2018年8月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。8月号は「第65章 句集『まぼろしの鹿』時代(十)」。1968(昭和43)年、楸邨は『まぼろしの鹿』で第2回蛇笏賞を受賞しました。〈蛇笏賞は、短歌の迢空賞とならび、俳壇で業績のあった俳人に贈られる、俳句界の最高の権威ある賞として昭和42年に設定された、角川書店の蛇笏顕彰のための賞である。第1回は、皆吉爽雨、それにつづいて第2回が楸邨に贈られた。しかしどうも、第2回目となったことが、当時の私として納得がゆかなかった〉と筆者(石寒太主宰)は振り返ります。句集『まぼろしの鹿』の成立過程については、第56章(昨年11月号)に詳しく記されていますが、後にこの句集を『加藤楸邨全集』に収録する際、楸邨自らが大幅に手を加え、収録句数を353句も増やしている事実に対し、〈『まぼろしの鹿』に、楸邨がそれほどまでに執着したのは何故だろうか。忸怩たる思いがあったのだろう〉と、筆者(寒太主宰)がこれまでも繰り返し述べてきたことを、本章においてもういちど記します。本章の後半では、その『加藤楸邨全集』の刊行が決定するまでの経緯を具体的に綴っています。まず版元の講談社が筆者(寒太主宰)に、〈「実務的なことを寒太さんがやって欲しい。楸邨先生の著作や書いたものについては、いちばんくわしいと思うので」〉と要請。それを受けて筆者(寒太主宰)が楸邨に全集刊行を打診すると、〈あっさりと断られてしまう〉。そこで筆者(寒太主宰)は一か月かかって「加藤楸邨著書目録」を作成、それを楸邨に見せて全集刊行をふたたび説得。〈「仕事はぼくたちが手分けしてやりますよ。先生は、一応、校正くらいに目を通していただければ、あとはこちらで何とかします」「そうしてもらえるなら、よし、思い切ってやってみるか……」〉となりました。
- 結社誌「岳」(宮坂静生主宰)8月号の「展望現代俳句」(栗原利代子氏)が《騙されてみようか天道虫だまし 石寒太》を取り上げ、〈「天道虫だまし」とは「ニジュウヤホシテントウ」の仲間のこと。体内に毒を持つ天道虫に擬態することで天敵から逃れるのだという。ついでに人間も騙して「益虫」だと思い込ませ、馬鈴薯や茄子を食い荒らすのだから、憎らしくもあっぱれな虫である。だからこそ「騙されてみようか」という情け心も生れるのだろう。とはいえ、作者がこの虫に着目したのは名前や生態が面白いからだけではなく、「騙す」「騙される」関係があまりにも日常化している現状を意識されてのことではないかと深読みした。かつて映画監督・脚本家として名を馳せた伊丹万作(伊丹十三の父)は敗戦翌年の1946年8月に発表した「戦争責任者の問題」という文章の中で「『だまされていた』といって平気でいられる国民なら、おそらく今後何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによってだまされ始めているにちがいないのである」と「だまされる罪」について述べているそうだ。72年後の今こそ、この文章を噛みしめたい。掲句から思いを巡らせたことである〉と鑑賞しています。句は「炎環」6月号より。
炎環の炎
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)7月号の「精鋭16句」に、山岸由佳が「人形の爪」と題して、〈かはほりや水面を覆ふ紙・夕日〉〈左目の渓蓀のずつと吹かれをり〉〈車前草の花人形の爪がきれい〉〈緑陰をゆく手のひらは鳥の軽さ〉など16句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号「投稿俳句界」
・岸本マチ子選「秀作」(題「解」)〈初つばめ天守解体工事中 結城節子〉
・高橋将夫選(題「解」)〈解決の一つに別れ花の道 曽根新五郎〉
・鈴木しげを選「特選」〈ピエタより涅槃図親し水明り 結城節子〉=〈ピエタは、キリストの死体を膝に抱く嘆きの聖母像。涅槃は、釈迦入滅の姿。この二つの死の場面は西洋と東洋の死生観を現わしている。作者は涅槃図に親しみを持つという。下五の水明りによって一句は生かされたと思う〉と選評。
・鈴木しげを選「秀逸」〈花冷や金庫の中へ人の消ゆ 松本美智子〉
・辻桃子選「秀逸」〈点滴のモルヒネとなり夕桜 結城節子〉
・能村研三選「秀逸」〈美しき時は幻さくら季 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)夏号「あるふぁ俳壇」
・高野ムツオ選「佳作」〈線香へ線香を足す日永かな 曽根新五郎〉
・正木ゆう子選「佳作」〈春の夜の裸婦を太らす画学生 高橋透水〉
・正木ゆう子選「佳作」〈賞味期限の午前三時や桜餅 大西ぼく太〉 - 東京新聞8月5日「東京俳壇」
・小澤實選〈我が前を譲らぬ鴉青葉闇 片岡宏文〉 - 読売新聞7月30日「読売俳壇」
