2017年6月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。6月号は「第51章 大陸俳句紀行『砂漠の鶴』の短歌(一)」。前章では、「戦前歌屑」から5首、「ノート(一)識域遠近」から5首を選び、計10首を一首一首丁寧に鑑賞しました。本章からは、「ノート(二)遥かなる夜明」93首の中から、5首を選んで鑑賞します。この「遥かなる夜明」は昭和23年(楸邨43歳)に書かれたものですが、歌の題材は昭和19年の〈楸邨の大陸紀行の時のもの〉。この大陸紀行については句文集『砂漠の鶴』(昭和23年刊)にまとめられ、〈日付を追って日記のごとく詳しく毎日のようすが述べられている〉。そこで歌に詠まれている内容に対応する紀行文を『砂漠の鶴』から引用して、それを参照しつつ鑑賞を進めていきます。本章では「ここにして楸邨果つるとしるしたる手帖は持ちてかへりきたりき」「上海にて通訳がつき文明氏は短歌雄弁をわれは俳句沈黙を論ず」「長城と駱駝驟雨にかきけされ「山河好天」といふ話にかなふ」の3首を鑑賞します。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「現代俳句時評」(外山一機氏)が、〈田島健一の第一句集『ただならぬぽ』(ふらんす堂)はまちがいなく2000年以降の傑作の一つだろう。田島の言語感覚、言語操作は無二のものだ〉と書き起こして、その句集を批評。〈とりわけ重要なのは句集名ともなった《ただならなぬ海月ぽ光追い抜くぽ》だろう。田島の句においては、言葉が像を結ぶ前に、その先へとうつろってゆく。この「ぽ」はさながら、そのうつろいのさなかに浮かびあがる灯のようだ〉と述べた後、〈像を結びがたい句ということでいえば、田島の句は一見すると阿部完市の句の雰囲気に似ている〉として両者を比較。〈完結しない何かを表現することを志向している〉点では両者は〈一見すると〉近いが、〈阿部は現瞬間に没入しその気分をとらえようとする。その意味では、阿部の句は状況と対峙する自分の認識の表現であるといえるが、主体が何の分別もなく状況に没入しているから、いわば子供らしい句になっている。一方、田島の場合は同じ認識の表現といっても、もう少し冷めている。その意味では大人の句なのである〉として、この点で〈両者には決定的な差がある〉と指摘。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号付録『季寄せを兼ねた俳句手帖・夏』が、季寄せの例句として、「向日葵」に〈向日葵の中に取り込まれて家族 近恵〉を、「白鷺」に〈視野に白鷺くちびるがふとあまい 田島健一〉を採録。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号「投稿俳句界」
・中西夕紀選「特選」(題「明」)〈明日は何せむと受験の帰り道 髙山桂月〉=〈今まで、受験が終わるまでの我慢と、すべてを自制してきた。今日それが解けたのだ。この解放感と虚脱感。実感の籠もった内容は濃く、韻文の良さを存分に出している句である〉と選評。
・高橋将夫選「秀作」(題「明」)〈明日へと児を押す母や半仙戯 高橋桃水〉
・古賀雪江選「秀逸」〈若鮎の影もろともに上りけり 辺見狐音〉
・佐藤麻績選「秀逸」〈飛石のひとつひとつの名残り雪 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号「平成俳壇」
・井上康明選「秀逸」(題=故郷の駅)〈火のやうな夜汽車一本冬銀河 曽根新五郎〉 - 朝日新聞「朝日俳壇」
・5月22日大串章選〈聖五月人には青の時代あり 渡邉隆〉=〈ピカソ(1881~1973)に「青の時代」「バラ色の時代」があるように、人にはみな「青の時代」がある〉と選評。 - 読売新聞「読売俳壇」
・5月22日正木ゆう子選〈白神てふ白の極みの白牡丹 堀尾一夫〉
・5月29日矢島渚男選〈鯉幟リトルリーグの選手席 堀尾一夫〉=〈試合しているリトルリーグの席に鯉幟。説明が要らない単純さがいい。余韻としては両方に翻っているのだろうか、という想像〉と選評。 - 「第18回虚子・こもろ全国俳句大会」(4月29日、長野県小諸市)
◎「読売新聞長野支局賞」〈塩引きの口の曲がりも我が故郷 高橋桃水〉(藤本美和子選「秀逸」、井上弘美選「佳作」)
◎「小諸青年会議所賞」〈句屏風の虚子の百句や山の音 中西光〉(藤本美和子選「佳作」、深見けん二選「佳作」) - 東京新聞4月3日「ひと」蘭が「初句集を出版の元小学校教諭」の見出しでたむら葉(本名・田村ゆき子)を紹介。〈川崎市高津区の大山街道沿いで育ち、文学が好きな父親の影響で幼少時から俳句を詠んできたが、大人になってからは川崎市の小学校教員として「仕事に打ち込む慌ただしい日々」。しかし教員生活終盤の十年間、得意の外国語を生かし、帰国・外国人児童の多い小学校で国際教室を担当。これがきっかけで俳句と再び向き合うようになった。定年退職を前にした2004年、俳句教室の門をたたき、講師の俳人石寒太さんに師事。今では、区文化協会から生まれた句会や、区社会福祉協議会の句会など6グループに指導する。協会の高津俳句大会も中心になって切り盛りする。一月に初の句集「雲南の凍星」を刊行〉などと記述。
- 結社誌「自鳴鐘」(寺井谷子主宰)5月号の「書架逍遙」(青木栄子氏)が、たむら葉句集『雲南の凍星』を取り上げ、〈穏やかな日常詠から吟行句と幅広く、「おくのほそ道」や文人の足跡をたどり、インド・雲南・荊州・熊野など骨太の吟行句、子供への深い慈しみの眼差し、社会へ向ける真摯な思い。加えて地域の俳句活動の中心となりボランティア活動に参加などスケールの大きな人物像が伺える〉と批評。
- 同人誌「海鳥」(川辺幸一代表)NO.50春号(4月15日)の「句集紹介」において代表がたむら葉句集『雲南の凍星』を取り上げ、〈難解なものはなく、慈愛に満ちた教え子への眼差しと少数民族やアジアの同胞への鋭い洞察がある。日常詠や旅吟に鋭い感性を見ることができるが、何と言っても教え子たちに目を向けた命と平和を希求する暖かな姿勢がすばらしい〉と批評。
- 結社誌「街」(今井聖主宰)124号(4-5月)の森山いほこ句集『サラダバー』特集における「一句鑑賞」を近恵が寄稿し、《麩を折りて月の毀るるやうな音》について、〈麩を折るという日常の些末な事柄。この句は、その音を月の毀れるような音だとイメージを飛躍させる。読み手は麩を折った時の感触や音を思い出しながら、月が毀れるときはきっとそんな音がするのかもしれないと、ふと思ってしまう。それは、麩を折るという読み手にも容易に再現しやすい事柄が提示されているからこそ陥ることのできる錯覚なのだ。実にテクニカルで感性豊か。些末さに収まらない比喩の一句である〉と鑑賞。