2022年1月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 『俳句年鑑2022年版』(角川文化振興財団)の「年代別二〇二一年の収穫」における「七〇代男性」の項(櫂未知子氏執筆)が48名の俳人を挙げ、その中で石寒太主宰については、《茶の花の花唇あふれしひかりかな(「炎環」487号)》《サングラス外し眩しき地のひかり(「炎環」495号)》の2句を取り上げ、〈二句目のすこやかさ、華やかさに惹かれた〉と記しています。
炎環の炎
- 波田野雪女が、句集『むらさき野』を紅書房より2021年12月20日に刊行。序文を石寒太主宰が「優しい中に強いこころよ」と題して認め、〈彼女は満州で生まれ、その後韓国で育った。昭和二十年の敗戦により、運命は一変。本当に激動の人生だったらしい。詳しいことはこの句集の句群にある。韓国から、全財産を捨て裸一貫で日本に帰り、またそれからの辛酸は、ことばであらわせないほどの苦労であったらしい。そのあたりは俳句でたどって想像して欲しい。そういう意味で、これは句集であるが、彼女の一生の物語ともなっている。雪女さんがこれまでたどって来た人生が一望できるように構成されている。読み通すと彼女の人生が、年代とともに迫ってくる。雪女というひとりの人柄が浮かびあがってくるのだ。波田野雪女という希有で純粋な俳句作家の生き方が、俳句と書に打ち込んできたありようが鮮明に投影されている。この句集の中にシャイで優しい波田野雪女像が伝わってきたら、こんなうれしいことはない〉と紹介。
- 「第11回百年俳句賞」(有限会社マルコボ.コム・12月5日)が、91の応募作品(1作品50句)から最優秀賞1作品・優秀賞5作品・入賞6作品を決定。
○「入賞」秋山裕美作「月球儀」50句 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)1月号「令和俳壇」
・井上康明選「秀逸」〈ちちろ虫柩の中の耳ふたつ 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号「投稿欄」
・辻桃子選「秀逸」〈飛蝗跳ぶ私を草に置きざりに 結城節子〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号「四季吟詠」
・由利雪二選「特選」〈コスモスと遊びし髪のまま句会 山本うらら〉=〈「句会なの、行ってきます」と家を出てコスモスの野に紛れ込んだ作者である。やり残した家事を思い悩まず、風のコスモスと過ごしてさて句会と更なる楽しい刻に入り込む。数ある花の揺れ咲くコスモスのイメージは、句会のおしゃべりを想像させ楽しさの連続を断ち切らない。コスモス・髪・遊び・句会の素材が違和感なく処理されている〉と選評。
・渡辺誠一郎選「特選」〈鳴き砂を鳴かせて島の秋惜しむ 曽根新五郎〉=〈鳴き砂は、踏むと音を立てる砂のことを指す。石が石英質であり不純なものが少ない浜、特に島にあるきれいな砂浜に見られる。掲句の「鳴かせて」が眼目。作者が砂浜に足を踏み入れると、砂から鳴いたような音がしたのだが、それを「鳴かせて」と、泣いた砂を、あたかも生きもののように捉え、砂の表情までを浮かび上がらせている。これを、島の秋を惜しむ情感が、静かに演出する〉と選評。
・鈴木節子選「秀逸」〈老斑を沼に沈めて蓴採り 赤城獏山〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)1月号「俳壇雑詠」
・藤田直子選「秀逸」〈星飛んで飛んで島には母ひとり 曽根新五郎〉 - 産経新聞12月16日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈閣僚を叱責したる夜学生 谷村康志〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号の特集「五巻で詠む!~みる俳句・きく俳句」において、「「触覚」を使った名句」の項を田島健一が担当し、《ものの種にぎればいのちひしめける 日野草城》《くすぐつたいぞ円空仏に子猫の手 加藤楸邨》《孔子一行衣服で赭い梨を拭き 飯島晴子》《除夜の湯に肌触れあへり生くるべし 村越化石》《淋しさを許せばからだに当る鯛 攝津幸彦》《はつ雪や紙をさはつたまま眠る 宮本佳世乃》《つまみたる夏蝶トランプの厚さ 髙柳克弘》など20句を抄出。「所感」として〈私が何かに「触れる」とき、私とその何かは「触れ合っている」と言うことができるでしょう。「触覚」とは「触れる」ことで対象を感じるのと同時に、対象に感じさせる。