2020年12月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「新刊サロン」において、『新編 加藤楸邨全句集』(青土社)を石寒太主宰が「ゆたかなる俳句宇宙」と題して紹介、〈編集の中心になったのは、詩人で日本近代文学館の名誉館長の中村稔。中村は「刊行の辞」で「編集委員として悩んだことは、楸邨が知己、友人宛書簡等の私信に添えた句を収集、収録するかどうか」だったという。結局、今回は諦めたと述懐している。誠に残念至極である。実は、私も編集委員とほぼ同時期に楸邨の未発表の句を収集していた。その数は三六〇句を上回る。楸邨の挨拶句である。そこには飾らない人間楸邨の真の生き方が彷彿と浮き上がっている。また、来年には昨年まで八年八か月八十回に及ぶ、私が『俳句界』に連載した『牡丹と怒濤―加藤楸邨伝(上・下)』(文學の森)の刊行も進んでいる。楸邨研究の中心はあくまで俳句であるが、彼とその時代を生きた人々と楸邨の句の収集まで広げてとらえないと、巨人・楸邨の本当の人物像を浮かび上がらせることはできないだろう〉と書いています。
炎環の炎
- こがわけんじが、句集『澄める夜』を紅書房より11月17日に刊行。序文を石寒太主宰が「心語一如から真実深想へ」と題して認め、〈この句集の題名は『澄める夜』とした。こがわさんらしい。彼は夜を好む。物音ひとつしない静謐さの中にたったひとり身を置いていると、いろいろな思索が思い浮かんでくる。かれはそのこころの翼をはばたき、自由に星空を飛翔し、詩が湧きあがつて生まれてくる。それが楽しい。読者もこがわけんじの幻想世界に、誘われていくのである。しかし、「夜」であるから現実の真昼間とは異なる。彼のこの創作活動には、かなりこだわりがある。今度の句集を俯瞰してみると、翳、濁、影、鬱、傷、遺、暗、疑、喪、亡、闇、敗、弊、病、疵、剥、尽、難、無、欺、重、逝、悔、弔、惜、閉、不、悲、忌などの文字が目にとび込んでくる。弱者に味方、負の部分に荷担する。妻への句は一句しか入集していない。含羞の彼らしいところ。子も孫も溺愛しているわりには一句もない。私はその姿勢を、好ましくも思う。「炎環」は創刊以来「心語一如」をモットーとしている。その正統派がこがわけんじさんであることを、この句集が証明してくれている〉と紹介。
- 市ノ瀬遙が、句集『無用』を紅書房より11月17日に刊行。序文を石寒太主宰が「無用の用を知る俳人」と題して認め、〈《楸邨にたうとう会へず鵙猛る》――遙さんは、楸邨に直に対面することはかなわなかった。しかし、楸邨のこころを学び、楸邨の“真実感合”を継承している。芭蕉は言っている。「師の跡を求めず師の求めたるところを求めよ」と。遙さんは、しっかりと楸邨の理想を求めつづけている。遙さんの系譜は、芭蕉、楸邨、寒太である。その意味から遙さんは直系そのものである。《盲腸のやうな俳句ぞ蟇》――芭蕉は、「予が風雅は夏炉冬扇のごとし。衆にさかひて用る所なし」といっている。「世の中では人の役にも立たない“無用の用”だ」と言っている。これは、もともとは芭蕉が中国の『荘子』から得た「無用の用」に通じる姿勢なのである。遙さんの俳句精神もここにある。物欲よりも所詮こころの方が大切である。「人間のせつなさ愛おしさが、自分のどこかに表現されている」そんな句をつくりたいという。人間を第一義に据えているところが、いかにも遙さんらしいし、楸邨、寒太のめざすところともまったく一致している〉と紹介。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「作品12句」に近恵が「きよしこの」と題して〈フェイクファーコート電飾だらしなく〉〈容赦なく針をこぼして冬銀河〉〈聖しこの夜防災セットのロウソク〉など12句を発表。
- 「彩の国・埼玉りそな銀行 第51回埼玉文学賞」(埼玉新聞社・11月11日紙上)が小説・詩・短歌・俳句各部門の正賞・準賞を発表。俳句部門は113の応募作品(1作品20句)から審査員3名(鎌倉佐弓・佐怒賀直美・山﨑十生各氏)により準賞2作品を決定(正賞は該当作なし)。
◎「準賞」箱森裕美作「傾ける」20句 - 「第十回百年俳句賞」(有限会社マルコボ.コム・12月5日)が、73の応募作品(1作品50句)から最優秀賞1作品・優秀賞3作品・入賞6作品を決定。
