2022年4月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号の大特集「俳句を読む愉しみ」における総論を石寒太主宰が「読みの深さひろさが俳句を決める」と題して執筆し、〈俳句の良し悪しを決めるのは、これからはひとえに、読み手の「斧正」にかかっている。それは短詩型俳句の宿命といい切ってもいい。ここで誰でもがよく知っている『去来抄』のエピソードをひとつ。 《岩鼻やここにもひとり月の客》 弟子の去来がこんな句をつくった。そこで芭蕉にその作意を訊かれた去来。「この句は月夜の山野を吟行していました。そして岩の上にひとり風流人が月見をしているのをみつけ、そこでこんな句ができました」。そう応えた。すると芭蕉は、「そんなのは面白くないよ。むしろ主客を逆転させて、ここにもひとり月の客がいますよと自分から名のり出た方が、この句としてはどれだけ趣があるかしれない。そういう自称の句としなさい」そう読みを変えた。去来はこれに大いに感銘し、「自称の句となしみれバ、狂者の様もうかみて、はじめの句の趣向にまされる事十倍せり。誠に作者そのこゝろをしらざりけり」と。作者の意を広げるのは読者、すなわち読み手である。読みの大切さが、ここに広がっていく〉と述べています。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号の「角川俳句賞作家の四季『春』」に第67回受賞者岡田由季が、「玉ねぎ小屋」と題して〈戸の開きしやうに次々河原鶸〉〈萵苣の嵩紙婚式の卓の上〉〈雉の駆け込みし玉ねぎ小屋の裏〉〈人の手の匂ひも食べて春の鴨〉〈雑食の我らの春の眠きこと〉など15句を発表。
- 「第25回毎日俳句大賞」(毎日新聞社)が応募総数約5,000句(一般の部)を予選選考によって1,724句に絞り、その中から11名の本選者により各々が特選1句・秀逸2句・佳作40句を選出、その結果最終選考に残った74句から、再審査により、大賞2句・準大賞2句・優秀賞2句・入選22句を決定。
▽最終選考まで残った入選候補句
○〈逆縁の入学前の骨拾ふ 曽根新五郎〉=石寒太選「佳作」、大串章選「佳作」
▽各選者の入選句
・石寒太選「佳作」〈いくたびも病みし地球や雁渡る 北悠休〉
・井上康明選「佳作」〈一枚の島の卒業証書かな 曽根新五郎〉
・井上康明選「佳作」〈歓びのかたちにひらくダリアかな 長濱藤樹〉
・大串章選「佳作」〈秋薔薇や港眼下の異人墓地 小嶋芦舟〉
・小川軽舟選「佳作」〈ちちろ虫明日出張の靴磨く 戸塚純一〉
・黒田杏子選「佳作」〈生涯を一塗装工鰯雲 堀尾笑王〉
・高野ムツオ選「佳作」〈八月の言葉のやうな水の泡 曽根新五郎〉
・津川絵理子選「佳作」〈アクリル板隔て逢瀬のソーダ水 鈴木経彦〉
・夏井いつき選「佳作」〈草刈の俺が死んだるあとのこと 添田勝夫〉
・正木ゆう子選「佳作」〈鶏頭花五人の親を終ひけり 添田勝夫〉 - 「第19回埼玉県現代俳句大賞」(埼玉県現代俳句協会)が、36の応募作品(1作品15句)から、選者13名(桑原三朗・島田妙子・石寒太の各氏ほか)により、大賞(該当なし)・準賞5作品・佳作5作品を決定し、「埼玉県現代俳句教会報」第82号(3月15日)にて発表。
○「準賞」内野義悠作「誰からも」15句
○「準賞」木下周子作「長電話」15句 - 「第19回「富士山を詠む」俳句賞」(静岡県富士宮市・2月28日発表)が応募総数2,138句から、3名の審査員(甲斐遊糸・嶋田麻紀・須藤常央の各氏)により、入賞3句・佳作6句・特選31句を決定。
○「特選」〈遠富士へ放つひかりや弓始 北悠休〉 - 「第21回全国俳句大会in北九州」(北九州市・3月5日6日の大会は中止)において、応募総数2,708句から選者6名(今井肖子・宇多喜代子・小川晴子・黒田杏子・寺井谷子・西村和子の各氏)がそれぞれ特選3句・入選12句を選出、その中から大賞1句・北九州市長賞1句を決定。
・寺井谷子選「入選」〈日本語に漢字カタカナ仮名あたたか たむら葉〉
・黒田杏子選「入選」〈発売の日取り八月十五日 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号「令和俳壇」
・夏井いつき選「秀逸」(題「望」「砂」)〈海底の砂に日のある寒さかな 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号「投稿欄」
・名和未知男選(題「縁」)「秀作」〈縁無き衆生にはあらず初鴉 青山雅奇〉
