2019年3月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。3月号は「第七十一章 シルクロードへの旅(三)」。本章では、加藤楸邨のシルクロード行における作品から、《アムール河泳げる首に太陽吊り》《日本語をはなれし蝶のハヒフヘホ》《玫瑰が沈む湖底へ青の層》《ニエダトロガは乙女のつぶやき草の実跳ぶ》《青胡桃青の一途や死者の道》《驢馬の耳ひたひた動く生きて灼けて》《砂熱し沈黙世界影あるき》などの句を、筆者(石寒太主宰)の著書『加藤楸邨の一〇〇句を読む』にある記述を中心に再構成するかたちで、個々に解説を加えながら鑑賞しています。楸邨のそれらの句は、昭和48年9月に毎日新聞社より刊行された『死の塔』に収められていますが、この本について筆者(寒太主宰)は、〈『死の塔』は、私が楸邨のあくなき冒険を形にするために、日ごろの恩がえしをも兼ねて出版した、それは私自身のための本でもあった〉と述べています。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号の巻頭グラビア「俳句界ニュース」が、「炎環」新年俳句会・懇親会(1月20日)の模様を写真と文章によって記録、〈総会では主宰・編集長の挨拶、新同人の発表、「炎環」四賞の表彰、新刊句集紹介などがあった。また、運営するホームページの現況と展望についても、アクセス数の推移などデータを提示しての発表が行われた。主宰による講演は「楸邨山脈の人々」と題し、師事した加藤楸邨を中心に熱弁をふるった。続く懇親会では、俳句の穴埋めクイズで、豪華景品を巡り熱い戦いが繰り広げられた。結社の勢いを感じさせる会となった〉と記述し、簡単な結社概要に添えて《亀鳴けるころなり院の行在所 寒太》の一句を紹介しています。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号の巻頭グラビア「俳句界ニュース」が、第11回高津全国俳句大会(2018年11月23日)の模様を写真と文章によって記録、〈恒例となっている石寒太氏による特別対談は、歌人で文芸評論家の三枝昂之氏をゲストに迎え、「俳句と短歌の詩心と異相~岡本かの子と飯田龍太ほか~」をテーマに行われた。「七七の有無という違いは単なる音数の違いにとどまらない」「短歌は自分の心を述べるが、俳句はその想いを抑えて読者の想像に委ねるものであり、読者の参加する度合いが一番強い詩形なのではないか」など、同じ短詩形である俳句と短歌の違いについて、歴史を紐解きながら熱い意見が交わされた〉と記述しています。また同誌は、たむら葉による同大会の詳細なレポートも掲載しています。
- 結社誌「椎」(九鬼あきゑ主宰)2月号の「句々燦燦」(主宰)が、当月抽出した5句の一つに、《楸邨のいそぐなのこゑ春疾風 石寒太》を選んでいます。句は『寒太俳句を読む』より。
- 結社誌「松の花」(松尾隆信主宰)2月号の「現代俳句管見・受贈句集より」(あべみゑこ氏)が石寒太句集『風韻』を取り上げ、〈病に勝てた後のこの集には心情が読み取れる句が登場している〉として、《気の遠くなるまでひとり鳥の恋》に対し、〈気の遠くなるまでひとりの孤独感。気の遠くなるまでひとりの解放感。前者に決まっているじゃないか!と言われそうな気もするが、季語の「鳥の恋」を思えば煩わしい女性から(あるいは雑用から)逃れ切った作者の解放感であっても良いではないか〉と鑑賞しています。
- 個人誌「黄草紙俳苑 黒部川」(松田郷人氏)54号(2月22日)の「黒檜抄佳句燦燦」に、石寒太主宰が《春の瀞秩父太鼓が魂おくる 郷人》に対する鑑賞文を寄せ、〈兜太・寒太は、同じ「寒雷」の楸邨の弟子。二回りもの齢の差があるが、生れは九月二十三日。兜太生誕地である秩父皆野で一緒に誕生日を祝い合った。掲出の郷人の句を読んで、この句の季節は春で趣きは異なるものの、一緒に秩父音頭を踊ったことが、つい昨日のことの様に思い出された。「秩父太鼓」が鳴り響く。それは兜太・郷人との出会いの太鼓でもあるのだ〉と鑑賞し、〈がん友の兜太さすらふ雪の朝 寒太〉の一句を添えました。
