2017年8月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。8月号は「第53章 楸邨と文明の歌」。本章は、筆者(石寒太主宰)が前橋市で行なわれた句会(炎環の「ももちどり句会」)の後に、真中てるよさん等に案内されて行った「土屋文明記念文学館」のことから書き起こされます。同館のホームページによると、土屋文明は、〈明治23年、群馬県西群馬郡上郊(かみさと)村(現・高崎市)保渡田(ほどた)の農家に生まれる。(中略)大正6年、「アララギ」の選者に加わる。大正7年から13年まで、島木赤彦の紹介により諏訪高女の教頭として赴任し、諏訪高女、松本高女の校長を歴任する。大正14年、第一歌集『ふゆくさ』を出版、歌壇の絶賛をあびる。以後、実感的、生活的、即物的な作風で多くの歌集を出版するとともに万葉集の研究にも打ち込み万葉学者としての地位を確立する。昭和5年斎藤茂吉から編集発行人を引き継ぎアララギの指導的存在となる。昭和20年、戦災に遭い吾妻郡原町(現吾妻町)川戸に6年半の疎開生活を送る〉とありますが、戦時中の昭和19年には、大本営報道部嘱託として楸邨とともに中国大陸に渡っています。当連載はいま、ちょうどその昭和19年の大陸紀行を題材とした楸邨の短歌を鑑賞していたところで、本章では、この大陸紀行にまつわる楸邨の歌と文明の歌を、それぞれ比較しながら味わっていきます。
炎環の炎
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)8月号の「新・若手トップランナー」のコーナーが7ページにわたり宮本佳世乃を特集。構成は、新作10句、本人のエッセイ、鴇田智哉による作家論の3部立て。新作は「うすばかげろふ」と題し、〈竹散るを乾いた祠から覗く〉〈楽をして葭切の向うの空は〉〈此宿へうすばかげろふ降りそそぐ〉など10句。エッセイは「ゆりの木の花」と題し、俳句との出会いから、「炎環」「現代俳句協会青年部」「豆の木」「オルガン」などでの交際や活動を叙述。鴇田智哉の宮本佳世乃作家論は「予感、そして軽やかさ」と題して、いくつかの句を鑑賞しつつ、〈彼女によって選ばれ、配置された言葉は容易に動かない、ある意味、頑固な形であるのだが、それにもかかわらず、思わず読まされてしまう軽やかさを含んでいることが不思議だ〉と記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号の巻頭グラビア「俳句界ニュース」が、「第13回彩の国秩父俳句大会」(5月27日)の記事において、〈特別選者として、田島健一「炎環」同人が事前投句の講評を代表して行った。俊英の若手俳人である田島氏の講評は独創性に富み、参加者はみな真剣に聞き入っていた〉と記載。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号「投稿俳句界」
・田島和生選「特選」(題「牛」)〈新緑や羊膜破り牛産まる 高橋桃水〉=〈牛のお産も人と同じように、厳粛な命の誕生である。掲句は「羊膜破り」と、その瞬間を写実的に詠み、新緑に包まれた中に産まれた新しい命を鮮やかに詠み上げる〉と選評。
・佐藤麻績選「特選」〈口開けて炎となれり燕の子 高橋桃水〉=〈燕の子は数羽が一緒に巣に入って、餌を運んでくる親が近づいてくると一斉に口を開ける。顔が口だけになっている様子はまさに真っ赤な炎の様である〉と選評。
・坂口緑志選「特選」〈椿咲く星野立子の墓前かな 曽根新五郎〉=〈雛の日、三月三日に亡くなった立子の墓は、鎌倉の寿福寺にあり、〈雛飾りつゝふと命惜しきかな〉の句碑が立つ。その墓前には椿の花が咲いているという。その事実に心を動かされたのである〉と選評。
・高橋将夫選「秀作」(題「牛」)〈牛革の鞄につめる朧かな 金川清子〉
・高橋将夫選「秀作」(題「牛」)〈明日のなき牛の見てゐる桜かな 高山桂月〉
・稲畑廣太郎選「秀逸」〈古き代の頰へ灯ともす雛の家 金澤一水〉
・大牧広選「秀逸」〈眉太き大正生まれあたたかし 金川清子〉
・古賀雪江選「秀逸」〈囀りの風を読みては向き変へる 高橋桃水〉
・坂口緑志選「秀逸」〈春泥の哲学者めく牛の黙 金澤一水〉
・佐藤麻績選「秀逸」〈よろめきて立ちあがりたる仔馬かな 曽根新五郎〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈椿咲く(前掲)曽根新五郎〉
・辻桃子選「秀逸」〈桜蘂降る学校に馴染めずに 高山桂月〉
・西池冬扇選「秀逸」〈よろめきて(前掲)曽根新五郎〉
・原和子選「秀逸」〈日をちらし風をちらして半仙戯 松本美智子〉
・山田佳乃選「秀逸」〈折鶴の影おぼろなるひと夜かな 金澤一水〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号の「日本の俳人100」が武藤紀子句集『冬干潟』を特集、その「一句鑑賞」に田島健一が寄稿し、《白障子孔雀のこゑを隠したる》に対して、〈大事なのは〈白障子〉の後の切れだ。つまり〈白障子〉は(〈隠したる〉の)主格ではない。けれど〈孔雀〉を主格とすると〈白障子〉が唐突な気がする。だとすれば残された主格は「私」だ。つまり「白障子/(「私」は)孔雀のこゑを隠したる」と解釈した〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号「平成俳壇」
・井上康明選「秀逸」(題「故郷の水辺」)〈落椿ころがる先は太平洋 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号付録『季寄せを兼ねた俳句手帖・2017秋』が、季寄せの例句として、「運動会」に〈ふんだんに先生立ちし運動会 齋藤朝比古〉を、「蚯蚓鳴く」に〈蚯蚓鳴く風化許さぬもの一つ 増田守〉を採録。
- 朝日新聞「朝日俳壇」
・7月24日長谷川櫂選〈敗戦の一句八十一の夏 池田功〉
・7月31日金子兜太選〈さあこれで仕舞ひと花火花火かな 渡邉隆〉=〈花火花火の重ねが上手い〉と選評。 - 東京新聞「東京俳壇」
・7月9日鍵和田秞子選〈夏草やいつか更地となる我が家 片岡宏文〉 - 同人誌「今 KON」(瀧澤弘治・保坂敏子代表)第18号(2017年夏)の「招待作品」に、たむら葉が「フレスコ壁画」と題して、〈しゃべりだすフレスコ壁画夕薄暑〉〈銀笛のしらべドナウの風薫る〉〈作曲の子のペン走る薔薇の窓〉〈ビル間の空爆跡よ夏落暉〉など17句を発表。それにエッセイを添え、〈俳友でフルーティスト・吉川久子さんのセルビアの親善ツアーに同行した。ガイドさんや通訳の方が、「HAIKUは知っているけれど、この句はどういう意味?」と、しばし俳句の話題で湧いた〉と記述。