2017年7月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。7月号は「第52章 大陸俳句紀行『砂漠の鶴』の短歌(二)」。この連載では、第47章(2月号)から楸邨の短歌がテーマとなっており、前章と本章とでは「遥かなる夜明」の短歌を鑑賞しています。「遥かなる夜明」93首は昭和23年に書かれましたが、歌はいずれも昭和19年の大陸紀行を題材としていて、その紀行を俳句と文章で綴った第5句集『砂漠の鶴』と照応しています。この『砂漠の鶴』については、連載の初期、第9章・第10章(2013年12月号・14年1月号)で概括していますが、筆者(石寒太主宰)は、〈歌を理解するために、今回再び『沙漠の鶴』をていねいに読みかえしてみた。あらためて読んでみると、いかに自分が読み飛ばしていたかがよく分かった〉と前章で述べています。さて、本章では「木下杢太郎先生カンテラの灯を向けて丹(に)を削ぎしとふはこれの仏か」「包(パオ)にして哈蜜(ハミ)の葡萄をくれたりし幽計虎嵒(いうけいこがん)といふ名忘れず」の2首を鑑賞します。前1首は大同の雲崗石窟を訪れ、そこの石仏を眼前にしたときのもの。筆者(寒太主宰)は『砂漠の鶴』からこの歌に対応する部分を引用し、読者と共有します。楸邨は〈洞窟の中の仏像はこれも丹精を施されて、一見俗な感じであったが、木下杢太郎氏の「大同石仏寺」にある「一見醜陋な外観の裡に何物かが隠れて居る」という記述を思い出して、私も目を凝らした。氏が剥ぎ落した仮面の下のすぐれた何物かが、私達の貧しい目にもいささかわかって来たように思われた〉と『砂漠の鶴』に記しています。後1首の〈幽計虎嵒〉は人名です。〈楸邨一行は、はじめはゴビ砂漠などに入る予定はまったくなく、急に出会った彼(幽計虎嵒)の案内によってゴビに入るのだが、それで一行はたいへんな困難を強いられることにもなってしまった〉、すなわち、過日の雨でゴビに突然出来た湿地帯、それは表面は乾いているがその下が緩んでいる湿地帯で、そこに車がはまって沈み込んで動けなくなり、車を捨てて決死の強行軍となった、そのときの生々しい叙述を、筆者(寒太主宰)は『砂漠の鶴』から引用して紹介しています。
炎環の炎
- 毎日新聞6月11日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が、《妻は大事なひと豆飯専門店 田島健一》を取り上げ、〈今日の句、感謝の意をこめて、大事な妻を豆飯(豆ごはん)専門店に招待したのか。専門店の豆飯はうまいだろうが、わが家のもうまい。「歳月やふっくらとこの豆ごはん」は私の句〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)7月号の特別企画「若手競詠&同時批評」に山岸由佳が版元の求めに応じて10句を投句。この企画は、〈45歳以下の若手俳人29名に作品10句を依頼。依頼から提出まで2週間。それぞれの作品を匿名で一句ずつランダムに並べ直し、全290句から特選5句、並選15~17句を評者に選句してもらう〉というもの。評者は、鴇田智哉(昭和44年生)、奥坂まや、藤本美和子、渡辺誠一郎(3名とも昭和25年生)の4名。以下は山岸由佳の入選句。
