2021年5月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)5月号の特集「にっぽん花列島――全国結社競詠 俳句の花便り」における巻頭エッセイを、石寒太主宰が「花に親しもう~歳時記愛好家からの提言」と題して認めました。その中で寒太主宰は、〈歳時記が大好きです。俳句をつくる以前から集めだした歳時記や季寄せは、いまや二〇〇冊以上にまでのぼります。普通の俳句歳時記から気象歳時記、祭歳時記、鳥や動物歳時記、花や植物歳時記……〉と、歳時記には様々な種類のものがあることを紹介し、〈花の歳時記はその中でも特にポピュラーであるといってもいいでしょう。花の名を知るということは、そのものに親しむ第一歩です。人間同士でも、まずお互いの交友のはじめは、相手の名を呼ぶことからはじまりますね。よく「名もない花」などとエッセイにも表現されますが、名もない花などはなく、どんな小さな花や雑草でも起源があり、必ず名前が付いています。それを知ることから俳句のはじめの一歩がはじまります。それを歳時記からひとつひとつ覚えていきましょう〉と述べています。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の「合評鼎談」(伊藤伊那男・堀田季何・髙柳克弘の各氏)の中で、同誌3月号掲載の石寒太主宰作「冬から春へ」について、〈伊藤「冒頭の句がいいと思いました。 玄室のこゑ玄冬の地底より 横穴式石室の柩のあるところだと思います。〈玄〉の字を使って、古墳の暗さに深い歴史があるというところをうまく詠んだ句です。 鬨三つ止みて初鶏らしくなり 元旦に限らず、鶏は鳴いていますが、三つぐらいのところでようやく「初鶏」らしくなったという、若干のユーモアを含んでいる句です」、髙柳「〈玄室の〉の句は私も折口信夫の『死者の書』を思わせる、いい句だと思いました。大体、「死者のこゑ」などと言ってしまいますが、そういう言葉を使わないで、地の底から太古に死んだ誰かの声を聞き留めたと言った、その工夫ですね。 訪ふは
人間 の径去年今年 これもいい。わざわざ「じんかん」とルビが振ってあるということは、人間ではなく、世の中や世間という意味で使っている。だから、「去年今年」で、年賀に親しい人を訪れたりしようと思っているわけですが、あくまでそれは人の世の〈径 〉である。獣道 とか、水の底とか、そういうところには行かない。だけど、どこか意識の中で、すべて人間社会の中で収まってしまっている、自分の人生への反省。たまには〈人間〉から踏み出してみたいという漂泊への思い、そういったものが込められていると思います。それから、題材はあまり品のよいものではありませんが、 戦ぐ陰毛漂ふ魔羅の初湯かな 「初湯」の句としてこういうものを詠むとは、なかなか珍しい。阿波野青畝の〈初湯殿卒寿のふぐり伸ばしけり〉を踏まえたのかな。〈陰〉〈魔〉、禍々しい漢字が使われていますが、全て「初湯」のめでたさに覆い尽くされていくというか。自分の中の獣欲というか、獣としての欲望なども、初湯に浸かっていると全て抜け落ち、溶け落ち、そこから解放されるような感じがするんじゃないかな。題材がインパクトがありますが、それだけではなくて、ちゃんと初湯の内実に迫った、初湯のめでたさを押さえた句ではないか」、堀田「私も〈玄室の〉と〈戦ぐ陰毛〉の句を戴きました。玄室、玄冬、〈玄〉の字を二つ、使いながら、凄みがあります。〈陰毛〉のほうは逆に、〈戦ぐ〉とか〈魔羅〉とか、強烈な漢字を使いながらも実はめでたい。めでたくないものとめでたいものはそういったところから生まれてくるという、ちょっとユーモアがあります。軽い句ですが、 AB型の四人揃ひし年忘れ 血液型は四種類ですが、AB型が四人揃うという、ちょっとした面白さと、世の中のブラッドハラスメントへの皮肉が「年忘れ」と合っていて、そういう詠み方が作者らしいですね」〉と合評。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の「作品12句」に関根誠子が「沈黙」と題して、〈芹摘むや角のとれたる風を頰〉〈沈黙といふ猛き声さくらの芽〉〈喪の春や束ねる紐を逃ぐる髪〉など12句を発表。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)5月号の「現代俳句の窓」に市ノ瀬遙が「天地無用」と題して、〈空瓶に積もる夕日や花疲れ〉〈パンジーの正面これでいいのかしら〉など6句を発表。
- 月刊誌「文藝春秋」5月号巻頭の俳句欄に岡田由季が「雉」と題して、〈スピードの出てゐて窓に雉見えて〉〈穴すぐに塞がつてゐる花筏〉など7句を発表。
- 「第20回全国俳句大会in北九州」(北九州市)において、応募総数2908句から選者6名(今井肖子・宇多喜代子・小川晴子・黒田杏子・寺井谷子・西村和子の各氏)がそれぞれ特選3句、入選12句を選出、その中から大賞1句、北九州市長賞1句を決定して発表。
・黒田杏子選「入選」〈今日限り今年限りの今日の月 曽根新五郎〉
・黒田杏子選「入選」〈一葉の三倍生きし冬夕焼 たむら葉〉 - 「俳句倶楽部コンクール」(2020年12月15日応募締切り・NHK学園)において、応募総数375句から選者3名(岩岡中正・片山由美子・寺井谷子の各氏)がそれぞれ特選3句、秀作10句を選出。
・寺井谷子選「秀作」〈中村哲の忌よ湧水に朝日燦 たむら葉〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号「令和俳壇」
