2016年11月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。11月号は「第44章 現代俳句協会分裂と俳人協会の創設の裏舞台②」。加藤楸邨の第9句集『山脈』(昭和30年刊)と第10句集『まぼろしの鹿』(昭和42年刊)の間の時期、俳壇では高浜虚子の逝去(昭和34年)に続いて、現代俳句協会が分裂、その片方は俳人協会を設立します(昭和36年)。分裂のきっかけとなったのは、同年の第9回現代俳句協会賞の選考過程において、選考委員の間に亀裂が生じたことでした。そのときの経緯を、当事者の一人であった金子兜太氏が語っており、本章では前半部分で、当時の状況を活写した兜太氏の文章を引用しています。〈石田波郷、三鬼、草田男、秋元不死男、それに私(兜太)や石原八束も選考委員だった。原子公平、沢木欣一など、私たちの世代と私より一つ上の世代のなかから選考委員がたくさん出ていた〉、ここに革新を志向する世代と伝統を重視する世代の対立がもともとあり、〈その前に八束が、秋元不死男を嫌いだったんだな。不死男も八束が嫌いだった。八束が不死男に対してぶっきらぼうな発言をしたんです。そうしたら波郷が怒った。「先輩に対して何だーッ」と言ってハアハアやっていた〉というように、個人的な感情までもむき出しにしていたようです。これらの背景として、〈六十年安保(昭和35年)を契機に、いわゆる革新的な文学者がかなりに変わったんです。あの時期、たいへんにドラマチックな変化があったんです。それは俳壇にもいち早く影響してます〉、それはつまり〈古典帰りの雰囲気〉だったと兜太氏は述べています。こうして現代俳句協会から脱退した俳人により俳人協会が設立されますが、本章の後半では、俳句の伝統回帰への問題に〈もっとも熱心で俳人協会の陰の力となったのが、角川書店社長の角川源義氏であった〉として、筆者(寒太主宰)は角川書店のここまでの動きに焦点を当てています。
- 機関誌「俳句人」(新俳句人連盟)8月号の「特集/2016・憲法が危ない」に石寒太主宰が、「戦争法」と題して、〈九十六翁戦後の夏を語り継ぐ〉など3句と短文を寄せ、〈昨年(2015)は、戦後70年の節目の年。兜太が注目を浴びたのは、一連の安保法案改正の採択に関して、「アベ政治を許さない」のインパクトが強かったこともある。兜太は戦争体験を通して、反戦と平和を訴えたのだ〉と述べています。
- 定期購読誌「ノジュール」(JTBパブリッシング)10月号巻頭の「旅の記憶」に、石寒太主宰が「果たせなかった旅」と題してエッセイを寄稿し、作家の畑山博氏との思い出を綴っています。その中で寒太主宰は、〈(畑山博氏は)宮沢賢治の研究家としてもよく知られ、賢治に関する著作も多い。そもそも私が賢治にのめり込んだのも、多分に彼の影響がある〉と述べています。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)10月号の「直線曲線」に、石寒太主宰が「放浪の系譜」と題する評論を寄せています。内容は井上井月が「放浪の系譜」に位置づけられるということを論じたもので、〈井月は、芭蕉の晩年の弟子の放浪俳人斎部路通(いんべ・ろつう)・広瀬惟然(ひろせ・いぜん)から、戦後にわかに注目を浴びるようになった自由律俳人、山頭火や放哉らをつなぐ存在として、いまもっとも重要な人物として注目されている。これらの放浪俳人たちは、井月顕彰会、山頭火ふるさと会などの地味な愛好家の努力により、個々に研究がなされ、支えられて、ようやく一般の人々に受け入れられるところまでひろがりつつある。これからはひとつの点ではなく一本の線として彼らをつなげていく時期に来ているように思う。昨年は山頭火フォーラムと井月研究会がひとつになり、熊本の日奈久でシンポジウムが初めて開かれたし、今年は信州伊那谷で、山頭火ふるさと会と井月祭がひとつになって交流が持たれる。点でしかなかった放浪の個人研究が、ここに来てようやく大きな太い線になりつつある。大変好ましいことである〉と述べています。
