2022年12月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の炎
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「作品8句」に三輪初子が「月の色」と題して、〈かの国の秋野は花の咲かぬとか〉〈神の留守ナプキン尖がる皿の上〉〈初氷のみづうみ装ふ月の色〉など8句を発表。
- 「第12回百年俳句賞」(マルコボ.コム)が、52の応募作品(1編50句)から最優秀賞1編・優秀賞3編・入賞6編を決定、12月10日表彰。
○「入賞」内野義悠作「けふは言はない」50句 - 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)12月号「俳壇雑詠」
・今瀬剛一選「秀逸」〈哲学の径の途中の昼の虫 曽根新五郎〉
・山田貴世選「秀逸」〈いかを干す海の記憶の消ゆるまで 赤城獏山〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)12月号「四季吟詠」
・夏井いつき選「秀逸」〈はんせいはしてをりませんねこじやらし 阪上政和〉
・夏井いつき選「秀逸」〈隧道の岩の引力銀やんま 松橋晴〉
・夏井いつき選「佳作」〈さながらに魔女の杖なる藜かな 赤城獏山〉
・行方克巳選「秀逸」〈赴任地の無人駅舎の晩夏かな 堀尾笑王〉
・髙橋千草選「秀逸」〈戦争の理論武装の炎暑かな 曽根新五郎〉
・松尾隆信選「佳作」〈下校児の腰に水筒夏旺ん 森山洋之助〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)12月号「投稿欄」
・今瀬剛一選「秀逸」〈マスクせしままの再会星まつり 曽根新五郎〉 - 読売新聞11月15日「読売俳壇」
・宇多喜代子選〈採れさうで採れぬ高さよ烏瓜 堀尾笑王〉 - 産経新聞11月17日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈手相見にすがる強面そぞろ寒 谷村康志〉 - 産経新聞12月1日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈まだ死ねぬ松茸飯の香りかな 谷村康志〉 - 日本経済新聞12月3日「俳壇」
・横澤放川選〈廃線のもう免れぬ枯尾花 谷村康志〉 - 読売新聞12月5日「読売俳壇」
・宇多喜代子選「1席」〈色鳥の声もいろいろ山日和 谷村康志〉=〈色鳥は秋に見られるいろいろの野鳥。いずれもが多彩であるところから色鳥と呼ぶ。山中で鳥の鳴き声を聞いている。鳥の姿は見えない〉と選評。 - 毎日新聞12月5日「毎日俳壇」
・片山由美子選〈らくがんの程良き甘さ敷松葉 谷村康志〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)12月号の「俳句へのまなざし」(大西朋氏)が《がしやがしやと来てどんと置く生ビール 齋藤朝比古》を取り上げ、〈オノマトペが実に気持ちよく働いて、活気や慌ただしさがストレートに伝わってくる。またすぐに、「おかわり」の声が響く店内が見えてくる〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の特集「令和の四十代」が、「氷河期世代」とも呼ばれている堀本裕樹・町田無鹿・西山ゆりこ・抜井諒一の4氏による座談会「令和の四十代の今とこれから」を掲載。各氏は「令和の40代 語りたい10句」をそれぞれが選んで座談会に臨席。その10句のうちに堀本裕樹氏は《鶫がいる永遠にバス来ないかも 田島健一》(句集『ただならぬぽ』より)を、町田無鹿氏は《手荷物にする骨壺とフリスクと 宮本佳世乃》(句集『三〇一号室』より)を選出。座談会において、堀本氏は田島の句に対し〈やはり昭和四十八年生まれのロスジェネの心情が、この句にも見え隠れしているように思います。もうすぐバスが来ると信じながら、バスを待ち続けている。バスは文字通り、乗り物のバスでありながら、どこか幸せがあるだろう場所に自分を運んでくれる象徴的なバスにも見えます。でも、いくら待ってもこない。しまいに永遠に来ないかもしれないと思い出す。そんな虚しさや諦めを感じますね。同時にそばにいる鶫は、今すぐにでも飛び立てるわけです。だからその鶫の持つ翼は憧れですね〉と、町田氏は宮本の句に対し〈から引きました。この句の三句くらい後に《流す三人八ミリで撮る散骨》があり、近しい人が亡くなられて、散骨をしに行った時の景であるらしいと分かります。〈手荷物にする〉だから飛行機に乗って行ったのでしょうか。フリスクという軽いものと対比させることで、逆に骨壺の物理的・心理的重さを出しているのが印象的でした。フリスクの白くて軽い感触からは、骨壺の中にある骨の清潔な白さも想像させます。フリスクの鮮烈なイメージによって、俳句として立っていると思いました。四十代って家族との別れを経験する人も出てくる年代ですよね。それを俳人としてしっかり見据え、詠んでいく。容赦なく詠み尽くす人もいれば、宮本さんみたいに全部は言わないけれども、何かに託して出していく人もいます〉と発言。