・大串章選「秀逸」〈語り部の一瞬の黙炭爆ぜる 堀尾笑王〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)4月号「四季吟詠」
・鈴木節子選「秀逸」〈三社祭漢の息を吐き出して 赤城獏山〉
・鈴木しげを選「秀逸」〈冬うらら循環バスの発車待ち 森山洋之助〉
・由利雪二選「秀逸」〈ぽつぺん展小町通りは久しぶり 山本うらら〉
・渡辺誠一郎選「秀逸」〈白樺の冬青空の余白かな 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)4月号が「俳壇雑詠」の年間賞を発表。
・山田貴世選「天」〈父の日や男は上を向いて泣く 赤城獏山〉=〈男は強く確りし女は弱く優しいという通有性と固定観念がある。「男は泣かない」「女だてらに」の言葉もあるが人間皆同じ、泣く時は泣き笑う時は笑う。中七下五の措辞、涙脆くなった父の日の自画像であろうか〉と選評。 - 産経新聞3月24日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈胼ぐすり塗り履歴書の十通目 谷村康志〉 - 産経新聞3月31日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈傍らに白紙の句帳梅見茶屋 谷村康志〉 - 東京新聞4月3日「東京俳壇」
・石田郷子選〈地下鉄に急カーブあり春の宵 渡辺広佐〉 - 毎日新聞4月4日「毎日俳壇」
・西村和子選〈酔ひ泣きの客を見送り月おぼろ 谷村康志〉 - 産経新聞4月7日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈出戻りの愚痴は語らず牡丹鍋 谷村康志〉 - 「読売家庭版」(読売新聞社)4月号が吉田悦花に取材した特集記事「俳句散歩を楽しもう」を掲載。《万緑や落ち着きのなき犬の耳》《ゆく水に乗りたり渡し舟の初夏》など吉田悦花の俳句5句と自句自解もあわせて紹介。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)4月号の特集「前衛俳句とは何か――21世紀の「前衛」を考える」に西川火尖が寄稿、「臍の緒、凧の糸」と題して、〈「前衛俳句」の成果は何よりもまず、暗喩を俳句に取り込んだこと、そのための詩論として造型俳句論を残したこと、そしてその実践として現在も色褪せないいくつもの「前衛俳句作品」を生み出したことがあげられるだろう。これらの成果は俳句にとって大きな遺産となり、攝津幸彦や御中虫の突然変異的な作品や、二〇一九年の俳句甲子園の最優秀句「中腰の世界に玉葱の匂ふ 重田渉」、といった作品を受け入れる土壌になっている。しかし「前衛俳句」の成果はともかく「歴史」は十分に活かされているとは言い難い。昭和の「前衛俳句」は従来の俳句では表現し得なかったものを見つけ、それを表現する方法を模索し、従来の俳句と決別しようとしたが、暗喩の未熟に対し、「十七文字の世界に義理立て」(「詩魂と形式」飯島耕一『俳句』一九六三・七)し、俳句の「臍の緒」が巻き付いたまま縊死したように見える。二一世紀の俳句に「前衛」があるならば、その点を無視してはありえないだろう。これらを踏まえると、自作を「俳句」と呼ぶことをやめ「短詩」を掲げる髙鸞石を中心に未来の「前衛」と「定型」の問題は展開していくのではないだろうか。彼の作品は「落花する蜘蛛暁の手話は停止」(痴霊記三)、「雪原では瓶鳴るように時間生まれ」(時空糞四)など、すでに注目すべき異彩を放っている〉と記述。
- 毎日新聞4月2日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が《菜の花や沖のはるかに白巨船 武山こゆき》を取り上げ、〈近景の黄色い菜の花と遠景の白い巨船がくっきりと対照的。そういえば、「恋人奪いの旅だ 菜の花 菜の花 海」という句が私の第1句集「朝の岸」にある。大学生時代の作だが、そのころ、菜の花の先には青い海があり、そこには恋人や大きな船がいた。いや、その風景、今も私はとっても好きだ〉と鑑賞。句は句集『ヴィヴァルディ』より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)4月号の「合評鼎談」(佐怒賀正美・望月周・相子智恵各氏)の中で、同誌2月号掲載の谷村鯛夢作「水色の日記」について、〈相子「《存外に晩節難し初しぐれ》 晩年をゆうゆうとこだわりなく過ごせるかと思ったが、「案外、厄介だ」とは面白い。