2021年6月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 結社誌「岳」(宮坂静生主宰)2020年11月号の「展望現代俳句」(矢島惠氏)が《白螢袋灯して泪壺 石寒太》を取り上げ、〈螢袋は小さい壺の形に似ていて、白花ならば灯したくなる。ふっと泪壺を思わせる。泪壺は古代、戦地の夫を思ったり、亡くなった人を悼む涙をためて副葬品にした。イランやペルシャなどの骨董品にはきれいなブルーやモダンな色使いのものもあるが、現代の有田焼などは白いものが多い。掲句の白い泪壺への発想は、哀しみを底流に即物的に詠んでいるので、さばさばと心に落ちてくる〉と鑑賞しています。句は「炎環」9月号より。
- 結社誌「ひいらぎ」(小路智壽子主宰)5月号の「現代俳句の鑑賞」(岸本隆雄氏)が《AB型の四人揃ひし年忘れ 石寒太》を取り上げ、〈年の暮れになって親しい人が集まって酒食を共にするのが「年忘れ」。一般的に血液型はABO式で分類され、日本人のAB型の割合は約十%で希少性の高い血液型、AB型の性格は冷静・理想的主義者・二重人格などの特徴があり、天才肌と呼ばれミステリアスな雰囲気を持つといわれている。果たしてどんな宴となったのか、想像するだけでも楽しくなる〉と鑑賞しています。句は「俳句」3月号より。
炎環の炎
- 増田守が、句集『回帰』を文學の森より3月17日に刊行。著者はあとがきに〈有季定型の力を信じて、タブーなしに社会の実相を切り取る。目に触れた事象に触発され、心に投影されたことを十七文字に書き起こす。カオスの中を突き進んできたとき、端的な言葉に行き当たる。弁理士として日常関与する特許保護のメルクマールは進歩性にある。良い俳句は、事象の本質をついた斬新な発想にある。知性に基づくものにせよ、感性に基づくものにせよ、独創性のある知的所産として、俳句と発明には強い親和性がある。これが、飽きずに俳句に関わっている理由だ。自らの言語感覚をこれからも大事にして行きたい〉と記述。
- 三井つうが、句集『さくらにとけて』を紅書房より5月17日に刊行。序文を石寒太主宰が「そもそものはじめ」と題して認め、〈三井つうさんの句集が出ることになった。喜んでいるのは、本人より実は私の方かもしれない。とにかく長い付き合いである。思い出は山ほどある。つうさんは、青山学院女子短期大学の卒業生。楸邨がこの大学の教授だった。出会ったのは、確か昭和四十七年、約半世紀前にもなろうか。出会いから約十年後、彼女は俳句をつくりはじめ、「寒雷」やその後の「炎環」に俳句を投句している。つうさんは、長い俳句人生の中で、俳句をどうつくったらいいのか、煩悶しつづけてきた。中学時代の担任だった先生から彼女は俳句には思想や生死が詠み込まれなければならないことを指摘された。それをずっと考えつづけた。そんななかで楸邨のことば「平凡な一庶民がその時代に生きて、ほんの小さなことでもいい、自分に正直に」に行き当たった。そんな平凡な結論が、この句集の中には答えとして生きている。どの句も、気負わない。彼女のありのままの生が正直に素直にあらわれている。俳句はこれでいい〉と紹介。
- 小熊幸が、夫・城尹志(生前は炎環会員)との二人句集『朱から青へ』を紅書房より6月15日に刊行。前半が城尹志句集『いのち』で、これに石寒太主宰が序文を「音楽と酒と俳句」と題して寄せ、それを要約すると、〈二〇二〇年の六月十五日。ひとりの心理学者がひっそりと逝った。享年八十三。城さんご夫妻の趣味のひとつは、クラシック音楽を聴くこと。この句集にも、いろいろな音楽に関する句が寄せられている。本名小熊均。俳号は
城尹志 。都留文科大学を皮切りに茨城大学・聖徳大学などで長年心理学の教鞭を執っておられた。大の酒好き。この句集は、城さんの一周忌をめざして、幸夫人が纏められた。ひとりの大学教授の勤勉なる人生の軌跡のあらましをたどることが出来る、思い出の遺句集となった〉と記述。『朱から青へ』の後半が小熊幸句集『シャガールの宙』、序文を石寒太主宰が認め、〈小熊幸さんは一九九五年から毎年横浜高島屋美術サロンにて、グループ展のかたちで雛人形を出品して来た。好評で出品と同時に売れてしまうと聞いている。ひとつひとつの人形が、人のこころを癒してくれるあたたかいこころのこもったお雛様だからであろう。幸さんの句を一句一句鑑賞していると、人形制作と同様、優しい中に滋味深く、読むたびに深みを増してくる。私としては幸さんの優しい平凡な日常の生活の中にこそ、深く優しいこころがひそんでいると思われる。ひかえ目の句には、季語と生活がほどよくマッチしている〉と紹介。 - ウェブサイト「詩客 SHIKAKU」(森川雅美代表)に内野義悠が「泡」と題して、〈げつぷもて終はる授乳や涅槃西風〉〈やはらかき夜桜といふ泡のなか〉〈フランベの高き火柱夏きざす〉など10句を発表。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)6月号の企画「ステイホーム期間中につき写真で一句詠んでみました。」が、高千穂峡(宮崎県)の写真で詠んだ柏柳明子の一句〈神生みの咆哮のごと滝しぶき〉を掲載。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)6月号「令和俳壇」
