2021年4月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)4月号の「一望百里」(二ノ宮一雄氏)が石寒太編著『ハンディ版オールカラーよくわかる俳句歳時記』を取り上げ、〈本巻の優れて独自なのは「季語解説」はもとより、基本語の例句四句のうちの冒頭句に対する「例句解説」を設けて、単に作品の解説をするだけではなく著者の俳句観を述べていることである。読者は季語を知るだけではなく俳句について広く学ぶことができる〉と紹介しています。
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号の「私が選んだ2020年の秀句」において石寒太主宰は、《こんな日のこんな事情の心太 宇多喜代子》《蠟石のかの落書の暑さなど 池田澄子》の2句を挙げ、ご自身の句としては〈玄室のこゑ玄冬の地底より〉を挙げました。そこに添えた短文では、〈新型コロナウイルス感染拡大によって世界は一変した。座を組むことを主にしてきた俳句界には、とりわけ痛手であった。終束のみえないコロナ禍で如何に座を成立させるか。俳句も新しい句会形式を模索しつつある〉と述べています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号「令和俳壇」
・星野高士選「秀逸」〈箒目の流れの渦の淑気かな 曽根新五郎〉
・五十嵐秀彦選「秀逸」〈落書のそのまま残る寒さかな 曽根新五郎〉
・小林貴子選「秀逸」〈梟のきつと居さうな夜の皺 木下周子〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号「投稿欄」
・大串章選「特選」〈鯛焼の列にシスター並びけり 堀尾笑王〉=〈この「シスター」はカトリック教会の修道女と解したい。庶民的な「鯛焼の列」に信仰生活を営むシスターが交じっているところが一句の眼目〉と選評。
・稲畑廣太郎選「秀逸」〈近すぎて気づかぬ愛や春隣 青山雅奇〉
・古賀雪江選「秀逸」〈リハビリの母リハビリの息白し 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)4月号「四季吟詠」
・鈴木節子選「秀逸」〈桐の実の哭くは疫病の嘆きとも 赤城獏山〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈一本の寒月光の命綱 曽根新五郎〉
・髙橋健文選「秀逸」〈星からの未知なる砂に年惜しむ 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号「あるふぁ俳壇」
・池田澄子選「入選」〈先生が好きでセーター引つ張る子 高橋透水〉=〈この「好きで」が好き。「好きで」の行為。先生にくっついていたい子、関心をひきたい子。先生ではないが、こんな風に引っ張られてみたいと、つい〉と選評。
・高野ムツオ選「入選」〈石組みの石のささめき雪催ひ 綿引康子〉=〈古い庭園であろう。組み合わせて配置された石同士が「寒いね、雪だね」とささやきあっている。その聞こえない言葉を聞き取っているのである〉と選評。
・高野ムツオ選「入選」〈先生が(前掲)高橋透水〉=〈教室での一場面。児童は一人でもいいが、数人で先生を囲んでいると鑑賞したい。自分の方を少しでも長く向いてほしいと先生に声がけしている様子が目に浮かぶ〉と選評。
・池田澄子選「佳作」〈介護士も母と囲みし桜鍋 鈴木経彦〉 - 朝日新聞3月14日「朝日俳壇」
・大串章選〈春の服ショーウィンドーを飛び出せり 渡邉隆〉
・高山れおな選〈いぬふぐりきのふの友はけふも友 渡邉隆〉 - 産経新聞3月18日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈オカリナの音のさすらふ芽吹きかな 谷村康志〉 - 日本経済新聞3月20日「俳壇」
・黒田杏子選〈孤独死の叔母を引き取る小町の忌 谷村康志〉 - 毎日新聞3月22日「毎日俳壇」
・西村和子選〈職辞してよりの昼酒牡丹雪 谷村康志〉 - 産経新聞3月25日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈居心地の良き切株や遍路道 谷村康志〉 - 朝日新聞3月28日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈さすらひの果ての古里山笑ふ 谷村康志〉=〈年老いて故郷に。放蕩息子(?)の帰還〉と選評。 - 読売新聞4月5日「読売俳壇」
