2023年1月
ほむら通信は俳句界における炎環人の活躍をご紹介するコーナーです。
炎環の軸
- 総合誌「俳壇」(本阿弥書店)1月号の「俳壇月評」(井上康明氏)が《八百杉や遷幸八百年野分 石寒太》を取り上げ、〈作者は、師である加藤楸邨の隠岐の一連の作を追求すべく隠岐行を続ける。後鳥羽上皇が海士郡に流されたのが承久三(一二二一)年。それから八百年が経つ。その八百年を経過した巨木の杉が佇立し遷幸の歳月を語る。八百の繰り返しが八百万の神も想像させ、野分は地上の総てを吹き尽くす〉と鑑賞しています。句は「俳句」11月号より。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)1月号の「合評鼎談」(奥坂まや・津髙里永子・堀本裕樹の3氏)の中で、同誌11月号掲載の石寒太作「隠岐―秋から冬へ」について、〈奥坂「加藤楸邨が昭和十六年に隠岐に行って、沢山句を詠みました。〈さえざえと雪後の天の怒濤かな〉や〈隠岐やいま木の芽をかこむ怒濤かな〉と、怒濤でもいくつか作品を詠んでいます。 《冬怒濤沖白浪の隠岐泊まり》 楸邨に師事した寒太さんにとって、隠岐に泊まられたことは感動的だったと思います。泊まって、冬の怒濤を見られてた。冬の怒濤の声を聞けた」、堀本「僕は寒太さんのこれらの句を読んで、「師系のつながりを再確認」というメモをしています。まさに楸邨の跡を辿って隠岐に旅されている。〈冬怒濤〉は奥坂さんも言われたように、楸邨の〈隠岐やいま〉がパッと浮かんできました。この句を踏まえて、オマージュしたように見えます。〈沖〉と〈隠岐〉で韻も踏んでいます。 《相呼びし楸邨・兜太雪ほたる》 やはり自分に流れている師系という血筋を再確認しながら、〈楸邨・兜太〉という大きな先人の名前を出して、自らもさらに響き合っていきたいという志が見えます。いい句だと思います」、奥坂「《胴震ひして隠岐牛の雪払ふ》 これも存在感のある句ですね。隠岐は牛も有名です。周りが海ですから、払われた雪が海にまで飛び散ってきそうです。普通の牧場の牛ではなく、隠岐牛がよかったと思います」、堀本「飛び散った雪の白が、海の青と響き合うような色彩のコントラストもイメージできますね」、奥坂「《大年の藁火の高し隠岐の牧》 牧場の藁火だから、炎の高さが高く感じられます。〈大年〉なので年の終わりに掃除か何かして、藁火を燃やしている。隠岐というのは、後鳥羽上皇も流された島ですが、〈大年〉でそんな歴史も見えてくる感じがします」、津髙「私も隠岐には何回か訪れたことがあります。牛や馬の数が人よりも多いという島です。それだけに〈胴震ひして〉は悠々と過ごしている牛が見えてきます」、奥坂「《句碑守のわが二十年暮れの秋》 これは石さんが毎年隠岐に行かれているということでしょうか。俳句を長くやっている方は師系の確認ということで分かるかと思いますが、初心の方には意味が伝わりにくいかもしれませんね。〈相呼びし〉の句にしても、石さんとお二人の関係が分かっていないとなかなか難しい。その点〈胴震ひ〉や〈冬怒濤〉などは、楸邨のことを知らなくても見えてきます」〉と合評。
炎環の炎
- 山岸由佳が、句集『丈夫な紙』を素粒社より12月28日に刊行。栞に石寒太主宰が「感性プラス旋律の広がりを」と題して文を認め、〈山岸由佳さんは「第三十三回現代俳句新人賞」を受賞している。その七年後の今回の初句集上梓、むしろ遅すぎる第一句集であるが、今回の句稿に目を通し、彼女が着実に自分の個性に目覚め、ひとつの独自な世界を歩みはじめていることがよく分かる。由佳さんの俳句は、はじめから彼女の感性がありながら、もうひとつ強さが足りないと思ってきた。それが今度の句集には、はっきりと出はじめている。 《うらみつらみつらつら椿柵の向う》 この句に出会って、由佳さんはみごとにひとつの世界を獲得した、そう思った。伝統的な「つらつら椿」をさらに自家薬籠中のものにしている。こういう余裕こそが俳句表現の独自性であり、俳句の幅にもつながる。今どきの俳句は意味のみに頼りやすい。意味はもっとも大切であるが、同時に韻律(リズム)もその中に求めて欲しい。由佳さんに、さらに新しい境地が拓けんことを、切に期待したい〉と紹介。