- 結社誌「郭公」(井上康明主宰)10月号の「俳誌展望」(廣瀬悦哉氏)が、わが「炎環」8月号を取り上げて紹介。まず主宰詠の8句を掲げ、各句を鑑賞。《走り梅雨楸邨伝のいま半ば》に対しては〈石寒太主宰は総合誌「俳句会(文學の森)」に加藤楸邨伝を連載している。句は、何とか「半ば」まで来た、という自身の感慨。その思いが「走り梅雨」にこもる〉と記述。次に「炎環集」巻頭から、《午前五時木苺摘みに行くのメモ 山本うらら》《夫に言へずあぢさゐの緋が好きなんて 同》《トンネルの先のトンネル朴の花 小林根菜》《川の子の言葉に戻る裸足かな 同》を紹介。また「梨花集」から《水槽の非番のイルカ夏の雨 丹間美智子》《カミソリの刃をはづす薄暑かな 吉田悦花》《地軸ほど傾ぎてソフトクリームかな 齋藤朝比古》《朝焼へ恐竜の口開いてをり 柏柳明子》《花うばら定年退職後のダンス 長谷川いづみ》を抄出し、〈何れの句にも今までとは少し異なる視点が働いている〉と批評。〈他にも「各地の句会」の丁寧な結果報告や紹介など、座の文芸としての俳句を大切にする姿勢が感じられる〉とも記述。
- 結社誌「八千草」(山元志津香主宰)第79号(8月15日)の「受贈俳書紹介」(横川博行氏)が「俳句原点」(口語俳句年鑑)より十一人各一句を抄出、その中の一句に《白南風やいつも駱駝の泪ぐみ 石寒太》を記載。
- 結社誌「未来図」(鍵和田秞子主宰)9月号の「名句鑑賞」(同主宰)が《島人の婚ざはざはと芒満ち 石寒太》を取り上げ、〈島人の婚礼を祝福するかのように、ざわざわと風に揺れてざわめく芒は、島中に満ち溢れるようで楽しい〉と鑑賞。
また、同誌の「現代俳句逍遥」(久保千恵子氏)は、《九条のちらしにつつむさくら餅 石寒太》を取り上げ、〈以前から平和主義を規定する憲法第九条を巡って色々な論争があり、自分達の信ずる意見をちらしやビラにして配っている光景に時々出会う。読んだ後、捨てたりせずに大切に持ち帰ることもある。そんなちらしで包まれた「さくら餅」。過去には京大俳句事件もあったが、今は自由にモノが言える時代だ。しかしそれだからこそ、さくら餅という春の食べ物に平和を祈る思いを託す方法は、逆に魅力的である〉と鑑賞。後の句は「炎環」6月号より。
炎環の炎
- 結城節子が、句集『羽化』を、文學の森より10月21日に刊行。序文を石寒太主宰が「羽化のあと」と題して認め、〈結城さんの句の季語の使い方は、どのひとつをとっても絶妙な季感の支配があり、いわゆる季語が動かない。このことひとつをみても、いかに結城さんがこれまで季語をおろそかにせず、季語というものに没頭して学んできたかがよく分かるであろう〉と紹介。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)11月号が「第62回角川俳句賞」を発表、岡田由季の作品「発光」が仁平勝氏の選により予選通過。選者(高野ムツオ・仁平勝・正木ゆう子・小澤實の各氏)による「選考座談会」では同作品について、〈[仁平]好きな句が多かったので採りました。《建売のなかの一軒燕来る》とか、《手花火を回し自分も回りをり》もかわいいですよね。この「発光」の表題句、《新成人発光したる五六人》は俗っぽくて残念でした。[正木]私は《文鳥に水の器や春惜しむ》がいちばん好きでした。《手花火を》もいいです。[高野]《手花火を》は情景が見えて私も好きです。[小澤]素朴なよさがあります。《靴下の片方脱げて昼寝せり》もかわいいと思いました。[仁平]しかし舌足らずで、人任せな句もあるんですよね。《新涼のバレエ手の甲足の甲》は、イメージしてください、と投げっぱなしな感じがある。[高野]《闇鍋の箸に重たき貝を掴む》や《毒舌はひとりに任せ薬喰》などの句を見ても、季語の世界の表面の面白さだけで言葉を使おうとしている傾向がある。[小澤]句が入り口なんです。もう一歩奥まで入ってもらいたい〉と合評。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)11月号「投稿俳句界」
・稲畑廣太郎選「特選」〈お黙りと一つ風鈴鳴りにけり 髙山桂月〉=〈何か諍い事があって、口論でもしているのだろうか。夏の暑い盛りであると、聞いている人にとっては結構暑苦しく感じるだろう。尤もこの時聞いていたのは風鈴である。風が吹いてチリンとなったその涼し気な音が、まるで諍いを窘めているように清々しい〉と選評。
・佐藤麻績選「特選」〈傷口のやうにひらきし薔薇の花 曽根新五郎〉=〈薔薇の蕾は丸くて固い。やがて大きく開花するのだが、そのプロセスは傷口と喩えられればその通りである。傷口と思って眺めると、美しいことが痛々しくさえ感じ、更に魅かれる〉と選評。
・今瀬剛一選「秀逸」〈帰省子の去り食卓の広さかな 丸山きゅん〉
