2022年8月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 機関誌「俳句人」(新俳句人連盟)8月号の平和特集「ストップ ウクライナ侵略」に石寒太主宰が作品3句とエッセイを寄稿しました。作品は〈ウクライナ国旗の二色夏の雲〉〈戦争の宙へたんぽぽ絮届け〉〈転がれる遺体四十九春の雷〉。エッセイでは〈コロナ禍につづき、ロシア対ウクライナの戦禍。つぎつぎに身の回りに起る惨状に戸まどっている。自粛の間にとどく便りは、このようなことを俳句にどのように詠んだらいいのか、という質問が多い。私としては、まだ進行中のことで、なかなか自分としては詠み難いが、目の前に起っている看過出来ないことは、詠めたら挑んで欲しい、とは思うが、テレビや新聞の報道などの見出しの一行にならず、必ず詠んだ作者の立位置が俳句にあらわれること、そこが作品に見られるのかどうか、その一点のみが大切である。そう思うと答えている〉と述べています。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)8月号に石寒太主宰が特別寄稿、「北条義時と後鳥羽院――韮高一五〇年記念と後鳥羽院シンポジウム」と題して、〈私のふるさとは、伊豆の湯ヶ島。伊豆箱根鉄道に乗って韮山高校まで通った。今度、その高校が創立一五〇周年ということで、記念講演を依頼された。卒業以来、「韮山駅」に降り立ったのははじめてである。講演までには間があるので、周囲をぶらぶら歩いてみることにした。歩いてゆける距離に確か「蛭ヶ小島」があるはずである。私たちが通学するころには土の道で、雨でも降ると泥んこ道に足をとられて、学校に着くまで大変であった。途中には傾いた杭が立っていて、源頼朝が流された地である由来が、消え入りそうに記してあった。それがいまは立派に塗装されたまっすぐな広い道で、両脇には「北条義時ゆかりの地」の赤い旗がひらめいている。かつての碑は公園の中にあって、「蛭ヶ島公園」として囲まれていた。ひと廻りして帰ると、「鎌倉殿の13人伊豆の国大河ドラマ館」などという建物もある。ことしのNHKの大河ドラマは、「鎌倉殿の13人」。いま源平の戦いから北条氏の時代が到来する頃にさしかかった。これから夏すぎには後鳥羽院も登場してくる。物語は、武士団と朝廷との対立となる。すなわち承久の乱、北条義時と後鳥羽院の戦がはじまるのである。ことし十月三十日、島根県隠岐郡海士町で「後鳥羽院遷幸八百年シンポジウム」が開かれる。私がそのコーディネーターを依頼された。そこでテーマを「ターニングポイントうたの島」とした。「うた」は、和歌・短歌・俳諧・俳句のすべてを含む、いわゆる詩歌の意である。後鳥羽院も加藤楸邨も、その後島を訪れたすべての人々の転機となった、それがこの島だ、と思ったからである。後鳥羽院は、承久の乱によって敗れ、政争には失敗したものの、隠岐の島に配流されて、自分の本当の姿をとりもどした。それが『遠島百首』をはじめ、すばらしい歌の数々が遺ることになった〉と述べています。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号の「後鳥羽院遷幸八百年」記念特別企画「隠岐の楸邨」に石寒太主宰が論考を寄せ、「ターニングポイント・うたの島――後鳥羽院から加藤楸邨へ」と題して、〈ことしの十月三十日(日)に、「後鳥羽院遷幸八百年シンポジウム」が開催される。『新古今和歌集』勅撰など、歌人・後鳥羽天皇の京都歌壇で詠まれた流麗な歌の数々は、隠岐島に配流されて、孤心を極めた『遠島百首』に一変した。それからはるかな時を経て、俳人・加藤楸邨が島へ渉り、彼も「馬酔木」での万葉調抒情句が、人間探求の「寒雷」調の都塵の句に変貌をとげた。楸邨俳句の転機を成したこの島の神社の境内に、ぜひ句碑を建てたい。それが当時の隠岐神社の宮司・松浦康麿氏の長年の夢であった。