- 「第23回隠岐後鳥羽院俳句大賞」(島根県隠岐郡海士町)が応募総数1,590句から、選者4名(石寒太・稲畑廣太郎・宇多喜代子・小澤實の4氏)により、各選者の選んだ特選1句、準特選1句、入選30句、佳作30句をもとに大賞ほか各賞を決定し、2022年3月1日公式ホームページにて発表。
◎「海士町長賞」〈朝霧やぬつと面出す牧の牛 鈴木経彦〉=石寒太選「入選」、宇多喜代子選「入選」、小澤實選「入選」
・小澤實選「準特選」〈牛の径人の道あり大花野 前島きんや〉
・小澤實選「入選」〈色変へぬ松や上皇行在所 斉藤駿馬〉
・小澤實選「佳作」〈楸邨に似し貌の馬隠岐の秋 伊藤航〉
・宇多喜代子選「入選」〈楸邨に(上掲)伊藤航〉
・宇多喜代子選「入選」〈負け牛のゆつくり帰り雲の峰 前島きんや〉
・石寒太選「佳作」〈勝力士次は負けやる隠岐相撲 鈴木経彦〉
・稲畑廣太郎選「佳作」〈夏場所や隠岐の関取子らの夢 荒井久雄〉 - 「第23回隠岐後鳥羽院短歌大賞」(島根県隠岐郡海士町)が応募総数1,248首から、選者2名(三枝昂之・安田純生の2氏)により、各選者の選んだ特選1首、準特選1首、入選30首、佳作30首をもとに大賞ほか各賞を決定し、2022年3月1日公式ホームページにて発表。
・三枝昂之選「入選」〈隠岐に来て知りたる隠岐の宮相撲目指せ横綱「隠岐の海」関 鈴木経彦〉
・三枝昂之選「入選」〈月光のしみこむように一夜干星降る島の軒に干さるる 曽根新五郎〉
・三枝昂之選「入選」〈百歳の誕生祝う村長へまだ百歳と笑つて答う 曽根新五郎〉
・三枝昂之選「佳作」〈分校を首席で卒業てふガイド卒業生はひとりと明かす 鈴木経彦〉
・三枝昂之選「佳作」〈産声をあげたる島の他知らず海女なる母は島を離れず 曽根新五郎〉
・安田純生選「入選」〈マスクして島へ来る客マスクしてむかえて笑う民宿の人 曽根新五郎〉 - 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号「四季吟詠」
・寺井谷子選「秀逸」〈新涼の渚の砂の一握り 曽根新五郎〉
・由利雪二選「秀逸」〈数え日の私を泣かす逆睫毛 山本うらら〉
・渡辺誠一郎選「秀逸」〈新涼の潮の引きたる潮の跡 曽根新五郎〉
・渡辺誠一郎選「佳作」〈草の花消毒と謂ひ毒を撒き 松橋晴〉
・冨士眞奈美選「佳作」〈きりんには高すぎる空鰯雲 阪上政和〉 - 「第75回横須賀市民文化祭 市民俳句大会」(神奈川県横須賀市)が応募総数226句(1人1句)から選者の西村和子氏により、市長賞1句、生涯学習財団賞1句、文化協会賞1句、特選1句、佳作10句を決定し、11月20日に選評会を開催。
○「佳作」〈男にはをとこの咄新酒酌む 齋藤卜石〉=〈この句の「咄」は話とは違う。男同士の軽い話だ。そこに味があって良かった〉と選評会において選者講話。 - 「文芸三島」(静岡県三島市)第45号(2022年12月発行)
・後藤秋邑選「文芸三島賞」〈春潮の埠頭に総出島へ医師〉〈過疎村に女子大生の早乙女隊〉〈担ぎ手は皆都会から村神輿 鈴木経彦〉=〈手慣れた作。過疎村をテーマに三句作成。テーマが決まると作りやすいものだ。三句の中では第一句の作が最も良いと思う。季語も適切。無医村の情況が良く描かれている。それは医者を迎える島人の喜びが総出の一語に表出されている。第二句は、早乙女の描出、女子大生の選択が良い。過疎村だけに一層華やぎを添える。第三句の村神輿、この句は類想句があると思うが、“都会から”と限定したのが良かった〉と選評。 - 「文芸三島」(静岡県三島市)第44号(2021年12月発行)
・後藤秋邑選「文芸三島賞」〈特攻の離島の墓標夏の潮〉〈軍服の叔父の遺影や仏桑華〉〈西海に散りし同胞敗戦忌 鈴木経彦〉=〈第一句にことに惹かれた。この作者の諸作品は格調が高くしっかりして乱れがない、二句目の句も季語が良い。三句目はやや報告的、意味はわかるが。同胞が良い〉と選評。 - 「第23回常陸国小野小町文芸賞」(茨城県土浦市)の俳句部門が応募総数351句から審査員(今瀬剛一・嶋田麻紀・大竹多架志の3氏)により大賞1句、優秀賞7句、秀逸20句を決定し、12月24日表彰。
