2021年8月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 新海均(俳号あぐり)著『季語ものしり事典』(角川文庫・2021年5月発行)は、季語の薀蓄が1ページに一題ずつ語られ、「炎環」誌8月号から連載の「季語こぼれ話」と同じスタイルですが、同書では「メーデー」のページに、《メーデーの原宿に来て別れけり 石寒太》を採録しています。句は句集『炎環』所収。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)8月号の「俳壇時評」(藤本美和子氏)が、『俳壇年鑑2021年版』に掲載の「全国実力作家・コロナ禍の一年を詠む」にある273句から、11句を選び出して鑑賞、その中の一句に《日日増ゆる死者数に馴れ夏了る 石寒太》があり、〈「死者数に馴れ」というフレーズがさり気なく収まっていること自体不気味である〉と記述しています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)7月号「令和俳壇」
・岩岡中正選「推薦」〈根の国の父母と落ち合ふ桜の夜 鈴木まさゑ〉=〈夜桜の幻想性を詠んだ句は多いが、この句は〈根の国の父母〉に再会する、それも約束をしたように〈落ち合ふ〉とした心のときめきがよく出ている。願いかなっての久しぶりの再会に、さぞかしなつかしく語り尽くせなかったことだろう。心のこもった一句〉と選評。 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号「令和俳壇」
・岩岡中正選「秀逸」〈音信のひとつは訃報暮の春 鈴木まさゑ〉
・白岩敏秀選「秀逸」〈マスクして遍路の旅へ発ちにけり 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号「投稿欄」
・稲畑廣太郎選「特選」〈燕来るみしみしと空切りきざみ 赤城獏山〉=〈特に人通りの多い駅の構内等に巣を作るのは、人が居ることによって天敵から身を守ることが出来る為と聞いたことがあるが、そんな燕のスピード感が明るく描かれている句。「みしみし」が心地良く響く〉と選評。
・西池冬扇選「秀逸」〈母の日の母の行先誰も知らず 小田桐晃史〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)8月号「四季吟詠」
・上田日差子選「秀逸」〈しばらくは奥千本の花吹雪 曽根新五郎〉
・秋尾敏選「秀逸」〈コーラスの了はり揃はず飛花落花 長濱藤樹〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)8月号「俳壇雑詠」
・山田貴世選「特選」〈父の日や男は上を向いて泣く 赤城獏山〉=〈男は強く確りし女は弱く優しいという通用性と固定観念がある。「男は泣かない」「女だてらに」の言葉もあるが人間皆同じ、泣く時は泣き笑う時は笑う。中七下五の措辞、涙脆くなった父の日の自画像であろうか〉と選評。
・加藤耕子選「秀逸」〈生きるとは種蒔くことのくりかえし 赤城獏山〉 - 毎日新聞7月13日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈誰を待つ雷門の日傘かな 辺見狐音〉 - 毎日新聞7月19日「毎日俳壇」
・西村和子選〈居のこりの掃除当番大西日 谷村康志〉=〈回想の句だろう。今でも強烈な西日に当たると、あの時の校舎とやるせなさがよみがえる〉と選評。 - 産経新聞7月22日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈ばかもんと主治医一喝くすり降る 谷村康志〉 - 産経新聞7月29日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈かうもりや問診票に嘘五つ 谷村康志〉 - 毎日新聞8月2日「毎日俳壇」
・井上康明選〈梅雨明けや球音空を突き抜ける 谷村康志〉 - 産経新聞8月5日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈雨に明け雨に暮れゆく桜桃忌 谷村康志〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)8月号の特集「戦争を詠むということ」の中の、「後世に残したい戦争を詠んだ一句」のコーナーにおいて、田島健一が《爛々と晝の星見え菌生え 高浜虚子》を取り上げ、〈私は「戦争を詠んだ一句」という言葉に僅かな違和感を感じています。それは、この一文中にある格助詞の「を」によって「戦争」を句の対象として目的語化することが可能なのか、という違和感です。