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)12月号の「合評鼎談」(佐怒賀正美・望月周・相子智恵の各氏)の中で、同誌10月号掲載の齋藤朝比古作「選ばれて」について、〈相子「面白い句が多く、くすっと笑いながら、臨場感もある、とても鮮やかな12句でした。 《祭笛視力検査の後ろより》 町なかの眼科医院で視力検査を受けている時に祭笛を聞いたのか。「今日はお祭だったのね」というところ、ちょっと面白い。こういう「祭笛」の句は今までなかった」、望月「朝比古さんは観察眼が優れているのと同時に、おかしみを生むツボを心得ている方です。親しみやすい句が多いですが、類想がないのも特長です。〈祭笛〉の句も、独特の俳味があります。 《閑けさの隣り合ひたる蟻地獄》 「蟻地獄が隣り合っている」では単なる描写ですが、「閑けさが隣り合っている」と言うと空気感も伝わってくる表現ですね」、佐怒賀「《風入に孵卵器などの混じりをり》 獣医学生か、ブリーダーか。意外な素材を取り合わせたところが面白い。 《scrap & buildの音の灼けにけり》 〈音〉が具体的に見えてくるとよかった。私が考えたこともないようなことをいろいろ詠まれており、楽しみました」〉と合評。また同誌10号掲載の岡田由季作「アンテナ」については、〈相子「質感がうまく捉えられている句が多く、結構戴きました。 《立ち漕ぎのやや近くなる盆の月》 〈立ち漕ぎ〉くらいでは本来、そんなに近づいたとは言えない距離だが、盆の月に対する喜びとか、光を浴びたいという気持ちがそう感じさせるのか。 《引く声と押す声のあり虫の夜》 虫の音に波のような押し引きを感じるというのはとても詩的な発見。言われてみればそんな気がするという驚きもありました。 《きちかうや反物のまま五十年》 仕立てずにある反物。母とか祖母とかから贈られたのかもしれない。そこに桔梗の花が合っているのではないか」、望月「その句、〈五十年〉の歳月が生きています。仕立てず、大事に取って置き、五十年過ぎてしまった。凜とした風情の季語がとても効いています」、相子「《牡鹿声絞り出すとき舌も出し》 写生句の面白さ。牡鹿が声を絞り出すように鳴くということで、恋に苦しむ牡鹿の鳴き声が聞こえてきそう。〈舌も出し〉で必死で鳴いているんだろう」、佐怒賀「〈舌も出し〉ですね。人間だったら相手を馬鹿にしたようなそぶりですが、鹿にとっては真剣でしょう。感動の焦点を的確な言葉で表現できている。無駄のない句作りです」〉と合評。
- 河北新報11月19日のコラム「秀句の泉」(浅川芳直氏)が《快晴やわつさやつさと大根畑 宮本佳世乃》を取り上げ、〈宮城蔵王では自分で引き抜いた大根を1000円で袋に詰め放題にできて、家族連れなどでにぎわうイベントが有名だ。とはいえ、そんな限定をしなくとも、大根を抜く作業は家族総出でわっさわっさというのがしっくりくる。大地を揺るがすような躍動感もある一句だが、その実スコッ、スコッと簡単に抜けてしまうあっけなさ。快晴の空、穴だらけになってゆく地面、その並列も何だか楽しい〉と鑑賞。句は句集『三〇一号室』より。
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)11月号の「窓 総合誌俳句鑑賞」(今朝氏)が《沈黙のヤングケアラー梅雨の月 増田守》を取り上げ、〈「エッセンシャルワーカー」だとか、「ヤングケアラー」だとか、耳障りの良いカタカナ英語が蔓延る昨今。過酷な現状は字面や響きの良さで相殺できるものでは断じてない。いつ終わるとも知れない梅雨の夜に思わず見つけた月。雨に洗われた空に浮かぶ光は救いか幻か。上五の「沈黙」が重い〉と鑑賞。句は「俳句」9月号より。
- 結社誌「ランブル」(上田日差子主宰)11月号の「現代俳句羅針盤」(高瀬瑞憲氏)が《夕蟬の一つは夢を捨てに発つ 増田守》を取り上げ、〈「一つ」の解釈ですが、夕刻の蟬が発つ複数の目的の内の一つに夢を捨てに行くというものがあるとも取れますし、はたまた同じ樹に止まる複数の蟬の一つ(一匹)が夢を捨てるために発った、とも読めます。暮れていく世界の中で、自らの運命・死期を悟り、覚悟を持って飛び立った蟬が勇ましく映ります〉と鑑賞。句は「俳句」9月号より。
- 結社誌「濃美」(渡辺純枝主宰)12月号の「現代俳句月評」(千田一到氏)が《沈黙のヤングケアラー梅雨の月 増田守》を取り上げ、〈私は十二年間務めた民生委員を年齢停年で辞める。この間、どれだけ心を痛めてもどうしようも出来ない事例に何度も挫折した。〈ヤングケアラー〉とは家族の介護やケアなど身の回りの世話を担う子どものこと。学業との両立や友達との交流もできず一人悩み沈黙し続ける子ども達に福祉は全く追いついてはいない。社会の片隅に残され諦めているのが現状である。哀しいではないか。この句に接することができ、筆者はうれしい。〈沈黙〉する子どもと、それを見守るかに雨雲から顔を出して子どもを慰めてくれる〈梅雨の月〉の思わぬ明るさがうれしい。委員を退任しても地域を見守りたい〉と鑑賞。句は「俳句」9月号より。
