2019年2月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。2月号は「第七十章 シルクロードへの旅(二)」。本章では〈楸邨がどうしても砂漠に足を踏み入れたかった理由〉を考えますが、それに先立ち、筆者(石寒太主宰)はまず高浜虚子の「熱帯季題小論」を取り上げます。これは虚子が、〈「春夏秋冬の区別は殆どなく、年中暑いこの土地の風物を、どんな季題をもつて詠つたらいいのか」「この熱帯の俳人諸君のために、その解決を見出したい」〉という思いで、〈昭和十一年四月十四日、十五日の「東京日日新聞」に連載された熱帯季題について書かれた論〉です。〈「俳句は、日本の風土が生んだ文芸、歳時記に規定されてゐる季題といふものは、動かすベからざるところのもの」というのが、虚子の根本的な態度であった〉、その上で、〈虚子の意見は、応急処置として、新たに夏の部に、熱帯という一部を設けて、その熱帯の天文、地名、植物、著名な行事などは、そのものが暑い熱帯の季感をあらわすものとして、季題になり得るとしたらよかろう、とした〉。筆者(寒太主宰)が〈「熱帯季題小論」にふれてみたのは、昭和十一年と、楸邨のシルクロード行の年代と比べてみると、昭和四十年代は比較にならないほどむずかしい広範なしかも時代が強力な圧力をもって迫ってきていた、ということを考えてみたかったためである〉と述べ、筆者(寒太主宰)は次に、楸邨の「俳句と異質の風土」という文章を引用します。その文章を要約すると、明治以降俳人は季題に対して終始《受身の態度》であり、《根本的な見直し》を行わず、いわば《俳諧的鎖国性》の状態にあり、その中で、《虚子の「熱帯季題小論」は、俳句の国内的封鎖性に加えられた鞭へののっぴきならぬ答え》ではあったが、《当時の異質の世界は、根本から俳句を揺りたてるまでの急迫性を持っていなかった。今、日本の俳句の直面しているものは、俳句を国内に限定して閉じこめておくならばいざしらず、自由に、のびのびと感動を生かす詩として未来を希求する以上、すくなくとも季題については、受身の態度から、一歩進めて、積極的な模索を試みなくてはならない》。もともと《季題は、在来の俳句的情趣を形成するにふさわしい感情を、それ自体内包している》が、《異質の風土の中から、日本的情趣だけを探し出して詠みあげるのでは、決してシルクロードであるとか、アフリカであるとかの新しい詩の発見というわけにはいかない》。異質の風土に接したときは、《在来の季題の見直し》や《新しい季題の手探り》など、季題について積極的な模索を試みること。《そうした心構えで異質の風土に対応することによって、とおい将来の俳句というものに大きな可能性を用意することになりはしないか》、といった内容です。楸邨のこれらの言葉を踏まえて筆者(寒太主宰)は、《バビロンに生きて糞ころがしは押す》という楸邨の一句に対して、〈五千年前の栄華の都バビロンの壮大な廃址に、生きるために必死に糞をころがしつづける小さなスカラベ、この小さな虫の営みは、一抹のユーモアを湛えた俳諧の味に、万物流転、自然の中の人の営為の儚さを対比させた、砂漠の詩と真実を深く内蔵した荘厳ないのちの讃歌である〉と鑑賞します。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)2月号の「俳壇ニュース」が「角川庭園開園10周年記念俳句大会」(12月9日東京・荻窪地域区民センター)の模様を写真と文章によって記録、〈角川庭園は、国文学者で俳人でもあった、角川書店(現KADOKAWA)の創設者・角川源義の邸宅の跡地を整備した公園で、旧宅は「幻戯山房(すぎなみ詩歌館)」として活用されている。