〈隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな〉の一句である。その句碑建立計画の実行に、白羽の矢をたてられたのが金子兜太。「よっしゃ、まかせておけ!」と引受けて楸邨居にのり込んだものの、当然、あっさりと断られた。が、そこですぐ引かないのが兜太。ふたりの交渉は十数回にも及んだ。とうとう根負けして折れた楸邨。句碑建立が成ったのは、一九九〇年(平成二)。しかしこの時の楸邨は八十五歳、すでに車椅子であった。除幕式の日程が近づいた朝、兜太・寒太は達谷山房(楸邨居)に呼び出された。そこでふたりが句碑の除幕を託されたのである。除幕の式典が終宴に近づいたころ、島の名士から「ごとばんさん俳句大会」の提案が伝えられた。兜太にその発起人になって欲しい、という。「ああ、それはいいな。引き受けた」としてはじまったのが、いまの「島うた大会」(隠岐後鳥羽院俳句大賞)である。でも、彼が選者をしたのはたった二回きり、「後は寒太に任せた。お前がやれ」と、すべてを任されてしまった。以来、兜太の後任を宇多喜代子氏に依頼し今日まで続いての、今回のシンポジウムになった〉と述べています。
炎環の炎
- 三輪初子が、句集『檸檬のかたち』を朔出版より7月15日に刊行。あとがきに〈本書は、二〇〇七年の『火を愛し水を愛して』に続く第四句集である。前作から十五年目を迎えるまでに、東日本大震災、コロナ禍、ロシアのウクライナ侵攻等、時代の変化の中、私の身辺にも異変が起きていた。第三句集刊行の同年、夫と共に営んできた生業の居酒屋レストランが、地主の所見から立ち退きを要求され、閉店を余儀なくされた。四十三年間点し続けてきた灯が消える…。自己の存在する「かたち」の倒壊に譬えようのない喪失感を味わい、その儚さがあるものを思い浮かばせた。それは、切り裂かれる前の清しく美しい果実、レモンの「かたち」である。そこで、句集の表題は本編にある一句から「檸檬のかたち」と決めた。物のかたちはいつか消える。けれども、言葉は残る。私は、私自身の「俳句のかたち」を考えてみた。これまで詠み続けてきた俳句から四八三句を掬い取り、私の「かたち」としてここに示すことで、残り少ない余生を消化する証しとしたい〉と記述。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)8月号の特集「夏の俳句昆虫記」にて、齋藤朝比古が「しんがり」と題して〈素の顔は見せずに逝けり御器齧〉〈殿は影となりけり蟻の列〉など5句を発表。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号の「作品10句」に一ノ木文子が「一気に夏」と題して、〈むきだしの腕の太さよ一気に夏〉〈正論のたまにはよろしソーダ水〉〈吾を離るる声のゆくへや夫婦瀧〉など10句を発表。
- 同人誌「円錐」(澤好摩代表)第94号(7月30日)の特集「第六回円錐新鋭作品賞受賞者最新作」にて、星野いのりが「ランチタイム」と題して〈カナリアも苺も微炭酸の中〉〈レモンサイダー迷路に書いてある時間〉〈半ズボン裁縫箱に龍を飼い〉〈冷麦や石碑を立ててゆくダンス〉など15句を発表、また内野義悠が「片隅」と題して〈たんぽぽの絮とぶ覚えたてのお手〉〈打率まだ十割さくら地に触れて〉など5句を発表。
- 「第3回星の俳句コンテスト」(天の川・交野ヶ原日本遺産プロジェクト実行委員会主催、交野市他後援)が応募総数約3,000句(小学生・中高校生・一般・海外の4部門の総計)から、審査員の夏石番矢氏により審査員グランプリ賞等各賞(計12本)と佳作(4部門計84句、一般は38句)を決定して、7月7日発表。
・「佳作」一般の部〈オリオンの跨ぐ岬や波昏し 鮫島沙女〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)8月号「俳壇雑詠」
・加藤耕子選「秀逸」〈晴れてくる三月十一日の海 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)8月号「四季吟詠」