- 「となりあふ」第7号(autumn)の「佳句収集」(廣川坊太郎氏)が《はしたなき神様もゐて宝船 齋藤朝比古》を取り上げ、〈宝船には七福神が乗っている。このうちどなたがはしたないというのであろうか。おそらくいつも裸でいるから布袋尊であろう。こういう神様もいてこその宝船なのである〉と鑑賞。句は『俳句年鑑2022年版』より。
- 結社誌「栞」(松岡隆子主宰)11月号の「俳句月評」(木内憲子氏)が《選ばれて掬はれてゆく金魚かな 齋藤朝比古》を取り上げ、〈我々は選ばれて人となったのか、この金魚はその後どうなったのか。そんな深掘りを作者は望まれないかも知れないが、とにかく一人の読者にとっては、そう思わせる作品であった。「買はれて」ではなく〈掬はれてゆく〉が想像を深めるのかも知れない〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「帯」(長浜勤主宰)vol.11の「現代俳句鑑賞」(新井秋沙氏)が《かき氷滑落の痕ありにけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈涼しさを呼ぶかき氷である。が、作者は小さな氷の破片から氷河、氷山の滑落に思いをはせている。地球温暖化の深刻な自然現象にだ〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「香雨」(片山由美子主宰)12月号の「現代俳句を読む」(森瑞穂氏)が《選ばれて掬はれてゆく金魚かな 齋藤朝比古》を取り上げ、〈金魚すくいの薄い紙の貼られた掬う用具のことをポイと言うそうだ。掲句を読んで、言われてみれば選んで掬っていたことを思い出した。筆者はほとんど、ポイの紙が水に破れてしまい、店主がお椀で掬ってくれたおまけの金魚の袋を提げて帰り、この金魚ではなかったのに、などと思っていた〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 同人誌「ふう」(つげ幻象代表)26号(winter)の「俳句月評まなざし」(栗山政子氏)が齋藤朝比古の《がしやがしやと来てどんと置く生ビール》《真つ先に下船麦藁帽子の子》の2句を取り上げ、〈擬音が、生ビールの様子をずばりと言い切っている。二句目は「真つ先に」下船する子の期待感が横溢〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 同人誌「ふう」(つげ幻象代表)26号(winter)の「俳句月評まなざし」(栗山政子氏)が岡田由季の《アンテナが目印の山秋日和》《平等におほまかに分け零余子かな》の2句を取り上げ、〈この山は人に説明するときも、「アンテナが立っている山」と言えばすぐにわかる。よく晴れた穏やかな秋日和、山はアンテナを抱えて屹立している。二句目の「平等におほまかに」は一見矛盾しているようだが、零余子が句の中から溢れてくるようなタッチに魅せられた。量的には「おほまかに」なのだが、心根はあくまでも「平等に」なのである〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「好日」(髙橋健文主宰)12月号の「現代俳句月評」(梶間淳子氏)が《選ばれて掬はれてゆく金魚かな 齋藤朝比古》を取り上げ、〈筆者宅の金魚は四年前、大山祭りの金魚すくいで三歳の孫が掬えずにいたら、お兄さんがさっと二匹を袋に入れて持たせてくれた。三センチにも満たなかった痩せ金魚が今では手のひらサイズで悠々と泳いでいる。子どもは親を選べない。親ガチャなんて言葉は嫌いだ。そこは遠い昔からの縁と思いたい。出会うべくして出会ったと〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「風土」(南うみを主宰)12月号の「現代俳句月評」(中根美保氏)が《かき氷滑落の痕ありにけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈ミニチュアアートといわれる分野に「見立て」という手法がある。例えばブロッコリーの木蔭に人が佇んでいたり、スポンジの砂丘を駱駝に乗った隊商が旅していたりする写真を見たことがある人は多いのではないだろうか。掲句も同じように、かき氷を雪山に見立てて詠んでいる。ありふれた景も、視点を少しずらすことでこんなにも新鮮に映る〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「風港」(中川雅雪主宰)12月号の「現代俳句鑑賞」(山本くに子氏)が《がしやがしやと来てどんと置く生ビール 齋藤朝比古》を取り上げ、〈擬態語によって、ウエイターが重いビールジョッキの盆を運んでくる喧噪と、なみなみと注がれてジョッキが汗をかいているような生ビールの様子がありありと見えてくる〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「百鳥」(大串章主宰)12月号の「現代俳句月評」(川原瀞秋氏)が《真つ先に下船麦藁帽子の子 齋藤朝比古》を取り上げ、〈待ちに待った楽しい旅なのであろう。句中の子はもちろん、作者自身の幸せなほほ笑みも垣間見ることができる〉と鑑賞。