2018年12月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。12月号は「番外 新しい「暖響」のゆくえ」。加藤楸邨の創刊した結社誌「寒雷」が、2018年7月号(900号)を以て終刊となり、このことは、〈楸邨伝にも大きくかかわりがあるので、「寒雷」の終焉についての私見をひと言述べておきたい〉と、筆者(石寒太主宰)は連載の「番外」を今月号に当てました。その論旨を要約すると、――
〈楸邨は過去を回想することにはほとんど興味がなく、未来に進んでいく自分の前の方向のみに目が行く性格であった。また、次につづく自分の仲間たちへも、自分をなぞるのではなく、楸邨を越えていつも前に進んで欲しい、そう願うのが常であった。その結果として、「寒雷」衆の中には個性が育ち、そこから独立していった多くの雑誌もあり、その雑誌をそれぞれ主宰する人たちをも多く輩出した。楸邨は、後継誌のことなど、まったく頭になかったと思う。「寒雷」という名前だけで雑誌を継承する意志は、まったくなかった。だから、死後の雑誌のことなども、まったく考えてはいなかった。平成五年七月三日、楸邨が逝去した。「寒雷」に寄る人たちも、少なからずあわてたことと思う。その直後に同人達が集って相談したらしい。らしいと書いたのは、私たちすでに他に主宰誌を出している同人たちには、何らの招集もかからなかったからである。もし、声がかかっていたら、編集にかかわったことのある人なら、楸邨の意向は十分に分かっていたので、「寒雷」は楸邨一代限り、を強く主張していたであろう。が、残念ながら身辺にいた身内のものだけで、その後始末を決めていったのではなかろうか。このあたりから、そもそも楸邨の生き方と、その後の後継誌とのズレが出てきたような気がする。さて、「寒雷」の後継誌として、「暖響」の創刊号が送られて来た。「暖響」は、「寒雷」同人たちの馴染みの欄であった。それを新雑誌に受け継いだのは、明らかに「寒雷」を継いだその流れによる誌名であるが、もうすこし意志鮮鮮を示す強い雑誌名を期待していた。それだけに、少し期待外れの感はまぬがれない。延長線上の雑誌をつくるのではなく、新しい人たちが、今までとはまったくちがった、自分たちが本当に求めたいものを、これから皆でさがし求めていって欲しい。そういう意味で、新雑誌「暖響」をみつめている〉と、述べています。 - 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)11月号が「第73回現代俳句協会賞」を発表、石寒太句集『風韻』は次点で惜しくも受賞を逃しましたが、その選考委員の「選後評」において恩田侑布子氏は、〈石寒太の『風韻』は、はらわたの厚きところから出ている。句柄の大きさでは一頭地を抜く句がある。《八雲立つ出雲の海や霾ぐもり》の広壮な歴史感覚は《風花浮遊特定秘密保護法案》と、現代社会の不気味さをあぶり出し、《九条のちらしにつつむさくら餅》へ、足元から不戦を希求する。《点滴や梅雨満月の高さより》と、病床詠も実があり重厚である。人間探求派の血脈は愚直に万象と切り結び、読者を沈黙に立ち止まらせる力がある〉と述べています。また塩野谷仁氏は、〈石寒太さんの『風韻』にも注目した。まず、その作品群には安定感があった。《雉の眸やわれに師のなき二十年》《大年の牛舎に父のしはぶけり》《病む馬のたてがみへ降り流れ星》などの作品は、俳句の王道を闊歩していて一種の風格も感じられる〉と、つづく高岡修氏は、〈俳句は散文世界の対極にある。すなわち、極小の言語量、切れという独自の技法、配合による二物衝撃空間の創出によって。結局、俳句は、その三つの技法により散文脈からの異化を果たすことになる。構造だけに限って言えば、俳句の異化効果は詩と短歌を遥かに凌いでいる。それゆえ俳人は、その三つの技法をこそ、俳句の強力な武器として駆使すべきなのだ。その技法の総量において今回私が注目したのが、石寒太(他3名)による四冊の句集である。――石寒太『風韻』 《てのひらの中の怒りよ椿の実》《翔つたびにてふてふ一語づつ吐きし》 それぞれ作品の完成度は高かったが、句集に収められたとき、一句ずつが句集の内側深く埋没してしまうように思われた〉と、そして渡辺誠一郎氏は、〈『風韻』は、作品全体のまとまりもあり、共感句も多かった。《冬近し賢治未完のままの宙》《頬杖の妻の瞳はるか大晦日》。しかし一部物足りなさを感じた句があったのも事実。集中、作者の師である楸邨を詠んだ句も多いが、直截な表現には不満が残った〉と書いています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号の特集「われら20代俳人」に、星野いのりが「Kinderszenen」と題して、〈流燈をあかるく待つてゐる漁船〉〈おい星よベトナムへ飛んでゆくのか〉など5句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号の「実力作家代表句競泳」に、波田野雪女が「千年の恋」と題して、〈千年の恋のほのぼの筆始め〉〈たてまつる薄茶一服春の句座〉など6句を選んで披露。
