2019年5月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。5月号は「第七十三章 シルクロードへの旅(五)」。加藤楸邨が昭和47年、49年、50年の3回にわたって敢行したシルクロードの旅は、〈楸邨にとって異質の土地・文明へ挑戦する大切な旅であった。この旅はそれまでの楸邨の『おくのほそ道』の旅がそのまま延長された、さながら海外版ということになり、特に楸邨の旅ではエポックメイキングの刺激ある旅となっている。いろいろあるが、なかでも楸邨にとって印象深かったのは、鸛とカイバル越えだったのではないか〉と筆者(石寒太主宰)は指摘します。まず「鸛」について。〈この旅で楸邨は、二度鸛を見ている〉、その旅とは昭和50年の旅で、場所はトルコでした。《鸛巣ごもる人の砦はひと滅び》《鸛交る翼ゆさゆさと入日搏ち》の句を「鸛と煙突」から引きます。またそのおりカッパドキアの「カイマクリの地下都市」を参観しており、それについて書いたエッセイと《地下冷えて埋もれし声充満す》《雨季の果地底に風の生まれをり》の句を紹介します。つづいて「カイバル越え」ですが、アフガニスタンからパキスタンに向けてカイバル峠を越えたのは昭和49年の旅で、そのとき楸邨は体調を崩して高熱に苦しみ、峠を越えてからツアーの一行と別れて病院に入りました。この過程を「糞ころがしの歌」から進行順に引き、《バスに来し虻とカイバル峠越ゆ》《砂漠風邪惹いて寝釈迦に似たりけり》《太陽も猫も渦巻き沙つむじ》《オレンジの実を捥ぐやその花こぼれ》《高熱や西日の銃口近づき来》(前2句は『吹越』から)《昼寝してナン売はらわたまで乾く》《頂上や陽炎のぼる墓の上》《銃立てて西日の兵と野の兵と》《闇中に別れいふこゑ花杏》《まきのぼる夜の黄塵とインダス越ゆ》《泉はなきかカイバル越えの弱法師》《熱の中守宮と息を合はせをり》《守宮消ゆ搏つもののなきいなびかり》《てのひらをひらくやみどり心電図》と並べてから、その詳細を解説しています。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)4月号の特集「平成最後の春だから—「私の平成」回顧録」における「巻頭エッセイ」を、石寒太主宰が「平成最後の春に想う」と題して執筆し、〈昭和は、戦争に象徴される時代であった。俳句を創る人々のテーマもまた、戦争が中心であった、といっていい。作者も読者もともにひとつの大きな主題、それが明確に戦争にあった時代ともいえる。それに対し、平成の時代はどうだったのであろうか。特に俳句に於いては、どのように変わっていったのであろうか。大きいのは自然災害であろう。阪神淡路大震災と東日本大震災という未曾有の巨大大震災をはじめ、平成の三十年でさまざま自然災害が発生し、各地に甚大な被害をおよぼした。俳句という世界最短詩形も、いやおうなくそのことに対峙せざるを得なくなり、大きく変わらざるを得なくなった、といっていい。もう少し身近な問題に目を向けてみると、家庭では映画鑑賞はすっかり動画配信に移行し、同様にコンテンツ産業はインターネットとスマートフォンの普及で消費形態も激変し、時代の空気を映す俳句の内容も多様化している。俳句への影響はゆるやかである、とはいえその影響も無視できない。この平成で日本および日本人の喪ったものは多い。俳句界でいえば、最長老であった金子兜太がとうとう亡くなった。兜太は大正生まれ(一九一九年)で、「自分は俳句のために生まれてきた男」と、いつも自負していた。兜太がこの世を去ったことは、ひとつの時代の終焉をつくづくと感じさせる。その意味では、俳句史上にも、大きな区切りがついた、といえるであろう〉と述べています。