・宇多喜代子選〈泣き言を聞くともなしに蜆汁 谷村康志〉 - 産経新聞4月8日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈この場所で振られた記憶柳の芽 谷村康志〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号の「全国の秀句コレクション」が〈毎月の受贈誌より編集部選〉の一句として「炎環」誌より《われ移民なり丸餅の雑煮食む 小関由佳》を採録。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号の大特集「俳句入門 最初の一句、どう作る?」におけるコラム「俳句、ここが楽しい」に西川火尖が「孵化」と題するエッセイを寄稿。自身の俳句との出会いが大学の俳句大賞への入選だったことを述べたのちに、〈こうして始まった俳句生活であるが、意外にもすぐに浮足立った気持ちは消えていった。それというのも、当時の私は低調で中途半端なくすんだ学生生活を送っていたのだが、却ってそれが俳句の面白さ、凄さを実感するのに適していたのだ。つまらない日常の一コマでも、ひとたび季語がガツンと決まれば、急に違う表情を見せる「作品」になった。こういう不思議は俳句にだけ起こるものではないのだが、俳句ほど表情の変化が生まれやすく、現実世界だけでなく創造世界をも創作の射程に収め、なおかつだれでも遊べるほど敷居が低い詩はそうはないだろう。この不思議さと敷居の低さが、俳句が作られ続けてきた理由の一つで、私はいつもその不思議に触れていたかった〉と回想。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)4月号の「俳句へのまなざし」(大西朋氏)が《初電車ひと家族分空く座席 倉持梨恵》を取り上げ、〈向かいに座ったひと家族。家族が集まればやはり似た顔が並び微笑ましくクスリとなることもある。そして降りてゆく家族を見送れば、そこにはぽっかりと空いた座席が。初電車の晴れやかさの中の何気ない一コマ〉と鑑賞。句は「俳句四季」2月号より。
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号の「私が選んだ2020年の秀句」において菊田一平氏が《秋刀魚焼く流離の色を裏返し 永田寿美香》を選び、〈秋刀魚の南下移動を「流離の色」とした表現が上手い〉と一言。
- 総合誌「俳句αあるふぁ」(毎日新聞出版)春号の「BOOKS」にて田島健一が市ノ瀬遙句集『無用』を紹介して、〈著者の師である石寒太氏が序文に曰く「遙さんは、しっかりと楸邨の理想を求めつづけている」。確かに、楸邨について思いを馳せた句が多く詠まれており、著者の加藤楸邨への強い想いを感じさせる。大らかで滑稽味を感じさせる著者の作風は、言い換えれば人間に対する視線の優しさであり、その視線にこそ楸邨から引き継がれた精神があるのではないだろうか〉と記述。
- 結社誌「幡」(富吉浩主宰)4月号の「俳句ヶ浜逍遙」(小松生長氏)が、「俳句四季」2月号に発表の倉持梨恵作「幾何学模様」から《缶切りの長き一周冬ざるる》《初電車ひと家族分空く座席》の2句を選び、1句目に対しては〈缶切りを使って缶詰を開けたりすることは誰しもが経験したことなのだが、さすがに一句に成るとは思いもつかなかった。作者の目の鋭さに感心してしまった。「長き一周」という言葉にもその作業への苦労というかぎこちなさが込められていて共感する。「冬ざるる」という季語が缶詰を食する生活への思いが窺えるようにも思う〉と、2句目に対しては〈きっとこの初電車は初詣客で込み合っているのであろう。子供達から大人、老人までいる家族の団体客で犇めいているのだ。やがて電車は有名な○○神社前で停車。我勝ちに家族客は下車。ここにも作者の鋭い目が働いている。「ひと家族分空く座席」この言葉が的確に初電車の家族の様子やその賑わいを捉えていてこれも誰もが納得できる一句となっていると思う〉と鑑賞。
- 結社誌「風港」(千田一路主宰)3月号の「現代俳句鑑賞」(垣花和氏)が《林檎剥く鼻の先よりくつろぎぬ 柏柳明子》を取り上げ、〈林檎の香りには、ストレスや緊張を緩和させ、精神的にリラックスさせる効果もあるといわれている。生活の中でストレスを感じたら、林檎を剝いて香りを感じながら味わうと、幸せな気持ちになるに違いない〉と鑑賞。句は「俳壇」11月号より。
- 結社誌「紫」(山﨑十生主宰)4月号の「Opus One 佳什一滴」(主宰)が《触れるたび離れる風船きみのやう 柏柳明子》を取り上げ、〈風船の感触を見事に表徴している作品である。それが「きみのやう」だと捉えている。肌で感じた印象を人間に転換した妙味も俳句の醍醐味と言えるであろう。これは動物的な感覚の成せる業で切れ味の鋭さが小気味良い〉と鑑賞。句は句集『柔き棘』より。