- 月刊誌「短歌往来」(ながらみ書房)2018年12月号の特集「題詠による詩歌句の試み―平成という時代」に、石寒太主宰が「平成の終わり」と題して、〈楸邨の句碑に蛍兜太来るか〉〈天皇のまろき背あり春の月〉〈平成や月の机に師の手紙〉など10句を発表しました。
- 同人誌「遊牧」(塩野谷仁代表)115号(2018年6月1日)の「遠交近交」(代表)が、《鬣のわれにあらざり春疾風 石寒太》の一句を掲げて、句集『風韻』について、〈掲句は巻頭の一句。今句集は主宰誌「炎環」三十周年を記念してのことと言う。目出度いことである〉と紹介しています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の「今日の俳人」に、谷村鯛夢が「松七日」と題して、〈初日享く赤血球や白血球〉〈年新た古稀を若手と呼ぶ集ひ〉〈しきたりを少し残して松七日〉など7句と短文を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号の「俳句会への招待――注目の俳人をピックアップ!!」に、峰村浅葱が「楸邨碑」と題して、〈ものの芽に囲まれてをり楸邨碑〉〈顔ほどの煎餅花の浅草寺〉など5句を発表。
- 「第34回富澤赤黄男顕彰俳句大会」(八幡浜俳句協会・八幡浜市教育委員会主催、3月3日愛媛県八幡浜市)が応募総数2350句から、13の各賞1句ずつ、入賞20句と、石寒太主宰を含む7名の招待選者、13名の特別選者による各選者の特選3句、秀作10句、佳作20句を発表して表彰。
◎「入賞」〈昼寝覚ダリの国より戻りけり 小池たまき〉=高柳克弘選「特選」〈シュルレアリスムの代表的作家サルバドールダリの奇妙に捻じれた世界から帰ってきた安堵感が伝わる。仮に「ダリの夢」ではつまらないが「ダリの国」で良かった。そこに国と紛うような確固とした世界が広がっていたのだ〉と選評。河村正浩「佳作」。
・松本勇二選「特選」〈よくしゃべるジーンズの穴梅雨明くる たむら葉〉=〈喋っているのはジーンズを穿いたご本人であろう。それを穴がしゃべると書いて新鮮。梅雨明けの明るい日差しの中で若いお嬢さんがしゃべり続けている様子が見えてくる。作者の視点の冴えを称えたい〉と選評。
・宇多喜代子選「佳作」〈底紅やまた一日を新しく 小池たまき〉
・坪内稔典選「佳作」〈ニュートリノ降りし樹海や山の芋 増田守〉
・神野紗希選「佳作」〈日めくりの裏の書き置き青蜜柑 武知眞美〉
・江崎紀和子選「佳作」〈山賊となりて五人のわらび狩 たむら葉〉
・大崎康代選「佳作」〈不条理な劇の始まり隙間風 増田守〉
・後藤明弘選「佳作」〈靴音の点となりゆく無月かな 武知眞美〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号が「第13回角川全国俳句大賞」の入賞作品を発表。応募総数は自由題9134句、題詠「目・眼」3075句、その中から10名の選考委員が各賞を決定。
◎題詠部門「準賞」〈こなごなの煮干の目玉原爆忌 曽根新五郎〉=鍵和田秞子「特選」、高野ムツオ選「秀逸」 - 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号「投稿俳句界」
・佐藤麻績選「特選」〈味噌少し舐めて信濃の新走 堀尾笑王〉=〈新酒は一刻も早く味を知りたいのは当然。故に、最も単純に土地の味噌を舐めただけで試飲する〉と選評。
・佐藤麻績選「秀逸」〈瓢湖より白鳥の声発光す 高橋透水〉
・大高霧海選(題「心」)「秀作」〈残照の湖心の影は竜田姫 曽根新五郎〉
・有馬朗人選「秀逸」〈フェルメールの光差す窓冬の蝶 山内奈保美〉
・有馬朗人選「秀逸」〈筑波より風吹いて来る里神楽 辺見狐音〉
・有馬朗人選「秀逸」〈柿落葉カフェとなりたる白き蔵 松本美智子〉
・有馬朗人選「秀逸」〈信号の変はる間の時雨虹 髙山桂月〉