大会では、選者を務めた石寒太、髙柳克弘、神野紗希の三氏による、「平成の俳句を考える」と題したトークショーも行われ、石氏「平成の天災・人災は、昭和の戦争に匹敵する重要な問題」、髙柳氏「平成には平成の『境涯俳句』がある。『疎外』は重要なテーマ」、神野氏「昭和が肉体的な生命の危機の時代だとすれば、平成は心の危機の時代」と、三者三様に平成俳句の特質を語った〉と記述しています。また文中にて、石寒太特選の〈もう鳴らぬピアノや落葉降りしきる 高橋透水〉、選者三人共選で角川『俳句』賞の〈善福寺川の藻草や開戦日 丑山霞外〉を紹介、写真のキャプションには〈左より、田島健一(司会)、石寒太、髙柳克弘、神野紗希の各氏〉と書かれています。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)2月号の「俳句界ニュース」が、「角川庭園開園10周年記念俳句大会」(12月9日東京・荻窪地域区民センター)の模様を写真と文章によって記録、大会では石寒太主宰と髙柳克弘氏(「鷹」編集長)、神野紗希氏(現代俳句協会青年部長)のトークショー「これまでの俳句、これからの俳句」が行われ、〈まとめとして石寒太主宰は「昭和は命、人、戦争という大きな命題と主題があった。平成は多彩な時代となり、作り方も多彩になってきている。摑みどころのなくなった時代にいかに自分の立ち位置を定め、句を作るかということが、これからの命題である」と語った〉と記述し、上記3名の選者による本賞を受賞した〈善福寺川の藻草や開戦日 丑山霞外〉を紹介しています。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)2月号の「新刊サロン」において、『福田甲子雄全句集』(ふらんす堂)を石寒太主宰が「風土作家の全貌」と題して紹介、〈書斎の机上の側に、《生誕も死も花冷えの寝間ひとつ》の一句が掲げられている。この句は、昭和四十四年(一九六九)「雲母」六月号で、第三回目の作品欄の巻頭を得た作品で、甲子雄の代表作といわれるようになった。小生は、昭和五十六年(一九八一)に『俳句日暦―一人一句366』(右文書院)を出版し、四月十三日の項にこの句を掲げた。この本は好評で、その時は、彼との面識はなかったが、平成五年にはじめて会い、冒頭の句を書いていただいた。甲子雄逝去後十三年目。全句集刊行としては少し遅かった、とも思われなくはないが、それほどにていねいな編集で手間がかかった、ということが知られる。句集部分より参考資料に二倍近くのページを割いている全句集もめずらしい〉と書いています。
炎環の炎
- 竹市漣が、句集『落慶』を、文學の森より1月17日に刊行。序文を石寒太主宰が「落慶燦燦」と題して認め、〈竹市漣さんは、光徳寺を支える大黒さんである。群馬県藤岡市北東部にある龍田山光徳寺。一四七〇(文明二)年に創建された歴史ある寺で、住職の文光(俳号・光徳太)さんは三十二代目を継ぎ、漣さんはここに嫁いでから寺の行事と運営する保育園の手助けをしながら、今日まで俳句を作り続けてきた。このたび、寺の本堂を新築するという大事業をおこなった。工事の様子を日記のように俳句にし続けたのが作品「落慶」で、第二十二回炎環賞を射止めることになった。受賞を機に初めての句集の上梓も決意された。それらの作品群は句集の冒頭に収録されている。計画から落慶法要に至るまでの長い間の思いが、一句一句にすべて込められている。いずれも、経験しなければ出来ない句ばかりの力作であると思う。また、保育園を経営していることからだろう。子どもたちや生きものへの心くばりの優しい句も散見される。いずれも慈愛のまなざしに溢れている〉と紹介。