・五十嵐秀彦選「推薦」〈正月の骨箱家に置かれけり 曽根新五郎〉=〈納骨されぬままの骨箱が正月の座敷に置かれている。場違いであろうか。作者にとってはそこがふさわしい場所に思えた。生きていた人の不在の証である遺骨。しかし、またともに新年を迎えたという繋がりを感じてもいる〉と鑑賞。
・夏井いつき選(題「座」「晴」)「秀逸」〈晴れてくる島の葬列梅見月 曽根新五郎〉
・星野高士選「秀逸」〈島の子の海へ叫んで卒業す 曽根新五郎〉
・白岩敏秀選「秀逸」〈名刀を見てきて出刃の暖かし 氏家美代子〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号「投稿欄」
・能村研三選「秀逸」〈厳選の雑詠三寒四温かな 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)6月号「四季吟詠」
・齋藤愼爾選「秀逸」〈パンドラの箱並びをり建国の日 松橋晴〉
・行方克巳選「秀逸」〈冬青空地獄の釜のふたひらく 曽根新五郎〉
・中田水光選「秀逸」〈バーベルの二キロが重き寒の明け 森山洋之助〉
・山田貴世選「秀逸」〈亜麻色の髪の幼子陽炎へり 長濱藤樹〉
・能村研三選「秀逸」〈リハビリの杖の三寒四温かな 曽根新五郎〉
・髙橋千草選「秀逸」〈被災地の遺書被災地の帰り花 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)6月号「俳壇雑詠」
・山田貴世選「特選」〈練習の時から泣いて卒業歌 曽根新五郎〉=〈卒業シーズン到来の三月を迎えた子ども達。式本番の晴れ舞台を目の前にして、段取りの確認のための練習。練習と解っていても涙なのだ。感受性豊かな子ども達の感極まる姿が、上五中七の措辞に活写された〉と選評。 - 読売新聞5月10日「読売俳壇」
・小澤實選〈春闘の妥結天守に星ひとつ 谷村康志〉 - 毎日新聞5月10日「毎日俳壇」
・西村和子選〈おぼろ夜の和解促すメールかな 谷村康志〉 - 産経新聞5月13日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈失恋の微熱の身にも花吹雪 谷村康志〉 - 読売新聞5月17日「読売俳壇」
・正木ゆう子選〈菖蒲湯にわが子の音痴知りにけり 谷村康志〉=〈菖蒲湯ならば、歌は「こいのぼり」だろうか。少々の調子っ外れは、有り余る元気のせい。今は成人した子供の思い出かもしれない〉と選評。 - 産経新聞5月27日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈目刺焼く大病もせず呆けもせず 谷村康志〉 - 産経新聞6月3日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈畑打の老いの矜恃や午前五時 谷村康志〉 - 毎日新聞6月7日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈知らぬ間に古書店消えて街薄暑 谷村康志〉 - 日本経済新聞6月12日「俳壇」
・横澤放川選〈子と遊べ妻と遊べと蟇のこゑ 谷村康志〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)6月号の「忙中閑談」に中嶋憲武が「小渕山観音」と題してエッセイを寄稿。要約すると、〈少年期を埼玉県春日部市で過ごした。僕の住んでいた家のわりと近所に小渕山正賢寺観音院があり、子供の頃は泥棒巡査や缶蹴りなどして、よく遊んだ。その頃の観音院は崩れ落ちそうな山門と静まり返った茅葺の本堂が印象的で、僕は手塚治虫のマンガ「どろろ」に出て来そうな魔物の棲む寺というイメージを抱いていた。文学などまったく省みない子供であったが、不思議な縁から俳句に手を染めるようになり、加藤楸邨を師系とする「炎環」に入った。かつて住んでいた春日部が、芭蕉・楸邨に縁のある土地だと知ったのは、その頃である。昭和四十三、四年頃、楸邨とわが師石寒太が観音院を訪れた際、御堂の軒下に薪雑把のようにして打ち捨ててある、幾体かの円空仏を楸邨が発見した。