2022年9月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 結社誌「百鳥」(大串章主宰)9月号の「今月の名句」(森賀まり氏)が5句のうちの1句に〈かろき子は月にあづけむ肩車 石寒太〉を選んでいます。
炎環の炎
- 島青櫻が、単行本『詩のアディスィ』全三巻を紅書房より8月17日に刊行。プロローグに〈アディスィ(Odyssee)は、波乱に富んだ長期の放浪冒険旅行、あるいは、自分を見つめ直す自分探しの旅。『詩のアディスィ』は、詩とは何か――この問いは、言語とは何か、芸術とは何か、人間とは何か、真理とは何か、といった諸々の本質的問いへと敷衍するもっとも可能性を秘めた問い――を尋ねての遍歴の旅を記した詩的思索の書、といってよい。主題は、「詩とは何か」の究明、いまひとつの題目は、可能性としての定型詩。今日を生きる人の営みにあって、定型の詩を作ることの意義を明らかにすることが目標。旅先には、先に訪れた多くの旅人、いわば、先達がいる。『詩のアディスィ』は、そうした先達が記した著述、すなわち、言葉を手がかりにしながらの思索の遍歴紀行、ともいえる〉として「旅の行程表」を以下のように呈示。
プロローグ 旅の仕度
壱 詩の形式を巡る旅
一章 定型の詞章形式
二章 定型の韻律形式
三章 定型の構造形式
四章 定型の意味
弐 詩の言語を巡る旅
一章 意識と言語
二章 詩の場所
三章 詩的経験と表現
参 詩の効用を巡る旅
一章 詩と宗教の淵源
二章 二様の霊的世界
三章 定型詩の可能性
エピローグ 旅の始末
本書は「炎環」2013年3月号から2020年3月号までの連載を全面的に書き改め整理したもので、エピローグにおいて〈『詩のアディスィ』は、文字通り、苦難と冒険に満ちた長き思索の旅、といえる。その悪戦苦闘振りは、詩とは何かを尋ね、その本質を言い当てる言語の変遷、あるいは、数々の用語の作成、あるいは、括弧表記やルビ表記によるいい換えと言語の多義化、といった振れ動く叙述に如実に表れている、といってよい。また、道行を辿り見識が広まり深まるに従って、更なる尋問すべき事柄が次々に生じ、結果、事前に立てた旅の行程や目的を大幅に超えた紀行となっている。真の論理に基づく思索の旅は、本来的に、終わりのない旅ではあるが、詩の本質究明、という当初目指した目標地に一応到達したことでもあり、ひとまず、旅を結ぶことにしたい〉と叙述。 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)9月号の「作品8句」に、増田守が「錯覚」と題して、〈越し方は全て錯覚夏の星〉〈沈黙のヤングケアラー梅雨の月〉〈夕蟬の一つは夢を捨てに発つ〉など8句を発表。
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)9月号「俳壇雑詠」
・能村研三選「秀逸」〈黒松の青水無月の影絵かな 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)9月号「四季吟詠」
・夏井いつき選「秀逸」〈花冷の柩の底の木目かな 曽根新五郎〉
・夏井いつき選「佳作」〈ずる休みして噴水の噴くを待つ 阪上政和〉
・鈴鹿呂仁選「秀逸」〈豆腐屋の前涼風とすれちがう 赤城獏山〉
・山崎聰選「秀逸」〈一徹を通す男よ竹の秋 赤城獏山〉
・山崎聰選「佳作」〈急くことの何も無き日の金魚鉢 森山洋之助〉
・行方克巳選「秀逸」〈混浴の朧月夜の湯壺かな 曽根新五郎〉
・行方克巳選「佳作」〈ふらここや呟くやうに歌うたふ 堀尾笑王〉
・山田貴世選「秀逸」〈渡り蝶おそらく平和運動中 山本うらら〉
・山田貴世選「佳作」〈はつなつの園児の声の満ちにけり 長濱藤樹〉
・髙橋千草選「秀逸」〈明日葉の母の代りの畑仕事 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)9月号「投稿欄」
・題「満」高橋将夫選「特選」〈満足の顔に満足枇杷すする 松本美智子〉=〈枇杷を食べて満足げな相手の顔を見て喜んでいる作者なのだ。人に喜んでもらえて嬉しかったという経験は誰にでもあると思う。文字通り誰かと枇杷を食べている光景とは思うが、「枇杷すする」が何かの暗喩ではないかとも思う〉と選評。
・古賀雪江選「特選」〈豆ごはん母のいまなほ母たる日 小野久雄〉=〈母も老いて人任せである事が多くなったが、豆ごはんを焚く時は違った。昔からの手順、味付けの塩梅、これは人任せには出来ない。母のそれは豆と米を最初から共に炊き、豆の味がしっかり浸み込んだ豆ごはんだった〉と選評。