- 「第22回毎日俳句大賞」(毎日新聞社)が、応募総数約6,900句(一般の部)を予備選考によって780句に絞り、その中から11名の選者により各々が特選1句、秀逸1句、佳作30句を選出、その結果最終選考に残った73句から、再審査により、大賞1句、準大賞1句、優秀賞4句、入選21句を決定。
◎「大賞」〈戦争の終はらぬ星の星まつり 三輪初子〉=大串章選「特選」〈戦争の終わらぬ「星」は地球。戦争・紛争が絶えない。七夕が来る度に「平和な世界を」と祈りを込めて短冊に書き七夕竹に結ぶ〉と選評。高野ムツオ選「特選」〈有史以前から人類が繰り返してきた戦争。今も地球のどこかで絶えず続いている。これからも永遠に続くのだろうか。いや、そんなはずはないとの願いが星祭に託されている〉と選評。
◎「優秀賞」〈遠ざかるやうに近づく風の盆 曽根新五郎〉=宇多喜代子選「秀逸」〈三味線、胡弓、太鼓などを伴奏にしながら踊り歩く越中「風の盆」の様子を巧みにとらえた句。感情を盛らずに単純な表現で音曲に親和している〉と選評。高野ムツオ選「佳作」、津川絵理子選「佳作」。
◎「入選」〈誰ひとり欠けることなきさくらかな 添田勝夫〉=小川軽舟選「特選」〈今年も誰ひとり欠けることなく桜の季節を迎えた。いつかは欠けてゆく予感がこの句の陰翳をなす。だからこそ今この時の桜が尊い〉と選評。
◎「入選」〈胎動の記憶八十八夜かな 竹市漣〉=井上康明選「特選」〈妊娠した女性の胎内に育ってゆく生命に対する思いを、晩春の季節感の中で豊かに描いている。静かな生命賛歌を奏でる一句〉と選評。
▽最終選考まで残った入選候補句
○〈こゑひとつ大縄跳びの四十人 たむら葉〉=井上康明選「佳作」、夏井いつき「佳作」。
○〈合宿の潮の匂ひの髪洗ふ 結城節子〉=小川軽舟選「佳作」、高野ムツオ選「佳作」。
○〈二人して死後の話や草青む 増田守〉=宇多喜代子選「佳作」、大串章選「佳作」。
○〈さまざまな雲の流るる曝書かな 深山きんぎょ〉=宇多喜代子選「佳作」、津川絵理子選「佳作」、正木ゆう子選「佳作」。
※特別企画「いのちの俳句」は、応募約2,300句を予選選考によって334句に絞り、その中から11名の選者により各々が特選1句、秀逸1句、佳作10句を選出、それらから大賞1句、準大賞1句、優秀賞5句、入選16句を決定。
◎「入選」〈留守電の三月十一日の声 曽根新五郎〉=夏井いつき選「秀逸」〈あの日の「留守電」にどれだけの声が遺されたかと思うと、心が潰れそうになる。「留守電~の声」という余りにも平凡なフレーズを衝撃に変える「三月十一日」という季語の力〉と選評。正木ゆう子選「佳作」。
▽その他、各選者の入選句
・有馬朗人選「一般 佳作」〈赤き星近づいてきし門火かな 結城節子〉
・有馬朗人選「いのち 佳作」〈くちびるの乳吸ふ力寒の明 結城節子〉
・有馬朗人選「いのち 佳作」〈生れてすぐ海の牧場の仔馬立つ 鹿島釣人〉
・石寒太選「一般 佳作」〈故里は原発の村夏つばめ 堀尾笑王〉
・宇多喜代子選「一般 佳作」〈連山のあかるく開け蛇笏の忌 俳爺〉
・大串章選「一般 佳作」〈朝顔を買はむ波郷の色買はむ 曽根新五郎〉
・大串章選「一般 佳作」〈編隊の機影流るる刈田かな 髙山桂月〉
・小川軽舟選「一般 佳作」〈家系図の末広がりの良夜かな 曽根新五郎〉
・小澤實選「一般 佳作」〈海女小屋の海女を待ちたる魔法瓶 曽根新五郎〉
・高野ムツオ選「一般 佳作」〈虫に魚に満月の夜の物語 谷村鯛夢〉
※結社別予選通過句数においては、「炎環」は46句で、「鷹」(小川軽舟主宰)の138句につぐ第2位。ちなみに三位は「百鳥」(大串章主宰)の32句。
▽一般の部・いのちの俳句の予選通過句