・上田日差子選「特選」〈ゆきどころなき隠沼の花筏 阪上政和〉=〈草木などに覆われて、昼でも仄暗い「隠沼」である。思いがけなく水面のひとところに「花筏」を見つけた。その目映さにしばし佇んでいると、その花筏の行方に思いを馳せたのである。「ゆきどころなき」という言葉に花筏への哀感が託された〉と選評。
・上田日差子選「佳作」〈卒業の以下同文をくり返す 曽根新五郎〉
・浅井愼平選「秀逸」〈戦争の言ひ訳をして四月馬鹿 曽根新五郎〉
・浅井愼平選「佳作」〈咲く花の先に咲く花花の中 松橋晴〉
・古田紀一選「佳作」〈新発意も酒所望せる花のころ 赤城獏山〉
・二ノ宮一雄選「佳作」〈昭和には無類派多したでの花 赤城獏山〉
・山本鬼之介選「佳作」〈生き生きと最後の一花落椿 森山洋之助〉
・秋尾敏選「佳作」〈天辺に日の残りたる桜かな 長濱藤樹〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号「投稿欄」
・題「火」名和未知男選「特選」〈送り火の消えてひとりとなりにけり 結城節子〉=〈私事ですが、我が家ではこれまで迎え火・送り火を焚いていません。昨秋家内が亡くなったので、今年から四十年ともに住んだ家の前で焚くことにします。結城さんのご事情は存じませんが、「消えてひとりとなりにけり」に無限の悲しみが込められているようで、やはり伴侶を亡くされたのかと想像しています〉と選評。
・加古宗也選「特選」〈春禽や廃校うらの給餌台 山内奈保美〉=〈春は小鳥たちの恋の季節。少子化の波によって次つぎに小中学校が統廃合されている。廃校の裏には給餌台だけが残っている。その給餌台を見て、ふと子供たちの声が今は無いことに気づく作者だ〉と選評。
・西池冬扇選「特選」〈道塞ぐ牛の三頭夏隣 長濱藤樹〉=〈夏が近づくと家畜を放し飼いにするところがあります。この句も平明にその景を詠っています。取り立てて作為が見られないところを気に入ったのですが、三頭というのが自分の田舎のような、身近さを感じさせます〉と選評。
・西池冬扇選「秀逸」〈りん一つ鳴らして下げる桜餅 森山洋之助〉
・今瀬剛一選「秀逸」〈四隅まで青空の色田水張る 松本美智子〉 - 毎日新聞7月12日「毎日俳壇」
・西村和子選「1席」〈太宰忌や雨降れば湧く旅ごころ 谷村康志〉=〈ふつうは天候の良い時期に旅をしたくなるものだが、屈折した思いを季語が語っている。太宰の愛読者には機微がわかる〉と選評。
・小川軽舟選〈雀荘へ下駄鳴らし行く薄暑かな 谷村康志〉 - 読売新聞7月18日「読売俳壇」
・小澤實選〈生来の意志の弱さや生ビール 谷村康志〉 - 日本経済新聞7月23日「俳壇」
・横澤放川選〈朝焼や廃業といふ一転機 谷村康志〉 - 読売新聞7月26日「読売俳壇」
・正木ゆう子選〈命名の「子」への拘りさくらんぼ 谷村康志〉=〈昔、祖母の時代はカタカナ二文字の名前が多かった。私の世代は「子」の付く名前の全盛期。今は百花繚乱だが、次はどうなるのだろう〉と選評。 - 産経新聞7月28日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈草の名をほとんど知らず草むしり 谷村康志〉 - 産経新聞8月4日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈警備員削減されて守宮出づ 谷村康志〉 - 産経新聞8月11日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈問診に嘘つき通し生ビール 谷村康志〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)8月号の特集「誰もが安心できる句座のために――#MeTooのその先へ」に西川火尖が寄稿、「「子連れ句会宣言」~ハラスメントと表現の自由の天秤について~」と題して、〈私が参加している「子連れ句会」では二〇二〇年四月からセクハラやアルコールハラスメントなど、句会内でのあらゆるハラスメントの防止に取り組む「子連れ句会宣言」を掲げています。