・宇多喜代子選〈生産者の名は佐藤さんさくらんぼ 堀尾笑王〉 - 読売新聞8月6日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈ショー化され何故か寂しき鵜飼かな 堀尾笑王〉 - 毎日新聞8月14日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈貧乏に妻と生きてや百日紅 辺見狐音〉=〈贅沢はさせてやれなかったが、妻と無事に生きてきた。百日紅の明るさが人生を肯定する〉と選評。 - 結社誌「岳」(宮坂静生主宰)8月号の「展望現代俳句」(栗原利代子氏)が《うりずんの風へ一礼玉陵 永友萌》を取り上げ、〈玉陵(たまうどぅん)とは琉球王朝の歴代の王の墓所のことだと初めて知った。太平洋戦争末期、首里城とともに大きな被害を受けたが、戦後に復元され、2000年には世界遺産に登録されたとのこと。沖縄の大地が緑に潤う季節に玉陵を訪れた作者はうりずんの風(うりずん南風(ベー))に吹かれて、深々と一礼したのであろう。「うりずん」と「たまうどぅん」という言葉が鐘のように響き合っている〉と鑑賞。句は「炎環」6月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号の「合評鼎談」(小澤實氏・関悦史氏・村上鞆彦氏)の中で、同誌6月号掲載の近恵作「湿った砂」について、〈小澤「《流れつつ腐り桜の花びらは》 花の終わりです。流れながら腐っているところまで見切ったところがいい」、関「どぎつさが面白い」、村上「ずばり、〈腐り〉と言った。この一語が言えるのがこの方の胆力でしょう」、小澤「《箱庭へ湿った砂を足しておく》 口語です。箱庭に置くものはいろいろ詠まれるのですが、〈湿った砂〉という、母体になるものを足している。根本を詠んでいるのが凄いな」、関「《解体の敷地の縁の草若葉》 利用しつくされて意味がなくなったところにある変なものを詠むのがこの人はうまい。おかしさを引き出すのがよくできている」〉と合評。
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)8月号の「窓 総合誌俳句鑑賞」(町田無鹿氏)が《行く春の後ろの人が朱肉練る 近恵》を取り上げ、〈ふつうの言葉しか使われていないし、状況にも不審なところはないのに、なにやら不穏である。「後ろの人」は何者か。朱肉を練るという日常的な行為が呪術めいて見える。五行説において朱が夏の色であることを考えると、この人物は実は炎帝の露払いで、春の終わりを告げているのかもしれない〉と鑑賞。句は「俳句」6月号より。
- 結社誌「天衣」(岬雪夫主宰)148号(8月・隔月刊)の「現代俳句鑑賞」(古田雅通氏)が《箱庭に湿った砂を足しておく 近恵》を取り上げ、〈箱庭は、箱の中で作っていくミニチュアの庭園である。作ったそのままでは、人工的であるので、生き生きとした鮮度に欠ける。「湿った砂を足しておく」の措辞により、生々しい触感を喚起し、まるでこの箱庭に瑞々しい命が吹き込まれたかのような印象を与えている〉と鑑賞。句は「俳句」6月号より。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)7月号の企画「あの日、あの時…兜太からの一言」に宮本佳世乃が寄稿、平成28年4月に金子兜太氏と行った座談会での言葉を引用して「兜太からの一言」を紹介。座談会で金子氏の語る「存在者」という考え方に対し宮本が《そうふうに考えていくと、人が死ぬっていうことは辛くなくなるんですか?》と尋ねると、金子氏は、《私が最初に言った「存在者」は、純粋な意味の生き物を捉えるのに「存在者」として捉えたいと。それと、死ぬときに自分のおっちゃんが死んだ、悲しいというのとはまたちょっと違う。そのときは状況がまた絡むから。「存在者」として純粋に割り切れない。たとえば「俗な存在者」という言い方もあるでしょうね。人間臭くなってくるんじゃないかな》。この言葉に対して宮本は〈個別の体験は内省・深化させることにより経験になる。二人称である「あなたの死」には人間の俗な姿が入ることが多い。生死を純粋にとらえたいと思っていればいるほど、大切な人の死は、人間臭さをぷんぷんさせながら、孤独を抱えるのではないだろうか。自分にしかできない経験を意識することこそが、人間が「存在者」としてそこに立っていることだとしたら、「存在者」とは、果てしなく、孤独であるように思う〉と記述。
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)夏号の「BOOKS」(田島健一)が三輪初子著『あさがや千夜一夜』を取り上げ、〈著者は東京阿佐ヶ谷で43年間、元プロボクサーのご主人と一緒にレストラン「チャンピオン」を営んできた。平成19年に店は惜しまれつつ閉店となったが、その後、俳句と映画とボクシングをテーマに俳句誌に発表してきたエッセイをまとめたのが本書である。素直で屈託のない朗らかな文章は、どこか微笑ましく、読んでいるほうまでつい笑顔になってしまう。レストラン「チャンピオン」を通して出会った人びととのつながりが育んだ著者の半生を軽やかに綴ったエッセイ集〉と紹介。