〈茄子の馬茄子とびこえてゆきにけり 竹市漣〉〈悲しますやうに楽しむ踊りかな 竹市漣〉〈玉音の染みたる耳や生身魂 内野義悠〉〈平凡な皿へ一滴レモンの香 綿引康子〉〈向日葵のはみだす空やハーモニカ 前島きんや〉〈みちのくの寄進算額雪ほたる 村田敏行〉〈てのひらの一杯の水終戦日 伊藤航〉〈脳内に居据る軍歌八月来 加藤美代子〉〈横断歩道遠足の子ら手をあげて 吉田空音〉〈魂の抜けたるやうに夏来たる 金川清子〉〈初つばめ電線の無き蔵の町 曽根新五郎〉〈延長のコード短し蟬時雨 中島登美子〉〈台風一過母の新居のケアハウス 渡辺広佐〉〈風光る「命」一字の墓石かな 曽根新五郎〉〈てのひらの命の重さ落し文 曽根新五郎〉〈朧夜の飲み遺されし薬かな 曽根新五郎〉〈花冷のぬくもり残る母の骨 曽根新五郎〉〈八月の鑞涙長き絵蠟燭 曽根新五郎〉〈ティータイム傘寿三人桜餅 永吉芳典〉〈生麦の刃傷記念碑葉鶏頭 小嶋芦舟〉〈木の実降る土偶の口のあいうえお 長濱藤樹〉〈ガリレオの伝記読む子や冬銀河 肥後直美〉〈夏燕橋脚残る国境 堀尾笑王〉〈相模野の空使ひ切り凧合戦 鈴木経彦〉〈AEDある祭りのテント人ふたり 小池たまき〉〈「与太」と云ふ兜太の母や天高し 大西ぼく太〉〈交みつつ太初の空へ赤とんぼ 北悠休〉〈滴りの富士洞穴の無音かな 藤田幸次郎〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)2月号の「実力作家代表句競詠」に、竹市漣が「落慶」と題して、〈頭上より棟梁の声十二月〉〈格天井へ龍を納めて年惜しむ〉など6句を選んで披露。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)2月号の「精鋭16句」に、西川火尖が「有料」と題して、〈冬帽子金を払つて生きてゆく〉〈枯菊を焚く最後まで多数決〉〈風邪の子の玩具に敵と味方あり〉〈散逸の前の平成冬菫〉など16句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)2月号の特集「季語になった動物 ならなかった動物」において、「季語になった動物を詠む」の項に岡田由季が「自由研究」と題し、〈長男の自由研究蟻地獄〉〈隼の空不等辺三角形〉など7句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)2月号の特集「季語になった動物 ならなかった動物」に、吉田悦花がエッセイを寄稿、「私の「わん句歳時記」」と題して、〈私の著書『わん句歳時記』、「わん句」で深まる愛犬との絆俳句を集めた俳句入門書、愛犬の写真が満載のビジュアル版として発刊されてから、もう三十年になる。人と犬は、長い長い共生を経て、現在のような特別な関係を結べるようになった。なかでも、日本人と日本犬の関係は独特で、日本犬は日本人によって、自然のままの心身を生かすことを大事に、かけがえのないパートナーとして愛し守り抜かれてきた。東日本大震災後、私は、岩手県釜石市の仮設住宅に暮らす後藤弘志さんご夫妻とその愛犬、黒柴の美玖を訪ねた。「私たちはふたりで一人前、美玖もずっと一緒だよ」とつぶやく弘志さんは、長引く仮設暮らしで体調を崩された。一昨年末、ようやく一戸建に移られたという後藤ご夫妻に会いに行った。美玖は、家の隣の犬小屋にいた。弘志さんと山野を駆け回っていた頃にくらべ、心なしか元気がなかった。でも、眼光の鋭さは健在だった。私の心に刺さるような真摯な眼と対峙するうち、からだの内なる声に耳を澄まし、命が喜ぶ生き方をしよう、と強く感じた〉と叙述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)2月号の金子兜太一周忌特別企画「100人が読む!