句会は、発言力や結社内のヒエラルキーによって人間関係が固定化しやすい性質を持っています。主に発言力のあるメンバーが、俳句やその作者に対して性的な揶揄、差別的な発言、飲酒の強要などをしている場合、その句会は自由にものが言える活発な句会と言えるでしょうか。セクハラに気を配り過ぎると、例えば、性的な俳句が発表できない、句会での鑑賞が制限されると心配する人がいますが、むしろ、セクハラの配慮がなく、性的な揶揄が起りやすい句会の方が、デリケートな句を発表することが難しいように思います。これが「子連れ句会宣言」の基本的な考え方で、宣言では「個人の尊厳を傷つけるハラスメントの防止」と「表現の自由」を天秤にかけること自体がそもそも適切ではないことを明確にしています〉と記述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)8月号の連載「北斗賞リレーエッセイ 今を詠む」に当番の西川火尖が「手」をテーマに、〈凧、いかのぼりは俳句では春の季語だが、私は季節を問わず凧揚げが好きで、いい風が吹く休日には、少し遠くの広場や河川敷まで凧揚げにいくことがある。ほとんど見えなくなるまで凧が小さくなると、以前、〈凧手応へだけになつてをり〉と詠んだように、手元には純粋な空の手応えだけが残る。手応えが確かなほど、心許なく不安な気持が増してくる。それは、生活に対する手応えと不安にもよく似ているように思う〉と叙述して一句、〈目隠しの手のひら薄き更衣〉。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号の大特集「無益の魅力」における「句会のたまもの」というテーマの論考に西川火尖が寄稿、「就職面接に句会の力で挑んだ話」と題して、〈俳句を作ることはもちろん創造的なことですが、句会では、批評という創造的なコミュニケーションを通して、共同作業で俳句の価値が形作られてゆくのです。この創造的なコミュニケーション力はまさに「句会のたまもの」といえるのではないでしょうか。そして、私は実際にこの創造的なコミュニケーション力を強く意識しながら転職活動に臨んだことがあります。一次面接のグループディスカッションは合格不合格という明確な結果が出るにもかかわらず、参加者同士の協力が不可欠で、私にとってそれはほとんど「句会」のように思えたのでした。その日、私は本当に句会のように振る舞いました。面接が苦手過ぎて、「これは句会だ」と思うことで乗り切ろうとしただけで、最初から句会を役立てようとしたわけではありませんでしたが、句会経験の有無が結果を分けたと思っています〉と記述。
- 結社誌「青垣」(大島雄作代表)7月号の「俳句の秀峰」(矢島英典氏)が《水色の日記が付録なので買ふ 谷村鯛夢》を取り上げ、〈私はかつて書店で働いていたことがあり、女性誌を中心に趣向を凝らした付録の数々を見てきた。作者は付録の日記が水色だからこそ、買うことを決めたのだ。水色のイメージはいろいろあるが、この句の場合は、新しい年に向けた漠然とした希望だろうか。今年も平和に過ごせたが、ささやかな幸せを塗り重ねたいと思っているような、優しい色だ〉と鑑賞。句は「俳句」2月号より。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)8月号の「本の庭」(橋本直氏)が西川火尖句集『サーチライト』を取り上げ、〈《花を買ふ我が賞与でも買へる花を》《夜勤者に引き継ぐ冬の虹のこと》《非正規は非正規父となる冬も》《花過ぎの出前の皿を戸口まで》《配られて使はぬ資料鳥雲に》《葉生姜や稼ぐといふか補ふ日々》《冬近し無料情報誌の黄色》《カレー食ふ列の無防備冬近し》。