2020年5月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の炎
- 関根誠子が、第3句集『瑞瑞しきは』を、ふらんす堂より3月3日に刊行。著者はあとがきに〈二〇一一年に第二句集『浮力』を上梓してから、早くも十年が経とうとしている。二〇一一年三月の東日本大震災はまだ記憶に生々しいが、その悲しみも癒えないうちに、日本中のあちこちが大きな震災や風水害に相次いで見舞われ、日本全体が災害列島の様相となってしまった。そういう状況の中で俳句を詠みつづけて行くことはどんな意味があるのかと自問しながらこの十年があった様な気がする。それでも句を詠む日々は続き、「言霊」の恩寵とでも言うのだろうか、五七五という俳句の不思議なリズムに包まれ、励まされ、生かされている自分がいる事にいつしか気づかされていった〉と記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号「投稿俳句界」
・稲畑廣太郎選「秀逸」〈木の芽和昭和の残る台所 高橋透水〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈被災者の未だ被災者大晦日 堀尾笑王〉
・西池冬扇選「秀逸」〈極月の目次に戻す栞紐 結城節子〉
・能村研三選「秀逸」〈海神の散骨先は冬銀河 曽根新五郎〉 - 朝日新聞4月19日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈卒業のふたり最後のキャッチボール 谷村康志〉=〈野球部の二人? 言葉にできない別れの惜しみ方〉と選評。
・高山れおな選〈卒業の(前掲)谷村康志〉 - 毎日新聞4月20日「毎日俳壇」
・鷹羽狩行選〈啓蟄や歌舞伎の次は美術展 谷村康志〉 - 産経新聞4月23日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈お花見や薄目の猫に見送られ 谷村康志〉 - 日本経済新聞4月25日「俳壇」
・横澤放川選〈燕来る生家明日より誰ぞ住む 谷村康志〉 - 産経新聞4月30日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈亀の世話終へて花見に加はりぬ 谷村康志〉 - 東京新聞5月3日「東京俳壇」
・小澤實選〈「ぬけられます」の錆びし看板猫の恋 山岡芳遊〉 - 毎日新聞5月4日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈囀や古書のしをりに古切符 谷村康志〉 - 読売新聞5月11日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈テレワーク無口に慣れて目借時 谷村康志〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)5月号の「俳壇プレミアシート」に三輪初子が「原つぱ」と題して、〈さしあたり心をひらき白日傘〉〈見あたらぬ子どもと原つぱ子どもの日〉など5句を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の「守屋明俊句集『象潟食堂』特集」における「一句鑑賞」に三輪初子が寄稿、一句に《未来図は波打ちぎはの如く春》を選び、〈亡き恩師草田男から引き継ぎ築いて来られた結社「未来図」の秞子主宰より、自由闊達に学べる雰囲気の中で導かれながら、二十数年編集長を担って来られた守屋氏の俳句人生は計り知れぬ密度の濃さと想像出来る。その未来図を大海原からの波打ちぎわに、凱歌を挙げるわが世の“春”に擬らえるのは容易である。この波は秞子主宰出身の神奈川の海への想いと分かち合っているのだろう。ともあれ、きっちり境目をつける「際」の字より、平仮名の「ぎは」が優しい〉と鑑賞。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)の連載企画「新・若手トップランナー」、5月号に近恵が登場。「誘惑」と題して、〈ブランコは止まり体の中の海〉〈春の野のいちばん最後のでんしんばしら〉〈繰り返すはつなつよ歯に舌の触れ〉など新作10句を発表。また、「俳句と私」というテーマでのエッセイを、「我慢の子」と題して叙述。その内容は、幼少の頃、雛人形が欲しくても、持っている友達を〈羨むのも卑屈で嫌だった〉。親には〈物をねだらないじっと我慢の子であった〉。保育園では〈隅で一人本を読んでいた〉が、それは〈実は当時から人見知りが激し〉かったからで、小学校では〈校内でもトップクラスの読書量を誇った〉。しかし、詩や俳句を書くことは〈心の中を言葉にすると出てくる本当の自分を人に見られるのが恥ずかしくて怖かった〉。