2020年8月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)8月号の「直線曲線」に石寒太主宰が随筆を寄稿し、「俳句の扉は、いつでも開けておこう」と題して以下のように述べています。〈昨年、夏井いつき氏との俳句トークを行った。第12回高津全国俳句大会であった。氏は「私は俳句の種まきをして来たつもり、それが長い間にようやく花ひらいた」と。その基本線が私と一致して今回のトークに結びつき、その苦難の時代(それは今も続いている)があったればこそ、今のTBS系の人気TV番組「プレバト」にまで繋がっているのである。この「プレバト」についても、いろいろなことをいう人はいるだろう。俳句は五七五音という、世界最短詩型文学である。こんな狭い小さな世界の中で、さらにセクト主義にこだわっていくと、俳句は縮こまってしまう。そうではなく、こんな極小の世界で作った俳句の小宇宙をさらに自由に創造する、そこが俳句自由のひろい精神なのである。私は、いつもそのように考えてきたし、今後もその輪を広げていく。一部には、「プレバトなど、あんなのは俳句ではない、俳句はもっと高尚な文芸である」そういう人の考えはあるし、分からなくもない。が、始めからその門戸を閉ざしてしまったら、誰も入り込めなくなってしまう。志ある人はいつどこからでも自由に入ってきてその個性を十分に伸ばして欲しい。来る者は拒まず、去る人は追わず、それが俳句の国民詩としての第一歩である。俳句の門はいつでも開いておいた方がいい、そう思うこの頃である〉。
炎環の炎
- 柏柳明子が、句集『柔き棘』を紅書房より7月19日に刊行。序文を石寒太主宰が「新しい季語の現代性を求めて」と題して認め、〈いつも教室や句会で、私はいう。「いつも見ている自然なことであるけれど、そんなことをいままで句にしたことがない、それこそが秀句の条件のひとつである」と。柏柳明子句集『柔き棘』には、そんな句のいくつかを目にした。読んでいて、それを発見した喜びがあった。私が感心したことのもうひとつに、季語の使い方に独自の感覚が働いていることがある。現代俳人は時代の急速な流れとともに、只今に生きた感覚で、季語を自分の意志によって作品の中に生かしてゆくこと。それがいちばん大切なところである。柏柳明子は、季語の本意はそれとしてしっかり身につけた上で、現代感覚によって生かしながら、自分流の句に仕立てている、そんな句が多いように思われる。彼女の独自な感性でひろげ花ひらかせつつある充実した作品群、その成長が明らかに証明された好句集である〉と紹介。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)8月号の「翌檜篇」に、内野義悠が「でも」と題して、〈ラピュタより還りハンモックで我慢〉〈途中からぜんぶハミング雲の峰〉〈大南風もう二度と「でも」つて言ふな〉など10句を発表。
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号「あるふぁ俳壇」
・井上弘美選「入選」〈冬銀河戦場医師の柩かな 曽根新五郎〉=〈「戦場医師」の死を嘆くのではなく、「柩」を荘厳する「冬銀河」によつて描いた点が見事。人の世の愚かさを突き抜けて、「柩」の存在が際立つ〉と選評。
・井上弘美選「佳作」〈うたごゑの残る教室冬茜 綿引康子〉
・高野ムツオ選「佳作」〈頭よりでかき綿菓子春着の子 高橋透水〉 - 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)夏号「あるふぁ俳壇」
・小川軽舟選「入選」〈風光る墓参の駅のモーニング 尾田一郎〉=〈早朝の電車に乗って墓参りに来た。まずは駅の喫茶店でモーニングを頼み腹ごしらえ。久しぶりに来ることのできた満足感が季語にあらわれている〉と選評。
・高野ムツオ選「入選」〈鈴の音の湧くがごとくに柿若葉 赤城獏山〉=〈初夏の清々しい風にさやぐ柿若葉の音を涼やかな鈴の音に喩えた表現が秀抜。いっせいに揺れる葉のつややかな光具合まで、よく見えてくる〉と選評。
・池田澄子選「佳作」〈先生へ往復ハガキ初つばめ 中川志津子〉
・井上弘美選「佳作」〈先生へ(前掲)中川志津子〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号「投稿俳句界」
・中村正幸選「特選」〈鳴き砂の三月十一日を鳴く 曽根新五郎〉=〈我々は毎日死と擦れ違い、生と死の狭間に生きている。淋しさ、哀しさこそが生であるように思えて仕方がない。鳴き砂もまた人間社会の哀しみを知っているかのように鳴いている。鳴くのリフレインが、切なく胸に迫って来る〉と選評。
・中村正幸選「秀逸」〈たいくつな極楽図絵の日永かな 曽根新五郎〉
・古賀雪江選「秀逸」〈昭和の日舌にはりつく花鰹 永田寿美香〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈たいくつな(前掲)曽根新五郎〉 - 朝日新聞7月12日「朝日俳壇」
・大串章選〈冷酒や笑ひの中に哀しみも 谷村康志〉=〈この世はまさに、禍福は糾える縄の如しだ〉と選評。