・今瀬剛一選「秀逸」〈半島の日をたつぷりと大根畑 長濱藤樹〉
・古賀雪江選「秀逸」〈影が影追ひ越して行く十二月 松本美智子〉
・古賀雪江選「秀逸」〈瓢湖より(前掲)高橋透水〉
・田島和生選「秀逸」〈味噌少し(前掲)堀尾笑王〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号「平成俳壇」
・出口善子選「秀逸」〈父の影蹴り立冬の逆上がり このはる紗耶〉 - 読売新聞3月5日「読売俳壇」
・小澤實選〈駅蕎麦の出汁の香の駅春隣 堀尾笑王〉 - 毎日新聞3月18日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈集まれば政治のはなし日向ぼこ 辺見狐音〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の大特集「暗唱したい春の名句136」の「U50」の項にて甲斐由起子氏が17句のうち1句に《まもなく三鷹曇り空のうぐひす 宮本佳世乃》を選び、〈作者の心境が句またがりによる緩急の旋律となり迸る〉とコメント。句は句集「鳥飛ぶ仕組み」より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号の連載「結社誌全読破マラソン」(生駒大祐氏)が《市役所のうしろに山の眠りをり 岡田由季》を取り上げ、〈季語の世界と日常の世界を上手く句の中で調和させるのは困難な作業だが、《市役所のうしろに》という口語的表現に《山の眠りをり》と季語を引き寄せて詠むことで柔らかな質感の世界を作り上げた〉と鑑賞。句は「炎環」2018年11月号より。
- 田島健一・宮本佳世乃・西川火尖が執筆陣に加わっている、現代俳句協会青年部・編『新興俳句アンソロジー 何が新しかったのか』(ふらんす堂・2018年12月25日発行)は、神野紗希氏の「はじめに」によると、〈新興俳句作家四四名に関する評論と一〇〇句抄に加え、新興俳句にまつわる一三のコラムを収録〉した一書で、〈執筆者はほぼ一〇~四〇代までの若手俳人〉。ちなみに〈新興俳句とは、秋櫻子離反により俳壇内に起こった、対「ホトトギス」のすべての活動と、それによって生み出された作品の呼称である。そこには芸術派もプロレタリア俳句派も有季も無季も、すべて含まれて〉おり、秋櫻子の「『自然の真』と『文芸上の真』」が出た昭和6年(1931)から、「京大俳句」弾圧事件の起きた昭和15年(1940)までの10年間が対象。田島健一はコラム「新興俳句におけるプロレタリア俳句」を担当、プロレタリア俳句が〈最も活動的だったのは昭和五年のプロレタリア俳句誌「旗」創刊から昭和一五年の俳句弾圧事件までの約一〇年間で〉、その間の運動の流れを概観し、〈プロレタリア俳句運動の潮流は、偶然ではあるものの、どこか新興俳句運動との類似性を感じさせる〉と記述。宮本佳世乃は作家「三谷昭」(1911~1976)を担当、〈三谷昭は、俳人であり、編集者であり、現代俳句協会の幹事長、初代会長と重要なポストを任され、多くの俳論を遺した。編集者として何万もの俳句にまみれてきた彼が作句を始めたのは昭和七年。師に就いて選を受けることをせず、はじめから同人誌で発表してきた。それが矜持であったのだろう〉と論じ、彼は〈後に、新興俳句について「あの運動の目的は、俳句の自由化であった」と述べ〉ている(昭和41年)ことを指摘。西川火尖は作家「三橋敏雄」(1920~2001)を担当、〈この俳人は完璧に俳句の解が見えていて、ひたすらそこに向って進んでいったのではないか。そのため、何も知らない私が三橋敏雄について述べようとすると、非常な困難がつきまとう。しかし、新興俳句時代は敏雄の初学時代にあたり、若い敏雄が新興俳句とどのように関わり、何を得て、なぜ離れたのかを手掛かりにして、敏雄俳句に迫っていけるのではないかと思う〉という着想から、この作家が〈初学時代〉に採った〈独学の基本戦法〉に注目。