2017年2月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。2月号は「第47章 短歌をつくりつづけた楸邨(一)」。〈私(寒太主宰)が楸邨と出会ったのは大学時代であったが、そのころ盛んに俳句のことはもちろんであるが、実は楸邨は、短歌のことも熱く語っていた〉と本章は書き出されています。以下要約すると、次のような内容です。〈(昭和32年刊の『現代俳句文学全集』の「あとがき」に)楸邨その人が、(少年期に)歌を口ずさむことで詩歌の目が育ったと書いているのであるから、少なくとも楸邨の文学観の主要な基底部は短歌に養われたものであり、そこで身につけた何かが、後年までの俳句活動に尾を曳いていたことは間違いない〉。楸邨は、国鉄に勤務する父の転任に伴い、7歳(大正元年)から16歳(大正10年)の間に、東京・国分寺→静岡・御殿場→福島・原ノ町→岩手・一ノ関→新潟・新発田→金沢と住居を移します。〈楸邨が短歌を知り、石川啄木の歌に親しむようになったのは、一ノ関中学に入学したころのことで、このとき楸邨は13歳〉。〈東京・岩手・北海道の各地を、貧困のうちに漂泊した啄木の歌にはいたるところに孤独があり、悲哀があり、郷愁が生まれ、不満が渦巻いていた。楸邨もきっとそこに自画像を重ね合わせていたに相違ない〉。〈少年楸邨が転々とした土地が、多く東北や北陸であったことも、啄木への親近感をより深めたのであろう。両者の共通性をひと言でいえば「北方型の流離」ということになるのである。石川啄木・斎藤茂吉・高村光太郎そして生涯の芭蕉と、特に楸邨がこころ魅かれていった文学者たちは、いずれもこの北方型の流離の傾向を帯びている者ばかりである〉。そして、本章の後半では、楸邨19歳のころの短歌を鑑賞します。それらの歌は、〈素材および措辞、結構の類似からみれば、ここに影を落としているのは、斎藤茂吉である〉。22歳ころの写生歌にも〈啄木よりも茂吉の影響がみえる。主観を排し、自然の表情を仔細に追求する姿勢は、同じ「アララギ」の島木赤彦の歌にも通ずるところがある。楸邨の歌は、おしなべて「アララギ」流といってもいい〉。〈「歌を詠むときでも、俳句を詠むときでも啄木の歌は郷愁のやうに胸を去らなかつた」と(楸邨は)いう。それは、表面的な辞句・叙法においてみるべきでなく、楸邨の精神の暗部を貫流するものとして理解すべきであろう〉と、本章を結んでいます。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)1月号の「ブックエリア」に石寒太主宰が、恩田侑布子句集『夢洗ひ』の書評を寄せ、「夢の詩魂」と題して、〈著者もいつしか還暦を迎え、さらに新しい世界を拓きつつある。彼女の詩の泉底には、常に沈潜する思いが渦巻いている。そんな源泉を掘り当てて、憧憬ともいえる夢の欠片(かけら)のひとつづつを拾い繋ぎ紡いだ、素晴らしい俳句の誕生となった〉と述べています。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)2月号の巻頭「俳句界ニュース」が、「第九回高津全国俳句大会」の模様を写真とともに報道。〈現在、どこの俳句大会でも投句数の減少が悩みの種だが、この大会は石寒太「炎環」主宰を中心に「炎環」スタッフにより積極的に運営され、熱気ある大会が毎年開催されている。投句数も前年の数を上回り、会場には300名程の参加者が訪れた〉と記述。
炎環の炎
- 田島健一が、句集『ただならぬぽ』を、ふらんす堂より1月21日に刊行。序文を石寒太主宰が認め、〈無意味之真実感合探究/新感覚非日常派真骨頂〉と紹介。
- 朝日新聞1月25日夕刊3面の「あるきだす言葉たち」に、田島健一が「おまえたち」と題して、〈絵のような冬服を着て眠るなり〉〈冬の蝶ぐうぜん日本語が読める〉〈凍る空爆おまえの中のおまえたち〉など12句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)2月号「投稿俳句界」
・大高霧海選(題「地」)「秀作」〈地軸ほど傾くけんか御輿かな 曽根新五郎〉
・名和未知男選(題「地」)「秀作」〈潮騒の路地ゆきどまり鶏頭花 中村万十郎〉