・古賀雪江選「秀逸」〈海胆漁の傾くままのたらひ舟 曽根新五郎〉
・鈴木しげを選「特選」〈遠山は寝釈迦のかたち時鳥 山内奈保美〉=〈遠くの山脈が釈迦の涅槃のかたちに見えるという。こうした情景は各地にあると思うが、有名なのは阿蘇五岳の山容である。季は初夏、ほととぎすの気迫にみちた声が山にひびいている〉と選評。
・加古宗也選「秀逸」〈身ほとりの紙みな鶴となる暮春 鈴木まさゑ〉
・角川春樹選「秀逸」〈ゆつくりと降りるタラップ青葉騒 山内奈保美〉
・柴田多鶴子選「秀逸」〈堰を跳ぶ光の粒よ遡上鮎 堀尾笑王〉
・能村研三選「秀逸」〈海胆漁の(前掲)曽根新五郎〉 - 朝日新聞4月17日「朝日俳壇」
・小林貴子選〈一宿をして夕桜朝桜 荒井久雄〉 - 朝日新聞5月1日「朝日俳壇」
・高山れおな選〈それなりに直線になる田打かな 荒井久雄〉 - 朝日新聞7月3日「朝日俳壇」
・小林貴子選〈ダービーの似合ふ男の六制覇 荒井久雄〉 - 西日本新聞7月18日読者文芸「俳句」
・秋尾敏選〈まだ話したきことのあり夏の空 副田氷見子〉 - 毎日新聞8月15日「毎日俳壇」
・西村和子選「一席」〈葛ざくら出して固辞の意告げにけり 谷村康志〉=〈固辞という語感は固いが、くずざくらの涼感とほのかな甘みによって、あくまでやんわりと表現したことが想像されて心憎い句〉と選評。 - 産経新聞8月18日「産経俳壇」
・寺井谷子選「一席」〈子を連れて訪ねる無言館涼し 谷村康志〉=〈長野県上田市の戦没画学生慰霊美術館「無言館」の無言の重さ。この敷地内には、「檻の俳句館」と金子兜太の揮毫〈俳句弾圧不忘の碑〉が建つ〉と選評。 - 毎日新聞9月5日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈ひぐらしや父の手術の承諾書 谷村康志〉 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)9月号の口絵「私の自由時間」に田島健一が、自ら撮った風景写真とエッセイと俳句を寄稿。エッセイでは〈新型コロナウイルスの影響で、仕事がリモートワークによる在宅での作業となり、気分転換に仕事のあと、自宅周辺を車でドライブするようになりました。最初は自宅周辺だけだったのが、次第に、まとまった休みをとって、東北、北陸、東海、近畿、四国、果ては九州まで。我ながら馬鹿だな、と思います〉という趣旨を述べて一句〈晩夏光みずうみのいろ確かめに〉。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)9月号の「忙中閑談」に谷村鯛夢が「東京・北多摩の「若きら」の俳句」と題してエッセイを寄稿、〈三多摩の中でも、北多摩はとりわけ農村ニュアンスが強いところだが、私が現在住んでいる清瀬市などは緑も多く穏やかな環境で、実に住みやすい町だと思っている。清瀬市は、ある医療事情で昭和以降、日本中に知られる町になったという歴史を持っている。当時、国民病、そして「死に至る病」として恐れられた結核の療養施設がこの町に作られた。昭和六年の東京府立清瀬病院がその始まりで、現在の清瀬駅南口の前にあった自然のままの「武蔵野」の雑木林の中に、公立、国立の療養所が次々と建てられた。当時は「転地療養」という言葉があったくらいだから、「清瀬」は地名にたがわず、きっと東京都で一番空気のきれいなところだったのだろう。その清瀬で「石田波郷俳句大会」という催事が始まったのは平成二一年のこと。昭和俳句史に名を刻む石田波郷は兵役についた中国戦線で肺を病み、戦後も長く清瀬の結核病棟で闘病し、死するまで「病中吟」「境涯俳句」の名句の数々を残した。大会はそうした清瀬との縁にちなむ。波郷はそうした中、清瀬中学の校歌も作詞している。たまたまその清瀬中学の隣に住む私は、すっかりこの校歌のファンになってしまった。「若きらよ 強く伸びゆけ」、いい校歌である〉と叙述。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)9月号の特集「色彩を詠む」の「色が入った名句20句」のコーナーにおいて「青」を田島健一が担当、〈この頃の蕣藍に定まりぬ 正岡子規〉〈まさをなる空よりしだれざくらかな 富安風生〉〈瀧の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半〉〈梅咲いて庭中に青鮫が来ている 金子兜太〉〈愛されずして沖遠く泳ぐなり 藤田湘子〉〈少年ありピカソの青のなかに病む 三橋敏雄〉など20句を挙げ、「所感」として〈「青」色は、海や空といった地球を包む大いなる自然の基調となる色で、広々とした健康的な印象を与える色である。