2017年5月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。5月号は「第50章 短歌をつくりつづけた楸邨(四)」。『加藤楸邨全集第4巻』には楸邨の短歌551首が収められており、その構成は以下のようになっています。
「戦前歌屑」計38首
○大正14年「父の死」前後のもの、12首
○昭和3年頃のもの、1首
○昭和5年頃より昭和9年まで、25首
「傷痕より」計454首
○「ノート(一)識域遠近」昭和23年2月8日より、215首
○「ノート(二)遥かなる夜明」昭和23年3月10日より、93首
○「ノート(三)潮のごとく」昭和23年4月25日より、146首
「忘帰歌屑」計59首
○昭和28年歌会詠草等、8首
○昭和52年より54年まで、51首
本章では、〈私(石寒太主宰)の好みに従って〉、「戦前歌屑」から5首、「ノート(一)識域遠近」から5首を選び、そのそれぞれを、それが詠まれた当時の状況を振り返りながら、ときには同内容の俳句と対照させ、ときには「年譜」を参照して想像を広げつつ、丁寧に鑑賞していきます。たとえば、「戦前歌屑」の《咳止によしと遠国ゆとりよせし榠樝はのまず父は死にたり》に対しては、〈楸邨の句を検証していくと、彼の好みの素材がいろいろと表れてくる。特に蟇・蟻・猫などの動物、果物では梨・林檎・特に榠樝が多く頻出するところは、他の俳人と違っためずらしいところかも知れない。その由来を語るのがこの歌に示されている〉、また《花あしび暮れゆくなべに鹿守が鹿呼ばふ笛は丘を越ゆるか》に対しては、〈この歌は「馬酔木」で学んだ楸邨の出発を示す一首といってもいい。万葉調の抒情が貫いている。特に下の措辞「鹿守が鹿呼ばふ笛は丘を越ゆるか」の「か」の呼びかけが、後の楸邨調につながっている〉、「識域遠近」の《黒谷に乳房を揺りて泳ぎたるさまは芭蕉も見ざりしならむ》に対しては、〈短歌の方が、俳句よりも色気の表現には適していると、ある程度はいえるのだろうか。楸邨俳句と楸邨短歌を並べてみる限りでは、どうもそのように思われてならない。《死にたしと泣きしは瞬間の過去にして女体の深さかぎり知られず》楸邨短歌の中には、この種のエロスの歌も垣間見られて楽しい。謹厳な楸邨を思い浮かべると、ことのほか嬉しくなるのである〉と述べています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号の「実力作家代表句競詠」に三輪初子が「月とこの世」と題して、〈バンザイのあとの両手や昭和の日〉〈ひとつとや月とこの世はひとつとや〉など6句を出品。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号の「この本この一句」において抜井諒一氏が、たむら葉句集『雲南の凍星』から《真ん中の噴水ひとつがんばれり》を取り上げ、〈市街地の公園などで、幾本もの水の柱が上がっている噴水がよくある。「真ん中の噴水」だけ高く上がっているのか、その景を「がんばれり」と把握したところが面白い。主観的な表現であるが、そこに漂うほのかなる寂しさを感じるのは、季語の本意の一面を、的確に捉えているからであろう〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号「投稿俳句界」
・能村研三選(題「出」)「秀作」〈出女のやうに出て行く雪女郎 曽根新五郎〉
・大牧広選「秀逸」〈国政の不満だらけや日向ぼこ 辺見狐音〉
・角川春樹選「秀逸」〈本閉ぢて冬の銀河へ眠りけり 大沼ふじ代〉
・岸本マチ子選「秀逸」〈反抗期の教へ子の売る注連飾 髙山桂月〉
・坂口緑志選「秀逸」〈冬木の芽鉛筆書きの母の遺書 松本美智子〉
・西池冬扇選「秀逸」〈チケットの残る半分冬銀河 松本美智子〉
・原和子選「秀逸」〈初鶏や支へ合ひたる一家族 金川清子〉 - 朝日新聞「朝日俳壇」
・4月3日金子兜太選〈凡人の自覚まだなし葱坊主 渡邉隆〉
・4月17日金子兜太選〈原発は安全ですと四月馬鹿 池田功〉 - 東京新聞「東京俳壇」
・4月30日鍵和田秞子選〈過疎の地の広き校庭春休み 片岡宏文〉=〈校舎に比べて広々とした校庭を持つ小学校か。過疎地になりまして春休み。人影も無い空間に昔日を、未来を思う〉と選評。 - 朝日新聞4月3日「朝日俳壇」のコラム「うたをよむ」において青木亮人氏が、「心臓、ひとつづつ」と題して、〈俳句を読むとは、例えば次のような風景に想いを馳せることだ。宮本佳世乃さんはかつて看護師だった。集中治療室関連で、生死と直面する職場だ〉と書き出し、〈次第に宮本さんは俳句に熱中し、そこで大好きな彼氏とも出会った。数年後、彼女はその人と結婚した。しかし、夫はその年に急逝してしまう〉ことに触れ、〈何が幸福かは人それぞれだが、宮本さんには幸せになってほしいと思う〉と結んで、《桜餅ひとりにひとつづつ心臓 佳世乃》を配合。