ここで大切なことは、その双方向性によって私は対象に成り代わるということに他なりません。例えば「恋人と手をつなぐ」「生まれたばかりの赤ちゃんを抱く」「少年たちがくすぐり合う」というとき、それはお互いを「感じる」というだけでなく、その相手に成り代わっているのだとは言えないでしょうか。俳句を書くこと――つまり、俳句を「表現」するということは、この「成り代わり」そのものであるように、私には思われます。この俳句というささやかな文芸に、それでも書く意義があるのだとしたら、それは、こうした他者への「成り代わり」という倫理的な身振りに支えられているのかも知れません〉と記述。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号の「俳句へのまなざし」(大西朋氏)が《鳰の巣の卵だんだん汚れけり 岡田由季》を取り上げ、〈第六十七回角川俳句賞受賞作品から。どの句も無理なく読み手に伝わるように感じた今回の受賞作。「だんだん汚れけり」に作者の鳰の卵への観察眼の鋭さとともに、日々見守っているあたたかなまなざしを感じる。鳰の子が孵る日が楽しみである〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号の「一月の名句」(青木ともじ氏)が《みんなさみしい明けましておめでたう 宮本佳世乃》を取り上げ、〈新年というのはおめでたく「あるべき」期間として認識されているが、そうした空気に馴染めず、不安や苦しみを抱えたまま新年を迎えた経験は誰しもあるのではないだろうか。この句のとてもストレートな孤独は、人々の中にある特別な季節への違和感を直に射貫いている。このさみしさこそが人々の隠れた本心なのかもしれない〉と鑑賞。句は句集『三〇一号室』より。
- 結社誌「山繭」(宮田正和主宰)1月号の「現代俳句鑑賞」(松村正之氏)が《我が指をつかむ落蟬つかんでをれ 谷村鯛夢》を取り上げ、〈命はかない落蝉は、よく手足を上に向けて死んだようになっている。作者がまだ生きているかどうかと指を蝉の手足に添えてみたら、懸命に摑んできたのである。作者はそこに消えなんとする命の哀れさを実感したのだ。「つかんでをれ」と言う命令形が、作者の命をいとおしむ気持ちを強く表している〉と鑑賞。句は「俳壇」11月号より。
- 『俳句年鑑2022年版』(角川文化振興財団)の「年代別二〇二一年の収穫」における「五〇代男性」の項(西山睦氏執筆)が34名の俳人を挙げ、その中で齋藤朝比古については、《着けてやや冷たき肌着朝桜(「炎環」6)》《一本の橋に集へる祭かな(「炎環」8)》の2句を取り上げ、〈日常の些事から季語への飛躍が心地よい。季語の持つ広がりを熟知している。〈朝桜〉の説得力、〈祭〉への視点の絞り方など、視線が鋭い〉と評価。同じく「五〇代女性」の項(小島健氏執筆)が31名の俳人を挙げ、その中で岡田由季については、《梅雨深し指紋だらけの部屋にゐる(「ユプシロン」3号)》《春の鴨眠りしままに橋くぐる(「炎環」3)》《自宅から土筆の範囲にて暮らす(『文藝春秋』5)》の3句を取り上げ、〈第六十七回角川俳句賞を受賞。独自の感性に乾杯! 詩性を過度に強調せず、言葉に無理強いもしない。〈指紋だらけの部屋〉から〈梅雨深し〉を言い当てたのはさすが。春の鴨は運命に身を委ねる? 〈土筆の範囲〉は警抜だ〉と評価。同じく「四〇代」の項(渡辺誠一郎氏執筆)が42名の俳人を挙げ、その中で田島健一については、《夜の焚火すべて遅れてくる言葉(「炎環」3)》《お寺建てたし鳥交る明るさに(「オルガン」27号)》の2句を取り上げ、〈詠みたいことよりも言葉が先に飛び出し一句を成すようだ。〈夜の焚火〉に言葉が速さを失うとの感覚に納得〉と評価、また宮本佳世乃については、《野分来るマウスシールドへと息が(「炎環」12)》《手袋のなかを摑むやもの言はぬ(「炎環」3)》《くらがりに育つは春の鴨の脚(「オルガン」25号)》の3句を取り上げ、〈言葉の扱いが巧み。自在にして独自。〈野分〉と〈息〉を〈マウスシールド〉が遮る違和感。〈摑む〉から〈言はぬ〉までの遠さ。〈鴨の脚〉が生々しく、哀調に諧謔が添う〉と評価。同じく「三〇代」の項(日下野由季氏執筆)が25名の俳人を挙げ、その中で西川火尖については、《受信せり夕立動画十五秒(「炎環」10)》《椅子引いて妻座らせる聖夜劇(「炎環」2)》《蕨餅食へよ泣きながら食ふなよ(「炎環」6)》《花の屑浮力を使ひ果たしけり(「炎環」7)》の4句を取り上げ、〈北斗賞を受賞。一句目、画面越しの夕立だが、〈十五秒〉が不思議と夕立の存在を際立たせている。三句目に見えるドラマが温かく面白い〉と鑑賞。