2018年4月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号の特集「巨星墜つ!哀悼金子兜太」に石寒太主宰が追悼文を寄せ、〈豪放磊落のように見えて、実は細やかで心優しい人だった。担当編集者のゲラの返しの最後にも、例のボールペンの太字で、「石寒(いしかん)によろしく」と必ず書き添えるのを忘れなかった。1919年生まれ。一句一句は俳句の一句。オレは俳句のために生まれてきたのだ。これが兜太の口ぐせであった。晩年は存在者としての生き方の“荒凡夫”(自由な生き方)を座右の銘とした。金子逝去の次の日は、われわれの追悼句会となったのだが、兜太さんを偲ぶ多くの句が出され、そのショックの強さをまざまざと感じさせられた。ひとつの時代が終わり、兜太なき次の朝がはじまる。《朝はじまる海へ突込む鷗の死 兜太》 紅梅はいま青鮫の兜太征く 寒太〉と記しました。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。4月号は「第61章 句集『まぼろしの鹿』時代(六)」。この句集は昭和28年から41年までの、楸邨48歳から61歳までの句を収めています(初版本昭和42年刊、全集本昭和55年刊)。〈楸邨の一生を俯瞰すると、病気と健康のくり返しであった、とみることも出来るが、その中で句集を中心に語るとすれば、この『まぼろしの鹿』の10年間は、昭和35年(1960)の胸部疾患の入院、翌56歳の手術という大患はあるものの、病が癒えて旅をすることによって、ようやく自由になることが出来たという、明るい楽しい句も兆して来た、と見るのである〉と筆者(寒太主宰)は前置きしたうえで、本章では前半において、昭和28年から33年までの句を収めた「人間(じんかん)抄」から《雪に額近づけ曳くや肥橇を》《田草取畦が救ひのもろ手つき》など、旅の〈行く先々でとらえた人々の生活句〉94句を引き、〈楸邨はさまざまな土地の人々の生活を目の当たりにし、自分に引きつけて、句を力づよく詠みつづけて来た。対象人物は、農夫・漁夫・工夫・坑夫・塩田夫・蚕飼夫・罐(かま)焚き夫・炭負夫・きこり・機織婦・こけし造り・関守・ダム工夫・鉱夫・機械工・牡蠣割士・教師・紙師・あさ市の商女などなど……。病癒えて自由奔放な眼で見るそれらの人々は、楸邨の目にはさらに新鮮に映ったようである。それは通りいっぺんの風景ではなく、風土の人々と食と生活をともにし、さまざまな体験を語りつくし、一歩踏み込んだ俳句となった。それらは楸邨独自の俳句となっている〉と述べています。「人間抄」の次が「老牛抄」(昭和34~37年)ですが、〈この句集の「老牛抄」あたりから句の兆しがより自在になり、対象への自由なまなざしが注がれるようになった。楸邨という俳人が大きく豊かに飛躍しはじめた感じがするのである。それは、病苦から放たれて、自由に「おくのほそ道」その他を旅する機会がふえた、そのことが句に豊かさをより添えることになった。従来の、自己の目標への悲願を抱く、求道的な旅ではなく、知世子夫人や心許せる俳友、また若い学生たちとの楽しい旅がそうさせたのであろう〉と述べます。そして後半では、〈この句集の中ころから、これまでにはあまりみることが出来なかった、楽しいユーモラスな句もいくつか見えて来たのだ〉と述べ、「冬芽抄」(昭和37~38年)の一句《雁仰ぎ政治家のごときもの歩く》や、「人間抄」中の昭和33年の一句《山椒魚詩に逃げられし顔でのぞく》を鑑賞します。
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号(4月)が特集「存在者・金子兜太「自由に生きる」」において、石寒太主宰による金子兜太インタビュー「人間存在と俳句」を掲載しています。2017年10月13日金子氏の自宅で収録したもので、寒太主宰の〈芭蕉は「新味は俳諧なり」と言っていますね〉の問いに応えて、金子氏は〈そう、そういう機運があったから、新しい俳諧を成しえた。現代人も、これからそう、できるんじゃないかな。芭蕉以来といってもいいでしょう。それは変化のある俳句。まともな俳句。まともというのは、人間を人間に即して詠むんであって、俳句を人間くさく詠むのとは違う。人間に即して詠めば句は下手でもいいとか、そんなけちなことを言うんじゃなくて、俳句はあくまでも俳句なんだ。その人間の価値に即して、その人間のおもしろさに従って、その人の俳句を評価していく。そういう評価ができてくると、もっと雑誌も面白くなると思う〉と語っています。
