2018年9月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。9月号は「第66章 句集『まぼろしの鹿』時代(十一)」。〈私が俳句をはじめたのは、昭和30年代の大学時代であったが、このころはそれほど真剣だったわけではない。楸邨の人柄に魅かれて、ただただ彼に会うのが楽しくて宅へ通いつめていたに他ならない〉と、昭和18(1943)年生まれの筆者(石寒太主宰)は本章を書き出しています。句集『まぼろしの鹿』は、昭和41年、61歳の加藤楸邨が、当時「寒雷」の編集長であった森澄雄と矢島房利に、昭和28年から41年までの膨大な句の中から1,149句を選ばせて昭和42年12月に刊行、その翌年第2回蛇笏賞を受賞しました。筆者(寒太主宰)が「寒雷」の編集同人になられたのは昭和45(1970)年でしたから、ちょうど筆者(寒太主宰)が〈真剣に〉俳句を始められたころと重なります。筆者(寒太主宰)は〈昭和40年代になると、(楸邨に)頻繁に会いかつ面談するようになった。それは、就職して出版社につとめ、新しい企画をたて、その本の監修に楸邨にも加わってもらった、ということが大きい。その新企画とは『芭蕉の本』(全七巻)である〉。出版社は角川書店です。最初に筆者(寒太主宰)が楸邨と出会ったいきさつについては、当連載の「第45章 芭蕉研究書で楸邨と出会う」(2016年12月号)に詳しく書かれていますが、「芭蕉研究」は楸邨にとってライフワークの一つであり、〈昭和40年、この年楸邨は還暦を迎えた。そして、青山学院女子短大の学生をつれて、しばしば「おくのほそ道」の旅をくり返していった。楸邨と私をさらに接近させ結びつけたのは、このいくつかの旅のくりかえしの中だった、といってもいいだろう〉。『まぼろしの鹿』の中にも「芭蕉の山河」という項があり、本章にはその79句が転載されています。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)9月号の「新刊サロン」にて進藤剛至氏が石寒太編著『金子兜太のことば』を取り上げ、「平和のために」と題して〈本書は金子兜太が、98年の生涯で遺した珠玉の言葉を編集したものである。編著者の石寒太氏は、兜太と同じく加藤楸邨の門弟であり、その付き合いは50年を超えるという。年の差は24歳。寒太氏は、俳誌「炎環」を創刊・主宰するなど、現代俳句を牽引する俳人の一人である。そんな編者が、兜太が存命中から書き進めてきた一書が本書である。本書は五章で編集され、兜太の言葉に、編者の解説が書き添えられた形で展開されていく。その故郷や生い立ち。戦争の体験や平和への誓い。俳句との関わり方やそれに向かう姿勢。日常の習慣や健康を保つ方法。思想や哲学に至るまで、幅広い内容が大変読みやすく纏められている。兜太は、私の師である稲畑汀子と、しばしば激論を交わす相手であったことは有名な話だ。しかし、本書を読了し、その印象は大きく変わった。前衛派と伝統派。俳句の理念や方法論こそ異なるが、平和を希求する心で繋がり合い、俳句と世界の発展のために、ますます一つになれる機会が増えればと思った。本書は金子兜太の知られざる魅力を、それぞれに発見できる一書と言えるだろう〉と評しています。
- 結社誌「郭公」(井上康明主宰)9月号の「新刊を読む」(柿沼成氏)が石寒太編著『金子兜太のことば』を取り上げ、〈本書は、「炎環」主宰石寒太氏が、金子兜太との長い交友の中で書き留めた聞き書きをまとめた一書であり、折々の兜太の語録に、氏の懇切な解説が付されている。本書の「まえがき」に、「…意外と繊細で我々若者には優しく、二回りも年下の私に、時には親父のように、また兄貴のようにアドバイスしてくださった。」と記しているように、氏にとって兜太は同じ楸邨門下における親子ほども年齢差のある兄弟子であった〉と紹介しています。
- 結社誌「秋麗」(藤田直子主宰)8月号の「BOOK RACK」(田沢健次郎氏)が石寒太編著『金子兜太のことば』を取り上げ、〈「兜太の日常」という第四章には、「何ごとにもゆっくり。あわてず急がず、人生は長いもの。スローライフが私の晩年になっています」という「ことば」が出てくる。2003年から2年間、私は朝日俳壇の担当記者をつとめたが、この「ことば」を痛感している。誕生日が同じ9月23日という寒太さんは兜太さんとは学生時代から50年以上の交流があるという。寒太さんの直の聞き書きに加え、雑誌、新聞、映像などからも多くの「金子兜太のことば」を引き出して凝縮した64の「ことば」が本書に載っている〉と紹介しています。
