2019年7月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句界」(文學の森)に石寒太主宰が連載中の「牡丹と怒濤――加藤楸邨伝」。7月号は「第七十五章 句集『吹越』の魅力と書」。第11句集『吹越』は加藤楸邨61歳から70歳までの句を収めていますが、この時期楸邨は芭蕉顕彰碑を多く揮毫しています。〈楸邨の句碑嫌いは有名ですでに書いた。が、自分の句を碑にするのは、生理的に好まない楸邨でも、芭蕉を顕彰する(広める)碑については、頼まれればかなり積極的に書き綴っている〉と筆者(石寒太主宰)。今年5月に、山刀伐峠から尾花沢へと「おくのほそ道」のルートを旅した筆者(寒太主宰)は、〈この旅先で楸邨が書いたいくつかの芭蕉顕彰碑に出会い、楸邨という人の筆の力を改めて身に感じた〉ため、本章ではそれについて述べています。その一つが山刀伐峠頂上の芭蕉顕彰碑で、そこには「ほそ道」本文の峠越えの箇所が書かれており、〈今回改めて見つめた楸邨の筆跡には、私は目を瞠るものがあった。碑文の裏の解説を読むと、楸邨が昭和四十三年に書いた筆を碑にしたものであった。楸邨六十三歳。体力気力も充実して健康。そのため句碑の字も溌剌、力量感あふれる強い筆跡である。いつ来ても感心させられる〉。そしてもう一つが尾花沢の養泉寺にある顕彰碑。芭蕉はこの寺に滞在し清風らと歌仙を巻いたが、この碑は〈その歌仙の冒頭の四句を、楸邨が依頼されて書いたもので、この時楸邨は、六十九歳。先の山刀伐峠の筆跡と比べると、やや衰えてはいるが、まだまだ元気であった。養泉寺には、これまで何回か来ていたが、見落としていた。これは今回の旅の収穫であった〉と記しています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句界」(文學の森)7月号「投稿俳句界」
・角川春樹選「特選」〈トルソーの腕の断面水温む 結城節子〉=〈「腕の断面」という細部を詠んだことで、映像の復元力が強まり、一句の新鮮味に繋がっている。「水温む」という穏やかな景が広がる季語の取合せがいい〉と選評。
・行方克巳選「特選」〈諸葛菜少年工に所得税 堀尾笑王〉=〈一生懸命働いて得たわずかな収入にもちゃんと税金がかかってくる。いわゆるワーキングプアは絶対に何とかしなければいけないでしょう〉と選評。
・稲畑廣太郎選「秀逸」〈連れ歩く影もリハビリ青き踏む 曽根新五郎〉
・古賀雪江選「秀逸」〈枝折戸の色は飴色蝶生まる 永田寿美香〉
・田島和生選「秀逸」〈カラフルな紙のごみ箱鳥曇 長濱藤樹〉
・能村研三選「秀逸」〈白梅の万のみひらく瞳かな 曽根新五郎〉
・山尾玉藻選「秀逸」〈給食の騒ぎのもとははうれん草 高橋透水〉
・山尾玉藻選「秀逸」〈連れ歩く(前掲)曽根新五郎〉 - 朝日新聞6月16日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈六月の光の中の二人かな 池田功〉 - 東京新聞7月7日「東京俳壇」
・石田郷子選〈庭中の緑励ます梅雨入かな 片岡宏文〉 - 東京新聞7月14日「東京俳壇」
・石田郷子選〈六月や抜かずにおきし草に花 片岡宏文〉 - 愛媛新聞7月10日のコラム「季のうた」(土肥あき子氏)が、《あかあかと四万六千日の舌 近恵》を取り上げ、〈7月10日の観世音菩薩の縁日は四万六千日分の功徳が得られる。功徳日に参詣する人だかりの中で、ふと舌を意識するのは露店に連なる赤い鬼灯(ほおずき)の残像にもよるだろう。そして舌は二枚舌、舌先三寸など、人間の業の多くに使われ、嘘(うそ)をつけば死後にえんま様に裁かれ抜かれてしまうものである。日頃お参りすることなく、功徳日だけに足を運ぶことに対する罪の意識がちらりとよぎる〉と鑑賞。句は炎環新鋭叢書シリーズ5『きざし』より。
- 愛媛新聞7月17日のコラム「季のうた」(土肥あき子氏)が、《さよならの高さにありし夏の月 柏柳明子》を取り上げ、〈さよならとは手を振り、見送ることかと思えば、その高さは目の位置あたりだろう。ひとしきり振った手を止め、後ろ姿を目に収めれば、先ほどまでなにもなかったかと思われた空に円い月がぽつんと昇っていることに気づく。それは見送った人との間に打たれた大きな句点のようでもある。文章の終わりに打たれる句点はまた、次の文を待つもの。新しい出会いの予感が夜空に浮かぶ〉と鑑賞。句は句集『揮発』より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)7月号の大特集「夏の季語入門」において「夏の季語・本意と実作ポイント【動物】」を担当した西村麒麟氏が「海月」の項で《ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一》を例句の一つに挙げ、「実作のポイント」として〈海月は詠みごたえのある幅の広い季語。最近の海月の句では、田島健一の《ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ》が印象深い。わかるような、わからないような「ぽ」のようなものが、案外海月の本意なのかもしれないぽ〉と解説。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)7月号の「俳壇ニュース」が「第1回子育て俳句フォーラム」(5月19日・現代俳句協会青年部主催)の模様を報じ、〈登壇した山口優夢、野口る理、西川火尖、神野紗希の各氏はみな現役の子育て世代。シンポジウムで子育てが俳句にもたらす表現の新しさについて話題が及んだ際、西川氏が「大人にとってはただの新聞紙が、子どもにとっては宇宙船にもなる。親としての自分を保ったまま、子どもの世界を覗くという関係のなかから生まれる俳句があるのではないか」と語ると、他の登壇者らも大きく頷いた〉と記述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)7月号の連載「結社誌全読破マラソン」(生駒大祐氏)が《しばらくは夕日の寒き部室かな 柏柳明子》を取り上げ、〈すっと読ませる句だがテクニカルである。「しばらくは寒き部室」という内容に《夕日の》という語を挿入し、《部室》に差し込む夕方の光にふと気づいた作者の意識を表現している。冬の《夕日》の持つ時間感覚は確かに《しばらくは》そのものである〉と鑑賞。句は「炎環」3月号より。