金子兜太の100句」において、《呪われてあり少女の顔へ蝶や蜂や》の句に対し、山岸由佳が、〈まるで少女の目鼻の代わりに蝶や蜂が集まり、一枚の象徴的絵画を眺めているような錯覚に陥る。呪いをかけているのは人知の及ばぬ自然世界なのか、少女自身なのか、また作者自身なのだろうか。少女という未来の不確かさ、脆さ、瑞々しさが美しさとして内包されている〉と鑑賞。また、《孤独死の象や鯨や正月や》の句に対し、田島健一が、〈俳句における「滑稽さ」とは、機械的な日常生活にこびりついた、致し方ない「意味」による。掲句は〈正月〉の「滑稽さ」と並べて、〈象〉や〈鯨〉の〈死〉を想像するが、この〈孤独死〉という概念もまた馬鹿らしいほど人間的な「滑稽さ」に他ならない。実に人間的な〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)2月号の「新刊サロン」において、飯田晴句集『ゆめの変り目』(ふらんす堂)を宮本佳世乃が「いようとする力」と題して紹介、《秋風の野を脱ぎ捨てるやう逝けり》《鳥渡る三朗の骨みな壺に》の二句に対し、〈二〇一五年の作品。この二句が一ページに並んでいて、何度ひらいてもかなしみが飛び込んでくる。この年の秋、夫であり「雲」の元主宰の鳥居三朗さんが急逝された。秋風の野をたらふく歩いて我が家に帰り、野の匂いを纏った服を脱ぐ。彼は身ひとつだ。この二句を読むとき、三朗さんの姿を私なりに結び、愛しさ(いとしさ/かなしさ)についてを思う。世間は「死ぬときはピンピンコロリがいい」と言うけれど、突然の「あなたの死」はかなり堪えると思う。察することしか、できないけれど。本句集は編年体になっている。作者の師である今井杏太郎、夫である鳥居三朗両氏の死をはさみながら、日々を生きつつ、足で歩きながら作った俳句たちだ。ただ、たとえお二方の死がなかったとしても、もともと作者には、ものに近づき、交感しようとする思いや術があるように思った。目の前の季節や生きものと、瞬間をともにいる/いようとしていることが伝わってくる〉と記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)2月号「投稿俳句界」
・高橋将夫選(題:月)「秀作」〈月光の竜神様の湖心かな 曽根新五郎〉
・名和未知男選(題:月)「秀作」〈ガンダーラの痩身仏よ月今宵 長濱藤樹〉
・名和未知男選(題:月)「秀作」〈名月や鑑真和上御座すかに 永田寿美香〉
・稲畑廣太郎選「秀逸」〈一人居の秋思差したる花瓶かな 高橋透水〉
・茨木和生選「秀逸」〈大使館にパン焼くにほひ冬隣 山口紹子〉
・古賀雪江選「秀逸」〈一階も二階も一人の良夜かな 曽根新五郎〉
・山尾玉藻選「秀逸」〈一階も(前掲)曽根新五郎〉
・山尾玉藻選「秀逸」〈大使館に(前掲)山口紹子〉
・山尾玉藻選「秀逸」〈これよりは夫とふたりの月の道 金川清子〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)2月号「平成俳壇」
・星野高士選「推薦」〈父洗ふ弟洗ふ島の墓 曽根新五郎〉=〈出だしが〈父洗ふ〉と来たので衝撃的であったが、お盆の季題「墓洗う」をこのように少し離して使うこともある。父そして弟と先祖の墓を洗う男の姿がよい。島という情景が切ないが、島ということで海も見えてきた〉と選評。 - 東京新聞2月10日「東京俳壇」
・石田郷子選〈寒暁や遺構めきたる大団地 片岡宏文〉 - 朝日新聞2月17日「朝日俳壇」
・高山れおな選〈春愁を六尺の身に持て余す 渡邉隆〉
・長谷川櫂選〈春愁を(前掲)渡邉隆〉