2017年3月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。3月号は「第48章 短歌をつくりつづけた楸邨(二)」。前章より楸邨の短歌をテーマにしていますが、前章では楸邨19歳から22歳にかけての短歌を鑑賞し、技巧においては斎藤茂吉の、精神においては石川啄木の影響があることを論じていました。本章では、粕壁中学校勤務時代、昭和7年(27歳)から昭和9年(29歳)の短歌23首を鑑賞します。この時期は、楸邨が俳句を始めた時期でもあります。昭和6年水原秋櫻子の「馬酔木」に投句、昭和8年「第二回馬酔木賞」受賞、昭和10年「馬酔木」同人。この時期の楸邨の短歌を鑑賞しながら、筆者(寒太主宰)はそこに二つの特徴を見出します。一つは楸邨の短歌の〈五七五の上の部分だけで、もう俳句になっている〉ということ。〈では、七七音はどういう役目をするかというと、俳句的部分の修飾である。つまり、これを私は、楸邨の“こころの未練”ととる。五七五音の俳句で、意味的にはもう十分に足りているところを、七七音の尾鰭で感情に流して完結する、そういうタイプであると思うのである〉。もう一つの特徴は、一首の中での〈人事と自然を結合させた構成法〉が、〈無関係に近いものを併置して、そこに暗示的効果を托〉していること。楸邨が〈この方法を、茂吉から学んでいることは明らかであるが、さらにそれが俳句にも受け継がれ、「季語と主観的感懐」とのかなり強引な、つまり「衝撃的手法」といわれるような(楸邨の)句に、隠微につながっているのではないか〉。すなわち、茂吉に学んだ〈強引な方法〉を俳句に導入することで、楸邨は、〈難解のそしりをまぬがれなかったとしても、生活者としての近代的自我と風景の切り結ぶ地点に、(現代俳句の)未開の地平を切拓いていった〉と筆者(寒太主宰)は論じています。
- 結社誌「俳句饗宴」(鈴木八洲彦主宰)3月号の「俳誌燦燦」において、鈴木主宰が各誌から1~2句を抄出している中で、「炎環」からは《天井画の龍の玉眼大旦 石寒太》を記載。
炎環の炎
- 「第20回毎日俳句大賞」(毎日新聞社)の特別企画として募集した「大地の俳句」が、2500句近い応募の中から、大賞2句、金子兜太賞2句、小川軽舟賞2句、優秀賞15句を選出。
◎「大賞」〈一握り三月十一日の土 曽根新五郎〉=〈[金子兜太]三月十一日という日を強調したことが、この句の特徴。これは絶対に「土」がなければダメな句なんですよ。三月十一日をいくら認識してもダメなんでね。その時の「何」に、われわれが注目しているかということ。土が表現されたということがポイントでしょ。それくらい強調されていることがいいと思うんだよ。それから「一握り」で余計に強調されている、そういうことですね。[小川軽舟]震災の惨禍そのものを詠うのではなくて、その後の日々、また三月十一日が巡ってきたというなかで、土をひとにぎりして、その大震災のことを思っている。そして、過去を振り返りながらも前を向いている。[正木ゆう子]大地という題で「一握り」という少なさがいいですね。漠然としてひろがる大地ではなくて、「一握りの土」に大地を感じるという、その凝縮性というか、それがとてもいいと思います〉と講評。
◎「優秀賞」〈爆心地ふたつ蟬の穴無数 曽根新五郎〉=〈[金子]蟬の穴が無数にあるっていう、この下手な算術の計算みたいな稚拙さがいい。非常に素朴に悔いている気持ちがわかるんです。素朴で、下手な句でいい句というのは、こういう句じゃないかと思うんですよ。[正木]まず大地が汚染されてね、土の中にいた生き物というのが、やはり一番影響を受けるわけですよ。蟬の穴って目に見えるので、見えないものを詠んでいるわけじゃないんですよね〉と講評。
◎「優秀賞」〈大陸にあくがれし父茄子の馬 綿貫春海〉 - 「第20回毎日俳句大賞」(毎日新聞社)が、応募総数約7600句(一般の部)を予備選考によって605句に絞り、その中から11名の選者により各々が上位3句、秀逸10句、佳作30句を選出、その結果最終選考に残った80句から、再審査により、大賞1句、準大賞1句、優秀賞2句、入選21句を決定。
◎「入選」〈みちのくの海の精霊流しかな 曽根新五郎〉=宇多喜代子選「上位」〈戦に果てた人、飢餓や疫病に喘いだ人、そして幾度かの天災に命を奪われた人。「みちのく」に一入の思いをこめて、この句を詠む。「海の」が五年前のことを思い出させる〉と選評。