住職に楸邨が話すと、住職は大変驚いて、次に訪れた時には、きれいに掃除され、ガラスケースに収まっていたそうだ。この十年位の間に、傾いた茅葺屋根の山門は瓦葺の立派な山門に修復され、「円空仏祭」と銘打たれたイベントも開催されるようになった。鎌倉時代中期の開基と伝えられている観音院が歴史的文化遺産として、世に広く知られる事は喜ばしいと思う反面、子供の頃日が暮れるまで遊んだ、荒れ果てて少し陰気な気配の建築物や、手入れされていない雑木の佇まいの方がよかったと思うのは、一個人の愚かなノスタルジーにしか過ぎないのだろう〉という内容を記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)6月号の特集「俳句の「余白」の魅力」における「句セレクション~余白を感じされる名句」の項を田島健一が担当、名句20句を抄出し、その各句を「余白」の観点から鑑賞。《音楽漂う岸侵しゆく蛇の飢 赤尾兜子》に対して〈この「音楽」はどんな種類の音楽でしょうか。不可解な語の連なりは、掲句を経験的なイメージに還元することに抵抗します。この抵抗こそが、「余白」です。「余白」はあらゆる句に必ず内在されます〉と、《暗黒や関東平野に火事一つ 金子兜太》に対しては〈「暗黒や」の大きな切れによって際限なく広がる「黒い余白」とでも呼ぶべき領域が現れます。仮にこれが「暗黒の」であったなら、その火事の周囲に広がる関東平野の闇に「余白」の位置が移動することになるでしょう〉と記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)5月号の「全国の秀句コレクション」が〈毎月の受贈誌より編集部選〉の一句として「炎環」誌より《正月や津軽の海の裏返り 前田拓》をトップに採録、あわせて石寒太主宰の句評を引用。
- 東京新聞5月16日「東京俳壇」の「句の本」が、増田守句集『回帰』を取り上げ、〈『桜蔭』代表で川崎市在住の著者の第五句集。弁理士として「独創性のある知的所産として、俳句と発明には強い親和性がある」と記す。《日常に戻る潮目や猫の恋》《廃炉みな幻想にして山法師》〉と紹介。
- 結社誌「麻」(嶋田麻紀主宰)3月号の「現代俳句月評」(田中幸雪氏)が《缶切りの長き一周冬ざるる 倉持梨恵》を取り上げ、〈最近はイージーオープン缶が多いから、縁の巻締部に缶切りのとんがりをひっかけてきこきこ開けるから指疲れるし一周長いなあとか、どの缶切りが一番いいだろう、とかはあまり話題にならない。缶切り話も冬ざれてしまうこの頃です〉と鑑賞。句は「俳句四季」2月号より。
- 結社誌「繪硝子」(和田順子主宰)5月号の「現代俳句鑑賞」(吉田七恵氏)が《冬の月人連れ去りし終電車 倉持梨恵》《初電車ひと家族分空く座席 同》を取り上げ、《冬の月》に対して〈終電車には仕事で疲れきった人や酔った人が殆ど眠っているが、全ての人達を各駅まで運ぶ。「人連れ去りし」は的確。終電のあとは殊更冬の月が耿耿と輝いている〉と、《初電車》に対しては〈「初電車」は新年はじめて乗ると言うことで心の弾みが伝わってくる。「ひと家族分空く」よくある情景であるが、なかなか言えない。降りてゆく家族の様子、ぽっかり空いた席の様子など想像の広がる臨場感のある一句である〉と鑑賞。2句とも「俳句四季」2月号より。
- 結社誌「香雨」(片山由美子主宰)5月号の「現代俳句を読む」(熊谷尚氏)が《初電車ひと家族分空く座席 倉持梨恵》を取り上げ、〈清新な雰囲気が感じられる「初電車」の車内。たまたま乗り合わせた家族連れは、何やら楽し気に会話を弾ませている。とある駅で、その家族連れは下車していった。ぽっかりと空いた座席が、どことなく淋しい〉と鑑賞。句は「俳句四季」2月号より。
- 結社誌「未央」(古賀しぐれ主宰)5月号の「深句探句」(松田吉上氏)が《初電車ひと家族分空く座席 倉持梨恵》を取り上げ、〈正月ゆえ満席であろうと予想していたが、何と一家族分ポッカリと座席が空いているではないか。新年早々起きた小さな幸せであるが、中々句にはしにくい情景だ。「ひと家族分空く」に望外の喜びが溢れており、こんな場面にでも詩が生まれるのだということを、改めて気付かせてくれた〉と鑑賞。句は「俳句四季」2月号より。
- 結社誌「秋麗」(藤田直子主宰)6月号の「現代俳句を読む」(重信通泰氏)が《旅鞄へ六種のくすり冬銀河 折島光江》を取り上げ、〈毎日服用しているくすりなのか、それとも万が一のことを考えての用心のくすりか。寒天に銀河が冴える夜、作者は旅支度をしている。いくつもの種類のくすりを鞄に詰めるのは面倒だと思いつつも、明日からの旅を楽しく想像しながら〉と鑑賞。句は「炎環」3月号より。