◎「最優秀賞」箱森裕美作「脱ぎ捨てて」50句 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)12月号の「2020年俳句四季新人賞最終候補者競詠」に、箱森裕美が「おきどころ」と題して、〈しぐるるやクミンのまはり泡立ちて〉〈遠火事の夜のたましひのおきどころ〉など5句を発表。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)12月号の企画「ステイホーム中につき、写真で一句詠んでみました。」が、雲海(濃霧)の上に浮かぶ竹田城跡(兵庫県朝来市)の写真で詠んだ近恵の一句〈霧よ声持たない虎の咆哮よ〉を掲載。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「新刊サロン」において、澤好摩句集『返照』を関根誠子が「言葉が凜と響く時」と題して、句を鑑賞しつつ紹介。《硝子戸に守宮をつたか居りなさい》に対しては〈今は家族同様の守宮への挨拶。人間ならお酒でも勧めたいところだろう。鎧を脱いだ著者の、誰隔てない人懐こい一面を感じさせる〉と、また《七竈真赤な此処が馬返し》《裏町を騒ぐ神輿のさびしけれ》などを挙げて〈今回の句集には、重厚且しなやかな旅の佳句も多い。凜とした言葉の響きを伴った技巧のうまさが、影と日向の微妙な綾を、時に淡く時に力強く、その場に満ち満ちる息遣いまで生き生きと描き出していく〉と記述。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号「令和俳壇」
・櫂未知子選「推薦」〈待つやうに海を見てゐるサングラス 曽根新五郎〉=〈誰かを待つ、あるいは何かものごとが起きるのを待つ。ある種の期待がこの作品を貫いているのと同時に、どこかに青春性もあって心惹かれました。「サングラス」という季語の新しい側面を切り開いてくれた句かもしれません〉と選評。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号「投稿俳句界」
・高橋将夫選(題「金」)「秀作」〈黄金虫捉えてみれば好きじゃない 青山雅奇〉 - 産経新聞11月5日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈海のなき埼玉に住み秋鰹 谷村康志〉 - 日本経済新聞11月7日「俳壇」
・横澤放川選〈宵闇やまだ煌々と職員室 谷村康志〉 - 読売新聞11月10日「読売俳壇」
・小澤實選「一席」〈ガードマン夜食に眼鏡くもらせて 谷村康志〉=〈秋の夜長も警備の仕事が続くガードマンが夜食をとっている。曇っている眼鏡によって温度の低い野外で仕事をしてきたことがわかる。食事が取り終わると、また警備だ〉と選評。 - 読売新聞11月16日「読売俳壇」
宇多喜代子選〈老いたればこその矜恃や秋袷 谷村康志〉 - 毎日新聞11月16日「毎日俳壇」
鷹羽狩行選〈父の名のくすむ表札秋しぐれ 谷村康志〉=〈父は既に故人なのかもしれない。表札のくすみが、過ぎ去った年月を思わせる〉と選評。 - 毎日新聞11月16日「毎日俳壇」
・西村和子選〈名月や残業抜けて五分ほど 谷村康志〉 - 日本経済新聞11月21日「俳壇」
・黒田杏子選〈毛糸編む子の寝姿をかたはらに 谷村康志〉=〈これ以上の時間はありませんね〉と選評。 - 読売新聞11月23日「読売俳壇」
・宇多喜代子選〈秋の灯や姉と語りし母のこと 谷村康志〉 - 産経新聞11月26日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈首を吊る勇気もなくて蓑虫よ 谷村康志〉 - 朝日新聞11月29日「朝日俳壇」
・大串章選〈冬ざれや潮匂ひ来る無人駅 谷村康志〉 - 読売新聞12月1日「読売俳壇」
・正木ゆう子選「一席」〈あちこちの手締めに参加酉の市 谷村康志〉=〈熊手購入の手締めはいいものだが、通りすがりに参加するのは気恥ずかしい、という人は多いだろう。でも作者は違う。関係なくても盛り上げる。「あちこちの」が面白い〉と選評。 - 読売新聞12月7日「読売俳壇」
・小澤實選「一席」〈濃く熱く淹るる珈琲今朝の冬 堀尾笑王〉=〈冬という辛く厳しい季節の到来に対して、コーヒーを濃く熱く淹れて、受けて立とうとしている。「濃く」と「珈琲」と「今朝」、K音がすがすがしく響き合う〉と選評。 - 読売新聞12月7日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈小春日のベンチそれぞれ一人かな 谷村康志〉 - 毎日新聞12月7日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈通院に一と日費やし石蕗の花 谷村康志〉=〈通院にはとかく時間がかかるが、ツワブキが咲く頃の、短日の気分をよく伝えている〉と選評。 - 毎日新聞12月7日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈突堤に少年ひとり冬の海 辺見狐音〉 - 毎日新聞12月7日「毎日俳壇」