それが、〈四十歳を過ぎてから俳句を始め〉、〈それまで文字で書くという表現をしてこなかった反動か、五七五の言葉はいくらでも湧いてきた。私の書く俳句は現実と記憶と妄想が入り混じって出来ている。難解と言われることもあるが、もとより全員に解ってもらえるとは思っていない。「あなたは私ではない」からだ。じっと我慢の子は大人になっても物欲しげな顔は見せないままだ。人を羨む自分を卑屈に思うのも変わりない。人見知りもほぼ成長のないまま現在に到る。が、私は俳句を書くことを通して自分を曝け出す恥ずかしさが少しは減った。共感が欲しい訳ではない。少しだけ自分を解放するために書く。そんな中で読んだ誰かがちょっと心を撫でられたり震えさせられたりしたら、それは私にも作品にとっても、とても幸せな事なのだ〉。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)5月号の連載企画「新・若手トップランナー」において、安里琉太氏が「雨と祝祭と毛穴」と題して近恵作家論を展開、《海月からつながっている雨の音》を示して〈「雨音」という一瞬一瞬が、海月を知覚した一瞬から連綿と耳底に堆積されてゆく〉と読み解き、〈近恵には一句を手掛けるスピードがかなり早い、と思わせるような句がしばしば見られる。まだイメージが完全に凝結してしまう前に、いくつかの連想を手掛かりにして書き留めておいたような句〉として、《雨よろこび体にたくさんの毛穴》を例に〈雨が地表に飛着してつくる痕と「毛穴」とは形象がよく似ている。雨も、そして身体中の毛穴も沢山であって、それに引っ張られるように「よろこび」も満ち溢れているように感じる。生々しい身体を地点として、日常は途端に祝祭へと啓かれる。イメージを凝結させず、あえて書ききってしまわないことで、言葉同士が互いに触発し合っているのである〉と論述。
- 毎日新聞4月14日「歌壇・俳壇」面の新刊紹介が、宮本佳世乃句集『三〇一号室』を〈感覚的であると同時になぜかしら不思議な実感のある一冊である。《十月のひかりの橋を渡りけり》《雨空の入る鏡や蟾蜍》《箱庭の砂のあまつてをりにけり》〉と紹介。
- 愛媛新聞4月20日のコラム「季のうた」(土肥あき子氏)が、《重さうな蝌蚪ちらばつてゆきにけり 宮本佳世乃》を取り上げ、〈尾を振って泳ぐ姿も、後ろ足が生える頃になると、丸々とした胴体がずっしりと重そうに見える。この時期、体の中ではエラ呼吸から肺呼吸の準備がなされている。愛らしい姿の中には驚くべき高機能が詰まっているのである〉と鑑賞。句は句集『三〇一号室』より。
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)4月号の「俳書を読む」(加納燕氏)が、倉持梨恵句集『水になるまで』を取り上げ、集中の一句《ふらここの真下暮れゆく水たまり》に対して〈ぶらんこの下、足で擦られてできた窪みは水溜りとなり、暮れてゆく空や、ぶらんこの裏側を映し込む。何気ない窪みが、反転した世界への入り口のように様相を変える。その不思議さが、ごく短い言葉の連なりによって再生される〉と鑑賞。
- 結社誌「蛮」(鹿又英一主宰)4月号の「句集紹介」(主宰)が、倉持梨恵句集『水になるまで』を取り上げ、《春光の桟橋何でもない時間》《飛んできて天道虫となりにけり》《月朧バーテンダーの指の傷》《それぞれの日傘の中にある時間》ほか全16句を選出して紹介。
- 結社誌「軸」(秋尾敏主宰)5月号の「句集紹介」(山口明氏)が、倉持梨恵句集『水になるまで』を取り上げ、《春めくやどこまでも行けさうな靴》《向日葵や真直ぐはつまらない道》《オルガンの軋む木の蓋秋暑かな》ほか全10句を選出し、〈真向きに俳句に向き合ってきた積み重ねが詩情に長けた作品となって結晶化している。繊細で透明感のある一句一句が光と翳を生み、青春性に満ちた豊かなひと時を提供してくれる〉と紹介。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号が「第12回文學の森賞」(2018年4月~2019年3月末日の間に株式会社文學の森にて刊行されたすべての書籍を対象に選出する賞)を発表、「優良賞」に峰村浅葱編著『パドック――十一代目金原亭馬生と俳句仲間――』を選出。最終選考委員の一人辻桃子氏は、〈合同句集『パドック』を第一に選んだ。一個人の句集ではないが、一冊まるごと活々した力にあふれているところにひかれた。十一代目馬生は噺家だが、私はただ俳人としての彼の句を読み、淡々とした写生の句が良いと思った。この馬生の魅力で十六人の人々が集まり、十二年にわたり、毎月句会を開いてきた。その精華がつまっている。このような楽しみの要素の大きい句集にしてはめずらしく、どの句も衒いがなくさりげない。これはひとえに指導している峰村浅葱の力によるものだ。俳句は本来、座によって生まれ、座によって育てられるものである。その原点を見るおもいで改めて心をうたれた〉と選評。