- 結社誌「山彦」(河村正浩主宰)9月号(隔月刊)の「受贈句集紹介」(主宰)が石寒太編著『金子兜太のことば』を取り上げ、〈金子兜太と共に加藤楸邨を師に持つ石寒太(「炎環」主宰)は、兜太の盟友でもあった。その長年の交流の中で胸に刻まれた言葉と俳句を選びぬき、丁寧に解説されている〉と評しています。
- 結社誌「ランブル」(上田日差子主宰)6月号の「book ends」(浅田季祐氏)が石寒太句集『風韻』を取り上げ、《雉子の眸やわれに師のなき二十年》《蟷螂の斧自然死か自死なるか》《秋茄子の艶のころころ洗ひ笊》《退院のラジオ体操小鳥来る》など12句を抄出して、〈一冊に収録された俳句は現実的であり装飾した難解な言葉はない。難病を克服され改めて作句に挑戦する決意の句集であろう〉と評しています。
- 結社誌「軸」(秋尾敏主宰)5月号の「新刊紹介」(山口明氏)が石寒太句集『風韻』を取り上げ、《頬杖の妻の瞳はるか大晦日》《点滴や梅雨満月の高さより》《思ひきり泣いてもいいよ春の雪》《砂時計ひつくり返しあたたかし》《走り梅雨楸邨伝のいま半ば》など15句を抄出して、〈装幀や構成も美しく、この上なく大切にしたい一冊である〉と評しています。
- 結社誌「母港」(西山常好主宰)5月号(隔月刊)の「諸家近詠(受贈誌より)」(編集部)が《裏山の父の大杉十二月 石寒太》を採録しました。句は「炎環」2月号より。
- 結社誌「都市」(中西夕紀主宰)4月号(隔月刊)の「受贈句集より一句」(主宰)が《つばくらめ風のいのちと繋がりし 石寒太》を採録しました。句は『風韻』より。
- 結社誌「鷗座」(松田ひろむ主宰)8月号の「受贈誌より」(吉村きら氏)が「炎環」5月号を取り上げ、〈主宰の提唱する「自分の生きる証としての俳句」を心と言葉をひとつに今一番言いたいことを自分の言葉で表現する「心語一如」を目指している〉と紹介して、巻頭作家作品から《青麦や追ふ子追はれて風となる 永田萌》など3句、主宰作品から《家にゐて旅思ひつつ西行忌 石寒太》など2句、炎環集から《つばくらめ秩父に少年がひとり 星野いのり》《緑の日いつもみどりのガスタンク 山本計》など4句、梨花集から《冬日和ひそひそと母校の学食に 丹間美智子》《泥棒の降りてきさうな春の月 一ノ木文子》の2句、また、「写真に俳句」の《遠き日のわが背信や聖五月 山口紹子》の1句を抄出したうえで、〈全国に28句会。約400人の会員からなり現代俳句協会で新人賞を2年連続受賞している。内容豊かな重みのある興味深い俳誌である〉と結んでいます。
炎環の炎
- 総合誌「俳句界」(文學の森)9月号「投稿俳句界」
・鈴木しげを選「特選」〈花過ぎの金子兜太の墓前かな 曽根新五郎〉=〈兜太を畏敬する作者の真摯な態度のあらわれである。七七忌を修し納骨のすんだ花過ぎの墓前に叩頭(ぬかず)く作者〉と選評。
・能村研三選「特選」〈飛魚の空飛魚の太平洋 曽根新五郎〉=〈初夏から夏、北上して産卵する飛魚、夏告げ魚とも呼ばれている。「飛魚」のリフレイン、「空」と「太平洋」だけを強調しながら、省略を効かせた句になった〉と選評。
・名和未知男選「秀作」(題「生」)〈生きてゐる証しの手紙麦の秋 松本美智子〉
・稲畑廣太郎選「秀逸」〈肩書は元日本兵父おぼろ 永田寿美香〉
・大牧広選「秀逸」〈かはほりや銭湯消えし神田川 高橋透水〉
・角川春樹選「秀逸」〈竹林の薄日すべらす日永かな 曽根新五郎〉
・古賀雪江選「秀逸」〈白牡丹逢魔が時の静寂かな 松本美智子〉
・辻桃子選「秀逸」〈白菖蒲激しき雨の水面なる 泉義勝〉
・行方克巳選「秀逸」〈カステラのざらめざらつく花曇 永田寿美香〉 - 読売新聞8月27日「読売俳壇」
・小澤實選〈角打ちの裸電球葭簀掛け 堀尾笑王〉=〈角打ちとは、酒屋の一角で酒を飲ませる場所。裸電球に葭簀掛けという飾り気のない、自然の中に入っていくスタイルが涼しげである〉と選評。 - 読売新聞9月17日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈語り部はかつて駅の子敗戦忌 堀尾笑王〉 - 朝日新聞8月26日「朝日俳壇」
・高山れおな選〈厄払ふやうに朝(あした)の髪洗ふ 渡邉隆〉 - 朝日新聞9月9日「朝日俳壇」
・高山れおな選〈親玉の地球の上の西瓜かな 渡邉隆〉 - 東京新聞8月19日「東京俳壇」
・小澤實選〈夜のプール歩く隣をバタフライ 片岡宏文〉