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号(4月)が、2017年11月26日に行われた第10回高津全国俳句大会における宇多喜代子氏と石寒太主宰の対談を、同誌編集部のまとめにより掲載しています。
- 結社誌「WA」(岸本マチ子代表)第28号(3月)の「句集紹介」(原しょう子氏)が石寒太句集『風韻』を取り上げ、冒頭に《生も死もたつた一文字小鳥来る》を掲げて、〈石氏はがんで入退院をされている。その死生観から、冒頭の句が生れたのであろう。病を得ながらも、師である加藤楸邨氏への思慕は強くゆかりの地である隠岐の島を詠んだ句も散見される〉、また、〈「宮沢賢治の全俳句」を著しておられ、句集中にも賢治の句がいくつかある。仏教や宮沢賢治への想いは、句作りの眼差しにも表れており、優しい言葉で回りを包み込みながら、そっと気遣いを見せる。これは、句作りに限らず石氏の生き方そのものではないだろうか〉と評しています。
- 結社誌「郭公」(井上康明主宰)4月号の「新刊を読む」(柿沼茂氏)が石寒太句集『風韻』を取り上げ、《風船屋台しあはせひとつ売りにけり》《点滴や梅雨満月の高さより》《凧糸勁くたぐり寄すれば父ありし》《仰向けやわが命終も空蝉も》に対して、〈これらの諸作では、こころ豊かな生の時間や死のイメージが丹念に掬い上げられている〉と評し、また《雉子の眸やわれに師のなき二十年》《鬼柚子の鬼ともなれぬこゑひとつ》《遠島百首楸邨二百句朱夏の旅》《楸邨の怒濤きらきら夏至の朝》に対して、〈楸邨の人となりや作品が氏の胸中にしっかり生き続けていることが窺える諸作である〉と、さらに《秋蟬の尿の綺羅羅よ賢治の忌》《冬近し賢治未完のままの宙》に対して、〈宮沢賢治は氏が傾倒する詩人〉と評して、それぞれの句を鑑賞しています。
- 結社誌「郭公」(井上康明主宰)4月号の「俳誌展望」(廣瀬悦也氏)が、「炎環三十周年記念号」を取り上げ、まず主宰詠特別作品五十句「隠岐の四季」から《遠島百首楸邨二百句読みはじむ》《水ぬるむ島のをんなの俳句展》《船旅のまづ宙へ翔ぶ飛魚の翅》《楸邨の顎の黒子や十二月》《大年の火を高く揚げ隠岐の島》を選んで鑑賞。つづいて〈記念号の圧巻は同人、会員全員による「合同句集」。「炎環」の一大アンソロジーとなっている〉として、冒頭五名から《谷戸深く狼火のごとき春焚火 丹間美智子》《三山のまづ香具山よ笹子鳴く 一ノ木文子》《青嵐飛び出す絵本よりアリス 野崎タミ子》《伊勢丹の雛見てダイヤモンド見て 保屋野浩》《走り根を激流となる花の雨 関根誠子》を選び〈いずれの作品も即物的で、自由かつ独自の視点を持つ。「炎環」俳句の特徴が良く現れているように思う〉と評し、さらに、半藤一利氏と主宰による特別対談「時代と俳句、時代は俳句」は話題が〈多岐に渡った興味深い内容になっている〉、また、「鶴」鈴木しげを主宰、「森の座」横澤放川主宰、石寒太主宰による特別座談会「人間探求派の八十年」は〈俳句の本質に踏み込んで読み応えがある〉などと紹介しています。
- 結社誌「泉」(藤本美和子主宰)3月号の巻頭「俳句の扉」(主宰)が、当月抄出した5句の一つに、《喪の花のごとく流氷散り浮きし 石寒太》を選んでいます。句は句集『風韻』より。
炎環の炎
- 「第35回上毛文学賞」(上毛新聞社、群馬県)が上毛新聞3月27日の紙面に、俳句部門の受賞作品を発表。同賞は、同紙の「上毛俳壇」において2017年度に月間賞を受賞した17人の未発表作品全50句(1人3~2句)から、4名の選者(小暮陶句郎氏、中里麦外氏、林桂氏、吉岡好江氏)が選考して入賞1句を決定。
◎「入賞」〈かたくりの花かなたより水の音 真中てるよ〉=林桂氏が〈かたくりの咲く頃の山の清澄な空気を感じさせる「水の音」の清潔感が評価され、表現の完成度も評価された〉と選評。 - 「ユネスコ「世界の記憶」登録記念 上野三碑俳句大会」(同大会実行委員会主催、3月18日群馬県高崎市)が応募総数953句の中から、3名の選者(中曽根 史一氏、坂口 青郎氏、松本平八郎)により各賞全26句を決定。
◎「高崎市区長会長賞」〈長利僧の愛でし石文母子草 安西敬恵〉
◎「選者松本平八郎特選賞」〈遥なる三碑の文字よ春の雲 伊藤航〉 - 「長谷川零余子記念・第10回藤岡市桜山まつり俳句大会」(同大会実行委員会主催、2月4日群馬県藤岡市)が応募総数1899句の中から、4名の選者により各々特選3句、入選100句を選出のうえ、大賞1句、特別賞11句の各賞を決定。
◎「特別賞」〈月光の櫻山より零餘子来 竹市漣〉=中里麦外選「特選」
・高橋洋一選「入選」〈零余子の風零余子の花吹雪 曽根新五郎〉