・角川春樹選「秀逸」〈秋霖や妻来てノアのこと話す 中村万十郎〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈長き夜やブリキの箱の刺繍糸 丸山きゅん〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号「投稿俳句界」
・坂口緑志選「秀逸」〈白桃の愁ひを剥きぬ朝の卓 金澤一水〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)2月号「平成俳壇」
・岩岡中世選「秀逸」〈紅葉且つ散るみちのくは喪中なり 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)2月号の「合評鼎談 『俳句』12月号を読む」において、生駒大祐氏が「平成俳壇」から、《似合はざる父の形見のパナマ帽 曽根新五郎》について、〈《似合はざる》に、父といえども別の人間だなという感慨が結集しています〉と批評。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)2月号の「この本この一句」において青木亮人氏が、結城節子句集『羽化』から《飲食の施しの列朱夏の門》を取り上げ、〈夏を指す季語「朱夏」は、色彩を連想させる点が特徴だ。「北スペイン 十六句」中の一句のため、巡礼で著名な「栄光の門」等の写生句かもしれないが、この句の魅力は「朱夏の門」が現代日本の読者を架空の物語世界へいざなう点にある〉と鑑賞。
- 東京新聞1月29日「東京俳壇」が田島健一句集『ただならぬぽ』を〈「炎環」同人で同人誌「オルガン」などに参加する著者が紡ぎ出した新感覚の世界〉と紹介して、〈ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ〉〈パパは太鼓じゃないんだ雪止んで晴〉〈なにもない雪のみなみへつれてゆく〉を抄出。
- 同人誌『群青』(佐藤郁良、櫂未知子ほか)2016年12月号の「句集を読む」において副島亜樹氏が宮本佳世乃句集『鳥飛ぶ仕組み』を取り上げ、「あかるいさみしさ」と題し、〈句集の中身は軽快な生のあかるさとそれに伴うさみしさに満ちている。たのしさとさみしさは常に共にある。身体性のある句にはそれがはっきりと現われている〉として、12句を選んで鑑賞。そのうち《手袋を片方はづし濤の音》に対しては、〈手袋をはずした手と濤の音は一見無関係のようにも見えるが、はずすことにより音に気がつく、と言い直してもよい。当たり前のことに再度気がつくには、きっかけが必要だ〉、《ひとつづつ細胞の核春の山》《死に行くときも焼きいもをさはつた手》《桜餅ひとりにひとつづつ心臓》などについては、〈極々小さな細胞も、死に対面する身体も、一番大切な内臓も、きっかけがなければ意識すらしない自らの身体である。宮本佳世乃にはそれらを掬い上げる力がある。ただ日々を生きるのは、それだけでたのしく、どこかさみしい〉と鑑賞。
- 結社誌「亞」(高石直幸主宰)2016年12月号で弓田幸代氏が、《山あひに立冬のきて絡みつく 宮本佳世乃》を「冬の句」12句のうち1句に選出。
- 同人誌「里」(仲寒蟬、島田牙城ほか)1月号の「この人を読みたい」において天宮風牙氏の指名を受けた西川火尖が、「偏り」と題して旧作15句を、「隔たり」と題して〈メモ書きの枯野に寄れど見つからず〉〈身籠つてゐるか障子に囲まれて〉など新作10句を発表し、天宮風牙氏がそれらから6句を選び、「囚われ者」と題して批評。そのうち《非正規は非正規父となる冬も》に対しては、〈実にリアリティのある句。型にはまりながらも型から逸脱しているところが西川火尖の非凡な魅力ではないか〉と鑑賞、新作10句については、〈そのどれもが所謂「境涯句」であろう。境涯句であれ写生句であれ「今」「此処」を詠み続ける俳人に僕は共鳴する。所属誌こそ違え(年齢も大きく違うが)、同じ囚われ者としてまた一人大切な仲間を見つけた〉と記述。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)1月号の「「現代俳句の風」秀句を探る」において、鈴木まんぼうが「感銘の一句」として《犬といういのちと並び日向ぼこ 鳴戸奈菜》を取り上げ、〈半年前に愛犬を亡くした私には羨ましい光景だ。長閑な幸せの様子が目に泛ぶ。お天道様の下では人間も犬も命は平等なのだ。楽しかった犬の思い出が押し寄せて来た〉と鑑賞。