2022年3月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の炎
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)3月号の「昭和・平成の俳人 わが道を行く」に吉田悦花が「誕生日」と題して、〈軒下に飼ひし目高や冬あたたか〉〈伊勢海老のあかあか古事記勉強会〉〈歳時記に蓮根なく揚げ蓮根そば〉〈森八のチョコ羊羹よ春立てり〉〈きさらぎに人と生まれし誕生日〉など新作15句と自選40句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号の「北斗賞受賞作家競詠」に西川火尖が「帰郷」と題して、〈白息やマスク僅かにずらす子の〉〈背伸びして積らぬ雪を積るといふ〉〈眠れぬのなら鯨が夜になる話〉など5句を発表。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)3月号「令和俳壇」
・井上康明選「推薦」〈漁火の太平洋の流れ星 曽根新五郎〉=〈深夜、漁をつづける漁船の灯が太平洋の海上に揺れる。空には数多の秋の星が光り、時折、光芒を引いて流れていく。浪漫豊かな大景である〉と選評。
・夏井いつき選(題「達」「星」)「秀逸」〈星屑のやうに拾ひし父の骨 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)3月号「投稿欄」
・古賀雪江選「秀逸」〈ドローンの影の自在や枯野原 小野久雄〉
・古賀雪江選「秀逸」〈防護服作業勤労感謝の日 曽根新五郎〉
・西池冬扇選「秀逸」〈立冬の傾いてゐるお父さん 長濱藤樹〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)3月号「四季吟詠」
・山田佳乃選「特選」〈海鳥の二百十日の乱舞かな 曽根新五郎〉=〈二百十日という厄日を詠むのはなかなか難しいと思うのだけれども、掲句は海鳥の乱舞を句材として持ってきたことで、海や風の荒ぶる様子を視覚的に表現し得た〉と選評。
・行方克巳選「特選」〈台風の真夜の大黒柱かな 曽根新五郎〉=〈「の」を二つ用いて畳みかけるように叙した一句である。その流れが、大黒柱という存在に相応しい力強いリズムをなしている〉と選評。
・水内慶太選「秀逸」〈磯の間の月天心の湯壺かな 曽根新五郎〉
・能村研三選「秀逸」〈いつまでも手を振る別れ島の秋 曽根新五郎〉
・髙橋千草選「秀逸」〈遠くなる島へ手を振り年惜しむ 曽根新五郎〉 - 日本経済新聞2月19日「俳壇」
・黒田杏子選〈春めくや介護講座に高校生 谷村康志〉 - 産経新聞2月24日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈児の遊ぶ場所へ日射しや千代の春 谷村康志〉 - 日本経済新聞2月26日「俳壇」
・横澤放川選〈大仏の胎内温し寒四郎 谷村康志〉 - 毎日新聞2月28日「毎日俳壇」
・西村和子選〈日時計の影はつきりと春隣 谷村康志〉 - 産経新聞3月3日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈やましさが故の饒舌懐手 谷村康志〉 - 毎日新聞3月7日「毎日俳壇」
・小川軽舟選〈春立つや秩父連山茜色 岡良〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)3月号の特別企画「春の季語で定点観測」に岡田由季が、自身初学の頃の〈楽器ケースに頰くつつけて揚雲雀〉、句歴中期の〈揚雲雀公証役場までの道〉、直近の〈仰ぎ見る雲雀の息の長きこと〉の3句を掲げ、〈東京生まれの私は幼少の頃に雲雀に出会った記憶がない。実際はいたのかもしれないが目に入っていなかった。「楽器ケース」は初めてまとまった句数を作る必要が生じ、小石川植物園へひとり吟行に行き作ったうちの一句。句材は吟行で拾ったが、実景ではない。揚雲雀という言葉は歳時記で知った。日常では聞きなれない言葉であり新鮮に感じた。句集『犬の眉』上梓後、連作にチャレンジするうち、題材をある人のブログに求めたことがある。公証役場という言葉をそこに見つけ「揚雲雀」の句ができた。二つの言葉の配合は、景として納得感があり、且つ少しの意外性により世界が広がるのを期待してのこと。現在は野鳥観察を趣味としていて、ヒバリは川原や畑でいくらでも目にする機会がある。しかし実際に目にすると「仰ぎ見る」のような素朴な感慨しか出てこないものだ。ここから再出発して、雲雀という季語には何度でもチャレンジしていきたいと思っている〉と記述。
- 機関紙「現代俳句」(現代俳句協会)3月号の「今、伝えたい俳句 残したい俳句」にて内野義悠が、同誌12月号の特別作品から選んだ句を鑑賞。《昼の月波に透きゐる鳰のこゑ かつら澪》に対しては〈我が国に脈々と受け継がれてきた「風情」を体現したような品格を感じる。うっすらと浮かぶ昼月と、湖の穏やかな波間に「透けて」ゆく鳰の鳴き声がやわらかく溶け合う。このような静謐な世界に触れることは、昨今の混乱した世情の下ではもはや贅沢になってしまった〉と、《黒猫のすり寄つて来る鷹女の忌 橋本韶子》に対しては〈苛烈さと孤独を孕む鷹女の生涯を忍ぶ上で、「不穏さ」やある意味での「ピリオド」の象徴としての「黒猫」ほど機能する素材はないように思える。少しずつ、しかし確実に近づいてくるそれは、鷹女のみならず、いずれは等しく万人の足下に佇むのだ〉と記述。
- ウェブマガジン「週刊俳句」第777号(3月13日)が西川火尖句集『サーチライト』を特集し、近恵、伊藤幹哲、柴田葵、楠本奇蹄の各氏による同句集の鑑賞・批評を掲載。近恵は《子の問に何度も虹と答へけり》に対して〈どんな問なのかは分からない。けれど答えは虹一択なのだ。自身の暮らし向きはキラキラもしていないし華やかな事もない。けれども子供の未来はまだ何も決まっていない。夢の懸け橋的なイメージの虹である〉と、また《次々と月光役の子供来る》に対しては〈月光役の子供というのが不思議だ。いったいどんな劇をやっているのだろう。月光は夜でありあの世であり闇であり静である世界だ。それを演じるのが子供で次々来るという違和感〉と鑑賞。伊藤幹哲氏は〈作品全体の重層性と個々の作品の重層性は入り交じって、『サーチライト』の多層的な構造を生み出している。ではそのことがどのように人に感動をもたらすか。キーワードは共感と驚異ではないか〉と批評。楠本奇蹄氏は〈火尖句は容易に割り切れない多彩さを放っている。それは、現代的な諸相を丁寧に写し取るだけでなく、それを俳句でなければ表現できない(と思われる)かたちで再構成しているプロセスの多様さと、虚実の入り組んだ創作の文脈によるものと思われる〉と批評。