- 週刊誌「サンデー毎日」(毎日新聞出版)4月28日号が「平成を詠む」と題して、サンデー俳句王(同誌の人気投句コーナー)の宗匠たち(嵐山光三郎、奥田瑛二、やくみつる、川上弘美、戸田菜穂各氏)に石寒太主宰を加え、新元号発表直後の4月2日に行った「改元句会」における合評の模様を掲載しました。句会は、各人3句ずつ出し、6人の計18句から「天」(5点)、「地」(4点)、「人」(3点)を1句ずつ、「客」(1点)3句を選び、合計点で競います。寒太主宰の選は、天〈句読点ありやなしやの平成か 奥田〉、地〈改元を待たず逝く人春夕焼 やく〉、人〈つつじ咲いて前科五犯の恩赦かな 嵐山〉、客〈花冷や小声で告げるさやうなら 川上〉〈黒髪の少女桜の空仰ぐ 戸田〉〈はやぶさが地球に帰還する薄暑 嵐山〉、最高点句(15点)は〈春の月思い出すのは声でした 戸田〉、寒太主宰の句は〈平成の最後ひとりの卒業生〉〈平成の天皇もイチローも終はり春〉〈花冷えや「令和」元年はじまれり〉の3句でした。なお寒太主宰は、同誌の「サンデー俳句王」にて「秀句燦々」というコラム(古今の名句鑑賞)を毎週連載しています。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の総力特集「さらば平成」における「平成総まとめ!俳人アンケート92名」に石寒太主宰は次のように回答しています。①平成を代表する俳句=〈亀鳴くを聞きたくて長生きをせり 桂信子〉〈茄子焼いて冷やしてたましいの話 池田澄子〉〈天空は生者に深し青鷹 宇多喜代子〉、②平成を代表する句集=『未踏』髙柳克弘(ふらんす堂)・『森へ』宇多喜代子(青磁社)、③新時代に期待する俳人=高野ムツオ・神野紗希。
炎環の炎
- 「第20回隠岐後鳥羽院俳句大賞」(「後鳥羽院顕彰事業」実行委員会主催、4月15日島根県隠岐郡海士町)が応募総数1945句から、石寒太主宰を含む5名の選者がそれぞれ特選1句、準特選1句、入選30句、佳作30句を選出、それをもとに大賞ほか各賞を決定して表彰。
◎「大賞」〈楸邨の島楸邨の木の芽かな 曽根新五郎〉=宇多喜代子選特選(賞)、石寒太選「入選」
◎「島うた歳時記賞」〈渺々と隠岐の海光飛魚とべり 中西光〉=石寒太選「入選」、小澤實選「入選」、有馬朗人選「佳作」
◎「松籟賞」〈楸邨のこゑを聴きたし冬木の芽 内野義悠〉=石寒太選「準特選」、小澤實選「佳作」
◎稲畑廣太郎選特選(賞)〈一枚の島の卒業証書かな 曽根新五郎〉=宇多喜代子選「佳作」
・稲畑廣太郎選「入選」〈飛魚の水先案内隠岐フェリー 鈴木経彦〉
・有馬朗人選「入選」〈黒牛の冬木影へと消へゆけり 内野義悠〉
・有馬朗人選「佳作」〈切り岸へ近づく小船岩つばめ 坂根若葉〉
・石寒太選「入選」〈隠岐の旅秋の雷より始まれり 松本平八郎〉
・石寒太選「入選」〈上皇の名残の菊花隠岐の海 永井朝女〉
・石寒太選「佳作」〈海猫を乗せて入港隠岐フェリー 鈴木経彦〉
・石寒太選「佳作」〈黒木御所跡の台座や露ひとつ たむら葉〉
・石寒太選「佳作」〈乳房杉へ夏鶯の澄みわたる 永田寿美香〉
・石寒太選「佳作」〈島の名を賜はる牛か冬うらら 内野義悠〉
・宇多喜代子選「入選」〈隠岐の旅(前掲)松本平八郎〉
・宇多喜代子選「佳作」〈隠岐の子の使い切れざる夏の海 鈴木経彦〉
・宇多喜代子選「佳作」〈楸邨の蓑虫鳴くよ御火葬塚 たむら葉〉
・小澤實選「佳作」〈勝牛の荒き鼻息梅雨の風 鈴木経彦〉 - 「第13回おのみち俳句まつり」(尾道観光協会主催)が応募総数1182句から、鷹羽狩行氏の選により、大賞等各賞10句と入選109句を発表して、3月16日~4月14日広島県尾道市千光寺公園に掲示。
・「入選」〈灌仏や指さきに生むひと雫 内野義悠〉
・「入選」〈花の一片滑り込む旅鞄 髙山桂月〉 - 「第35回吉徳ひな祭俳句賞」(吉徳大光主催)が応募総数1829句から、黒田杏子氏の選により、入賞12句を発表して、1月26日~3月3日東京都台東区の吉徳本店に展示。