・長谷川櫂選〈一党のごとし極暑の黒マスク 渡邉隆〉 - 読売新聞7月14日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈嫁迎へ父の日らしく過ごしけり 谷村康志〉 - 毎日新聞7月20日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈子燕の声や工場の昼休み 谷村康志〉
・鷹羽狩行選〈子はいつも母に近寄り苺摘 谷村康志〉 - 産経新聞7月23日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈竹婦人かたはらに置きWeb会議 谷村康志〉 - 日本経済新聞7月25日「俳壇」
・黒田杏子選〈通し土間おほむらさきのはたはたと 谷村康志〉=〈オオムラサキは国蝶で夏に現れる大型で非常に美しいタテハチョウの仲間。この蝶が通し土間にやってきた。すばらしいですね〉と選評。 - 産経新聞7月30日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈しづけさや蟇にも恋の二つ三つ 谷村康志〉 - 朝日新聞8月2日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈風の中よりさすらひの河鹿笛 谷村康志〉 - 読売新聞8月3日「読売俳壇」
・宇多喜代子選〈紫陽花を描くあぢさゐに囲まれて 谷村康志〉=〈紫陽花の花の盛りの中での写生かスケッチか。使っている絵具の色までがわかる。何の説明もなく理解できる句。上五の漢字が効果的〉と選評。 - 毎日新聞8月3日「毎日俳壇」
・鷹羽狩行選〈菓子折りを脇に正座や夏座敷 谷村康志〉 - 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号の「ゆっくり 俳句ing」(石寒太主宰が講師)は〈上野の動物園・ぼたん苑と子規庵・漱石山房記念館を訪ね〉て吟行。以下は吟行句の講師選。
・「特選」〈升ゐて金之助ゐて冬の星 赤城獏山〉=〈「升」は子規の幼名、「金之助」は漱石の本名。今回の吟行は、その二人のゆかりの庵(山房)を訪ねる旅でもあった。二人に思いを寄せながら「冬の星」をみつめているところが、特によかった〉と選評。
・「本選」〈漱石の書棚横積み日脚伸ぶ 國武学〉
・「本選」〈敷かれたる藁の十字や冬牡丹 北原いつな〉
・「本選」〈三角の菰のやすらぎ寒ぼたん 万木一幹〉 - 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号の「BOOKS」(田島健一)が宮本佳世乃句集『三〇一号室』を紹介し、〈形式や内容において特に際立った表現があるわけでもないのに、読後に残る不思議な違和感はこの著者固有のものだ。俳句を俳句として壊すことなく、別の装いに変容させる力は、俳句を書く技術というよりも天性の感覚によるものだろう〉と批評。
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)夏号の「BOOKS」(田島健一)が関根誠子句集『瑞瑞しきは』を紹介し、〈言葉の霊性が身体感覚へと転換され、著者の静かな内面へと繋がっていく〉と批評。
- 結社誌「田」(水田光雄主宰)7月号の「俳句展望」(上野犀行氏)が、近恵の作品「誘惑」(「俳壇」5月号)から4句を選んで鑑賞。全体に〈身体性を強く感じさせる作品である〉として、《花時の雨よ首筋から入る》に対しては〈「首筋」で花の雨を捉える。リアルな生温かさが伝わってきて、エロティシズムをも醸し出している〉、《爪を切る金魚は水を出てこない》に対しては、〈爪を切るという些細ではあるが動的なこと。それに対し、一見元気そうだが泳げるのは金魚玉の中のみという静的な概念をぶつけた。「水を出てこない」という表現が面白い〉と記述。
- 結社誌「松の花」(松尾隆信主宰)7月号の「現代俳句管見」(松尾清隆氏)が、《藤棚のむこうは早回しのよう 近恵》を取り上げ、〈街中にある藤棚であろうか、作者はその下か近くにいて藤の花越しに「むこう」を見ている。藤棚に憩う人とそうでない人とでは、時間の流れ方が違うという発見〉と鑑賞。句は「俳壇」5月号より。
- 「第51回埼玉文芸賞」(埼玉県)俳句部門への応募作品83編の中から、選考委員の落合水尾・岩淵喜代子・尾堤輝義の三氏が、「準賞」2編、「佳作」6編を選出。
・「佳作」倉持梨恵句集『水になるまで』 - 結社誌「秋麗」(藤田直子主宰)8月号の「現代俳句を読む」(真木康守氏)が《たんぽぽの「ぽ」の字の口の埴輪かな 丹羽泰晴》を取り上げ、〈掲句を読んで直ちに思い浮かべたのは、東京国立博物館所蔵の「踊る人々」という口を丸くぽかんと開けた二体の埴輪と、坪内稔典氏の《たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ》という句である。今回、少しだけ調べてみたら、加藤楸邨氏に《たんぽぽのぽぽと絮毛のたちにけり》という句があるとか、『続山井』(一六六七年)に《たんぽぽのぽぽともえ出る焼野かな 友久》という句があるらしいことが分かった。「たんぽぽ」の語源には諸説あるが、昔から音の響きが面白がられているのであろう。筆者は掲句によって、令和、平成、昭和、江戸、古墳時代にまたがる空想を楽しませていただいた〉と鑑賞。句は「炎環」5月号より。