・岸本マチ子選「秀逸」〈ヘルメット脱げば女僧や盂蘭盆会 高橋桃水〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈ガジュマルの風に吹かれし夏帽子 丸山きゅん〉
・西池冬扇選「秀逸」〈梅雨寒や神社に飾る不発弾 長濱藤樹〉
・西池冬扇選「秀逸」〈ひぐらしやそろりと回る教習車 髙山佳月〉 - 朝日新聞「朝日俳壇」
・10月10日金子兜太選〈菊食べるベジタリアンの膝に猫 寺半畳子〉=〈菊と猫が「ベジタリアン」を魅力的に〉と選評。
・10月17日長谷川櫂選〈大き梨二人の為に一個剝く 池田功〉
・10月24日長谷川櫂選〈人魚載すやうに葡萄を手の平に 渡邉隆〉=〈横ずわりの人魚のように。あるいは横たわる人魚のような一房の葡萄〉と選評。 - 読売新聞「読売俳壇」
・10月24日小澤實選〈マネキンの坊主頭の案山子かな 堀尾一夫〉 - 結社誌「泉」(藤本美和子主宰)10月号の「俳句燦々」(小橋信子氏)が、《陰暦に暮して新茶酌みにけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈「陰暦に暮して」とは、歳時記に親しみ季語に寄り添って暮している作者自身の在りようなのだろう。季節に臨み、ただいま新茶を味わっている、という風流宣言の句、と言っていいだろうか〉と鑑賞。句は「俳句」8月号より。
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)10月号の「窓 総合誌俳句鑑賞」(野崎海芋氏)が、《黄昏や椅子の乱るる海の家 齋藤朝比古》を取り上げ、〈海水浴客が引き上げた後、夕光の中に乱雑に散らばる椅子が、昼間の賑わいの残滓のようだ。「黄昏や」には海水浴の後の心地よい気だるさや、日焼けした肌のほてりも思い起こされ、安らかな余韻の句〉と鑑賞。句は「俳句」8月号より。
- 結社誌「百鳥」(大串章主宰)10月号の「現代俳句月評」(平田倫子氏)が、《朴の花とほくの人へ開きけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈(朴の花は)木に近づいて花を眺めようと思ったら、ぐっと顎を上げて天を仰がねばならない。今はもう会えない人人のことがしきりに思い出される姿勢だ。時空を大きく隔てた相手も、「とほくの人」と言われるとかえって親しみを感じる〉と鑑賞。句は「俳句」8月号より。
- 同人誌「群青」(櫂未知子氏・佐藤郁良氏)10月号の「俳句月評」(抜井諒一氏)が、《まとまらぬままに風鈴売の音 齋藤朝比古》を取り上げ、〈売り物の風鈴がたくさん吊られて、音色はてんでばらばらな状態。音はにぎやかなのだが、的確かつ平明な措辞により、「風鈴売」という季語の持つ力が引き出され、そこはかとない余韻を感じさせる〉と鑑賞。句は「俳句」8月号より。
- 結社誌「香天」(岡田耕治主宰)7月号の「俳句鑑賞三六五」(同主宰)が、《三日はや猫のハンガーストライキ 岡田由季》を取り上げ、〈元日、二日と機嫌良く食べていたのに、同じフードをあげたのに、突然食べなくなりました。「三日はや」という季語は、このように使うためにあったのだと感じさせるほど、絶妙です〉と鑑賞。句は「豆の木」No.20より。
- 結社誌「椎」(九鬼あきゑ主宰)11月号の「書架光彩」(鈴木柚氏)が、柏柳明子句集『揮発』を取り上げ、《打ち明けるごとく向ひし初鏡》《石鹸玉吹く社会人三年目》《ヒヤシンス潜水艦の設計図》《行く年のしづかに止まる印刷機》などを抄出し、〈若々しい独自の感性に溢れた、作品群である〉と批評。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)11月号附録の「季寄せを兼ねた俳句手帖」が、ページの飾りに〈風邪四日優先席へ身を落とす 増田守〉、「季寄せ」に〈あやふやな自衛の定義開戦日 増田守〉を採録。いずれも句集『序曲』より。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)10月号の「今、伝えたい俳句 残したい俳句」(栗林浩氏)が、《葬列を過る番の赤蜻蛉 三井つう》を取り上げ、〈今でも地方では野辺送りがあるのであろう。「赤蜻蛉」がそう思わせる。しかも、生命高揚の象徴ともとれる「番」の蜻蛉の写生句だ。人間に悲しいことがあっても自然はそれに気が付かないふりをする。写生は得てして非常となる〉と鑑賞。句は「現代俳句」7月号より。