〈初しぐれ〉自体は重い季語だが、うまく切り替わっている。 《水色の日記が付録なので買ふ》 〈水色〉がかわいい。これが表題句」、望月「私もその句です。切れのない散文調が結構効いています。リズムがよすぎると本音っぽくないかも」、佐怒賀「私も〈水色の〉の句を戴きました。〈付録なので買ふ〉はいかにも今の若い子の言い回しですね。「ちゃっかり」感も入っていて、「ゆとり」があります(笑)」、望月「《孫の句を選んでしまふ初句会》 「孫の句は作るな」と言われるが、堂々と詠んでいて気持ちがいい。〈水色の〉の句は、季語「日記買ふ」を「日記」と「買ふ」に分けて使っていますね。季語の用い方に厳格な方からはお叱りがくるかもしれない。そういう句を選ばされてしまうところに、この作家の一つの魅力がある」、佐怒賀「《二丁目に迷ひインコや寒鴉》 この句の「や」も切字ではないだろう。楽しみながら作っている感じ」〉と合評。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)4月号の「この本この一句」(槍田良枝氏)が西川火尖句集『サーチライト』とその中の《映写機の位置確かむる枯野かな》を取り上げ、〈難解な句集から立ちあがってくる自我の叫びの根幹をなすのが、この巻頭句である。もちろん実景ではない。映写機のフィルムの画像は作者自身。そこに俳句という強い光を照射してスクリーンの「枯野」に映写する。即ち俳句の世界での己の立ち位置を確かめ、新たな地平を切り拓こうとする渇望である。一方、〈ろろろろと春満月へ向かふバス〉の感覚句や写実句など、多面な貌に魅了される〉と批評。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)4月号の「俳壇月評」(岩田由美氏)が《凩や「空」と灯して駐車場 関根誠子》を取り上げ、〈「空」はなんと読むのだろう。この句の場合、凩の寒々としたイメージに引かれて「くう」と読んでしまい、下五に至って意味が違う、と気づく。意味からすれば「あき」だろうが、声に出して読む場面はまずない。むろん「そら」とも読める。日常の景色から、思わぬ言葉の楽しみを見つけてくれた。それでいて、凩の吹くがらんとした駐車場の様子も見えてくる。よけいなことだが、あの表示は満空表示(まんくうひょうじ)と言うらしい〉と鑑賞。句は「俳壇」2月号より。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)4月号の堀切克洋氏による特別寄稿「〈子育て俳句〉は、二十一世紀の社会性俳句なのか?」の中において、《非正規は非正規父となる冬も 西川火尖》を引き合いに、〈「子育て俳句」が一般化していく時期は、バブル経済崩壊後の不況下で、非正規雇用者が増加していく時期とも重なっている。西川火尖(一九八四年~)の掲句には、フルタイムの正規雇用ではないまま「父となる」という時代の厳しさが、ストレートに詠み止められている。「甘い」と呼ばれていた〈吾子俳句〉は、すでに郷愁のなかにしか存在しない。一九九〇年代以降の労働・家庭環境は、〈子育て〉が戦場であることに目を瞑らせてくれない〉と論評。句は句集『サーチライト』より。
- 講座テキスト「NHK俳句」4月号の堀本裕樹氏による「暮らしに俳句モードを」という講座(当月のテーマは「恋愛」)において、《さつきから三羽さんかく鳥の恋 宮本佳世乃》を取り上げ、〈この句は、鳥の恋の三角関係を詠んでいますね。「さ」の語が冒頭から三つ重なり、その韻律が鳥の恋の軽やかさや華やぎを伝えてくれます。ひらがな表記と漢字表記のバランスも視覚的に考えられているでしょう。二羽の雄が一羽の雌を奪い合う声や羽ばたきが麗しく響きます〉と解説。句は句集『三〇一号室』より。
- 川柳同人誌「晴」(編集発行人樋口由紀子氏)第5号にて、広瀬ちえみ氏が「いのちはひんやりとひかり――宮本佳世乃句集『三〇一号室』を読んで」と題する鑑賞文を4ページに渡り展開。《秋の川扉ちらちら開きをり》《夏川をあがりしばらく川の足》については〈ひかりの中にある秋の川をじっと見ていると、急に扉が開いたような瞬間があり、泳いでいる小魚やきれいな小石を発見したりする。一方、夏の川はざぶざぶ入るにかぎる。濡れた足にはまだ川の感触が残っている。佳世乃さんの句はいま見ている「川」を述べているだけなのに、読者の感慨を引きだしてくれるのは「扉」「足」という言葉。川に扉があると誰が考えるだろう。ここから読者は読者自身の「川」を思うのだ〉と記述。