◎最終選考まで入選候補作品として推された秀逸句
〈笹鳴きや谷戸の奥処の能舞台 中西光〉=有馬朗人選「佳作」、大峯あきら選「佳作」、小川軽舟選「佳作」
〈無住寺に踊櫓の組まれをり 堀尾一夫〉=大串章選「秀逸」、大峯あきら選「佳作」
〈消しゴムの消せぬ言霊草の花 高橋橙子〉=金子兜太選「秀逸」、石寒太選「佳作」
〈小さき手を大きく見せて風の盆 池田功〉=宇多喜代子選「秀逸」、石寒太選「佳作」
・井上康明選「佳作」〈紙漉きの父の遺せし日本刀 南風子〉
・大串章選「佳作」〈多摩川の青き鉄橋涼新た 小池弘子〉
・大峯あきら選「佳作」〈鉦叩古き柱に古き傷 結城節子〉
・小澤實選「佳作」〈ジャズ流るる復興の町青岬 長谷川いづみ〉
・金子兜太選「秀逸」〈白梅や気構へ今も長女たる 三橋瑞恵〉
・金子兜太選「秀逸」〈消しゴムの(前掲)高橋橙子〉
・金子兜太選「秀逸」〈親子なる昼の蛍の如き距離 高山桂月〉
・金子兜太選「佳作」〈絶筆の糸瓜のやうな糸瓜かな 曽根新五郎〉
・金子兜太選「佳作」〈酔ふほどに父恋ふ母よ夜の秋 岸ゆう子〉
・石寒太選「佳作」〈見慣れたる山を向かひに種浸す 添田勝夫〉
・石寒太選「佳作」〈冬すみれ遺影はすでに決めてをり 金川清子〉
・石寒太選「佳作」〈消しゴムの(前掲)高橋橙子〉
・石寒太選「佳作」〈小さき手を(前掲)池田功〉
・石寒太選「佳作」〈ジャズ流るる(前掲)長谷川いづみ〉
※結社別予選通過句数においては、「炎環」は26句で、「鷹」(小川軽舟主宰)の81句につぐ第2位。ちなみに三位は「百鳥」(大串章主宰)の25句。 - 読売新聞2月14日のコラム「四季」(長谷川櫂氏)が、《祝福や船に雪うなばらに雪 田島健一》を取り上げ、〈港の船に雪が降りしきる。船出の祝福のように。あるいは降りしきる雪が何かの、誰かへの祝福であるというのかもしれない。雪はしばしば冷たく暗いものと思われているが、この句の雪は冷たくも晴れやか〉と鑑賞。句は句集『ただならぬぽ』より。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号の「俳句会への招待――注目の俳人をピックアップ!!」に、髙山佳月が「紫木蓮」と題して、〈啓蟄の空見て退路断ちにけり〉など5句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号「投稿俳句界」
・西池冬扇選「特選」〈河馬の毛のまつすぐに立つ今朝の冬 長濱藤樹〉=〈はてな、河馬に毛が生えていたかしらん、そう思わせるのも、一種のレトリックかもしれない。暑い土地に住んでいるべき河馬には「今朝の冬」はひとしおであろう〉と選評。
・西池冬扇選「秀逸」〈小鳥来る案内板の現在地 曽根新五郎〉
・大高霧海選(題「顔」)「秀作」〈イエスより鮟鱇の顔聖者めく 高橋桃水〉
・高橋将夫選(題「顔」)「秀作」〈冬の日を丸めて顔を洗ふ猫 高橋桃水〉
・高橋将夫選(題「顔」)「秀作」〈顔文字の意味測りかね夜半の冬 髙山佳月〉
・中西夕紀選(題「顔」)「秀作」〈泣き顔は母に預けよ成人日 髙山佳月〉
・岸本マチ子選「秀逸」〈連れのなき下車に迎への冬将軍 髙山佳月〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号が「第11回角川全国俳句大賞」の選考結果を発表。応募総数10,498句から11名の選者がそれぞれ特選5句を選出。
・正木ゆう子選「特選」〈オスプレイの影の刻印芒原 増田守〉 - 朝日新聞「朝日俳壇」
・2月12日金子兜太選〈押しころす声色となり山笑ふ 渡邉隆〉
・2月20日金子兜太選〈原発の見ゆる浜辺の寒さかな 池田功〉 - 東京新聞「東京俳壇」
・2月19日鍵和田秞子選〈永らへばまた身の丈の減る寒さ 片岡宏文〉 - 結社誌「銀化」(中原道夫主宰)2月号の「現代俳句月評」(石山昼妥氏)が、《雪しまく少しづつ足す経験値 増田守》を取り上げ、〈雪一片は軽く小さいが一面の銀世界を生み出す事実は安堵感に繋がる。心情は雪という季語に托し、しまくという状態と、少しずつ経験値を足すという至極当たり前の事のみ言っている点に好感を持った〉と鑑賞。句は「俳句」12月号より。