2018年6月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。6月号は「第63章 句集『まぼろしの鹿』時代(八)」。本章は前章に引き続き、楸邨の骨董趣味について。〈楸邨が本格的に古い硯や墨に興味を持ちはじめたのは、安東次男氏の影響を受けてから〉ですが、それは前章にあるように昭和29年からのこと。しかし、楸邨はもともと粕壁中学教員時代(昭和4~12年)から〈書などには関心があったようである〉、〈そして、再び硯と出合うのは、昭和19年39歳の時〉で、その時のことについて楸邨はエッセイにこう書いています、《硯は人の心の流れ過ぎていったあとだと感じたのはいつからだったか、今でもはっきり辿ってみることができる。これは中国を歩いたとき一人の軍人から一面の硯を形見として贈られたときからだ》、つまり《硯は人の心の流れ過ぎていったあとだ》と悟ったのは安東次男の影響より10年も前のことでした。本章で筆者(石寒太主宰)が紹介するこの一文のあるエッセイは、おそらく『ひぐらし硯』(昭和49年刊)に収められているもので、そこで楸邨は硯が《人の心の流跡》《人間の生きた流跡》であることを繰り返し語っており、この考えが昭和19年から一貫していることを示唆しています。〈文房具としての硯その他は、書道という芸術のひとつの分野の中心に位置し、名硯その他はそのあり方そのものが美の鑑賞に価するものとして浮かび上がってきている。しかし、楸邨にとっては、その反面それよりずっと以前の原初的な存在のあり方、その方に関心が強いのである。そのあたりが、古美術の師である安東次男氏と相異している。美術評論家として一家言を持つ安東次男は、美そのものに美的完成度を求めるのに対し、楸邨は美的であって欲しいし、完全であって欲しいのであるが、必ずしもそれが第一でなくてもよいのである。楸邨にとっては、一言でいえばどうしても言わねばならぬものを、ある瞬間に体の一部となって言いとめさせてくれさえすれば、破れていても欠落があろうが関係ないのである。硯は硯、筆は筆、墨は墨、紙は紙、そういう楸邨の分身となってくれるような原初的な力を与えてさえくれれば、どんな名硯、名品よりもありがたい、そう思っているのである。「人間探求派という呼称は好きではない」と言っていた楸邨であるが、そこはやはり人間探求派そのものであった〉と筆者(寒太主宰)は断定します。そして楸邨の〈文房四宝についてのエッセイは、かなり自在でのびのびしていて、読んでいても心が晴れ晴れとしてくる。美を語っているのでありながら、読み進むと、己れを語っているのである。見ているのは美であるが、耳を傾けているのは、それらにひそんで止まない真底の人間の声であり、その声に呼応してひとつになっていく楸邨のこころを見ることが出来る。私にとって読みながらこころが和んでゆくのは硯をはじめとする、文房具に関するエッセイである。これらは楸邨の恰幅のひろさが伝わってくるし、最も端的に楸邨の声をひびかせている、まさに芳醇の一文といえるであろう〉と筆者(寒太主宰)は述べています。
- 毎日新聞6月12日「歌壇・俳壇」面の「新刊」コーナーが、石寒太編著『金子兜太のことば』を紹介し、〈先ごろ逝去された現代俳句の巨人の言葉を集めた一冊。わかりやすい表現の並ぶ中で、第三章の「俳句は魔物(アムール)だ。」は、実作者に対して大いなる問いかけをしてくれることだろう〉と記述しています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「作品12句」に、近恵が「湿った砂」と題して、〈逃水の真っただ中よ立ち止まる〉〈行く春の後ろの人が朱肉練る〉〈箱庭へ湿った砂を足しておく〉〈大方の祝辞は呪文薔薇の庭〉など12句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号「投稿俳句界」
・稲畑廣太郎選「特選」〈喪服着てあまりに白し雪女郎 曽根新五郎〉=〈不思議な句である。尤も季題の雪女郎自体不思議で、実際出会った人は少ないだろう。喪服ではあるが、黒ではなく白なのか、喪服ではなく肌が余りにも白いのだろうか。幻想的ではあるが、何かリアリティーもあり魅力的である〉と選評。
・田島和生選「特選」〈亡き父の書斎灯して豆撒けり いなだ伊佐木〉=〈父が世を去ったあと、書斎は閉じたままだが、電気をつけて豆を撒く。机には筆記用具が残され、書棚には愛読書が並ぶ。生前の父を思い出し、豆撒きにも哀しみがこもる。「書斎灯して」の表現に実感があり、大変いい〉と選評。
・高橋将夫選「秀作」(題「橋」)〈鉄橋の音の三寒四温かな 曽根新五郎〉
・大串章選「秀逸」〈亡き父の(前掲)いなだ伊佐木〉
・西池冬扇選「秀逸」〈後ろ手にぴしやりと余寒断ちにけり 髙山桂月〉