○「秀逸」〈音程の合はぬ園児の卒園歌 鈴木経彦〉 - 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)1月号「令和俳壇」
・白岩敏秀選「秀逸」〈言ひ訳を考へてゐる毒茸 氏家美代子〉 - 日本経済新聞11月26日「俳壇」
・黒田杏子選〈炉を囲み宇宙旅行の夢語り 谷村康志〉 - 産経新聞12月15日「産経俳壇」
・宮坂静生選〈道端に猫の骸や神無月 谷村康志〉
・寺井谷子選〈類想の句のごと並ぶ菊花展 谷村康志〉 - 産経新聞12月22日「産経俳壇」
・寺井谷子選〈部活から戻れば父の夜業の灯 谷村康志〉 - 毎日新聞12月26日「毎日俳壇賞2022年」各選者が1年間の投句から最優秀1句、優秀2句を決定。
・西村和子選「優秀」〈見舞客なき日の窓の薄紅葉 谷村康志〉 - 総合誌「俳句界」(文學の森)1月号の「全国の秀句コレクション」が、同誌編集部が多くの受贈誌の中から選んだ29句(1誌1句)の一つとして、「炎環」誌より《母の家どの窓からも今日の月 根岸幸子》を採録。
- 総合誌「俳句四季」(東京四季出版)1月号の特集「俳句の未来予測」に宮本佳世乃が寄稿し、〈少子高齢化の現在、高齢化率は三十%に迫る勢いで、十年後も増加が見込まれる。平成に入ってから「結社の時代」と言われたが、当時と比べて現在の結社数は二、三百減ったとも聞く。結社を一代で終えるのか、後継者を育成するのかは懸案事項だろう。結社が減り続けることは心許ない気もするが、今から新しく結社を立ち上げるのがハッピーなことばかりではないのは容易に想像できる。単に主宰の力だけではなく、資金面でも人材面でも多大なやりくりが必要だからだ。現在はテレビ番組の影響もあり、俳句に興味を持っている人は多いと思う。ただ、俳句を楽しむためには、作る力だけではなく、読む力をつけることが必要なのではないか。こればかりは俳句の発表のみでは醸成されにくいだろう。やはり座が大切なのかもしれないと思う〉と主張。
- 総合誌「俳句」(角川文化振興財団)1月号の「新刊サロン」において、山田真砂年氏が三輪初子句集『檸檬のかたち』を取り上げ「かたちは語る」と題して、〈「かたち」というキーワードで本句集を眺めると、まず、句集名となった句。 《切る前の檸檬のかたち愛しめり》 檸檬の少々ずんぐりした紡錘形という「かたち」を、掌が記憶しているのだろう。多くの檸檬を切ってきた手応えと営んでいた飲食店の歴史も蘇る。さらに、 《バンザイのあとの双手や昭和の日》 バンザイは、喜びの形・表現であるが、作者はバンザイをした後に喜びと正反対にある悲しみを幻想した。「天皇バンザイ」と叫んで死んでいった多くの人々の声が聞こえるのだろう。「昭和の日」がそんな解釈をさせる。 《霜の夜やペキパキペットボトル踏む》 踏まれて形を変えてゆくときのペキパキという音は、役目を終えて不用となった物の悲鳴とも思える。作者の詠む「かたち」は三次元を超えて時間をも含む多次元空間を創る〉と紹介。また、同コーナーにおいて、髙柳克弘氏が谷村鯛夢著『俳句ちょっといい話』を取り上げ「対話こそ俳句の華」と題して、〈AIが俳句を作る時代だ。工学博士の川村秀徳教授が、北海道大学のスーパーコンピュータを作って創り出した「AI一茶くん」は、一秒間に四百句という数の俳句を、二十四時間休みなく吐き続けることができるという。そうなれば、いずれは俳人という仕事はなくなってしまうのだろうか。しかし、本書を読んでいくうちに、AI恐るるに足らず、という気持ちになる。俳句はもちろん、作品自体の魅力もあるのだが、作品の背景となる人と人との交流や対話こそが面白いということに気づかされるのだ。無季俳句に対抗意識を燃やす石田波郷が酒の席で西東三鬼に面と向かって「糞野郎」と罵った話、若きころの沢木欣一と原子公平が歳末に約束もなく加藤楸邨を訪ねていく話、高浜虚子が「勉強なんかはおやめなさい」と子供たちに言っていたという話……ひとくせもふたくせもある俳人たちが残した逸話は、笑ったりほろりとさせながらも、大切な俳句の本質を突いていたりもするから、油断はできない。こうした俳句を介した本音のやりとりを見るにつけ、いまは「議論不在」の時代ではないかと問題意識が頭をもたげる。個人主義が徹底し、「あちらの俳句とこちらは別物」としてそれぞれが自足している状況は平穏ではあるが、盛況とはいえまい。俳句作りはAIに任せて、いまはむしろみんな「俳句について語り合う」ことに力を注いだ方がいいのかも?とすら思わされた〉と紹介。
