2019年6月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。6月号は「第七十四章 楸邨の墓参と旧居巡り」。昨年の10月号(第六十七章)より第11句集『吹越』について論じていますが、本章では、それから少し逸れて、この3月26日に、筆者(石寒太主宰)が曽根新五郎ら数名と、加藤楸邨の墓に参り、旧居を巡ったことについて記します。楸邨の墓は東京都世田谷区の九品仏浄真寺にあり、その墓について筆者(寒太主宰)は次のように述べています。〈楸邨夫妻がこの九品仏の浄真寺に墓を求めたのは、夫人の知世子氏が強くここを望んだからに他ならない。申し出を受けた住職は、「すみません。この墓地にはもはや売る墓域はほとんどありません」と、一旦は断られたものの、知世子夫人が何回も懇願したため、売るところではない墓地のはずれの崖っぷちのくずれそうな桜の木の下の端っこをようやく譲ってもらったのだそうである。この話は、楸邨先生から何回か聞いたことがある。だから、本当に分かりにくいところにあって、急に思い立って訪ねた人には、ほとんど見つからず一度や二度帰ってきてしまう人が多い〉。墓参のあとは旧居を訪れますが、それは〈ある筋から聴いた話では、楸邨が住んでいた家が、あとかたもなく壊され更地になってしまっている、という噂で、その事がずっと私の頭から離れず、尾を引いて気になっていた〉からです。〈(楸邨宅への)この道は月一回、多い時は週二、三回も通った一筋である。でも、楸邨が亡くなってからは、一度も訪ねてはいない。楸邨が没したのは平成四年であるから、考えると、実にもう二十六年ぶりの訪問であった。東京都大田区の北千束駅の周囲にはビルが建ちならび、あたりは少し変化してはいたが、小さな駅そのものはむかしのままであった。見覚えのある線路脇の敷地には、一台のブルドーザーが入っていて、門や旧居もすでになかった。工事依頼者に加藤何某の名があった。私は住居跡が全くの他人ではなく、少なくとも身内のものにその解体がゆだねられていたことに、少し安心した。細い脇道から庭に入った。庭はまだ手つかずで、植木や楸邨の愛した池もそのままに残されていた。楸邨が昭和二十五年四十五歳に詠んだ《落葉松はいつ目ざめても雪降りをり》の信州から移植したという落葉松が芽吹いていたし、執筆の合間に常に散策した庭には、泰山木が大きく宙を突いており、愛玩していた柚子やきんかんが鈴生りであった。いくつかが地に落ちて泥にまみれていた。牡丹も芽を吹いていた。楸邨との思い出が蘇り、思わず目がしらが熱くなった〉。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号の大特集「推薦!令和の新鋭 U39作家競詠」にて、西川火尖が「他は分からぬ」と題して、〈桜まじゲームボーイのドット落ち〉〈花の世の給与勢ひよく上がれ〉〈春深し餌やるためのピンセット〉〈喜びの他は分からぬ蚕かな〉〈愛国を知らぬ吾が子は蝌蚪が好き〉など20句を発表。これに石寒太主宰が推薦のことばを添え、〈火尖さんの俳句に向かう姿勢は真摯。その句は観念を底に沈めつつ言語によって具象化させるリリシズムの新たな俳句形式に挑む〉と記述。あわせて寒太主宰選の「西川火尖秀句25」を掲載。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の特集「俳句の魅力」に金原亭馬生がエッセイと俳句を寄稿、エッセイでは小咄調に〈昔は「俳諧師」、今は「俳人」 どっちにせよ音のひびきが良くありません。「徘徊」「廃人」。昔の句は言葉遊びの要素が多いです。松尾芭蕉の句、《あらたうと青葉若葉の日の光》には日の光で日光の地名が隠れています。《行はるや鳥啼うをの目は泪》 魚の目が取れないので痛くて目に泪が出る。芭蕉は痔が悪いのは有名ですが、魚の目でも悩んでいたかも?〉と洒落て〈言葉で大いに遊びましょう〉と語り、俳句はで〈想ふ人ゐて二合半の冷やし酒〉など5句を披露。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の「ピックアップ 注目の句集」は竹市漣句集『落慶』。句集からの作者自選5句に加え、新作10句とエッセイを掲載。新作は「胎動の記憶」と題し〈門前のご降嫁の道桐は実に〉〈花芒聞きながすことむづかしく〉〈胎動の記憶八十八夜かな〉など。また、高野ムツオ氏が『落慶』の鑑賞を寄稿、「さまざまないのちを見つめて」と題した4頁に渡る文章の中で、《組み合へる梁と柱よ北颪》に対しては〈赤城颪だろうか。強風を真っ向に受けながらも、しっかりと組まれていく梁と柱への信頼がこの句から伝わる。伐られ加工されながらも、しかし、仏の守護のため永劫の力を尽くそうとする樹木の命のあり方が、寺の大黒としての慈愛に満ちた視座から表現されている。「よ」の心溢れるばかりの呼びかけが生きている。集中の秀作と呼んでいいだろう〉と記述。つづいて「一句鑑賞」を三輪初子と曽根新五郎が寄稿、初子は《核の話やがて桜の咲く話》を取り上げ〈「核」と「桜」の対極の話が、印象的である。時の経過を調整すべき副詞「やがて」を登場させて一拍置いたのは、作者の優しさと機智が表れている。災害の復興を願いつつ、平成最後の桜に平和を託す姿が、はっきり浮かんでくる〉と、また新五郎は《さへづりの寺天正の礎石より》を取り上げ〈天からの祝意に満ちた「さへづり」はまさにこの寺への青い鳥達の幸せの合唱である。「さへづり」の寺の原点でもある天正の礎石に思いを寄せる心配りこそ、この句の作者の心の深さであり、天・地・人への感謝を忘れない祈りの優しさであろう〉と記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の「この本この一句」(環順子氏)が竹市漣句集『落慶』と《沈香を京に買ひたる暮春かな》の一句を取り上げ、〈著者は、名刹の大黒さんである。お香選びも大事なお仕事の一つなのであろう。先ごろ本堂の改築を終えて落慶式も成された折の、おめでたい本句集である〉と紹介。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号「投稿俳句界」
・行方克巳選「特選」〈靴下の踵の穴の恵方かな 堀尾笑王〉=〈靴下の穴の位置で恵方を決めるなんて全く思いもよらない発想ですね。俳諧味があって、私にはとてもおもしろく思われました〉と選評。
・大高霧海選(題「災」)「秀作」〈天災に勝る人災亀鳴けり 曽根新五郎〉
・名和未知男選(題「災」)「秀作」〈被災地へふるさと納税冬の虹 結城節子〉
・田島和生選「秀逸」〈床上げの母の鍬待つ春の土 髙山桂月〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号「令和俳壇」
・夏井いつき選(題「和」「風」)「秀逸」〈風上に野生馬のゐる野焼かな 曽根新五郎〉
・五十嵐秀彦選「秀逸」〈龍神の朧月夜の湖心かな 曽根新五郎〉 - 東京新聞6月2日「東京俳壇」
・石田郷子選〈文机に昨日の蟻とまた遇へり 片岡宏文〉 - 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)6月号の「『現代俳句年鑑2019』を読む」で、近恵が感銘句として《水平線見れば独りや立泳ぎ 伊藤和子》を取り上げ、〈だだっ広い海に自分一人。その瞬間に感じる猛烈な孤独感と、海に攫われてしまうかもしれないという圧倒的な恐怖感。句が平明な言葉だからこそ読者はその感覚を自らに呼び起こそうとする〉と鑑賞。