「戦争」が対象化不可能な、我々を包み込むぼんやりとした〈状況〉であることを考えると、それは「戦争を詠んだ一句」ではなく、「戦争(という状況)が詠ませた一句」という方がふさわしいのではないかということです。掲句は、言わずと知れた虚子の代表句です。疎開先の長野県小諸にて、昭和二十二年に詠まれました。「十月十四日。長野俳人別れの爲に大擧し來る。」と注記があります。この句は対象としての「戦争を」主題として詠んだ句ではありませんが、確かに「戦争」という〈状況〉が詠ませた一句であるとは言えないでしょうか。戦後、記者からのインタビューで「戦争が俳句に及ぼした影響」を尋ねられ「俳句は何の影響も受けなかつた」と回答した虚子が、その一方で「戦争」に詠まされた一句として、永く記憶されて欲しいと思っています〉と論評。
- 毎日新聞7月26日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が、《ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一》を取り上げ、〈「ただならぬ海月ぽ」までを一気に読み、そして「光追い抜くぽ」と読みたい。つまり、「ぽ」を末尾に置いた対句的表現の句。では、「ぽ」とは何か。クラゲの光を連想するが、その意味は分からない。しかし、こうしてこの句を読むと、読者の中でときどき「ぽ」が光るだろう。それはこの句が傑作だから〉と鑑賞。句は句集『ただならぬぽ』より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号の「名句水先案内」(小川軽舟氏)が《裂ける音すこし混じりて西瓜切る 齋藤朝比古》を取り上げ、〈句集『累日』(二〇一三年)所収。石寒太に師事した齋藤朝比古(一九六五年~)は俳句的な発見に満ちた作風。この句はその最たるものと言える。西瓜をまるごと包丁で切ることなどめっきり減ったが、刃より大きな西瓜に包丁を入れて力を込めた時のこの句の示す感触ははっきり覚えている。この些細な発見のリアリティーが過去から呼び覚ますものは豊かだ〉と解説。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号の特集「文語と口語~それぞれの魅力」の中の、「文語と口語、名句ピックアップ」のコーナーにおいて、三宅やよい氏が〈とどのつまり、神田秀夫が言ったように口語、新かなで一番痛いのは「や」「かな」「けり」という切字の喪失だと思う。現代的切字の出現はまだだけど、口語俳句の先駆的な存在である渡邊白泉から現在、坪内さんや田島さんまでオノマトペや俗語、音韻の活用がヒントになるのではないだろうか〉と論じつつ、口語の名句の一つに《ただならぬ海月ぽ光追い抜くぽ 田島健一》を選出。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号の特集「文學の森各賞を読む」において、「第11回北斗賞」の受賞作である西川火尖作「公開鍵」に関し、奥坂まや氏が〈「公開鍵」一五〇句は、全体を通じて個性的な作品世界を強固に形作っていた。その作品世界が発する、ひりひりとした焦燥感・緊張感は、聳え立つ断崖となって私の心に迫ってきた。新人賞として最も求められるのは、既存の俳句世界に則った上手な俳句ではなく、その人の心の底からの叫びが、今までには存在しなかった強烈な世界を形作っていることではないだろうか。その意味で「公開鍵」は、「俳句の未来を開く若い俳人を輩出することを目的」とする北斗賞を受賞するに、まことにふさわしい作品群である〉と評価。また「一句鑑賞」として髙勢祥子氏は《枯園の四隅投光器が定む》を取り上げ、〈普通に楽しんでいるときは庭園はゆるやかに心地よく広がる空間だ。だが、この句ではそれは間違いであって、枯園は「投光器」によって規定されるものなのだと言う。心地よさや情緒を期待していた私たちは裏切られる。普通に楽しんでいれば良いのに、随分苦しいものの見方なのかもしれない。けれども、その見方ができる作者は真摯にものを考える人なのではないかとも思う〉と鑑賞。同じく抜井諒一氏は《風船を結ぶのに佳き指を問ふ》を取り上げ、〈子の眼の高さまで屈み、小さな指に紐を結ぶ姿や、頭上に浮かぶ風船を眺める子の笑顔まで、描かれていない景がありありと立ちあがってくる。読者の心にその感興が「ありあり」と再現されることで、一句はたちまち強靱で非凡な印象になる。「問ふ」の措辞が、見逃してはならぬ点といえよう。「佳き指」を問いかけている、その丁寧な心の描写が、季語の力と相まって精彩を与えている〉と鑑賞。
- 新海均著『季語ものしり事典』(角川文庫)が「柏落葉」を解説したページに、その例句として《廃校の柏落葉は裏見せり 三輪初子》を採録。