・藤本「特選」・鴇田「特選」〈うぐひすに姿見の位置変はりたる〉=〈[藤本]〈うぐひすに〉と中七以下のフレーズが全く無関係である面白さを戴きました。〈うぐひす〉の声を生かした聴覚、〈姿見〉という「鏡」のもつ視覚が拮抗している。[鴇田]鶯の声がきっかけで、ものの見え方が変わる。姿見の位置が本当に変わったというより、部屋の見え方が変わったのでしょう。〈に〉がミソですね。「うぐいすが原因で」の意味を微妙にわざと入れ込んでいます。嫌いな人もいると思うのですが、僕はこの〈に〉は好きです。〈たる〉との響き合いを含めて。[渡辺]私は反対に、〈に〉が原因と結果を明確にしているので採らなかった。俳句的には「うぐひすや」でも十分成立する。[奥坂]私も渡辺さんと同じ意見です。原因、結果をはっきり出し過ぎると底が浅くなる。[藤本]私は〈に〉がいいと思った。「うぐひすや」だと鶯に焦点が行ってしまう〉と各々が選評。ちなみに2人以上の特選を得たのはこの1句のみ。
・鴇田「特選」〈あらゆるルール若葉二重に映る窓〉=〈[鴇田]窓が開いていれば(ガラスが)二重になるから、映るものも二重になりますね。だから、〈若葉二重に映る窓〉は写生的な表現。そこに付けたのが〈あらゆるルール〉で、ここが面白い。教室の窓を見たら葉っぱが映っていたのか、あるいは仕事をしているときにちょっとさぼって窓を見ているとか。そういう、ふとした瞬間に〈あらゆるルール〉があることを思うのではないかという予感があって、〈二重〉もルールとリンクしていて、面白い。[奥坂]〈あらゆる〉は大雑把過ぎる。[渡辺]学校の場面を思い起こせば何となく近づくけど、〈あらゆる〉まで風呂敷を広げられると句に緩みがでてくる。[鴇田]〈あらゆる〉の曖昧さによって〈若葉〉〈窓〉がくっきりと見える。くっきりした風景の中で、ふと〈あらゆるルール〉というものに思い至ったんだ、という感慨。[藤本]鴇田さんの鑑賞があったら分かるけど、ないとついていけない〉と各々が選評。 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)7月号の「新刊サロン」に柳本々々氏が「鶫と永遠」と題して、田島健一句集『ただならぬぽ』を批評。〈田島健一は「俳句という現実(リアル)」という論考においてかつてこう述べたことがある。「〈現実〉は餌場の鶴のようなものだ」と。そしてその「餌場の鶴」に「質問してはならない」とも。なぜなら質問した瞬間逃げていってしまうから。この〈ただならぬ現実〉をめぐる手触りを押さえておくことが句集『ただならぬぽ』にとっては肝要である〉と記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)7月号「投稿俳句界」
・稲畑廣太郎選「特選」〈燕来る南の空を伴ひて 中村万十郎〉=〈春になると、南の国から日本へ渡ってくる渡り鳥の代表とも言えるのが燕であろう。ただ燕だけではなく、南の空を「伴ひて」と少し大げさな表現が季題を引き立てている〉と選評。
・大高霧海選「秀作」(題「面」)〈面白みなき人へ山笑ひけり 曽根新五郎〉
・田島和生選「秀作」(題「面」)〈法面に降りて根付きし鼓草 高山桂月〉
・有馬朗人選「秀逸」〈初産の牛鳴きやまぬ春の月 長濱藤樹〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈遺句集をめくる三寒四温かな 曽根新五郎〉
・辻桃子選「秀逸」〈夕暮れて下ろすに惜しき凧高し 金澤一水〉
・山田佳乃選「秀逸」〈夕暮れて(前掲)金澤一水〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)7月号「平成俳壇」
・井上康明選「特選」(題「故郷の春の訪れ」)〈海鳥の百のくちばし風光る 曽根新五郎〉 - 朝日新聞「朝日俳壇」
・6月5日金子兜太選〈原発と同居してゐる暑さかな 池田功〉
・6月11日金子兜太選〈がまがへる蝦蟇の字面のままにゐる 渡邉隆〉
・6月19日長谷川櫂選〈生活に色つけやうと金魚買ふ 池田功〉=〈鮮やかな金魚の赤。金魚を描いたマチスの絵を思い出した〉と選評。 - 東京新聞「東京俳壇」
・6月11日鍵和田秞子選〈麦秋の図書館といふ我が居場所 片岡宏文〉