・山田佳乃選「秀逸」〈ことごとく昔の光冬銀河 鈴木まさゑ〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号「令和俳壇」
・星野高士選「秀逸」〈酔客をしばし見送る寒夜かな 小野久雄〉
・岩岡中正選「秀逸」〈逢ひたくて逢ひたくて逢ふクリスマス 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号「投稿欄」
・今瀬剛一選「特選」〈落葉みな掃かれて樹影残りけり 鈴木まさゑ〉=〈作者はただ「樹影」とだけ言っている。この簡潔な表現が見事。太い木に違いない。そして辺り一帯が掃かれているのだから、その箒目の中にすっくと立つ幹まで想像出来る。「みな」の一語がいい。きれいに掃き清められた木の根もとから伸びる影、残りなく落葉した木も想像出来る〉と選評。 - 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号「投稿欄」
・角川春樹選「特選」〈セーターの樹海の中にまどろみぬ 赤城獏山〉=〈セーターを着て、心地の良さに眠気を催した作者なのだろう。眠気にからめとられていく意識を、まるで出口のない樹海をさまよっているようだと表現した。比喩の効いた作品だ〉と選評。
・大串章選「秀逸」〈民宿の使はぬ部屋のシクラメン 結城節子〉
・角川春樹選「秀逸」〈むささびや鼾の強き父とゐて 赤城獏山〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈着ぶくれて駅前ピアノ聴いてをり 結城節子〉
・西池冬扇選「秀逸」〈巻尺の舌のもどりや日雷 赤城獏山〉
・西池冬扇選「秀逸」〈着ぶくれて(前掲)結城節子〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)5月号「四季吟詠」
・茨木和生選「秀逸」〈綿帽子小さな顔ののぞきけり 大沼久美江〉
・秋尾敏選「秀逸」〈動かざるものに結界蟇 赤城獏山〉
・秋尾敏選「秀逸」〈一月の身にそふ影の背きけり 長濱藤樹〉 - 読売新聞4月19日「読売俳壇」
・宇多喜代子選〈頬杖をつき石鹼玉見てをりぬ 谷村康志〉 - 毎日新聞4月19日「毎日俳壇」
・井上康明選〈囀りや骨壺をさめ土払ふ 谷村康志〉 - 朝日新聞4月25日「朝日俳壇」
・長谷川櫂選〈退院の五体に春の光かな 谷村康志〉 - 読売新聞4月26日「読売俳壇」
・矢島渚男選〈呉服屋のなき呉服町鳥雲に 谷村康志〉 - 「俳句春秋」(NHK学園)第164号(4月10日発行)「俳句倶楽部課題詠」(鈴木章和選・入選50句)
・(題「日」)〈日本語にカタカナあふれ獺まつり たむら葉〉=〈二月半ばという季節感よりも、自らを獺祭書屋といった正岡子規を思い浮かべたくなる一句です。このカタカナ語のあふれた日本をどう思うでしょう。この作品の作者はもちろん、私と同様に厳しく眉をひそめているにちがいありません〉と選評。 - NHK学園生涯学習通信講座「宇多喜代子&星野高士の句会コース」第4期(各選者特選3句秀作15句)
・宇多喜代子選「秀作」〈鋤き返す一坪の畑風光る たむら葉〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)5月号の「合評鼎談」(伊藤伊那男・堀田季何・髙柳克弘の各氏)の中で、同誌3月号「令和俳壇」の秀逸句《月冴えて三角錐の角にいる 木下周子》について、〈堀田「冴え渡った月の光が地上に落ちている。三角錐がイメージできるほどだ。○と△が成している角のところに自分がいるという、幾何学的で、面白い月の光の把握です」〉と批評。
- 結社誌「秋麗」(藤田直子主宰)5月号の「近刊句集より」(古川恵子氏)が、関根誠子句集『瑞瑞しきは』を取り上げ、《春きざす湯に咲くやうに足の指》に対して〈この句を読んだとき、思わずふわーっと体全体が解けていくような感覚を覚えた。いつも靴の中で固く窄んでいる足の指が湯の中で花のように開いていく。同時にそれは、まるで硬くこわばった気持ちそのものが自由になっていくような感触である〉と、《冬落暉新発見てふ旧きもの》に対しては〈まだ誰も見つけていないもの、誰もまだ気付いていない言葉、そのような新発見に小躍りしても、その瞬間に古いもの、見慣れたものに変わってしまう。それでも作者は季語を信頼し、句作を続けられるのだろう。《コートに首埋め瑞瑞しきは季語》〉と鑑賞。
- 結社誌「鷹」(小川軽舟主宰)5月号の「本の栞」(大野潤治氏)が、柏柳明子句集『柔き棘』を取り上げ、《ジーンズのまつすぐ乾き冬の月》に対して〈作者は乾いたジーンズを「まつすぐ」と表しているが、これだけで十分にあのごわごわとした質感が伝わってくる。また、中七で切らずに季語である冬の月へつなげることで、夜になってすっかり冷え切ったジーンズを取り込む作者の眼差しを、リアリティーをもって想像させられる〉と鑑賞し、句集について〈古くから親しまれてきた季語を用いているが、季語を通して拡がる情景はあくまでも現代のものである。そして、序文で作者の師である石寒太氏が「彼女なりの時代の味つけの季語になされている」と述べているように、時代を超越した季語の普遍性を実感させられる句が多く収められている。このことは、本句集の特徴であるだけでなく、作者の作家性の表れでもあるだろう〉と批評。
- 現代俳句協会ホームページの「地区協会長インタビューシリーズ」、その第1回は内野義悠が埼玉県現代俳句協会長の山﨑十生氏にインタビュー。