び、〈記憶の象徴として示される「夏野」は、広大な青草の原である。生きてきた全ての記憶、判断の為の大事な物指し。足に絡まり、出すまいとする煩わしいもの。自らの育てた夏野が足にからまって留めようとするのだ。慣れとパターン化が生む行き詰まりと、未知の自分による飛躍の狭間でもがく自己の内面が現わされているように感じる〉と鑑賞。