2017年1月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。1月号は「第46章 芭蕉研究書で楸邨と出会う②」。本章では前章に引き続き、加藤楸邨の芭蕉研究の著作について、それらが刊行された年次の順に、筆者(石寒太主宰)の思い出を織り交ぜつつ綴っていきます。楸邨にとって芭蕉研究の出発点となったのは、頴原退蔵監修『芭蕉講座』の『発句篇』(三省堂、上巻昭和18年、中巻昭和19年、下巻昭和23年刊)で、楸邨はここで芭蕉の全句にわたる評釈を試みました。これを要約してまとめたのが『芭蕉句集』(講談社、昭和24年刊)。つづいて角川源義から強引に請われ、芭蕉の300句を解説した入門書『芭蕉秀句』(角川書店、上巻昭和27年、下巻昭和29年刊)を著わしました。これら一連の著作に、寒太主宰は、大学の卒業論文を書くとき出会います。ここまでのところが前章。その後も芭蕉関連の著作は、「古典日本文学全集」全三十一巻の一冊として『松尾芭蕉集』(筑摩書房、昭和35年刊)、さらに『定本芭蕉大成』の「第一巻発句篇」(三省堂、昭和37年刊)と続き、やがて角川書店「芭蕉の本」シリーズの一冊として『芭蕉の本2 詩人の生涯』(角川書店、昭和44年刊)を、これは寒太主宰自身の編集により発行する運びとなりました。〈このころ私は、楸邨に急接近していた〉と寒太主宰、つづく『芭蕉全句』(筑摩書房、上巻昭和44年、下巻昭和50年刊)では、〈遅れに遅れている下巻の年譜と全句索引、三句索引を私が引きうけざるを得ないはめになった。それは、まったく気の遠くなるような作業であった。が、私は、楸邨のためでもあり、自分自身の勉強にもなると、それを敢えて引き受けた〉。そして〈楸邨の芭蕉研究の最後〉となる『芭蕉の山河』(読売新聞社、昭和55年刊)においては、〈読売新聞の担当に楸邨を紹介したのも私。本の校正から口絵の選択、索引なども私が作成〉するまでに至りました。ときに楸邨75歳、寒太主宰37歳。このように〈「芭蕉の本」のつながりではじめて楸邨に出会い、「おくのほそ道」の旅をともにし『奥の細道吟行(上下)』、『芭蕉全句』『芭蕉の山河』などを通して、楸邨と同じ生きた時間を共有出来たことは、私にとって、生涯の幸せだった〉と語っています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号「投稿俳句界」
・高橋将夫選(題「白」)「特選」〈白足袋の白き動線能舞台 松本美智子〉=〈シテが能舞台をすり足で動き回る景が白足袋の動線に焦点を絞って描写されている。白足袋の白い動線が鮮やかに目に浮かぶと同時に、能舞台の全貌が浮かび上がってくる。「白足袋の白き動線」の着眼は見事〉と選評。
・高橋将夫選(題「白」)「秀作」〈白黒をつけるべき時桐一葉 藤井和子〉
・田中陽選(題「白」)「秀作」〈新酒酌むおまへ禿頭おれ白髪 堀尾一夫〉
・岸本マチ子選「秀逸」〈海神の総身のやうな鱗雲 曽根新五郎〉
・夏石番矢選「秀逸」〈取り立ての漢のごとき野分かな 渡邉隆〉
・西池冬扇選「秀逸」〈あけてしめあける引き出し十三夜 松本美智子〉
・原和子選「秀逸」〈残照の湖心の水の澄みにけり 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)1月号「平成俳壇」
・星野高士選「推薦」〈遠ざかる水脈まつすぐに島の秋 曽根新五郎〉=〈島に行って作った句は沢山見るが、この作者は島で暮らしながら作っているので、他とは少し違う。遠ざかっていく水脈に島の秋をひしひしと思っているところに情が重なった〉と選評。
・朝妻力選「秀逸」〈ナプキンの折目涼しき予約席 原紀子〉 - 読売新聞「読売俳壇」
・12月5日矢島渚男選〈神の留守嘘をつかぬと嘘をつく 堀尾一夫〉 - 朝日新聞「朝日俳壇」
・12月5日長谷川櫂選〈凩一号囚人のごと呼ばれけり 渡邉隆〉 - 「第70回芭蕉祭芭蕉翁献詠俳句」(芭蕉翁顕彰会(伊賀市)、10月7日)が、18人の選者それぞれの特選2句、入選20句を発表。応募総数は10,899句。
・鍵和田秞子選「入選」〈雨脚のとぎるる所白牡丹 松本美智子〉 - 「第7回一茶双樹俳句交流大会」(流山市、11月20日)が応募総数7,353句から、最優秀賞1句、優秀賞4句、入選20句を表彰。各賞の選者は俳人協会評議員(藍生・天為所属)で東洋大学名誉教授の坂本宮尾氏。
◎「最優秀賞」〈吊り上げし大注連縄や秋の蝶 伊藤航〉
◎「優秀賞」〈矢河原の渡しの眺め花菜風 道坂春雄〉