収められた句には他にもいくつかのラインがあるが、ここで引用したのは、現代日本社会に生きるわたしたちの生の有様が見える俳句を詠む、という作家の態度が明確なもの。厳しい社会情勢下にありながら、このような句を積極的に世に送り出す若い世代の作家は案外に稀少である〉と紹介。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号付録『季寄せを兼ねた俳句手帖2022秋』が《はたはたの優しき腹の飛び交ひぬ 岡田由季》《巻き貝の中の波音島の秋 曽根新五郎》《色鳥の来てそれぞれに意中の木 岡田由季》《蓋のなき水路の町や草の花 岡田由季》を採録。
- 情報紙「定年時代」*(新聞編集センター)7月下旬号の「本」が谷村鯛夢著『俳句ちょっといい話』を取り上げ、〈著名人が詠んだ俳句を切り口につづったエッセー集。著者が同人会会長を務める俳句結社「炎環」の機関誌「炎環」への連載から抜粋し、加筆修正の上、書籍化した。「定年俳壇」**選者でもある著者は、「『ちょっと』こそが俳句の持ち味では…。それぞれの句とそれに関わる話は、人生の機微を教えてくれる」と話している〉と紹介。(註)*朝日新聞に折込みのシニア世代向け情報紙、首都圏で200万部発行。**同紙の投句欄。
- 情報誌「アクセス」*(地方・小出版流通センター)8月号が谷村鯛夢著『俳句ちょっといい話』を取り上げ、〈あれやこれやの本や雑誌から古今の俳句ネタを掘り起こし、心に残るエピソードとともに溢れんばかり俳句愛を語る一冊。読み進めるうちに俳句史、俳壇史、俳句論まで押さえられるという趣向である。著者は出版プロデューサーで俳句結社「炎環」同人会会長。「八月や六日九日十五日…各地の多くの詠者」「浴衣着て戦の記憶うするるか…大橋巨泉」「風雪に耐えて五年の八重桜…安倍晋三」などその目次を見るだけで触手が伸びる〉と紹介。(註)*日頃、書店店頭では目に触れる機会の少ない、地方出版社や少部数の出版物を紹介する月刊情報誌。
- 高知新聞7月9日朝刊学芸欄が谷村鯛夢著『俳句ちょっといい話』を取り上げ、「俳人の逸話を深掘り」という見出しを掲げて、〈室戸市出身の出版プロデューサー・俳人、谷村鯛夢さんが、エッセー集を刊行した。近代俳句史に名を刻む俳人、俳句を愛した有名人らの作品、逸話を軸に、その人物像や俳句観を深掘りする。谷村さんは婦人画報社の編集者を経てフリーになり、出版界で活躍している。「ちょっといい話」は、俳句結社「炎環」機関誌の連載をまとめ、加筆した。文化全般に関する幅広い知識を絡め、俳句の面白さ、味わい深さを軽妙な筆致で表現している〉と紹介。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)8月号が巻頭の「俳壇ヘッドライン」に、7月5日埼玉県所沢市にある角川武蔵野ミュージアムで行われた「第67回角川俳句賞贈呈式」(受賞作は岡田由季作「優しき腹」)の模様を、カラー写真と記事で掲載。記事には、〈贈呈式では、選考委員の仁平勝氏が、「私は、俳句では“言い表しよう”に個性が出ると考えている。その点で岡田さんの作品は、〈秋の日や牛牽くやうに犬を牽き〉の〈牛牽くやうに〉、〈船どれも働いていゐる春の海〉の〈働いてゐる〉など、たいへん優れている。また〈集らぬ日の椋鳥の楽しさう〉、〈県庁と噴水おなじ古さかな〉のようなアイロニカルなセンスもある。これからが期待できる人材だと思います」と選評を述べた。受賞者挨拶で岡田氏は「俳句を始めてから淡々とマイペースに続けてきましたが、この十数年は一年に一回、自分の実力を測る場として角川俳句賞に応募してきました。数年前に候補作に挙げていただいたことがありましたが、そのときの作品と比べると、自分としても今回受賞できたのが良かったのだと思います。角川俳句賞に鍛えていただきました。受賞を機に、また自分の俳句を見つけていきたいと思います」と語った〉と記載。写真には贈呈式後のティーパーティにての岡田由季とお母様の敬子氏、石寒太主宰の3人が並んだ1枚も掲載。