・高橋洋一選「入選」〈零餘子の空零餘子の冬ざくら 竹市漣〉
・高橋洋一選「入選」〈清貧の母の色なる冬ざくら 伊藤航〉
・高橋洋一選「入選」〈高山社の天窓三つふゆさくら 北悠休〉
・高橋洋一選「入選」〈裸婦像の見上げてをりし冬桜 中村龍〉
・高橋洋一選「入選」〈冬桜吾を迎へて無風なり 中村龍〉
・高橋洋一選「入選」〈七千本の彩り豊か冬桜 宮川瘤太〉
・中里麦外選「入選」〈零余子の全山櫻吹雪かな 曽根新五郎〉
・中里麦外選「入選」〈小鳥来る昇魂五百二十名 竹市漣〉
・星野光二選「入選」〈零余子の鼓動のやうな帰り花 曽根新五郎〉
・星野光二選「入選」〈乾坤のあはいの佛冬ざくら 竹市漣〉
・星野光二選「入選」〈人の世の諍ひ嗤ふ冬桜 伊藤航〉
・吉岡好江選「入選」〈零余子の鼓動(前掲)曽根新五郎〉
・吉岡好江選「入選」〈冬ざくら涌き来る雲を友として 小林喜佐男〉
・吉岡好江選「入選」〈風と風ぶつかる匂ひ冬櫻 竹市漣〉
・吉岡好江選「入選」〈乾坤の(前掲)竹市漣〉
・吉岡好江選「入選」〈零余子の魂の零るる冬桜 伊藤航〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号の「作品12句」に、関根誠子が「いつもの朝」と題して、〈ボサノバや一寒燈も蕊ひろげ〉〈うららけし柏槙は洞育てつつ〉〈無いもののいよいよ欲しく牡丹雪〉〈蔓(かずら)の芽いつもの朝を整える〉など12句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号「投稿俳句界」
・名和未知男選「特選」(題「中」)〈達治の雪明けて中也の雪となる 中村万十郎〉=〈三好達治の雪は「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ」。中原中也の雪は「汚れちまつた悲しみに 今日も小雪の降りかかる」です。二人の詩人を登場させ、「雪明けて」「雪になる」とリフレインさせた詠みかたが印象的。ユニークな一句です〉と選評。
・大高霧海選「秀作」(題「中」)〈霜音の義経恋ふや中尊寺 高橋桃水〉
・夏石番矢選「秀逸」〈冬銀河自殺のできる深さかな 曽根新五郎〉
・山尾玉藻選「秀逸」〈大年のシンクの底の鱗かな 松本美智子〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号「平成俳壇」
・井上康明選「特選」(題「年用意」)〈流人より伝へられたる年用意 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号(4月)「あるふぁ俳壇」
・高野ムツオ選「入選」〈冬帽子産土神へ集ひけり 清水明子〉=〈それぞれの村に産土神があり、そこに生まれた人びとを一生守護してくれる。老若揃って今夜は神社の講に顔を揃えたのである〉と選評。
・小川軽舟選「佳作」〈少年を引つ張る仔犬秋桜 小嶋芦舟〉
・小川軽舟選「佳作」〈柊の咲きこぼれつつ血の記憶 中川志津子〉
・片山由美子選「佳作」〈新刊の帯の鴇色冬うらら 髙山佳月〉
・高野ムツオ選「佳作」〈彫り深き干菓子の木型冬に入る 堀尾笑王〉
・正木ゆう子選「佳作」〈遠乗りの自転車よ檸檬の島よ 綿引康子〉
・正木ゆう子選「佳作」〈サロメのごと白菜抱いて厨かな 高橋橙子〉
・正木ゆう子選「佳作」〈神無月素顔のままの子の柩 曽根新五郎〉 - 東京新聞「東京俳壇」
・4月15日小澤實選〈二百グラムの和牛ステーキ合格す 片岡宏文〉=〈これだけのご馳走を張り込むということは、難関大学に合格したということだろう。笑顔の青年像も見えてくる〉と選評。 - 読売新聞「読売俳壇」
・4月16日正木ゆう子選〈分類は独居老人桜餅 堀尾笑王〉=〈一人一人違うのに、一括りにする言葉への違和感が、やんわりと詠まれた。上五には批評精神が、下五には優しさが込められている〉と選評。 - 朝日新聞「朝日俳壇」
・4月15日長谷川櫂選〈春愁か老愁かなと八十二 池田功〉 - 結社誌「多摩青門」(西村睦子主宰)春号(4月)が三輪初子著『あさがや千夜一夜』を取り上げ、〈著者は「炎環」同人で、映画も評論家並みに詳しく、ご主人と経営されていた料理店「チャンピオン」を軸として広い交友関係をお持ちである。映画の話や交友関係の話の中にちらっと語られる俳句の話は、俳句専門書と異なって、実に鋭くたやすく俳句学徒の頭の中に入って来る。是非ご一読を推奨する一書である〉と紹介。
- 3月13日テレビBS11「大田和彦ふらり旅、いい酒いい肴」が三輪初子著『あさがや千夜一夜』を紹介。