- 「第20回横光利一俳句大会」(宇佐市等主催、11月24日大分県宇佐市)が応募総数3515句から、2名の選者(野中亮介氏、浅井真平氏)により特選10句、秀作50句、佳作150句を選出。
・「佳作」〈裸の子恐竜の背を滑りたり 北悠休〉 - 「第10回清瀬市石田波郷俳句大会」(同大会実行委員会主催、10月28日東京都清瀬市)が2000句を超える投句の中から、7名の選者(石寒太主宰、奥坂まや氏、鈴木しげを氏、高橋悦男氏、徳田千鶴子氏、西村和子氏、能村研三氏)により各賞を選出。
・石寒太選「特選」〈蟻登る楸邨句碑のまるきかな 青木このみ〉
・徳田千鶴子選「特選」〈ぐづる子へ月の兎を教へたり 原紀子〉
同大会には、齊藤朝比古が新人賞選考委員、谷村鯛夢がジュニアの部の選者として参加。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号「投稿俳句界」
・稲畑廣太郎選「特選」〈夏座敷堂堂と這ふ蒙古斑 永田寿美香〉=〈這い這いがやっと出来るようになって嬉しくて仕方のない赤ん坊が、座敷を嬉々として這い回っている。可愛いお尻には蒙古斑。涼し気な夏座敷ならではの光景が目の前に繰り広げられ、読者も涼しさを感じるだろう〉と選評。
・大串章選「特選」〈折鶴に八月の息吹き込めり 堀尾笑王〉=〈「八月の息」には平和を願う思いが籠っている。八月は戦争の悲惨を思い出させ、平和の大切さを再確認させる月なのだ。再び戦争をしてはならない〉と選評。
・西池冬扇選「特選」〈折鶴に(前掲)堀尾笑王〉=〈「原爆の子」が掲げる折鶴は反戦平和の象徴。二歳の時被爆した佐々木禎子さんが闘病中に作った折鶴は、その後全世界の人々の反戦平和の思いが込められた千羽鶴となっていった。この句の折鶴に吹き込んだのは、反戦平和の思いである〉と選評。
・山尾玉藻選「特選」〈鮮やかな色の危ふさ熱帯魚 松本美智子〉=〈熱帯魚の鮮烈な美しさは本来は熱帯に生息する魚であるが故で、日本人が覚える優雅な色彩とは趣を異にします。その点を「危うさ」と捉えて大変説得力があります〉と選評。
・山尾玉藻選「特選」〈絶叫マシーン八月十五日 曽根新五郎〉=〈戦争体験の有無に関わらず「八月十五日」が巡って来ると日本人なら誰もが沈思黙考するものと思っていた作者です。しかし「絶叫マシーン」に乗り歓喜の叫びをあげる人達も存在するのが現実です。読み返すうちに「絶叫」の語が恐ろしく胸にのしかかってきます〉と選評。
・大高霧海選(題:実)「秀作」〈蓮の実の飛びゆく先は爆心地 曽根新五郎〉
・岸本マチ子選(題:実)「秀作」〈実石榴や病名になき老いの恋 高橋透水〉
・高橋将夫選(題:実)「秀作」〈桑の実や失ひしもの拾はんと 山内奈保美〉
・名和未知男選(題:実)「秀作」〈木の実降る島にオラショを唱ふれば 永田寿美香〉
・角川春樹選「秀逸」〈新涼の手ぶらで顔を見せにけり 金川清子〉
・夏石番矢選「秀逸」〈絶叫マシーン(前掲)曽根新五郎〉 - 朝日新聞11月18日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈果てし無く続く欲望落花生 池田功〉 - 朝日新聞11月25日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈身中に老いさらばへし鷹を飼ふ 渡邉隆〉=〈自分の老いをこう表現する。老いたる鷹の気骨〉と選評。 - 朝日新聞12月2日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈水澄みてゆくよな歳になりしかな 池田功〉 - 東京新聞11月25日「東京俳壇」
・石田郷子選〈明るくて人間嫌ひ泡立草 片岡宏文〉=〈背高泡立草の黄色い花に一人物の印象を重ねている。荒れ地に咲く明るさの裏側に孤独な心が感じられる人。あるいは作者自身か〉と選評。