◎「最優秀賞」〈雛飾る時浮かびくる未来かな 内野義悠〉=〈未来かなの座五が実に新鮮〉と選評。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号「投稿俳句界」
・大高霧海選(題「土」)「秀作」〈土石流崩落跡地霜柱 堀尾笑王〉
・名和未知男選(題「土」)「秀作」〈いのちみな土に還らむ枯木星 小野久雄〉
・今瀬剛一選「秀逸」〈母の亡き一間に冬の来てゐたり 結城節子〉
・角川春樹選「秀逸」〈恐竜の名前すらすら冬の月 金川清子〉
・佐藤麻績選「秀逸」〈遠山の虚子の枯野の晴れにけり 曽根新五郎〉
・夏石番矢選「秀逸」〈霜の花真は隠すためにある 長濱藤樹〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号の「実力作家代表句競詠」に、加藤美代子が「眉根」と題して、〈からまつや深々と母霏々と雪〉〈春愁を解かぬ眉根や阿修羅像〉など6句を選んで披露。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号の「全国の秀句コレクション」に、同誌編集部が毎月の受贈誌から選んだ29句の一つとして、〈ふるさとの雪に匂ひのありにけり 佐藤繁正〉を掲載。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号「平成俳壇」
・井上康明選(題「平成」)「秀逸」〈平成の三月十一日のこと 曽根新五郎〉
・伊藤敬子選「秀逸」〈行く年の母の歩行器母の杖 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の総力特集「さらば平成」における「平成百人一句」(宇多喜代子氏・正木ゆう子氏・小川軽舟氏・高山れおな氏・関悦史氏共同編集)が、100句の一つに〈ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一〉を選出。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の連載「結社誌全読破マラソン」(生駒大祐氏)が《こゑ悪しき鳥集まれり一位の実 齋藤朝比古》を取り上げ、〈《こゑ悪しき》というのはあくまで人間の主観に過ぎず、自然にとっては「美しい声」の鳥もそうでない鳥も変わりがない。むしろそう表現することでどこか雅の世界の情景が見えてくる。《一位の実》の選択もそれを強調している〉と鑑賞。句は「炎環」1月号より。
- 東京新聞5月5日「東京俳壇」
・小澤實選「月間賞(4月)」〈どんぶりの底に福の字春の雲 山岡芳遊〉 - 東京新聞5月12日「東京俳壇」
・石田郷子選〈車椅子の妻の目聡しつくしんぼ 片岡宏文〉 - 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)5月号の「翌檜篇」に柏柳明子が現代俳句協会青年部からの依頼を受けて作品を発表。作品は「遠く」と題し、〈足跡の残つてゐたり凧〉〈七色にひと色足らぬ石鹼玉〉〈言葉から遠くありたし金亀虫〉など8句。
- 結社誌「風土」(南うみを主宰)4月号の「現代俳句月評」(中根美保氏)が《戦争の終はらぬ星の星まつり 三輪初子》を取り上げ、〈「受賞の言葉」に、「終はらぬ星」の「星」を「地球」とすることも考えたとある。でも「星」としたからこそ「星まつり」という季語が生きてくる。遥か昔からこの星のどこかで繰り返されてきた戦争。いつか終りが来ますようにと、星祭に願いを托す〉と鑑賞。句は第22回毎日俳句大賞受賞作。
- 結社誌「天穹」(佐々木建成主宰)5月号の「現代俳句逍遥」(岩澤秀二氏)が《年新た古稀を若手と呼ぶ集ひ 谷村鯛夢》を取り上げ、〈俳句の世界では古稀はまだまだ若手に入る年代である。俳人協会会員の平均年齢は八十歳近いという。この句から建成主宰の「俳句では古稀はひよつこ浮いて来い」の句を思い出した〉と鑑賞。句は総合誌「俳句」3月号より。