- 同人誌「群青」(櫂未知子・佐藤郁良代表)12月号の「俳句月評」(小林鮎美氏)が《かき氷滑落の痕ありにけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈「滑落」は言い得ている。今まで気に留めていなかったが、今後その痕を見る度にこの句を思い出すだろう。こういう句を読むと、自分が如何に言葉で世界を認識しているか思い知らされる〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「澤」(小澤實主宰)12月号の「窓 総合誌俳句鑑賞」(今朝氏)が《がしやがしやと来てどんと置く生ビール 齋藤朝比古》を取り上げ、〈長引く不景気やコロナ禍にあって、掲出句に描かれているような光景はあまり見られなくなったかもしれない。テーブルや椅子の間を縫う店員の身のこなしも慣れたもの。強者は片手にジョッキ五、六杯は持てると言うから、十人くらいの注文であれば一回で運んできてしまう。句中に並べられた活気ある擬音語が、「黙食」の世の鼓膜を震わせている〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「ランブル」(上田日差子主宰)12月号の「現代俳句羅針盤」(高瀬瑞憲氏)が《scrap & buildの音の灼けにけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈スクラップ&ビルドを丸々読み込んでいて目を引きました。夏真っ盛りの炎天下の中、それぞれが近い場所で同時進行しており、それぞれの音が鳴り響いている。その鳴り響く音までもが暑さに灼けて聞こえるとしたところに、作者が介在した付加価値があります〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「響焰」(米田規子主宰)1月号の「総合誌の俳句から」(秋山ひろ子氏)が《閑けさの隣り合ひたる蟻地獄 齋藤朝比古》を取り上げ、〈日常の慌ただしさの中にぽっかりと浮ぶ、不思議な時間、真夏の音の消えた昼下がり、時の止まっているような“閑けさ”。乾いた土のすりばち形の穴にすべり落ちる蟻。どこまでも広い空の青…。こどもの声で我に返りました〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 結社誌「萌」(三田きえ子主宰)1月号の「名句探訪」(岡葉子氏)が《選ばれて掬はれてゆく金魚かな 齋藤朝比古》を取り上げ、〈金魚すくいの上手な子は、大きなあるいは美しい金魚をねらい定めてすくい上げる。やみくもに挑戦するのではない。掲句「選ばれて」の表現が発見である。たかが金魚すくいに真剣にとりくむ子どもの姿がほうふつとする〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。
- 愛媛新聞12月27日のコラム「季のうた」(土肥あき子氏)が《数へ日といふいちにちの暮れにけり 齋藤朝比古》を取り上げ、〈年末まで1週間を切れば、いよいよ新しい年が見えてくる。24時間という一日に変わりはないが、残り少なくなると特別大切なもののように思われる〉と鑑賞。句は「炎環」2014年3月号に初出。土肥あき子氏は出典を示していないが、これを例句に採った『新版 角川俳句大歳時記 冬』から引いたか。
- 結社誌「門」(鳥居真里子主宰)1月号の「現代俳句月評」(近藤萠氏)が《選ばれて掬はれてゆく金魚かな 齋藤朝比古》を取り上げ、〈掲句は、ペット用などとして養殖された金魚は、市場に出すのは、外観的に優れた物以外は、はねられる。殺処分を免れたものは、金魚掬い用として用いられる。小さなワキン、黒出目金、姉金、琉金、大物目玉となると派手で、高価な金魚が希少価値となる。命が、人間の都合で作られ、処分される。人間社会の縮図を見ているような不条理さが切ない〉と鑑賞。句は「俳句」10月号より。