同時に「若さ」を象徴する色でもあり、穢れのない純粋さなども感じさせる。一方で「青」色には、どこか冷たく不安な印象もある。例えば、今回選句した二十句を見ても、近代から現代になるにつれて「青」色が心の状態を象徴するように変化してきてはいないか。子規、風生、夜半らの伸び伸びとした生命力ある「青」と比較して、兜太、湘子、敏雄らの微妙な精神性は、俳句の技術的な変化だけでなく、その時代を生きる人びとの心理と関わっているようで、実に興味深い〉と叙述。また、同特集の「私が“はっ”とした色の句」のコーナーにおいて宮本佳世乃が、〈硬く青く一月一日の呼吸 髙勢祥子〉を取り上げ、〈句集『昨日触れたる』(二〇一三年)の挙句を飾る一句。呼吸は、生命を維持するために、代謝に必要な酸素を体内に取り入れ、代謝によって生じた二酸化炭素を外界に排出する働きだ。本句は一月一日を意識した「そのとき」の呼吸だと思われる。おそらく、新年に変わる瞬間をどこか屋外で迎えたのではないだろうか。きりっとした新年のあの空気感を「硬く青く」と表現されたことに共感する。本句は音読するとゆったりとした構えが見える。「硬く青く」と韻律豊かに始まり、「一月一日の」と九音使い、「呼吸」のウの音で息が整う。あらたまの新鮮な酸素を身体に行き渡らせ、去年の二酸化炭素を排出する。血液や末梢組織との間でガス交換を行い、心機一転、本当に不要なものを出し切っているようにも見える。スタートを意味する本句が句集の末尾にあることが、次に進もうとする覚悟をも予感させ、とてもあざやかだ〉と鑑賞。
- 毎日新聞9月6日のコラム「季語刻々」(坪内稔典氏)が《レモン置く父の遺愛の辞書の前 三輪初子》を取り上げ、〈句集「檸檬のかたち」(朔出版)から。この句の前には「切る前の檸檬のかたち愛しめり」が、後には「スライスの檸檬さはさは鬱抜けし〉がある。1941年生まれ、東京都杉並区に住むこの作者はレモンがとっても好きなのだろう。掲出句は分厚く古い辞書の前のレモンがとっても新鮮という感じ。もしかしたらレモンは作者なのかも〉と鑑賞。
- 総合誌「俳句界」(文學の森)9月号の「全国の秀句コレクション」が〈毎月の受贈誌より編集部選〉として「炎環」誌より〈霧笛橋渡りはじまる夏句会 吉川久子〉の一句を選んで掲載。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)9月号の「合評鼎談」(佐怒賀正美・望月周・相子智恵各氏)の中で、同誌7月号掲載の岡田由季作「神鶏」について、〈佐怒賀「さすがに角川俳句賞受賞作家にふさわしい言葉の捌きであったり、シャープな輪郭であったり、景が明晰に伝わってきます。 《技かけるやうに畳みて鯉のぼり》 鯉幟を締まっているだけでしょうが、柔道の背負い投げのように投げかけて、畳んでという、それを〈技かけるやうに〉と表した。この形容はある意味大技だ(笑) 《青蛙戦後無人となりし島》 どこかは書いていないけれど、〈戦後無人〉になったのが寂しいようでもあるし、青蛙にとっては我が天地を得た思いかもしれない。 《蛞蝓の出るまでめくる神鶏たち》 暗喩的なものまで含んだ面白い句。人間で言うと、あたりが出るまで執拗に動作を繰り返すという、シニカルな笑いも感じ、それが「神の鶏」であるというところに批評性なども感じながら戴いた。逆に言うと、〈神鶏〉であっても、ある種の本能に基づいた執拗さとか残酷さとか、そういうものも持ち合わせていると言う。この句がいちばん好きでした」、望月「《越して来てはや鉄線を咲かす家》 来た早々、もう鉄線がきれいに咲いている。〈はや〉がうまい。〈青蛙〉の句、こういう島をよく見つけたな。〈青蛙〉は無人島に居るのか、自分と同じ陸地のほうに居るのか。作者の立ち位置がはっきりしない。ただ、青蛙の色がとても鮮烈です。〈蛞蝓の〉の句、〈めくる〉の一語は、鳥獣特有の執拗な捕食行為を端的に表現しています。観察眼に優れていて、言葉の選択も的確です」、相子「〈越して来て〉の句、鉄線は美しい花で、越してきた人のきちんとした性格がよく出ている。〈はや〉は、ちょっとした驚き。〈技かける〉の句、鯉幟の大きさが伝わってきて、面白い。 《百の草植ゑて招きぬ雨蛙》 最後の句。「雨蛙を招く」がかわいい」、佐怒賀「〈百の草〉という言葉の軽さが生きている」〉と合評。