・山尾玉藻選「秀逸」〈後ろ手に(前掲)髙山桂月〉 - 読売新聞5月21日「読売俳壇」
・小澤實選〈猫カフェの子猫三毛猫黒猫よ 堀尾笑王〉=〈猫をたくさん飼って、客に触れさせる喫茶店がある。子猫が春の季語、それを先頭に据えたのもいい〉と選評。 - 朝日新聞5月27日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈白といふ色の力や更衣 渡邉隆〉=〈国によっては白は空虚の色。しかし、日本では美しい力ある色。白に染まる日本の夏〉と選評。 - 読売新聞6月12日「読売俳壇」
・小澤實選〈風鈴や下北沢の古本屋 堀尾笑王〉 - 読売新聞6月18日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈郷愁の不染鉄の絵麦の秋 堀尾笑王〉=〈いま、不染鉄(ふせんてつ)という知られなかった画家が「天才」だったのではないかと評判になっている。懐かしい風景などを独自な視点や優れた技倆で描いていた〉と選評。
・宇多喜代子選〈夏近し鳥居の先の水平線 いなだ伊佐木〉 - 白井明大著『一日の言葉、一生の言葉――旧暦でめぐる美しい日本語』(草思社)が、「第二章 一月(ひとつき)の言葉」の「文月」の項において、《雨が声あなどると七月が来る 田島健一》を引用し、〈七十二候では、「大雨(たいう)時(ときどき)行(ふ)る」という季節が立秋の手前で訪れる。時々ザーッと土砂降りにあうころという意味で、夕立ちの候。仮に「雨が声」をそんな夕立と読むなら、「七月」も旧暦で受けとれないだろうか。晩夏の大雨が行き、立秋を迎え、気づけば文月、もう秋が来ている、と。ふしぎなのは「あなどると」。文字のならびをじっと見つめるうちに、べつな単語にも思えてくる。いったいなにをあなどると七月が来るのだろう? べつだん来て困ることもないはずだけれど、あなどると、と言われたら気をつけなくちゃと思ってしまう。でも、なにに気をつけたらいいのか、とんとわからない。そしてやっぱり七月が来てしまう〉と解説。
また同書「第三章 一年の言葉」の「蛍火」の項では、《てのひらの闇ごとわたす螢かな 宮本佳世乃》を引用し、〈七十二候で夏の八番目の季節に「腐草(ふそう)蛍(ほたる)と為(な)る」という候がある。蛍が灯す光のことを、蛍火という。暗がりに浮かび、宙を舞う蛍火に両手をのばし、つかまえる。その手の中にいるはずの小さな虫を、ほら、と相手に手渡そうとするところ。虫が灯すかすかな明るさは、闇の中だからこそ際立つ。ちょっと懐中電灯で照らしたり、車が通りかかってヘッドライトが当たったりしたら、たちまちどこかへ紛れてしまうほど儚い光。そんな蛍を手渡そうとすれば、蛍が蛍でいるための闇ごとわたすしかないのかもしれない。闇の中でなら、蛍は自らを明かす光を示してくれるから〉と解説。 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号「大特集 急がば回れ!鑑賞は上達の近道」の企画「特別対談 宮部みゆき×高野ムツオ 「こわい俳句」を読む」において、高野氏があらかじめ用意した「こわい俳句」43句から宮部氏が14句を選び二人で論評。そのうちの1句《西瓜切る西瓜の上の人影も 田島健一》について、〈宮部「〈西瓜切る〉は、西瓜の上にかかっている自分の手の影とかも一緒に切ると読める。これもありのままですね。でも、すごく不吉な感じがするし、ちょっと呪詛っぽい感じもします。「死んじまえー」みたいな(笑)」、高野「周りに人がいっぱいいて、平和で、にぎやかで、楽しいシチュエーションでしょう。そういうときに包丁でザクッと切る。そうしたら、人影も一緒に切ってしまった。しかし、誰の人影か。基本的には自分でしょう。でも、「自分の影を切る」と言ったのではなく、他人の影でもあるかのように〈人影〉と言ったところが面白い」、宮部「お盆で大勢、人が集まっていて、一人、台所に立たされているお嫁さんが切っていたとしたら、こわいですね(笑)」、高野「この句、西瓜だからいいんだ。瓜とかメロンじゃダメだし、南瓜ではもちろんダメ。緑を切ったらドバッと赤い血が出てきたという色のイメージが出て来るところがこわいですよね」、宮部「本来、西瓜って楽しいもの。特に大きい西瓜は人がたくさん来ているところで割るものなのに、この句はなんだろう。孤独さと冷え冷えとした感じ。作者は男の方なんですよねえ」、高野「そうです。四十代の男性です。平和で、のどかで、和やかな情景ですが、実はそこにとんでもない孤独が潜んでいると読ませるところがこわい」〉と対話。