・鷹羽狩行選〈長風呂を子に叱られて冬の月 谷村康志〉 - 産経新聞12月10日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈惨敗に笑ふほかなし小鳥来る 谷村康志〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)12月号の「一望百里」(二ノ宮一雄氏)が、柏柳明子句集『柔き棘』を取り上げ、《後ろ手に桜みるとき皆ひとり》《遠き虹渋滞すこし動き出す》《続編のやうな夕焼の中にゐる》など7句を引き、〈独自な感性の作者である〉と紹介。
- 同人誌「鬣」第77号(11月21日発行)が、吉野わとすん氏による柏柳明子句集『柔き棘』の書評を掲載。氏は句集から9句を引いてそれぞれ鑑賞、《学校のない国へゆく雁の列》に対しては〈「学校のない国」は、楽しい夢の国なのだろうか、それともそうではないのか。学校に行くことが当たり前の国に住んでいる身としては「ない国」に憧れめいたものを感じるが、「ない国」に住んでいたらまた違うのだろう。そんなふうに考えさせる、淡々と点々と遠い空へ消えてゆく「雁の列」である〉と記述。
- 機関誌「現代俳句」(現代俳句協会)11月号の「ブックエリア」において、瀬戸優理子氏が柏柳明子句集『柔き棘』を取り上げ、「読み手と共にある俳句」と題して12句を選んで示しつつ、〈現代俳句新人賞、炎環賞の受賞を経て二〇一五年に上梓された第一句集『揮発』から五年。明るく清新な魅力を湛える明子俳句は、句歴と年齢を重ねたぶん「陰影」も加え、読者を自身の俳句世界に惹き込む力を増している。喜怒哀楽では分類が難しい感情や思い。読み手は明子俳句をきっかけに、自身が実人生で体験したそれを揺り起こされ、心の奥を探る旅へと誘われる。世界を肯定する健やかさ、大胆かつ繊細な感性を共有できる豊かな一冊である〉と批評。
- 結社誌「歯車」(前田弘代表)396号(11月1日発行)の「句集の散歩道」において、杉本清三郎氏が柏柳明子句集『柔き棘』を取り上げ「日常における新しい感覚」と題して、〈個人的に、短歌は「感情的定型詩」(略して「感情」)、俳句は「感覚的定型詩」(略して「感覚」)と思っているが、この「感覚」について句集『柔き棘』は、新しさに加えてやわらかさと繊細さを感じるのである。しかもそれは、個人的な話になって恐縮であるが、作品を作る姿勢にあるのではないかと思っている。即ち、自分自身は、一日の内の一時間程度を「俳句能」(俳句を作ったり、俳句を読んだり考えたりする時間)としているが、作者の句集を読むと、日常生活そのものが、俳句の時間であり、凡そ常時「俳句能」の状態で生活されている気がしてならない。それくらい作品に日常生活のちょっとした場面からの創作を感じるのである〉と述べてから、集中より57句を引いて鑑賞。
- 結社誌「雪華」(橋本喜夫主宰)11月号の「牛後の気になる句集を読む」(鈴木牛後氏)が柏柳明子句集『柔き棘』を取り上げ「「空ろ」を見つめる目」と題して、〈《青葉木菟見えない友達とあそぶ》――友達が見えないという空虚と、そのような「見えない友達」と遊ぶという、ほのかな充実とが不思議に同居している。《高きより名前を呼ばれ夏休》――地上から見えないほどに高いところから友達が名前を呼ぶ。友達は見えず、名前だけが眼前に取り残されるという空ろな景と読んだ。この「空ろ」ということが、本書ではひとつのテーマとなっているのではないか。《永遠を口にするとき檸檬の香》――永遠とは何だろう。時間の流れ、空間の広がり、いずれにしても、考えても結論の出ないことだ。そのような想念の空ろに、檸檬の香の適度な刺戟が心地良い。《玉葱のまろき虚ろを切るゆふべ》――この句では直截に虚ろ(空ろ)を詠む。玉葱の中はもちろん空洞ではない。空洞なのは玉葱を切っている人物の内側の方だというのだろう〉と鑑賞。
- 朝日新聞11月8日の「天声人語」が、谷村鯛夢現代語訳『漂巽紀畧』(ジョン万次郎に事情を聴取した際の記録)を引用。
- 集英社の読書情報誌「青春と読書」7月号において、作家の太田和彦氏が三輪初子著『あさがや千夜一夜』を紹介。