また、《ともだちの流れてこないプールかな 宮本佳世乃》について、〈宮部「これ、笑っちゃっていいのかな(笑)。まず、〈ともだち〉のひらがながいいですね。でも、どういう状況を詠んだのかわからない。子どもの目線なのかなあ。すごく好きだけれど、解釈が難しい」、高野「もしかしたら、沈んで、浮いて来なくなったのかとも思わせる。友だちは帰ったのかもしれないし、はじめから一人だったのかもしれない。桃太郎の「どんぶらこ」と一緒で、僕のところにも友だちが流れてこないかなと期待しているとも読める。寂しい少年とも、ホラーとかスリラーの一場面のようにも見えてきます」、宮部「今まで鑑賞してきた中で、「こわい」と「孤独、寂しさ」って、結構、ペアになっていますね」、高野「作者は四十代前半で、昨年、現代俳句協会の新人賞を受賞しています」、宮部「自分の中にしまってある子どもの心を取り出さないと作れない句だと思う」、高野「そうですね。小さいときに経験している「流れるプール」のイメージがあって、見知らぬ人はどんどん目の前を過ぎていくが、私だけ一人でこのプールにいるという、そんな体験をあるときフッと思い出したんじゃないですか。〈流れてこない〉という口語フレーズも効いています」、宮部「〈プール〉を「現世」と読み替えると、普遍性もあるし。好きだなあ。寂しくて」、高野「〈かな〉もなかなか効いている。「プール」に「かな」を付ける俳句なんて、普通は成功しないのですが」〉と対話。 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の「合評鼎談」(小澤實氏・関悦史氏・村上鞆彦氏)が、同誌4月号掲載の関根誠子作「いつもの朝」について、〈小澤「《ボサノバや一寒燈も蕊ひろげ》 〈ボサノバ〉というカタカナ語に「や」を付けるのはどうなんですか」、関「注意は必要なところかもしれませんが、音楽によって室内や景色が異化される感覚を拾っているので、〈ボサノバ〉を打ち出したいという必要性は分かります」、小澤「私はNG派だ。カタカナ語に切字はギョッとします」、関「《みな咲いて水仙重さう倒れさう》 これが関根さんの代表的な作り方です。〈水仙〉と一緒に喜んで騒いでいるような句ですが、それで水仙の花の〈重さう倒れさう〉の実質化に迫ろうということです」、村上「〈みな〉が当たり前かな」、関「関根さんの場合、この〈みな〉が必要なんだろうなあ」〉と合評。
- 結社誌「からまつ」(石川春兎主宰)6月号で前嶋風香氏がたむら葉句集『雲南の凍星』を取り上げ、《大夕立傘来るまでの腕相撲》に対して〈朝はあんなに良く晴れていたのに下校時刻になっての突然の夕立。お迎えの傘が来るまで先生を囲んでの腕相撲。和やかな放課後の様子、お迎えはゆっくりで良いよと声が聞こえてきそう〉と、また、《鰤大根女は戦嫌ひです》に対して〈意外と手のかかる鰤大根。ことこと煮込んで味が染みていくのが嬉しい。ささやかな夕餉の支度、それが良いの。戦争なんてまっぴらです。ささやかな幸せ、それだけです〉と鑑賞。
- 結社誌「鬼胡桃」(澤村啓主宰)第21号(6月、終刊号)の「受贈誌」(主宰)が、竹内洋平句集『f字孔』を取り上げ、〈著者は、本職は歯科医であるが音楽家である。句集のタイトルがユニーク。「f字孔」はヴィオラの表面の音が響く響板の孔である。また目次の小見出しの配列が面白く譜面のように見え、作者の短詩の世界に導き、紡ぐ音楽が見えてくる。さて竹内氏の俳句。キャリアーは十数年のようであるが、その実力は凄いの一言である。「俳句は感性である」を明確に立証している。石寒太主宰のなみなみならぬご指導があったことは理解されるが、氏の「絶対音感」の感性がプラスされてのことであろう〉と批評。
- 結社誌「陸」(中村和弘主宰)3月号・4月号に宮本佳世乃が「同人作品評」を寄稿し、同誌12月号・1月号の主宰・同人作品から22句を鑑賞。《菊の虫落ちてすぐ死ぬ青天下 中村和弘》に対して〈青天の下に菊畑が広がる。爪の先ほどの虫が地面に落ちる。作者は落ちて死ぬまでの空間にひとり、ただじっと在る。「すぐ死ぬ」という言葉が残酷でありつつも、人間性を感じさせるのは、実は読み手も死ぬところをどこかで見たことがあるからに違いない〉と、また、《オリーブの木に寄り添ひて歳をとる 大石雄鬼》に対して〈オリーブの木は、別の品種の花粉でないと受粉しない。つまり、その木だけでは実はならない。最初は細かった木が、銀色がかった緑色の葉をゆらす。幹がすこしずつ太くなり、実をつける。その木に寄り添うことで時間の存在が浮き彫りになる〉と鑑賞。
- 埼玉新聞5月31日朝刊が11面に「知事賞に中島さん 秩父俳句大会に80人」という見出しで、〈第14回彩の国秩父俳句大会(同実行委員会・紫の会主催)が、秩父市番場町の秩父神社参集殿で開かれ、約80人が参加した。選者7人は県内外から出席。東京都国立市の俳人で「炎環」「オルガン」同人の宮本佳世乃さん(44)は「冬から春への季節に作られ希望を感じる句が多かった」と講評し「(今年2月に98歳で)亡くなった金子兜太氏への愛着や尊敬の気持ちが伝わり、巡礼など地域性も豊かに思われた」と語った〉と報道。